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2014年12月24日水曜日

米国ニューヨーク州で暖房油用タンクの爆発・火災事故

 今回は、2014年12月15日、米国ルイス郡ライオンズ・デールにあるリエナージ・ホールディング社のリエナージ・ライオンズデール工場で、暖房油用のタンクが爆発して火災を起こした事故を紹介します。
 (写真はWKTV.comから引用
 <事故の状況> 
■  2014年12月15日(月)午前3時頃、米国ニューヨーク州にある燃料油タンクが爆発する事故があった。事故があったのは、ニューヨーク州ルイス郡ライオンズ・デールにあるリエナージ・ホールディング社(ReEnergy Holdings LLC)のリエナージ・ライオンズデール工場(ReEnergy Lyonsdale)で、暖房油用のタンクが爆発して火災を起こした。
ニューヨーク州ルイス郡ライオンズ・デール付近
(写真はグーグルマップから引用)
■ 消防当局によると、リエナージ・ライオンズデール工場・発電プラントの屋外にある暖房油(ヒーティング・オイル)用のタンクが午前3時少し前に爆発したという。タンクには約2,200ガロン(8,300リットル)の油が入っていた。

■ 発災に伴い、ライオンズ・フォール消防署とポート・ライデン消防署が出動し、ルイス郡消防署からコーディネーターが支援に駆け付けた。ルイス郡消防署のコーディネーターであるロバート・マッケンジー氏によると、ボランティア型消防署の消防士は、午前2時55分に木材チップ燃焼コージェネレーション・プラントへ緊急出動し、燃えていたタンクに対して泡と水による消火活動を行なったという。

■ マッケンジー氏は、「封じ込めの対象はタンクだけで、ほかの構築物は影響を受けていませんでした。施設管理者の報告によると、爆発音を聞いて火災の通報をし、それから発災がタンクで、コージェネレーション・プラント本体エリア内ではないということでした。タンク内の油は外に漏れていませんでした。すべてはタンクまわりの防油堤内に限定されていました。消防士が現場で消火活動にあたったのは約2時間です」と語った。
 
■ リエナージ・ホールディング社広報担当部長のサラ・ボッジスさんの発表によると、火災が起こったとき、施設は動いていなかったという。というのも、火災が起こるより以前に、ブレーカーが落ちるという故障があって施設を停止していたとのことである。燃料油タンクは駐車場のエリアに設置されていた。この事故に伴い、従業員や請負会社の人にケガ人はおらず、また被害は大きくないという。

■ 同社の15日月曜午後の発表によると、ブレーカの交換とテストが終わった後、施設は月曜夕方に運転を再開する予定だったという。このような状態であるため、施設は送電会社のナショナル・グリッド社と連携をとって管理していくことになるだろうと述べている。タンク内には暖房油が残っている。環境対応チームによってタンク内の油と水と泡を回収しているという。州の環境担当部門に連絡をとり、月曜日に現場を評価してもらっている。

■ 発災タンクは容量が10,000ガロン(37,800リットル)であるが、事故時にはタンク内に2,200ガロン(8,300リットル)の暖房油が入っていた。同社の発表では、暖房油を使うため、一時的にポータブルのタンクを使用する予定だという。

■ 同社の安全衛生部門は事故原因と発火源が何だったのか調査を始めた。ブルース・プロヴェン工場長は、「健康と安全がわたしどもの最優先事項です。このたびの消防署による迅速なご支援に感謝致します。目撃した人の話を聞き、設備の検査を行い、徹底的な事故原因の調査を実施していきます。もし、改善の必要な事項が出れば、調整してまいります」と述べている。

補 足
■ 「ニューヨーク州」は、米国の北東部地域に位置し、大西洋岸中部にある州で、人口約1,930万人である。州都はオールバニ(人口約93,000人)で、最大都市はニューヨーク市(人口約810万人)である。
 「ルイス郡」は、ニューヨーク州の中央部北に位置し、人口は約27,000人の郡である。群庁所在地はラウビル村(人口約3,400人)である。
 「ライオンズ・デール」は、ルイス郡の中央部に位置し、人口約1,200人の町である。
■ 「リエナージ・ホールディング社」(ReEnergy Holdings LLC)は、森林の木質バイオマスや廃木材を使用して再生エネルギーを生産する企業で、リバーストーン·ホールディング社(Riverstone Holdings LLC)の投資先企業として 2008年に設立された。リエナージ・ホールディング社は、6つの州で9つの再生エネルギー工場を有し、325,000kWの発電プラントを有している。従業員は約330名である。
 「リエナージ・ライオンズデール工場」(ReEnergy Lyonsdale)は、ライオンズデール町に46エーカー(186千㎡)の用地を有し、木質バイオマスを原料とした発電能力22,000kWのプラントを操業している。同工場は1992年に設立され、2011年にリエナージ・ホールディング社の傘下に入った。現在は21,000世帯に電力を供給している。なお、グーグルマップでは発災タンクを識別できなかった。
 「ナショナル・グリッド社」(National Grid PLC)は、英国に本社を置く電気・ガス公益事業会社で、主な事業展開エリアは英国と米国北東部である。米国北東部では送電事業と天然ガス移送事業を行っている。
                ニューヨーク州ライオンズ・デールにある工場付近   (写真はグーグルマップから引用)
                  リエナージ・ライオンズデール工場   (写真は同社ウェブサイトから引用)
所 感 
■ 事故は発電プラントに付帯する燃料油タンクではなく、建物の空調などに使用する暖房油タンクだと思われる。プラントが運転されているときには、プラントで発生する蒸気や電気で暖房などの用役をまかなうことができるが、プラントが停止した場合にのみ暖房油タンクの油を使用するものと思われる。暖房油(ヒーティング・オイル)は日本の灯油に相当する。

