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2015年2月25日水曜日

フランスで原油タンクのダブルポンツーン型浮き屋根が沈没

 今回は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省)がまとめているARIA(事故の分析・研究・情報)の中のひとつで、2007年に起きた「原油タンクの浮き屋根の完全沈没」(Irreversible sinking of the floating roof on a crude oil tank )の資料を紹介します。
< 施設の概要 >
製油所の設備
■ 旧ペトロプラス社のプティクロンヌ製油所は、県庁所在地のルーアンから10kmほど離れた町の港地帯にあり、1929年に操業を始めた。原油の精製能力は年間700万トンで、欧州の中では中位の規模の製油所である。施設の操業は欧州の2つの規制を受けて行われている。すなわち、セベソ指令(事故のリスク回避に関する規制)およびIPPC(総合汚染の防止と長期的な対応)である。

■ 製油所設備は2つの地区に分けられており、公共道路によって分かれる形になっている。ひとつは精製装置の地区となっており、もうひとつは貯蔵タンクの地区である。貯蔵タンク地区には、原油、中間製品、精製油製品を貯蔵する。この貯蔵タンク地区は、“ミルテュイート公園”と呼ばれ、地上式タンク(円筒タンクおよび球形タンク)および地下式タンク(LPG岩盤貯蔵)がある。
プティクロンヌの町と製油所(青色部)
(写真はARIA資料から引用)
事故のあったタンク施設
■ 発災タンクは、原油用の地上式円筒タンクで、貯蔵能力が60,000KLだった。タンク仕様はつぎのとおりである。
 ● 直径 70m、断面積 3,850㎡
 ● 側板高さ 17m
 ● 螺旋翼型の攪拌機が3台設置
 ● タンク屋根の仕様: 重量480トン、ダブル・ポンツーン型浮き屋根、4インチ径の雨水排出用ドレン配管、過剰な荷重による浸漬を回避する目的で設計された直径4インチ堰(タンク内に直接オーバーフローさせる) ダブル・ポンツーン型屋根は、複数の同心環状の潜函(せんかん)構造になっており、一番外側の潜函だけが区画構造になっている。屋根部の接続は、液側デッキプレートとコンプレッション・リング型構造になっている。
 ● 垂直筒(ガイド・チューブ)付きのレーダー式液位計による液位計測
 ● エアフォーム・チャンバー12個設置、放射能力800リットル/分
(図はARIA資料から引用)
< 事故の状況および影響 >
事故の発生
■ 2007年6月30日から7月2日の間、タンクB962は、特別な問題点もなく、油を貯蔵していた。7月24日に立ち上がる常圧蒸留装置への原料供給が予定されていた。7月2日早朝時点で、タンクは正常状態だったと判断されている。ただし、タンクおよび付属配管の異変や漏洩を発見するための集中液面監視装置は無かった。

■ 7月2日には、雷を伴った嵐が何度か訪れ、激しい雨が降った。7月3日までの24時間に9.5mmの雨量を観測した。7月3日から4日にかけて、1時間の雨量が11mmと23mmを記録した。当該タンクでは、レベル警報(高液位)が7月2日に何回か鳴り始めていた。この警報に対して、計器室の技術担当は異変の可能性について考えなかった。このため、タンク屋根に関連するレベル確認の作業は実施されなかった。ただ、タンク基礎部の目視点検のみが行われた。というのも、タンク屋根のポンツーンは、2007年3月6日に行われたタンク予防保全の検査によって問題ないとされていたためである。

■ 7月18日、製油所の生産管理部門から原油の流量に異変があることが指摘された。この対応として、現場では、7月19日、タンク屋根の目視確認が行われ、浮き屋根が沈没していることが発見された。屋根が回復する見込みがあるかどうかや、構造部材が変形しているかどうかというような状況ではなかった。

■ 予防措置として、操業者は当該タンクの近くに高性能消防車を配置した。このようにした上で、原油を近くのタンクへ移送することとした。この移送作業だけで数週間かかった。すべての事故対応期間は3か月近くかかった。タンク側板上部にエアフォーム・チャンバーが設置されているのもかかわらず、操業者は、タンク油面からの蒸発防止対策として泡張り込みを行わなかった。これは、泡溶液の投入がベーパーの引火源(静電気現象による)になることを懸念したためである。

事故による被害
■ 類別施設検査官および県民保護監察官の双方から出された要請にもかかわらず、操業者は、炭化水素(特にベンゼン)に曝される期間が短いので、法令上のしきい値には当たらないことを理由に、町長への事故報告を行わなかったし、地元住民に対して行うべき予防措置を行わなかった。

■ 当該タンクから1.2km離れたプティクロンヌに設置されている大気汚染監視装置によると、7月4日から8月31日の間、高い炭化水素濃度が観測されていた。7月8日には、1時間平均で25mg/㎥に達していた。同監視装置は1時間平均のベンゼン濃度が25μg/㎥を記録していた。当該タンクから約2km離れたところに設置されていた2番目の監視装置の記録によると、6月30日~7月12日および7月12日~27日の各14日間のベンゼン濃度は4.5~6.5μg/㎥であった。監視装置の設置やメンテナンスを含め、計測結果の判断は大気質管理協会に責任が委託されている。これは1996年の大気質法に基づくものである。 2番目の監視装置における年間平均のベンゼン濃度レベルは、2007年が2.1μg/㎥、2006年が1.6μg/㎥であった。(ベンゼンに対する大気質のしきい値は、2007年の年間平均で8μg/㎥と設定されていた)

■ 7月22日~8月19日の間、監視していた大気質管理協会に何通かの苦情が登録されていた。これらの苦情は、製油所から概ね風下の方向に位置する町の住民から寄せられていた。

■ 操業者は、偶発的に大気へ発散させた揮発性の有機化合物の量を3,185トンと評価した。うち、ベンゼンは55トンだという。

欧州基準による産業事故の規模
■  1994年2月、セベソ指令を司るEU加盟国管轄庁の委員会は、事故の規模を特定するために18項目のパラメーターを用いる評価基準を適用した。わかっている情報をもとに検討された結果、当該事故は4つの分類項目に対してつぎのように評価された。
■ 大気に放出されたベンゼン量は55トンである。これは、該当セベソ指令の毒性ガスしきい値で設定されている200トンの28%にあたる。この結果、「危険物質の放出」はレベル4と評価された。
  「経済損失」は評価対象にならなかった。しかし、操業者によると、経営損失は500万ドルと評価している。

