今回は、2012年7月2日、米国ケンタッキー州のウェブスター郡にある油井用の貯蔵タンク地区に落雷があり、タンクが爆発・火災を起こした事故を紹介します。噴き飛んだタンク屋根が近くを通っていたU.S.41号線バイパスの道路上に落下し、一時幹線道路が閉鎖されました。
本情報はつぎのようなインターネット情報に基づいて要約したものである。
・CourierPress.com, U.S.41-Alternate Reopens in Webster County after Lightning Strike Fire, July 3
・Wave3.com, Lightning Causes Explosion that Shuts down Portion of US41 in Webster County, July 3
・Kentucky.com, Lightning Strike Ignites Oil Well Tanks, July 3, 2012
・Kentucky.com, Lightning Strike Ignites Oil Well Tanks, July 3, 2012
・WKMS. org, Oil Well Explosion in Webster County, July 3, 2012
・Surfky. com, Oil Well Explosion/Fire in Webster, July 3, 2012
<事故の状況>
(写真はSurfkyNewsから引用) |
■ 2012年7月2日(月)午後10時頃、米国ケンタッキー州ウェブスター郡にある油井用のタンクが落雷によって爆発・火災する事故があった。この事故によって近くを通っているU.S.41号線バイパスが一時閉鎖された。
■ この事故に関するウェブスター郡への911番通報があったのは2日午後10時9分だった。ウェブスター郡緊急事態管理局長であるジェレミー・ムーア氏によれば、貯蔵タンク地区に落ちた雷はタンクを直撃し、複数のタンクが爆発を起こしたという。爆発を起こしたタンクのうち1基のタンク屋根部が道路上に落下した。消防隊が現地へ到着したときには、他のタンク2基が炎上中だった。
■ U.S.41号線バイパスを管理しているケンタッキー交通局はプロヴィデンスとディクソン間のマイル標識2.6の地点で同道路を閉鎖し、現場の交通遮断を約6時間と見込んで、迂回路を設定した。
■ ムーア氏によれば、この油井タンクの操業を行っている会社の責任者が夜を徹して現場の監視を続けているという。タンクのうち1基のタンク燃え続けている。会社の責任者によれば、火災による災害を軽減するためタンクローリー車でタンク内の油を抜き取ったという。
消防隊の消火活動によって7月3日(火)午前1時30分頃に火災は制圧下に入った。ムーア氏は、嵐による猛烈な雨によって火災が拡大しなかったことは幸いだったと語った。
なお、この爆発・火災事故による負傷者もいなかった。
■ ケンタッキー交通局は、約3時間後の7月3日(火)午前1時30分頃に、閉鎖していたU.S.41号線バイパスの交通遮断を解除した。
補 足
■ 「ケンタッキー州」は米国中東部に位置し、人口約430万人で、州都はフランクフォート市である。農業を主とする州であるが、ケンタッキー・フライドチキンを世界に広めたKFC社はケンタッキー州ルイビルに本社がある。
「ウェブスター郡」はケンタッキー州の北西部に位置し、人口約14,000人である。
「ディクソン」はウェブスター郡の郡庁所在地で、人口約630人の町である。「プロヴィデンス」はディクソンの南方に位置し、人口約3,600人の町である。
■ 「ウェブスター郡緊急事態管理局」(Webster County Emergency Management)は、ケンタッキー州ウェブスター郡の緊急事態時の対応部署である。事務所はディクソンのU.S.41号線バイパス沿いにあり、今回の発災場所から近いところである。
米国には、政府機関としてアメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁(Federal Emergency Management Agency of the United States; FEMA)が組織されている。FEMAは、洪水、ハリケーン、地震などの天災ほか、人災にも対応し、原子力災害も対象としている。災害に際して連邦機関、州政府、その他の地元機関の業務を調整する。各州には緊急事態管理局という下部組織がある。
発足当初は、大統領直属の独立した連邦機関として災害を中心とする緊急事態に対し、軍や州兵を含む他の連邦機関・州および地方機関に対し、予算執行を含む強力な指揮命令権を有し、世界中の緊急事態対策の手本とされてきた。
しかし、2003年3月の米国同時テロ事件以降、国土安全保障省の一部とされ、権限・規模が縮小された。そのため、2005年に相次いだハリケーン災害への対応が後手にまわり、対テロ政策偏重が問われることとなった。
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