■ 発電プラントが停止(ブレーカの不調)し、容量37KLタンクの油を使用していた際、夜中の午前3時前に爆発・火災が起こっている。灯油は安全性が比較的高く、暖房用に使用されるが、ジェット機やロケットの燃料として用いられるように爆発混合気を形成する危険性物質であり、例えば、つぎのような危険要因が潜在する。
 ● 灯油の引火点は40~60℃であり、タンク内でこの温度以上に加熱されると、爆発混合気を形成する可能性がある。(この場合、タンクに予熱用コイルが設置されているという前提) 
 ● 灯油の中にガソリンなど揮発性の高い油を間違って混入させると、タンク上部に爆発混合気を形成する可能性がある。タンク受入時に油種を間違ったり、少しくらいならいいだろうという安易な考えで混入させてしまう可能性はある。
 ● 灯油は静電気を発生しやすい油種のひとつであり、タンク受入時の流速が速いと静電気が蓄積する。通常、初期流速は1m/s以下に制限され、このことは石油産業では常識であるが、 2003年に起こったオクラホマ州グレンプールのタンク火災(ディーゼル燃料)では、移送操作の際、オペレーターが流速を速くしすぎたために生じた静電気によって着火し、爆発・火災となった事例がある。 (「米国オクラホマ州グレンプール火災(2003年)の消火活動」「貯蔵タンクの火災要因と防止策」を参照)

■ 灯油は一般に爆発を起こしにくい油種として知られている。しかし、現実には爆発・火災事故が起こっている。おそらく、発災以前にタンクに関わる作業や操作にミスがあったものと思われる。

備 考
  本情報はつぎのようなインターネット情報に基づいてまとめたものである。
   ・Sfgafe.com,  Fuel Tank Explodes in Upstate NY; No Injuries, December 15,  2014
   ・WKTV.com,  Fire Crews Respond to Lyonsdale Fuel Tank Explosion, December 15,  2014 
   ・NewsDay.com, Fuel Tank Explodes in Upstate NY; No Injuries, December 15,  2014   
   ・WaterTownDailyTimes.com, ReEnergy Lyonsdale Has Fire in Kerosene Tank, December 16,  2014
   ・TheMoose.net, Fire at Reenergy Lyonsdale,  December 16,  2014



後 記: 人口1,200人の町で、午前3時頃に発災して2時間後(午前5時頃)には鎮火した事故なので、事故情報は限られていました。なぜ、灯油相当の油タンクで爆発が起きたのだろうという疑問がありましたが、今回の情報で感じたのは、事故そのものでなく、米国の懐の深さです。原油産出国であり、最近はシェールオイルの資源開発が盛んな国ですが、ニューヨーク州の田舎(ことばが悪いですが)では、民間企業による木質バイオマスによる発電が行われていて、別な民間企業による送電が行われているということを知りました。21,000世帯に電力を供給しているということですので、人口約27,000人のルイス郡すべてを軽くカバーしていることになります。まさにエネルギーの地産地消です。これに投資ファンドが投資先企業として発電プラントに投資をしています。これが「民間の活力」ということなのでしょうね。

2014年12月19日金曜日

フランス・リヨンの油槽所における火災事故(1987年6月)

 今回は、1987年6月2日、フランスのリヨンにあるシェル社の油槽所においてポンプ所付近からの漏洩ガス爆発を発端に、火災が貯蔵タンク地区へ広がり、タンクがつぎつぎに爆発した火災事故を紹介します。
                       港の対岸から見た油槽所のタンク火災 (写真はARIA資料から引用)
< 事故の状況 >
■ 1987年6月2日13時過ぎ、フランスのリヨンにある油槽所においてポンプ所付近からの漏洩ガス爆発を発端に、火災が貯蔵タンク地区へ広がり、タンクがつぎつぎに爆発する火災事故が起こった。この事故に伴い、死傷者2名、負傷者14名を超える被災者が出た。
 事故があったのは、リヨンのエドゥアール・エリオ港にあるシェル社の油槽所で、ガソリン、軽油、重油、燃料添加剤用など約60基のタンクが保有されていた。油槽所は1948年に建設され、4回の増強工事を経て、総貯蔵能力は43,000KLだった。発災時、ガソリン8,000KLを含み23,000KLの油が貯蔵されていた。
                              油槽所の配置図       図はARIA資料から引用)
■ 最初に事故が起こったのは、面積5,400㎡の防油堤に囲まれたNo.3区画であった。この区画は7つに区分され、容量30KL~2,900KLのタンク58基が設置されていた。油槽所では、燃料添加剤設備のためタンクとポンプの変更工事が計画されていた。このため、油槽所内にはプレハブ用の仮設作業場が設けられ、2.2mの防火壁で区分されていた。

■ 作業チームが通電されていない溶接用電気ケーブルの移動作業中、13時05分、No.3区画のタンクNo.14近くのポンプ所付近からガスが霧状に流れてから数秒後にフラッシュ・ファイヤーが起こった。さらに1分後、そのエリア一帯で数km離れたところでも感じるほどの激しい爆発が生じた。タンクNo.14がタンクNo.13の方へ倒れた。13時15分、 No.3区画の南側で次々と爆発が起こった。タンクNo.12、No.55、No.57、No.58が空中に飛び出し、地面に落下した。最初に飛んだのは燃料添加剤用で容量250KLのタンクNo.12で、ロケットのように垂直に約200m飛び上がり、元の場所から約60m離れた貯蔵タンク地区外へ落下した。火災は貯蔵タンク地区No.3区画の約3分の1の範囲に広がった。油槽所全体が分厚い黒煙で包まれた。さらに、他のタンク5基に延焼した。