< 事故の発端、原因および状況 >
■ タンクB962の内部検査は、1993年以降、実施されていなかった。攪拌機のある反対側にスラッジ(沈殿物)が溜まっていた。この大量のスラッジ発見以降、予防保全計画では浮き屋根の検査だけが行われ、タンク内部の目視検査は実施されてこなかった。スラッジの高さは、浮き屋根着底時に使用する浮き屋根サポート(支柱)の高さ(1.8m)を超えていたことがわかった。

■ 浮き屋根がスラッジの上に乗るたびに、潜函のシール溶接部に曲げ応力が繰り返し掛かり、複数箇所の溶接部で微小な割れが発生する要因となった。そして、遂には潜函のいくつかに原油が浸入して一杯になったとみられる。
 この仮説(屋根が“V”字に変形)は、過去に記録されていた屋根や屋根貫通部の状態に関する観察結果から検証できる。

■ 浮き屋根が油面に浮いた状態のとき、7月にあった激しい雨によって屋根上とタンク内(4インチ堰からのオーバーフローによる)にかなり大量の水が溜まった。タンク地上部にある手動弁の開閉によって雨水系統への接続・閉止を行なうようになっているが、この弁は閉状態だったため、浮き屋根雨水排出配管はきちんと機能することができず、屋根沈降の一因になった。

■ 潜函の中に浸入した大量の原油と屋根上に溜まった雨水によって、浮き屋根の浮力が失われ、屋根は不等沈下し、最終的に沈没してしまった。

(写真はARIA資料から引用)
< その後の対応 >
■ 類別施設検査官が操業者から事故の連絡を受けたのは、2007年7月19日午後6時27分だった。検査官は、事故の時系列に関する正確な情報を収集するためと、火災になった場合に実施すべき介入戦略の内容を得るため、予告せず7月20日に現地を訪れた。

■ 県民保護監察官の要請によって、2007年7月25日、対応会議が開催され、緊急資機材の配置をどうするかについて議論された。消防署の代表者もこの会議に出席している。
 製油所操業に責任をもつ石油グループの専門家が安全レポートの中で明らかにしたのは、当時明記されていた火災時の泡放射流量に比べ、推奨される泡放射流量は3倍違っていたということである。さらに、この推奨する泡放射流量を満足させるためには、消火用水の供給設備の能力は不十分だった。

■ 操業者は、屋根の着底レベル近くの2.8mになるまで、重力差を利用して当該タンクから別なタンクへ原油を移した。タンク側板を高圧切断して、そこからタンク内へ水を注入し、残った原油をポンプで移送するようにした。この作業努力は11月中旬まで続けられ、タンク内の液体分に加えて堆積していたスラッジを完全に抜き取った。

■ 2008年から2009年に掛けてフォローアップ検査が行われ、タンク内部の確認状況およびオペレーターの日常点検について本当に改善されて信頼できる仕組みになっているかどうかが確認された。 

< 教 訓 >
■ タンク底部のスラッジ(沈殿物)の高さを監視しておくこと(状態の評価または屋根との間隔の確認)はタンク管理の基本事項である。液位が低いレベルにあるとき、浮き屋根が水平であることを確認し、屋根構造物が一体性を維持していることを確認する。

■ 屋根の雨水排水配管の下流にあるバルブが閉止されていると、屋根に過剰な荷重がかかる可能性がある。雨水排出配管中の炭化水素の混入については、ドレンのシール部または屋根の潜函部に可燃性ガス検知器を設けておく。

■ 今回のプティクロンヌ事故では、気温が高く、夏の雷時期という悪い気象条件だったが、火災は発生しなかった。しかし、過去の事故事例で明らかなように、浮き屋根の機能不全によって炭化水素ベーパーに引火する可能性は高い。1983年ウェールズのミルフォード・ヘブン(Milford Haven)事故では、フレアーが引火源になったし、2005年アルジェリアのスキクダ(Skikda)事故では、タンク近くにいた自動車が引火源になった。1994年フランスのベール(Berre)事故では、落雷という自然現象が引き金になった。1991年イングランドのエセックス(Essex)事故では、不適切な介入方法、すなわち摩擦電気現象を生じるようなホースガンによる泡放射で屋根中央部分に静電気が発生して引火している。
 他方、1999年ドイツのカールスルーエ(Karlsruhe)事故では、タンク側板上部に設置されている泡放出口を使用することによって円滑に泡の膜を張ることができ、ベーパーに引火することはなかった。この作業は、地上のホースから投入する代わりに、タンク側板から泡を広げるというものだった。

■ 安全レポートの中で書かれた総合リスク・マネジメントの考え方によれば、火災や爆発と比べて、危険性物質を大気へ放出させることを容認してはならないということである。大気放出の影響、状態、予防措置、介入方法とその結果は、基本的に自然現象とは異なるのである。今回のような浮き屋根の固着や沈降が起こることは、無視できるほど少ないわけでない。

■ 安全レポートでは、特に注意を払わなければならない事項として挙げられたのはつぎのとおりである。
 ● 一般市民の健康問題の発症可能性。特に、長時間、毒性物質に曝されていた場合の毒性学的参照値について注意する。
 ● “爆発雰囲気”の領域に関する評価、および引火を回避するための方法
 ● 屋根浸漬の事態時における軽減策の可能性と実施方法
 ● 緊急事態時に、次にとるべき対応策(封じ込め、抜出しなど) 

補 足               
■  「フランス環境省 : ARIA」(French Ministry of Environment : Analysis, Research and Information on Accidents)は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省 French Ministry of Ecology, Sustainable Development and Energy)がフランスにおいて発生した事故について情報を共有化し、今後に活用するため、1992年から始めた事故の分析・研究・情報のデータベースである。有用な海外事故も対象にしている。

■ 「ペトロプラス社」(Petroplus Holdings)は、スイスを本社として1993年に設立された石油企業である。 同社は、2008年には西欧7か国に計87万バレル/日の製油所を有する欧州最大の独立系石油会社に成長したが、その後の厳しい経営環境から2012年に経営破綻した。
 「プティクロンヌ製油所」は、1929年に操業開始された歴史のある製油所(精製能力16万バレル/日)で、2008年ペトロプラス社がシェル社から買収したものである。しかし、ペトロプラス社の経営破綻からプティクロンヌ製油所の売却が検討されているが、買い手が見つかっていない。レクステット製油所と同様、油槽所に転化されるものとみられる。プティクロンヌはフランス北部に位置し、人口約9,200人の町である。
                       現在のプティクロンヌと製油所設備    (図はグーグルマップから引用)
■ 日本における最近のタンク浮き屋根沈降事例としては、2003年9月十勝沖地震による出光北海道製油所のナフサタンク火災事故がよく知られているが、2005年2月大分市の九州石油大分製油所のスロップタンク(容量:25,000KL)、 2012年11月沖縄県うるま市の沖縄ターミナル原油タンク(容量100,000KL)で発生している。(後者は当ブログ「沖縄ターミナルの原油タンク浮き屋根の沈没事故(2012年)」を参照)

■ 「屋根浸漬の事態時における軽減策」として、ポンツーン内の微小割れ発生による油の滲みの発見が早ければ、浮力回復の応急補修が可能であり、この補修方法については当ブログ「外部式浮き屋根型タンクの漏洩ポンツーンの補修方法」(2014年1月)を参照。

■ 「緊急事態時に、次にとるべき対応策(封じ込め、抜出しなど)」については、 「自衛防災組織等の防災活動の手引き (案)」(危険物保安技術協会、2014年1月)に沖縄の事例をもとに、原油タンク浮き屋根沈降時の安全対策や油抜取り方法などがまとめられている。

所 感
■ ダブル・ポンツーン型浮き屋根タンクであっても、浮き屋根の沈降が起こりうることを示す事例である。事例の内容を読むと、屋根が沈降に至るのは当然の結果といえよう。おそらく、今回の発災事業所では、浮き能力の高いダブル・ポンツーン型であり、屋根が没むことはないと考えていただろう。
 現在、日本では、ポンツーン部の補強策やダブルデッキ化が進められており、今後は問題ないという予断が生まれそうだが、日常点検、定期検査、メンテナンスなどにミスが重なれば、浮き屋根の沈降が起こる可能性を否定できない。逆にいえば、日常点検、定期検査、メンテナンスを地道に確実にやっていくことの大切さを示している。

■ 今回の事故は、直面する事態に対して、ことごとく対応の悪さが目立つ事例である。ある面、恥ずべき内容であるが、教訓を活かす目的に事例を公表するフランス(環境省)に敬意を表したい。
 この資料の中でひとつ驚いたことは、大気へ発散させてしまった原油量が3,185トンという大きな数値である。おそらく、軽質北海原油で揮発性の高い油だったとみられるが、この数値をみると、浮き屋根が沈降したタンクの空気質への影響の大きさを感じる。

備考
 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
  ・Aria.development-durable.gouv.fr, Irreversible sinking of the floating roof on a crude oil tank, 18 July 2007,
Petit-Couronne (Seine-Maritime), France  - DGPR / SRT / BARPI - IMPEL- DREAL Upper Normandy , No. 33335  , File last updated: June 2009



 後 記: ダブル・ポンツーン型の浮き屋根が沈没したという事例で興味をもって調べましたが、長期間に亘る事態への対応の悪さから妙(?)に納得しました。経営破綻したペトロプラス社がシェル社から製油所を買収したのは2008年で、発災した2007年は交渉が行われていた頃でしょう。製油所の人たちは落ち着かない心持ちにあったと思います。買い取ったペトロプラス社は破竹の勢いで多くの製油所を保有し、あっという間の2012年に経営破綻し、製油所を売りに出しています。この間、製油所の人たちは翻弄され、士気のあがる職場雰囲気ではなかったでしょう。企業の経営(者)は経済性を優先するのが常識でしょうが、何か違っているように感じますね。事故原因には書かれていない人の深層について考える事例でした。


2015年2月16日月曜日

フランスでガソリンタンクからオーバーフロー

 今回は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省)がまとめているARIA(事故の分析・研究・情報)の中のひとつで、2011年10月22日、フランスのレクステットで起った「製油所のガソリンタンクでオーバーフロー」(Overflow of a gasoline tank inside a refinery)の事例を紹介します。
                                        製油所の空撮写真   (写真はARIA資料から引用)
< 施設の概要 >
製油所の設備
■ 旧ペトロプラス社レクステット製油所は、フランス北東部ストラスブールの北方にあり、160ヘクタールの敷地面積を有している。製油所は1963年に操業を開始し、2011年までフランス東部での燃料油供給を担い、地元の液化石油ガス充填センターの役割を果たしていた。

■ 地役権に伴う管理上の許認可のため、製油所の施設はいろいろなクラス分けがされていた。実際、可燃性物質や毒性物質の製造・取扱い量に対してセベソ分類で厳しい階層になっていた。2011年以降、製油所のある部門は使用されていない。センシティブな装置は、事前に決定された日程に従って、段階的に安全操業モードに移行されていた。精製装置はオフラインで、稼働していない。

■ 石油貯蔵施設の方は、活動レベルが減少したとはいえ、操業が続けられている。交代直は6名のメンバーで構成されている。遠隔運転を操作する制御オペレータ1名、消防士5名で、この中には安全チームリーダーを含む。

事故のあったタンク施設
■ 事故が起ったのはタンクT495で、直径17m×高さ18m、浮き屋根式であった。タンクには、運転管理用としてレーダー式液面計器が垂直筒(ゲージポール)の上に設置され、さらに高液位計測安全システム(液位上限安全スイッチ)が採り入れられていた。高液位計測安全システムは、運転管理用液位計とは別に独立しており、これも垂直筒内で計測するようになっていた。(図を参照)
                                       貯蔵タンク T495が発災タンク                (写真はARIA資料から引用)
■ このレーダー式をベースとした液面測定システムには、3つの警報レベル、すなわち運転液位、高液位、高-高液位が設定されていた。

MIP液面計器の断面図
(図はARIA資料から引用)
■ 高-高液位安全計測は、MIP(Marine Instrument Petroleum)と呼ばれるシステムに依存しており、レーダー式液面測定とは別な原理に従って作動するようになっていた。(図を参照) このシステムは、ホース・コネクターとバネに吊るされたプランジャーに加えて、バネと水銀スイッチの両方が付いた垂直筒から構成されている。この設定によって、高-高液位信号でスイッチが作動し、タンク受入れ操作をただちに停止させる。この警報は計器室で見ることができるようになっている。