■ 1318分、当局へ第一報の通報があった。1323分、消防署が出動した。1328分、消防隊が消防士42名と消防車4台で現地に到着し、火災封じ込めの消防活動が開始された。同時刻に救急隊も医師3名と救急車で現場に到着した。1340分、この地区の道路が閉鎖され、工業地区にいる人たちが避難させられた。

■ 14時10分頃には、25台の放水モニターで流量約2,000KL/h(33,000L/min)のタンク冷却が行われた。この放水は火災鎮火まで続けられた。14時30分頃には、発災現場に消防士150名のほか、警官200名、医師・看護師20名が派遣されていた。17時00分頃には、冷却作業が行われていたにも関わらず、火災は貯蔵タンク地区No.3区画全域に広がっていた。多くの機材が輻輳し、消防活動を遅らせたが、17時25分、最初の消火の試みとして、9台の泡モニターを使用して1,000L/minの泡放射が実施された。

■ 18時30分、火災が弱まり始めたとき、軽油用で容量2,900KLのタンクNo.6に異常な音が発せられた。18時32分、約1,000KLの油が入ったタンクNo.6で爆発が起こり、火災がさらに拡大した。 この際、6名の消防士が負傷した。このため、医療チームが強化された。爆発は軽油タンクでボイルオーバーが起こったものである。この爆発で高さ約450m、幅約200mのファイヤーボールが生じた。この爆発によって、火災は隣接していた貯蔵タンク地区のNo.1区画へ広がり、さらに油槽所内の建物へ延焼していった。それまでの消火活動で約72,000リットルの泡が使用された。夜の間に、No.1区画にある浮き屋根式タンクで高級燃料用のNo.15とNo.16の2基が火災になった。
事故時における爆発の発生順と場所 ー 被害者の場所
(図はARIA資料から引用)
                                      施設の損傷状況と飛翔距離      (図はARIA資料から引用)
■ 630635分、2回目の消火活動の試みとして、17台の泡モニター(うち2台は大型)で200,000リットルの泡が使用して実施された。6,000L/minの放射能力をもった大型の泡モニターは、実際に効果を発揮していた。0730分、貯蔵タンク地区の火災を制圧できた。0900分、140,000リットルの泡を使用した
2回目の消火活動によって火災は消火した。なお、このとき、タンクNo.7の底部からわずかな漏れが続いていた。13時48分、火災は完全に鎮火した。タンクの冷却がその後2日間継続され、再燃防止措置として限定的に泡が投入された。

■ 6月6~7日、タンクからの油抜出し中に、予防措置として少量の泡が使用された。防油堤内に溜まった消火排水と未燃の油が回収され、製油所で再処理するために平底荷船や運搬車で移送された。

■ この事故によって、タンクNo.14の近くで作業していた2人が亡くなり、8人が火災で負傷した。出動した消防隊では、No.6タンクの爆発時に消防士6人が負傷した。結局、25人が病院で診察や手当てを受けた。うち13人は現場の医師が処置している。

■ 貯蔵タンク地区のNo.1区画とNo.3区画にあったタンクのうち、 No.6、12、14、55、56、57、58、59、59.1、 20、22は完全に損壊または使用できないほどの損傷を受けた。合計24基のタンクと総長4kmの配管が被災したほか、油槽所内の建物、作業場、荷役場などが損傷を受けた。焼失した油の量は、軽油および重油2,200KL(1,900トン)、ガソリン類1,500KL(1,200トン)、燃料添加剤600トンである。

< 事故の発端、原因および状況 >
■ 事故の原因調査が行われたが、特定に至らなかった。事故に関わる裁判では、最初のポンプ所付近からガスが霧状に流れてフラッシュ・ファイヤーが起こった要因は、昼休み中に燃料添加剤に関わる設備を過熱させたためという仮説も出たが、断定されていない。

■ 今回の事故は火災の拡大が極めて速く、激しいという特徴がある。この理由のひとつが燃料添加剤にあるとみられる。問題の燃料添加剤は燃焼性促進の目的に使用されるもので、分析結果では130~150℃の温度範囲ですばやく性能が出せるものだったという。従って、燃料添加剤が熱分解してすぐにガス化したものとみられる。

■ 火災の拡大要因に挙げられる要因のひとつが、小型のタンクの存在である。小型でさらに保有量が少ないタンクの場合、堤内火災で加熱されると、内液の温度が高くなるのは速く、可燃性ベーパーがタンク内外で発生する。小型タンクの堤内火災の実験によれば、液面より上方の温度が2分間で500℃に達した例もある。

■ 軽油用のタンクNo.6でファイヤーボールが発生したのは、ボイルオーバーとみられている。通常、軽油では、原油などで起こる「典型的なボイルオ-バー」は発生しないが、「薄層によるボイルオーバー」が生じたものと考えられている。隣接するタンクNo.7も火災に包まれていた。このタンクには、2,500KLの軽油が入っていた。一方、タンクNo.6は、貯蔵能力2,900KLの約三分の1の1,000KLしか入っておらず、約2,000㎥の空間はベーパーが充満していた。この可燃性ベーパーを通気弁から十分に排気できず、タンクNo.6の爆発は過圧現象と相乗したものだとみられる。