■ タンクはリテンション・ベースン(Retention Basin)型になっている。すなわち、豪雨水を集積するためのアウター・リングがある。浮き屋根から排水管を通じて水が排出される。タンク内の溜まった水は、アウター・リングに沿って走っている集積用パイプによって回収される。

■ 炭化水素検知器は現場の危険を知らせるための警報器であるが、アウター・リングによって回収される水の集積用パイプに設置されている。これは油のタンク間移送時に使用されるポンプ所の周辺で回収する水の集積用パイプに設けられるのと同じ使い方である。

< 事故の状況および影響 >
事故の発生
■ 10月22日、運転手順書に従って製油所タンク地区における石油製品の転送が行われていた。ガソリンのタンク間転送は標準的に行われる操作で、受入れタンクの運転液位を自動化システム(すなわち計算機)に入力して転送を実施する。

■  95オクタン価ガソリン3,750KLの出荷のため、タンクT488からT495への転送が午後の終わりに始められた。午後8時01分、“炭化水素ガス”検出の警報がポンプ所のアナライザー室で鳴った。技術担当はアナライザー室へ入ると、ガソリンの臭いを感じ、無線で制御オペレーターに連絡した。技術担当は、発報が現在行われているT488とT495間の転送に関係している可能性が大だと思った。転送はただちに停止された。それから、制御オペレーターはプログラムされている異常時対応を開始した。

リテンション・ベースン型のタンク 
(表題写真の拡大)
■ この状況について現場監視チームからの報告はつぎのとおりであった。
 ● タンクT495のアウター・リングにガソリンがあった。
 ● 排出ラインが開のままであり、ガソリンは排出ラインを通じて雨水排水系統に流れた。
 ● 雨水排出用バルブが開のままだったため、リテンション・ベースンにガソリンが留まることはなかった。
 ● 浮き屋根は、ガソリンによって押し上げられ、タンク構造物の上部端に衝突していた。

■ 監視盤に表示された情報から、制御オペレーターは、タンクからオーバーフローが生じ、200KLのガソリンが流出したと判断した。この推定値は、後述するように貯蔵タンク地区の操業者と消防署の双方によって行われた調査の結果、修正された。

■ 午後8時15分、社内の緊急時対応基準が適用され、実施に移された。爆発・火災の危険性があると判断し、オペレーターは消防署へ通報した。地方自治体(県)へも事故の連絡が行われた。
 消防署は午後9時に現場へ到着し、続いて警察および地方自治体の担当者が構内へ入った。類別施設検査官には午後9時20分頃に連絡があり、午後10時30分に現場に到着した。
事故による被害

■ この事故に伴う犠牲者は報告されていない。設備的な損害は浮き屋根だけに限定された。浮き屋根はタンク側板の上部端で動かなくなってしまった。調べ始めてから数時間して、ガソリンの流出量は約20KLという推定結果になった。ガソリンは回収され、再処理のためスロップタンクへ送られた。
 
■ この事故によって構外へ影響を及ぼすことは無かった。
              オーバーフロー後のタンク浮き屋根の状況   (写真はARIA資料から引用)
欧州基準による産業事故の規模
■  1994年2月、セベソ指令を司るEU加盟国管轄庁の委員会は、事故の規模を特定するために18項目のパラメーターを用いる評価基準を適用した。わかっている情報をもとに検討された結果、当該事故は4つの分類項目に対してつぎのように評価された。
■ ガソリンの流出量は22~30KL、重量にして20トンほどであり、「危険物質の放出」はレベル1と評価された。
 犠牲者が出なかったので、「人および社会への影響」は評価対象にならなかった。環境への影響が観察されなかったので、 「環境への影響」は評価対象にならなかった。代替タンクによって操業損失はほとんどなく、「経済損失」はレベル0の評価だった。

< 事故の発端、原因および状況 >
■ 誤った操作の要因として疑われたは、ストラスブール石油港への製品輸送のため、油槽船への荷役を行なう前の準備作業だった。タンク地区マネージャーから制御オペレーターに提示された手順書では、タンクT488からT495へのガソリン転送は“最大運転高さ”の液位点に達するまでとされていた。これは、ガソリン移送時に警報で停止することがないようにするためである。この製品の転送運転は計器室の計算機に入力され、最大運転高さの液位に達すると自動停止するプログラミングのシステムになっている。

■ タンクT495の空き量(すなわち、タンクのガソリン高さ)は、垂直筒内のガソリン高さをレーダー型のレベル・センサーによって計測されたデータから計器室のコンソールに伝送される。(図参照)
タンクT495のレーダー式液面計器
(写真はARIA資料から引用)
■ 計器室の制御オペレーターは、タンク内のガソリン液位を監視画面で見ていた。レーダーによって計測された垂直筒内のガソリン液位が監視画面に表示されていたが、この値はタンク内の実際の液位ではなかった。タンク底には水が存在しており、転送中にタンク内でガソリンの増加で生じた推す力によって、タンク底の水が垂直筒内へ上がってきた。このため、タンク内のガソリン液位と垂直筒内の液位に高さの差が生じた。

■ レーダー式液位制御システムでは、制御オペレーターが観察している直接の表示データにもとづいて通常の運転が行われている。しかし、レーダーによって計測された液位はタンク内のガソリン液位より低かった。(図参照)
 タンクからオーバーフローするとき、レーダーによる表示液位と実際のガソリン液位の差は、3.3mだった。実際の液位がタンク高さに達したのに対して、計器室の監視盤に表示された垂直筒内のレーダー表示液位は、最大運転高さよりかなり低かった。
計測用の筒の中に水が入ってしまったタンクT495
事故時に液面が16mまで上がっていたにもかかわらず、計器はもっと下の値を示していた。 
(図はARIA資料から引用)
■ この誤動作が起ったとき、第2の計測装置である“MIP”システムの高-高液位警報は鳴らなかった。タンクのオーバーフローが起こり、ガソリンがタンクのアウター・リングの方へ流れていったが、排出用バルブが開のままだったので、結局、雨水排水系統へ流入した。この排出用バルブを開の位置にしていたのは、豪雨時のアウター・リングの詰まりを避けるためであり、浮き屋根の排水管からのドレンを流れやすくするために、経験的に採られていた方法である。