■ この事故では、固定屋根式タンクの屋根と側板の接続部を意図的に弱くするという放爆構造になっていなかったことが、火災を拡大させた要因のひとつだと指摘された。また、当時のタンクに関わる法令が適切でなかったとされている。
タンクNo.6ファイヤーボールおよびリヨン市内から見た黒煙
(写真はARIA資料から引用)
(写真はyoutube.com の動画から引用)
                63日朝におけるダメ押し泡放射状況  (写真はARIA資料から引用)
爆発によって噴き飛んだタンクおよび火災によって損傷したタンク群
(写真はARIA資料から引用) 
           事故後の油槽所の俯瞰図   (写真はARIA資料から引用)
<欧州基準による産業事故の規模 >
■  1994年2月、セベソ指令を司るEU加盟国管轄庁の委員会は、事故の規模を特定するために18項目のパラメーターを用いる評価基準を適用した。わかっている情報をもとに検討された結果、当該事故は4つの分類項目に対してつぎのように評価された。
補 足               
■  「フランス」は、正式にはフランス共和国で、西ヨーロッパ西部に位置する共和制国家である。 西は大西洋に、南は地中海に面し、北海のドーバー海峡を隔てて北西にイギリスが存在する。 人口は約6,100万人で、首都はパリである。
 「リヨン」 は、フランスの南東部に位置し、ローヌ県の県庁所在地で、人口約49万人の都市である。北東から流れ込むローヌ川と、北から流れ込むソーヌ川がリヨンの南部で合流する。
■ 「シェル」(Shell)は、石油メジャーのロイヤル・ダッチ・シェル(Royal Dutch Shell plc)の略称である。ロイヤル・ダッチ・シェルは、オランダのハーグに本拠を置くオランダとイギリスの企業で、原油・天然ガス採掘から精製,販売まで垂直に統合され、ほかに化学、原子力事業も行い、世界100か国以上に進出している。グループは、オランダのロイヤル・ダッチ・ペトロリアム社(Royal Dutch Petroleum Co.)とイギリスのシェル・トランスポート&トレーディング社(Shell Transport & Trading Co.)という二つの親会社から成り、売上高が世界2位の民間石油エネルギー会社であり、ヨーロッパ最大のエネルギーグループである。
 リヨンのローヌ川沿いのエドゥアール・エリオ港にシェルの油槽所があった。油槽所は1948年に建設され、ガソリン、軽油、重油、潤滑油など約60基のタンクが設置され、総貯蔵能力は43,000KLだった。リヨン油槽所の火災事故は、フランスにおける貯蔵タンクの配置や設計の安全性を見直すきっかけになった。発災当時の記録映像「Incendieau port Edourd Herriot de Lyon」がYouTubeに投稿されている。なお、事故後、リヨン油槽所は撤去され、現在は別な施設になって跡形もない。
                       発災時の俯瞰図    (写真はyoutube.com の動画から引用)
現在のエドゥアール・エリオ港付近 
(事故のあった油槽所は撤去されている)
(図はグーグルマップから引用)
■ 消火活動に使用した泡薬剤量の合計は412KL 72,000リットル+200,000リットル+140,000リットル)である。さらに、消火後も再燃防止で泡放射を続けており、総使用量はもっと多い。焼失した油量は3,700トン(1,900トン+1,200トン+600トン)である。発災から鎮火まで約24時間かかっている。

所 感
■ この事故は油槽所としても稀なケースの火災事例であろう。通常の油槽所と異なり、品質管理や計装制御を要する燃料添加剤注入システムが設けられているようで、数基の燃料添加剤タンクが設置されている。この燃料添加剤設備が事故の発端になり、さらに火災を拡大させた要因になったものとみられるが、燃焼性促進の添加剤が火災の燃焼性を促進させてしまったのは、皮肉な結果といえよう。

■ 燃料添加剤タンクを除いても、タンク間距離の小さい配置である。このような小型から中型のタンクが密集しているエリアで堤内火災が起これば、タンク施設は壊滅的な結果に至るということを示す事例である。日本では、このような堤内火災が起こっていないため、認識が薄く、想定を考えるにしても、配管からの漏れ程度で容易に消火できるというものであろう。堤内火災の厳しさを認識する事例として有用な事故情報だと思う。

■ 消火活動は難航を極めたことを物語るデータが示されている。焼失油量は約3,700トン(約4,200KL相当)と、驚くほど多い量ではない。しかし、泡薬剤は412KLと多くの量を使用し、発災から鎮火までに約24時間を費やしている。密集したタンク群で次々に起こるドミノ効果によって効率の悪い泡放射活動だったと思われる。その中で、この当時としてはかなり大型の6,000L/min(大型化学消防車2台分に相当)の放射能力をもった泡モニターが効果を発揮したという。1980年代に起こった「ミルフォード・ヘブンの原油タンク火災事故(1983年8月)」と今回の「リヨンの油槽所における火災事故(1987年6月)」をみると、この頃、すでに大容量の泡放射モニターと大量の泡薬剤の必要性を示唆していた事例があったと感じざるをえない。

備 考
 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
     ・Emars.jrc.ec.europa.eu, Accident Profile, The accident occurred in a storage installation in port EdouardHerriot near to Lyon (The SHELL depot) - 02/06/1987
     ・Aria.development-durable.gouv.fr, Incendie dans un dépôt d'hydrocarbures du Port Édouard Herriot Les 2 et 3 juin 1987, Lyon (Rhône)  France, Ministère du développement durable - DGPR / SRT / BARPI N4998, avril 2009
     ・Fdma.go.jp, 自衛防災組織等の防災活動の手引き(案), 危険物保安技術協会, 平成261月 (海外における災害事例、リヨン・油槽所火災事例)