■ 雨水排水系のポンプ所付近で炭化水素が検出された後、勤務していた従業員の対応は早かった。ポンプ所はタンクから300m以上も離れていた。タンク地区の従業員は可燃性ガス検知器を使用して、ポンプ所、タンクT495周辺にある溝の中、および雨水排水系統の埋設導入部に炭化水素ベーパーがあることを確認した。これらの箇所におけるガス濃度の測定値は、爆発下限濃度より低かった。

■ タンク地区の従業員は、消防署の支援を受けて、ガソリンベーパーの放出源(タンクの上部、タンクのアウター・リング部、ポンプ所周辺域)を泡で覆う作業を進めた。危険区域が設定され、対応状況で変更されていった。雨水排水系統について一箇所ずつガソリンベーパーが無いことを確認していくことで、この危険区域は徐々に小さくなった。
 タンク地区の操業者から提供された図面によって、消防署はリテンション・ベースンのマンホールにおいてガソリンの有無を確認をすることができた。消防署は、貯槽を減圧にできるタンク・ローリーでガソリンを回収しようと試みたが、うまくいかなかった。10月23日午前2時、操業者は、危険地区でも使用できる“ATEX”ローリーを持っている環境保全専門会社に応援を要請した。しかし、その会社では、すぐに人員を確保できなかった。

■ 気象条件が悪くなっており、対応者の疲労と適切な資機材が揃わないことから、異常事態対応本部は、ガソリンの回収を翌日まで延期することを決めた。しかし、現場の監視対策は実施された。危険区域の疑わしい箇所は泡で覆い、可燃性ガス検知器で状況が確認された。

■ 操業者の調査によれば、今回のオーバーフローが起った要因はつぎのとおりである。
 ● レーダー式液位計測システムの垂直筒には、運転液位を保証するために設ける筒長手方向の開口部が無かったため、筒内にガソリンが無制限に流れ込んでしまった。この欠陥によって筒内に重い水が入り込み、タンク内のガソリン液位の表示値が違ってしまった。計器室の制御オペレーターが読んだ液位は、実際よりも低い値だった。

 ● 高-高液位計測(MIPシステム)は、少し前に確認試験が行われていたにもかかわらず、作動不能の状態だった。センサー用の垂直筒には、長手方向に開口部が設けられてつうつうになっており、ガソリンより重い水のために生じる読み値の誤りを回避できるようになっていた。

< その後の対応 >
■ 類別施設検査官は午後10時30分に現場に到着した。そのときの現場の状況は、まだ制圧下に入っていなかった。タンクから流出したガソリンの実際量について意見が交わされた。一方では、消防署による調査が行われ、転送に関する計算機の他の監視データを分析すると、流出量は22~30KLの範囲であることが分かった。

■ 事故報告書では、今回のオーバーフローの原因が説明され、改善を要する問題点が当該操業者から提起された。操業者が提起した問題点はつぎのとおりである。
 ● タンク地区における類似設備の調査が行われ、浮き屋根式および固定屋根式のタンク34基が確認された。この結果、タンクに設置されていたMIPには、3種類の異なった技術が存在していることが分かった。すなわち、タンクT495と同じプランジャー・システムを使用したものが7基、フロート方式が14基、機械的スケールのものが13基だった。

 ● 高-高液位(MIP)制御の機械装置に伴う機能不全について、これまでに生じた原因が評価された。実際に現場のMIPシステムについてテストが行われ、1基を除いて正常に作動した。原油タンクに設置されたMIPシステムはプランジャー・システムであったが、自力で静止位置に戻らず、機械的に引き戻す必要があった。わずかなかじり付きが観察された。

 ● 環境に関わる事故時の対応を支援してくれる環境保全専門会社と協定を結んでおくことが、事故の状況改善に有効である。これには人員および資機材の両方が必要である。

< 教 訓 >
■ この事故が、貯蔵タンク基地の人たちに示した教訓はつぎのとおりである。
 ● 制御オペレーター用コンソールに入れるべき情報の質が見直された。この中には、移送過程中に起こる悪い状況をオペレーターへ知らせる情報の適確性を含む。タンクの使用パターンを変えれば、運転条件を修正する必要がある。タンク間転送はやめた。タンク地区が製油所操業の中で組み込まれていたときに、定期的に実施していたベーパーを使用したパージをやめた。

 ● 液位計測としてプランジャーを使用したMIPシステムはやめ、テストが容易で信頼性があると思われるフロート方式または機械的スケール方式のMIPシステムに取替えた。なお、プランジャー・モデルはすでに製造されておらず、製油所が閉鎖される以前に取替えの計画があった。

 ● 実際の運転時にMIPシステムが機能不全を起こさないようにするため、MIPシステムのテスト条件が見直された。例えば、フロート方式MIPのテストでは、分解を義務付け、外部機関によるテスト協定を課した。供用中に弱ってくるバネ部品は、当該液位計測技術において弱点であることが知られている。

 ● 制御装置の定期テストは、実際の条件に近い環境を作って運転の範囲で行なうように見直された。MIPのテストは実液(ガソリンや原油)を使用する本来のやり方にした。

 ● タンクのアウター・リングに設置されている排出用バルブや排出時の考え方に関して、手順書が一本化された。豪雨時にとられる方法は技術担当によって考え方が違っており、厳密に運用されていなかった。

 ● 異常事態など環境問題に直面したとき、危険地区で使えるATEX仕様機材(適切なタンクローリーや付属機器)とそれを使用できる人材を確保するため、環境保全専門会社との支援契約が見直された。
API RP 2350によるカテゴリーの貯蔵タンク遠隔管理標準
運転液面計器(ATG)とは独立した高-高液位検出装置を推奨している。さらに誤作動や
 欠陥の自己診断能力を有するものを勧めている。        (図はARIA資料から引用) 
補 足               
■  「フランス環境省 : ARIA」(French Ministry of Environment : Analysis, Research and Information on Accidents)は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省 French Ministry of Ecology, Sustainable Development and Energy)がフランスにおいて発生した事故について情報を共有化し、今後に活用するため、1992年から始めた事故の分析・研究・情報のデータベースである。有用な海外事故も対象にしている。