後 記: 今回の情報にはARIA資料が入っていますが、「ミルフォード・ヘブン火災(1983年)」の資料と異なり、フランス語です。(フランスで起こり、フランスでまとめられたものなので、当然ですが) 内容を知りたいと思い、苦肉の策として仏語を英語に訳してトライしました。全ての内容を理解することはできませんでしたが、図や写真があり、主要な部分は記事にしました。
(写真は中国新聞1212日から引用)
 話ががらっと変わり、この後記で周南市の寂しい話題(出光徳山製油所の閉鎖、帝人徳山事業所の閉鎖計画)について書きましたが、今日は良いニュースを紹介します。ひとつは、東ソー南陽事業所で2つの新しいプラント(ハイシリカゼオライト製造施設とウレタン発泡触媒製造施設)が完成し、生産を開始するというニュースです。もうひとつは、出光徳山事業所(石油化学と油槽所機能)が総務省消防庁が開催した自衛防災組織の技能を競う全国的なコンテストで、最優秀賞の総務大臣賞を受賞したというニュースです。 (写真) 今年初めて開かれ、全国から33事業所が参加した中で受賞したものです。どのような競技であれ、一番になるということは大変なことだと思います。

2014年12月12日金曜日

ミルフォード・ヘブンの原油タンク火災事故(1983年8月)

 今回は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省)がまとめているARIA(事故の分析・研究・情報)の中のひとつで「ミルフォード・ヘブンの原油タンク火災事故(1983年8月)」の資料を紹介します。
< 設備の問題点 >
タンク建設
■ 当該タンク地区は、ミルフォード・ヘブンの港湾地区の近くに建設された3つの製油所のうちのひとつにある。製油所は、1973年に操業開始され、1983年には精製能力が500万トン/年に増強されて、 67基の貯蔵タンクを保有していた。問題の貯蔵タンクTO11は浮き屋根式で、直径78m、高さ20m、容量が当地区で最も大きい94,110KLであった。タンクは面積16,222㎡の防油堤の中に設置されていた。浮き屋根はポンツーン式シングルデッキ型で、24個のポンツーンが屋根外周に環状に設置されていた。このTO11タンクの防油エリアには、精製油用の容量13,000KL固定屋根式タンク2基が共用の防油堤内に設置されていた。 TO11タンクの防油堤から99m離れたところに高さ83mのフレアー設備が設置されていた。
                   事故当時の製油所配置    (図はAcerts.org.sgから引用)
状 況 
■ ウェールズの当海岸地区には特有の強風が吹くが、このため浮き屋根面に風を原因とする割れが発生していた。これらの割れは定期的に補修されていた。事故が起こる数日前に実施された屋根の検査では、長さ28cmの割れが確認され、屋根面に原油の漏出が見られた。
 事故当日、貯蔵タンクには、軽質北海原油(引火点38℃)がタンクの約半分ほどの47,000トンが入っていた。事故前の24時間には原油の出し入れは無かった。(注:47,000トンは約55,000KL相当)
ポンツーン式シングルデッキ型タンクの図
< 事故の状況および影響 >
事故の発生
■ 1983年8月30日午前10時45分、製油所の接触分解装置の圧縮機が故障で停止した。午前10時50分、タンクTO11の屋根に火の手が上がるのが見えた。午前10時55分、タンクに固定式消火設備が無かったため、製油所の消防隊は高所プラットフォームに据付けた放射モニターを使用してタンク屋根に消火泡を投入した。消防隊は26台の放水ノズルを使用して、発災タンクの側板を冷却し、隣接する2基の精製油タンクを防護するためのウォーターカーテンを実施した。

■ しかし、午前11時05分、浮き屋根の割れ部が広がり、状況は悪化した。タンク屋根面の半分が高さ12mの火炎に覆われ、正午までに火は屋根全面に広がった。屋根への階段は火炎の輻射熱に曝されてしまい、消防士が屋根まで消火用ホースを展張することができなくなった。製油所間の相互応援協定によって、泡薬剤がヘブンに蓄えられており、必要なときに急送できるようになっていた。

■ 正午、タンクTO11では、空にするため1,700トン/時で移送が始められたが、一方、原油は300トン/時で燃焼していた。側板が座屈しない間にタンクから完全に油を抜き出すことは非現実的だと思えた。隣接している2基のタンクでは、空にすることは難しくはなかった。タンクTO11の屋根上には、雨水と漏出原油のほかに消火活動による水が溜まり、重さは約700トンにのぼった。屋根が沈み始め、表面はだんだんと油に覆われていった。当該製油所には63KLの泡薬剤しかなかったので、製油所内の消防隊だけで火災を制圧できる状況になかった。公設消防が消防活動の指揮をとることになった。

■ このとき風の強さが微風だったため、火災は広がらなかったし、煙はまっすぐに上がり、消防士の活動に大きな支障とならなかった。加えて、最小限にとどめるべきハイリスク・ゾーンに立ち入る消防士の数を少なくすることができた。

■ ヘブンの公設消防に加え、相互応援協定による消火資機材の搬入にもかかわらず、大きな問題は泡薬剤がなおも不足したままだった。消防隊の計算によれば、必要な160KLには40KLが不足していた。