■ 「ペトロプラス社」(Petroplus Holdings)は、スイスを本社として1993年に設立された石油企業である。 同社は、2008年には西欧7か国に計87万バレル/日の製油所を有する欧州最大の独立系石油会社に成長したが、その後の厳しい経営環境から2012年に経営破綻した。
 フランスの「レクステット製油所」(Reichstett Refinery)は売却の検討が行われたが、買い手が見つからず、油槽所に転化される方針となった。レクステットはフランス北東部にあり、ドイツとスイスの国境に近い町である。
                      現在のレクステットの町と製油所     (図はグーグルマップから引用)
■  MIP(Marine Instrument Petroleum)と呼ばれるシステムに依存した「高-高液位安全計測」とは、ディスプレースメント式液位計の一種だとみられる。ディスプレースメント式液位計は、大きく浮力比例式とサーボバランス式に分けられるが、発災タンクで使用されていたものは、浮力比例式でバネによる旧式の液位計ではないかと思われる。「プランジャー」とは一般に「ディスプレーサー」と呼ばれているものとみられる。
 注記:液位計(液面計)の種類と原理については、「プロセス計測制御機器の技術解説 レベル計」(日本電気計測器工業会;JEMIMA)および「ディスプレーサ式レベル計」(松山技術コンサルタント事務所)を参照。

■ 「ATEX」とは、爆発の可能性がある雰囲気内での使用を目的とした機器および防護システムで、EU(欧州連合)では、 2003年7月、爆発の危険性のある雰囲気で使用される機器について、ATEX指令に準拠することが義務付けられた。 ATEXは、ATmosphères Explosivesの略である。  

所 感
■ 2005年12月の英国バンスフィールド火災事故は、自動タンク計測システムおよび独立した上限安全スイッチが設置されているのもかかわらず、液位の誤表示と自動停止の不作動により、過充填でタンクからガソリンがオーバーフローし、爆発・火災を起こした大災害事例としてよく知られている。
 当然、今回の発災事業所でも知っていただろう。バンスフィールド火災事故は偶然が重なった事故で、自所では起こらないと思っていたに違いない。しかし、原因は違っていても、 液位の誤表示と自動停止の不作動という同じ経緯をたどって過充填によるガソリンのオーバーフローが起こっている。50年近く安全操業されていても、事故の潜在要因があれば、事故は起こるということを示す事例である。

■ 今回の事故は、爆発や構外流出が避けられ、大事に至っていないが、貯蔵タンク関係者にとって大きな教訓となる事例である。事故に至る要因について調査され、その内容が公表されている。貯蔵タンクを管理する事業所では、この内容をよく吟味し、自所における事故に至る潜在要因を排除する行動が期待される。

備 考
 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
  ・Aria.development-durable.gouv.fr, Overflow of a gasoline tank inside a refinery,  22 October 2011,  Reichstett (Bas-Rhin), France - DGPR / SRT / BARPI - DREAL Alsace , No. 41148 , File last update: March 2013


後 記: 今回のARIA資料も思っていた以上に興味深いものでした。ただし、初めのうちは欧州で使われるタンク用語が今ひとつ理解できない(具体的なイメージが頭に描けない)で、いろいろ調べたり、考えたりして時間がかかりました。例えば、リテンション・ベースンがわかりませんでした。理解のきっかけは表題に使った写真でした。タンク外側に輪があり、防油堤とは別に設置され、いわゆるガード・ベースンの一種だと理解しました。欧州では、このような型のタンクがあるようですし、コンクリート製防油堤を指すこともあるようです。
 事例を読んで思い浮かんだのは、「マーフィーの法則」です。もともとは「失敗する可能性のあるものは、失敗する」に代表される経験則や法則の形式で表明したユーモア本ですが、危機管理分野では、 「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる」(If it can happen, it will happen)としてとらえられています。現実化せず、ユーモアとして笑えればよいのですが。  



2015年2月8日日曜日

東日本大震災時の気仙沼オイルターミナルの壊滅(2011年3月)

 今回は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省)がまとめているARIA(事故の分析・研究・情報)の中のひとつで、東日本大震災時の気仙沼の燃料油タンク基地の被災を扱った「オイル・ターミナルの壊滅 2011年3月11日 気仙沼」(Destruction of an Oil Terminal 11/03/2011- Japon Kesennuma)の資料を紹介します。

< 事故の状況 >
■ 2011年3月11日14時46分、大地震(マグニチュードMw=9)が日本の宮城県にある漁港の気仙沼を襲い、続いて15時26分に大津波による高さ8mを超す巨大な波が河口と漁港に押し寄せた。

■ 沿岸にあったオイル・ターミナルには、23基の貯蔵タンクがあったが、津波によって22基(アンカーボルト無し)が流失し、12,800KLの油が海の中に流れ込んでしまった。タンクの中には、ターミナルから2.5km離れた河口近くに浮かんでいるのが発見された。

■ 海水と油の混合物が何らかの熱源(おそらく、難破した漁船や電線の短絡)によって燃え始め、入江奥の市街地が大火災になる要因となった。津波から生き残った人たちは、翌日、ヘリコプターで救助された。

■ 漁港内は厚さ5cmの油混じりの沈殿層に覆われている。オイル・ターミナルが流失したことによる死傷者はいなかったが、津波のよって836名の人が亡くなり、1,196名の人が行方不明になっている。オイル・ターミナルの流失した石油貯蔵タンクを新たに建てる復興計画は、この5年以内より早くなることはないといわれている。
■ 東北の海岸沿いを襲った津波は、三沢、久慈、八戸、大船渡、石巻など各地の漁港にあった小型の貯蔵タンクの多くを押し流した。こうして、この地域には、油に汚染されたスポットが生じた。
欧州基準による産業事故の規模
                 津波で流される石油タンク  (写真はARIA資料の動画から引用)



                      オイル・ターミナルの被災前後   (写真はARIA資料から加工して引用)
■ セベソ指令を司るEU加盟国管轄庁の委員会は、事故の規模を特定するために18項目のパラメーターを用いる評価基準を適用している。わかっている情報をもとに検討された結果、当該事故は4つの分類項目に対してつぎのように評価された。

注:当該事例についてARIA資料では、津波による石油タンク流失の映像を添付している。海上保安庁などが撮影して公表された津波映像の中から、石油タンクが流されている場面を編集したものと思われる。 「Destruction of an Oil Terminal」を参照。

補 足              
■ 津波の大きさ
 宮城県が県沿岸部について津波痕跡の調査を行なった結果、気仙沼市では、基準海面からの高さが20mを超えた地点があり、ほとんどの場所で既存の堤防、護岸を越えていた。調査地点の中で最も高い位置の痕跡は、気仙沼市の中島海岸付近で21.6mだった。なお、気象庁の設置していた気仙沼広田湾沖の津波観測GPS波浪計では、6.0mが観測されている。

■ 津波による石油タンクの被害
 気仙沼湾にあったオイル・ターミナルは漁船用の燃油などの石油を貯蔵するもので、4つの事業所があった。貯蔵タンクの大きさは容量40~3,000KLで、気仙沼・本吉地域広域行政事務組合消防本部によってまとめられたタンクの被災状況はつぎのとおりである。
 ● 気仙沼市朝日町(湾口の埋立地先端)および潮見町(湾中部)に設置されていた100KL以上の石油タンク23基中、22基が津波により流失した。18基のタンクが市内各地で発見されているが、4基は所在不明である。なお、流されなかったタンクは容量100KLの横型円筒タンクだった。
 ● 18基のタンクの発見場所は図のとおりで、最長は湾口にあったタンクが湾奥の河口まで約2.4km移動している。
 ● 発見されたほとんどのタンクでは、発見場所周囲および内部に油分は見分されず、津波で流される過程でタンク内の油は流出したと考えられる。この流出した油が、気仙沼湾内で発生した海面火災になり、さらに広範囲に延焼拡大した一因になった。 



■ 流出油とガレキによる海面火災の発生
 気仙沼市では、地震発生から17件の火災が発生し、うち13件が東日本大震災によるもので、すべて津波襲来後に発生している。13 件のうち10件が3月11日に発生している。特に、海上で発生した海面火災は、3月11日17:30~18:00頃に8箇所で発生し、複数地区に延焼して、焼損面積が広範囲になった。
 陸上火災の出火原因は、倒れた電柱のトランス、流失車両、積算電力計の電気配線のショートによることが確認されている。従来、海上に流出したA重油などは引火せず、早期に揮散すると考えられていたが、次のような過程で大火災に至ったとみられている。
 ● 浮遊する壊れた建物などの木材等のガレキにA重油などの油が吸着し、着火しやすくなった。
 ● 着火源としては、浮遊するプロパンガス・ボンベから噴出するガスにボンベ衝突による衝撃や車両のショートなどとみられる。
 ● 油を吸着した木材などのガレキに着火し、複数の火種が発生した。
 ● これらの火種が津波に乗って流され、内陸部の市街地に流れ着き、次々と建物に延焼し、大規模な 市街地火災を引き起こした。 
                       気仙沼市の海面火災と建物火災    (写真Dailymail.co.uから引用)
                              気仙沼市の大火災    (写真は47news.jp: 河北新報から引用)
■ 湾内の船から目撃された海面火災
 河北新報は、船に乗って海面火災を身近に見た人の話を、つぎのように報じている。
 ● 気仙沼市魚町の旅館経営者熊谷浩典さん(45歳)は、地震直後、津波から釣り船を守ろうと湾内に船を出した。湾の奥で第1波をかわしたとき、海の異変にがくぜんとした。一面真っ黒だった。「津波が押し寄せているのに、海面はのっぺりとして、波しぶきさえ上がらない」 分厚い油の層が広がり、異臭が鼻を突く。
 ● 湾の入口には、漁船の燃料となる重油やガソリンを貯蔵する燃油タンク群がある。そこから油とともに壊れたタンクが海を漂い、流されてきた。黒い煙が立ち上っているのが船から見える。湾口西岸で上がった火の手は西風にあおられて対岸に燃え移り、岸に沿って走るように広がっていった。
 ● 日が落ちると、地獄絵図がくっきりと浮かび上がった。「湾内は炎上しながら漂うガレキが、数十箇所で渦を巻いていた。炎の高さは3~4m。ガレキが近づいただけで、油の浮いた海面に火が走った」
 ● 火と煙に包まれ、周囲にいた数隻も右往左往していた。風向きが東風に変わり、東岸から炎が帯状になって迫ってくる。背筋が凍り付いた。船ごと焼けてしまうのか、熊谷さんは覚悟を決めてかじを操った。何度も進む方向を変えながら、炎と漂流物をかいくぐり、最後は浸水した岸壁に、へさきから飛び降りた。約5時間、炎の海での決死の彷徨(ほうこう)だった。
気仙沼湾東岸に燃え広がった海面火災。熊谷さんは船(手前)から様子を見守った
31118:47、気仙沼市の提供写真)  (写真は河北新報から引用)
■ 気仙沼湾の油濁の懸念
 社会技術研究開発センターRISTEX広報担当の増田愛子さんは油濁を懸念し、2011年4月21日に現地を視察したが、つぎのような印象を述べられている。
 ● 意外にも、海はきれいで、まったくといっていいほど海面に油は残っていなかった。気仙沼市産業部水産課の熊谷課長の話では、大規模な火災で流出した油の多くは燃えてしまい、残った油も潮、風、川がうまく機能して湾外に流れたのではないかということであった。
 ● 大分県産業科学技術センター斎藤雅樹主任研究員によれば、津波で拡散され、潮流や風に乗って湾外に出ていった油は、近くを漂流して再び海岸に接近する可能性もあるとのこと。
潰れた石油タンクと気仙沼湾の様子 (目視で油は確認できない)
(写真はRISTEX CT ジャーナルから引用)
■ 気仙沼湾の海底における油汚染
 東京海洋大の中村宏教授(海洋環境保全学)による調査が行われ、 2012年4月11日に結果が発表され、国内メディアが報じている。毎日新聞による内容はつぎのとおりである。
気仙沼湾底から採取された油を含む泥
(写真は毎日新聞から引用)
 ● 津波で石油タンクが炎上した気仙沼湾沿岸の海底泥から、国の環境基準を上回る油が検出された。
 ● 油は水に浮かぶため、海底に沈むことはないと思われていたが、津波に巻き上げられた泥に付着して沈殿したとみられる。
 ● 調査は2011年7月~2012年2月に水深30〜40mの海底71箇所で泥を採取したところ、すべてから油を検出。うち、陸地に近い10箇所は、国の環境基準(1,000ppm)の1.9~1.1倍だった。
 ● 中村教授は「油は海底で泥と一緒に固まっており、自然分解は難しい。気仙沼の海水からは検出されていないが、将来、油が溶け出して養殖魚介類に影響を与えることも危惧される」と指摘した。