■ 午後11時30分、限定的な泡放射を試みたところ、炎が割れはするが、2度のスロップオーバーを引き起こした。

■ 真夜中、最初の“典型的なボイルオーバー”が起こって、半径90mのファイヤーボールが現れ、高さ150mの火柱が立ち上り、タンクからの溢流が起こった。火のついた大量の原油が防油堤内に流れ込み、火災が広がった。このため、配備していた消火機材の大半が破壊され、消防隊の活動ができなくなった。退却する間、6名の消防士が軽傷を負った。

■ 8月31日午前2時10分、規模は大きくなかったが、2回目のボイルオーバーが起こった。この際、タンク底板と側板の接続部が4箇所で切れ、火のついた原油が防油堤内に流れ出した。しかし、高さ5mを超える堤壁によって流出液を堤内に留めることができた。一方、隣接していた精製油タンクの保温材に火がつき、堤内で火災が広がったが、この火災は消防隊によって30分後に制圧された。

■ 夜の間に、英国中から製油所へ消火機材と泡薬剤が送られてきた。泡薬剤の量は305KLとなった。夜明けに、火のついた原油が堤壁を越えて広がっていることに消防隊は気がついた。午前8時00分、必要な消火機材が整い、泡薬剤の在庫も揃った。消防隊は、火災がさらに広がることを防ぐため、隣接タンク側へ消火泡を放射した。午前9時15分、防油堤内の火災を制圧下に入れることができ、最終的に午後2時00分、泡消火によって火災を消すことができた。泡放射モニターは、火災の勢いを減らすために使用され、消防隊が接近する際にも支援で用いられた。午後2時30分、タンク火災は座屈した側板の裏側で燃えている火炎3個所を残すのみになった。

■ 91日午前200分、泡薬剤の在庫が使い果たされ、その上に風が強くなり始めた。火災は再びタンク全面へ広がった。3基の泡放射モニターで泡攻撃を行なうだけの泡薬剤が補給されたのは、午前800分ちょうどだった。火災は午前1000分に制圧下に入り、午後300分頃に消火が宣言された。

■ 消火活動のために投入された人員・機材は、消防士150名、消防車50台、消火用ポンプ44台、高所プラットフォーム6基、泡薬剤搬送用トラック70台であった。火災の消火に要した時間は2日間を超え、使用した泡薬剤は3%希釈用と6%希釈用の合計で765KLだった。火災からの熱と長時間の消火活動に体力を消耗した消防隊にとって、近隣の州から応援の消防士が出動してきたのは大いに役立った。

事故の結果
■ 6名の消防士が最初のボイルオーバーによって軽傷を負った。うち一人は病院へ入院した。

■ タンクTO11は完全に損壊し、隣接タンクは輻射熱で大きな損傷を受けた。燃焼した原油量は17,800トンだった。この事故による損害額は約1,000万ポンド(1983年当時、2007年換算で2,600万ポンド)であった。生産ロスは無かった。

■ 近くに住んでいる人はほとんどなく、また火災の影響を受けることが無かったので、避難計画は立てられたが、実施されることはなかった。製油所から高さ数百メートルの濃い黒煙が立ち上り、地元や周辺地区にススが雨のように降った。

■ 特記すべきことは、3基のタンクをTO11タンクと同じ防油堤に入れてしまったルールである。このようなオプションは石油貯蔵所において行使すべきでない。

欧州基準による産業事故の規模
■  19942月、セベソ指令を司るEU加盟国管轄庁の委員会は、事故の規模を特定するために18項目のパラメーターを用いる評価基準を適用した。わかっている情報をもとに検討された結果、当該事故は4つの分類項目に対してつぎのように評価された。
■ これらのパラメーターや評価方法はつぎのアドレスを参照。
■ 軽質北海原油17,800トンが放出(燃焼)されたことによって、「危険物質の放出」はレベル4と評価された。(北海軽質原油は引火点38℃であり、セベソ指令では可燃性物質と分類されている)
 最初のボイルオーバー時に6名の消防士が軽傷を負ったにより、「人および社会への影響」はレベル2と評価された。
 「経済損失」の評価は、物質的損害に関わるコストの2,600万ポンドという額からレベル4となった。
 「環境への影響」は、評価できる情報がなく、示されなかった。

< 事故の発端、原因および状況 >
事故の発端
■ 当該事故はつぎの2つの要因が大きく関係している。
 ● 浮き屋根の外面に可燃性ベーパーが存在した。これは、強風によって生じた疲労割れ個所から
   原油が少量滲み出したものから生じた。
 ● タンクTO11の屋根上に高さ83mのフレアーから燃え殻が飛んできた。接触分解装置の圧縮機が
   故障して止まったことによって、大量のガスがフレアー系統を通じて燃焼した。これは数種の精製油
   を燃焼させてカーボン・デポジットを生じさせることになってしまった。

消火活動における問題点
■ 消火活動時に遭遇した問題点には、つぎのような要素があった。
 ● タンクに固定式消火設備(固定散水システム、泡消火用フォーム・チャンバーなど)が無かったため、
   火災を拡大させてしまった。
 ● 泡薬剤の供給計画が浮き屋根式タンク火災の消火活動だけを前提にしたものだった。このような
   固定概念のシナリオを想定した事故対応のため、最初のボイルオーバーが起こるまでの12時間が
   効率の悪い活動になってしまった。
 ● タンクTO11が巨大サイズだった。タンク屋根面積が4,778㎡で、高さが20mだったので、泡モニターを
   使用することが難しかった。