■ 流失した行方不明の石油タンクを発見 
 2012年7月28日、朝日新聞は「津波で流されたタンク爆発、潜水士1人けが」という見出しで、つぎのように報じている。
 ● 7月28日午前9時55分頃、気仙沼市の大島付近で海底の石油タンクの引き揚げ作業をしている会社から「タンクが爆発し、作業員がけがをしたようだ」と119番通報があった。
 ● 気仙沼海上保安署などによると、負傷したのは大阪市に本社がある同社の潜水士の男性(38歳)。外傷はなかったが、専門的な治療が必要と判断され、県の防災ヘリで東北大学病院に搬送された。
 ● 男性は午前9時15分頃に深さ21mまで一人で潜り、タンクをつり上げる鎖を通すため、電気とアセチレンを使うバーナーで穴を開ける作業をしていたという。海保が爆発原因を調べている。宮城県によると、タンクは東日本大震災の津波で流された22基のうちの1基。この日は穴を開けて鎖を通し、29日にクレーンで引き揚げる予定だった。
                  気仙沼市大島の位置   (図はグーグルマップから引用)
■ 気仙沼市の新しいオイル・ターミナルの計画
 河北新報はつぎのように報じている。
津波で水没しても本体の大きな損壊を免れた仙台港の
給水タンク  (写真は河北新報から引用)
 ● 気仙沼市は津波で破壊された石油タンクの再建に着手する。国の復興事業を活用し、南気仙沼地区にタンク8基(総容量7,000KL)を建設する。事業費31.5億円で、2016年秋の完成を見込む。
 ● 構造上、地震と津波に強く、手本となるタンクがある。仙台市宮城野区の仙台港は、東日本大震災で7mを超す津波に襲われた。給水タンク2基が水没し、うち1基は壁にコンテナが衝突したが、いずれもタンク本体は大きな損壊を免れた。
 ● 2基とも、コンクリート壁にピアノ線を埋め込んで強度を増すプレストレストコンクリート(PC)構造だった。鋼板製が主流の燃油用の貯蔵タンクに対し、強い水圧がかかる大容量の給水タンクに採用されている。「東日本大震災級の津波に流されることなく、漂流物衝突の衝撃にも耐えられる」と、気仙沼市の担当者はPC工法に注目し、新たな石油タンクに採用する計画だ。

■ 東日本大震災時における各地の石油タンクの被害状況
 危険物保安技術協会によって調査され、その内容は、「Safety & Tomorrow誌」(2011年9月~2012年3月)に掲載されている。
 この調査では、気仙沼市の石油タンクは対象にされなかった。

■  「フランス環境省 : ARIA」(French Ministry of Environment : Analysis, Research and Information on Accidents)は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省 French Ministry of Ecology, Sustainable Development and Energy)がフランスにおいて発生した事故について情報を共有化し、今後に活用するため、1992年から始めた事故の分析・研究・情報のデータベースである。有用な海外事故も対象にしている。

所 感
■ 気仙沼のオイル・ターミナルの石油タンク流失は、ある面、東日本大震災時における代表的な事故であろう。地震直後のテレビでは、各所の津波被害の状況が報じられ、夜になって気仙沼市の火災が映し出されていたのを思い出す。おそらく、フランス環境省ARIAは、数多い東日本大震災の石油タンク被害の中で、気仙沼のオイル・ターミナルの石油タンク流失を津波による象徴的な貯蔵タンク事故事例として選んだものと思われる。

■ 今回、改めて調べてみると、明らかにドミノ効果を示す事故であった。①津波の襲来、②建物・石油タンクの破壊・流失、③油流出とガレキによる海面火災、④津波の引き波と押し波による海面火災の延焼、⑤市街地火災への拡大、⑥海底における油濁といった広範囲の事故に至っている。さらに、1年後には、行方不明だったタンクが発見されたのはよいが、人身事故が起こっている。改めて、自然が時として示す猛威に翻弄(ほんろう)され、人間の非力さを感じる事例である。

備 考
 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
  ・Aria.development-durable.gouv.fr, Destruction of an oil terminal,  N 40260,  11 /03/2011, JAPON, KESENNUMA
  補足についてはつぎのインターネット情報に基づいてまとめた。
  ・Km-fire.jp, 東日本大震災「消防活動の記録」(気仙沼・本吉地域広域行政事務組合消防本部), 2012年7月
  ・News-sv.aij.or.jp,   地震・津波による火災への備えー東日本大震災での被災実像からー(日本建築学会),2012年9月
  ・kahoku.co.jp,第10部・津波火災(下)もろさ/油大量流出、炎広がる海
  ・Ristex.jp,  気仙沼港の石油タンク倒壊による調査報告(RISTEX CT ジャーナル),  2011年4月25日
  ・Sonpo.or.jp,  東日本大震災における 危険物施設の被害 ( 消防庁消防研究センター,予防時報),  2012年
  ・Memory.ever.jp,  気仙沼を襲った大津波の証言(河北新報),  2011年
  ・Isad.or.jp,  東日本大震災に伴う火災の調査から得られる教訓(消防科学総合センター, 消防科学と情報),  2012年
  ・Asahi.com,  津波で流されたタンク爆発、潜水士1人けが 気仙沼(朝日新聞),  2012年7月28日
  ・Mainichi.jp,  東日本大震災:気仙沼湾海底泥に環境基準上回る油沈殿(毎日新聞),  2012年04月11日
  ・Bousaihaku.com,  石油タンクの津波被害について (消防庁消防研究センター ),  2012年
  ・NHK.or.jp,  都市を襲う津波火災に迫る(NHK、時論公論),  2014年



後 記: 東日本大震災時の貯蔵タンクの事故情報は、当ブログ最初に投稿した「東日本大震災によるタンク被災(海外報道)」と1年後に出した「東日本大震災の液化石油ガスタンク事故(2011年)の原因」があります。地上式石油貯蔵タンクについては断片的な情報が多く、まとめようがありませんでした。そうしているうちに、危険物保安技術協会が各地区ごとに被害状況をまとめ、公表されましたので、東日本大震災時の地上式石油貯蔵タンクの事故情報は投稿対象から外す気持ちになっていました。
 最近になって、ARIA資料に「気仙沼オイル・ターミナルの壊滅」の事例が出されているのを知り、この災害を調べることとしました。多くの関連情報があり、特に地元の人たちが、この未曾有の災害を記録に残しておこうという気持ちの伝わるものだったのが印象的です。 これらによって、ARIA資料の内容を補完することができました。