 ● 猛烈な熱によって作業を妨げられた。
     ・ 数回にわたって消火機材が壊されてしまった。
     ・ 2日目の夜の攻撃時に、タンクTO11内の泡が崩壊してしまった。
     ・ 数分の間もいられないほど、最前線の消防士が活動するには厳しすぎる状況であった。
 ● タンク側板の座屈部の裏側に消火困難な火災ポケットが存在した。消防隊は泡モニターを取付けた
   台車を製油所のクレーンを使って消火作業を試みた。
 ● 消火ポンプと泡薬剤設備との接続に問題が生じた。消防隊は現場で新たな接続方法をとるのに
   時間をとられた。 

■ 消火活動時に遭遇したこれらの障害は、タンク火災への攻撃を遅らせてしまった。このため、タンク液面付近で原油の留出で形成したホットゾーン(高温層)が沈降していき、タンク底部の水の層に達したとき、ボイルオーバーが起こった。

■ もうひとつ特記すべきことは、発災後にタンクから抜出しを行なうのは非常にリスクを伴うことである。固定屋根式タンクでは、内液が少ない量であればすぐに昇温し、圧力が上がって爆発に至りやすくなる(リヨンのエドゥアール・エリオポート事故ーARIA4998を参照)。タンクTO11ではボイルオーバーを早めてしまった。

その後の対応
■ この事故以降、製油所では、タンクに固定式消火設備(泡消火用フォーム・チャンバー、固定散水システムなど)を設置している。

教 訓
■ 浮き屋根の割れ補修個所における油漏出の再発と、精製装置の圧縮機の故障が重なって起きた大規模な火災には、つぎのような技術的検討の不足や組織的な問題があった。
 ● 設備の設計について
    ・ 消火活動に役立つタンクの固定式消火設備に関する検討。泡消火用フォーム・チャンバー
      はリムシール部の火災を消火できたであろう。固定散水システムはタンクの空の部分における
      変形や座屈を防ぐことができたであろう。固定式消火設備と消防車両は現地の配置や状況に
      適したものにしなければならない。
    ・ 想定される火災のエリアと油量に対して、必要な泡薬剤の保管量と適切な消火機材に関する
      検討。
    ・ 浮き屋根式タンクにおける全面火災という想定を除外せず、次々と影響が及んでいくという
      カスケード効果を考慮した徹底的なリスク分析の検討。
    ・ 大量の油を貯蔵する地区や関連の防油堤エリアに内在する長所と短所に関する検討。
    ・ フレアー設備とその他の設備との距離について特に天候条件を考慮した妥当性の検討。
 ● 現地におけるマネジメントについて
    ・ 設備の機能不良がわかった場合、状況の悪化に至るリスクを考慮し、定期保全時期を待つより
      すぐに補修を行なうことを優先するといった問題回避の方法について綿密に計画する。
    ・ フレアー設備は周期的に清掃を行い、赤熱した粒子が他の製油所設備へ飛散しないようにする。
    ・ 消火活動時などにおいては、良好な状況や悪い傾向のフィードバック情報を共有化する。
 ● 消火活動について
    ・ 極めて厳しい想定の火災対応訓練を行なうこと。そして、消防活動時における事業所の責務と
      公設消防の責務を明確にしておくこと。
    ・ 大規模な攻撃を行なうために必要な消火資機材を待つことに対して、限定的な資機材によって
      迅速な消防活動を行なうことの長所と短所に関する比較検討。

注記 
■ 広範囲の石油火災や大量の油火災では、特に制圧が難しく、多くの消火資機材や冷却水を必要とし、フィードバック情報が重要である。これに失敗すると、長時間の火災になったり、隣接設備への延焼に至る。
(ARIA 2914、3610、4998、6052、6076、31312ほか)

■ ほかにボイルオーバーを伴った火災事故としてはつぎのような事例がある。
 ● ARIA 6051、日本、四日市、1955年、消防士数名の負傷者を出した8,000KL燃料油タンクの爆発事故
 ● ARIA 6052、ベネズエラ、タコア、1982年、500名の負傷者を出した40,000KL重油タンクの爆発事故
 ● ARIA 6076、ギリシャ、テッサロニキ、1986年、消防士8名の負傷者を出した事故

補 足              
■  「フランス環境省 : ARIA」(French Ministry of Environment : Analysis, Research and Information on Accidents)は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省 French Ministry of Ecology, Sustainable Development and Energy)がフランスにおいて発生した事故について情報を共有化し、今後に活用するため、1992年から始めた事故の分析・研究・情報のデータベースである。有用な海外事故も対象にしている。

■ 「ミルフォード・ヘブン製油所」(Milford Haven Refinery)は、英国のウェールズにあり、1973年に操業を開始した精製能力108,000バレル/日のアモコ社(Amoco Corp.)の製油所である。現在は135,000バレル/日で米国の独立系石油精製企業マーフィー・オイル社(Murphy Oil Corp.)の英国子会社マーコ・ペトロリアム社(Murco Petroleum Ltd)が所有している。発災のあったタンクTO11は、1976年から運転が開始されていた。事故後、現在では撤去されている。(貯水池になっている)
                      現在の製油所配置    (図はグーグルマップから引用)
                                       発災場所の現在      (図はグーグルマップから引用)
■ 「ミルフォード・ヘブン火災(1983年)」は、ボイルオーバーの発生したタンク火災として世界的によく知られている。このブログでも「原油タンク火災の消火活動中にボイルオーバー発生事例」20139月)、「石油貯蔵タンク火災の消火戦略 - 事例検討(その1)」201410月)で紹介した。 
 日本で総括的にまとめられた「風荷重による浮屋根損傷に起因した石油タンク全面火災事故」(若狹勝、圧力技術、2010年)には、参考文献のひとつとして今回のARIAの資料があげられている。

■ 今回の資料によって当該事故について特記しておく主な事項はつぎのとおりである。
 ● 発災タンクの浮き屋根ポンツーンは、あまり見られないアニュラー・ケイソン(環状潜函)式と図に
   示されている。この方式が割れを増長させたかどうかはわからない。
 ● 浮き屋根デッキの割れ部は何度か応急補修が行われていた。また、図をみると、最長28cmの割れ
   以外にもかなりの数の割れ部がある。
 ● 防油堤が単独でなく、被災した3基のタンクが同じ堤内に入った配置になっていた。当初の計画を
   変更されていたとみられる。ただし、防油堤は掘下げ方式の傾斜側壁型であるが、どのような形で
   防油堤を共有化していたかはよくわからない。
 ● タンクへの泡放射が遅れた理由のひとつが、消火ポンプと泡薬剤設備との接続が合わなかった
   という問題があったことである。当該事例だけでなく、消火ホース接続部の不一致の問題は
   過去にもある。現在はアダプターが準備されており、問題は少なくなったと思われるが、広域の共同
   防災がとられるようになっており、確認しておく事項である。

■ ミルフォード・ヘブン火災は、今回を含めて3つの資料を紹介してきたが、消火活動関連事項については若干の違いがみられる。資料①「原油タンク火災の消火活動中にボイルオーバー発生事例」(20139月)、資料②「石油貯蔵タンク火災の消火戦略 - 事例検討(その1)」201410月)、今回の資料③として、主な差異を列記してみる。
                   資料①      資料②     資料③
● 当初製油所の泡薬剤保管量     ー          ー       63KL
● 必要な泡薬剤量の試算値      205KL       ー       160KL
● 8/31 08:00集積の泡薬剤量     305KL       253KL       305KL
● 泡薬剤を一旦、使い果たした日時 9/1 02:00     9/1早い時間帯    9/1 02:00
● 最終的な泡薬剤の全消費量     763KL       765KL       765KL
● 焼失原油量            ー       25,000t       17,800t  
● 防油堤の仕様          90m×180m      90m×180m×h:5m    16,222㎡ 
                                                                                                                   ( h:5m)
● ボイルオーバー後の堤内火災   90m×180m     16,000㎡      ー    
● 隣接の精製油タンクの容量     ー      22,630KL×2基    13,000KL×2基
                        (注; 90m×180m=16,200㎡)
■ 発災した直径78m(屋根面積4,778㎡)の浮き屋根式タンクの場合、現在の日本の基準でいえば、必要な泡放射は50,000L/min(泡放射量約8 L/㎡・min相当)である。使用泡薬剤が3%希釈用で、泡放射時間を60~120分とすれば、 泡薬剤量は約69~138KLとなる。 当時の必要量の試算値(160KLまたは205KL)の算出根拠がわからないが、試算は間違っていないといえよう。しかし、実際の泡放射は14,500L/min(3.0 L/㎡・min)程度でしか行われていない。当時の消火機材の能力不足である。

所 感
■ 過去の事故を今に活かそうという目的で作成された資料だけによくまとまっており、大いに参考になる。「教訓」の項は、地域が変わっても普遍的な内容で、示唆に富んでいる。

■ 1983年当時、浮き屋根タンクは安全神話に包まれていた。たとえ、火災があってもシール部の火災程度であり、タンク上部へホースを展張し、泡放射すれば簡単に消えると考えられていた。現在では、このような安全神話を信じる人はいない。
 今の日本で考えておかなければならないことは、「想定の火災」である。2003年十勝沖地震に伴う北海道製油所のナフサタンク全面火災を契機に、大容量泡放射砲システムの導入が行われたが、この火災想定は浮き屋根タンク1基の全面火災である。大容量泡放射砲の放射能力を決めるためには、それでよいといえる。しかし、ミルフォード・ヘブン火災を見るとわかるように、タンク火災に加えて堤内火災の対応に追われている。実際の火災は限定的に起こってくれるわけではない。
 タンク火災+堤内火災あるいは複数タンク火災などの「想定の火災」を考えるべきである。机上訓練によって消火機材、泡薬剤、消火水など、どこに課題があり、どのようにして消火資機材の供給計画を立てるか考えておく。例えば、ミルフォード・ヘブン火災では、必要泡薬剤の量は160KL(または250KL)と試算されたが、実際に鎮火までに消費された泡薬剤は765KLである。これが現実の事故であることを語っている。

備 考
 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
  ・Aria.development-durable.gouv.fr, Boilover of a crude oil tank, 30 August 1983, Milford Haven [Wales], United Kingdom , French Ministry of Environment - DPPR / SEI / BARPI – AC070344  N6077, July 2008



後 記: 今回のARIA資料は思っていた以上に興味深いものでした。これまでもミルフォード・ヘブン火災については2回紹介していましたから、補完的なものかと思っていましたが、なかなか良い内容でした。これまでの2回の資料の内容と見比べてみると、若干違っていることに気がつきました。主な事項を「補足」で付記してみました。実際、緊迫した消火活動の最中に時間と事象を記録していくことは難しいことです。記録を残すことが好きと言われている米国ですが、最近、このような事故記録の公表が少ないように思います。連邦政府や石油メジャーの人件費削減が響いているのでしょう。その点、意外(?)にも、フランスが頑張っているようです。