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2012年10月26日金曜日

米国オクラホマ州グレンプール火災(2003年)の消火活動

 今回は、前回に引続き、米国の消火専門会社であるウィリアムズ社(Williams  Fire & Hazard Control)が消火活動を支援した事例を紹介します。
 2003年4月7日、米国オクラホマ州グレンプールにあるコノコフィリップス社のパイプライン・ターミナルの貯蔵タンクが爆発・火災する事故が起こりました。このタンク火災は、パイプライン事故として米国運輸安全委員会(National Transportation Safety Board)が調査に乗り出し、事故調査報告書(Storage Tank Explosion and Fire in Glenpool, Oklahoma April 7, 2003  Pipeline Accident Report)が公開され、当時、日本の危険物保安技術協会のインターネットホームページに「米国での石油タンク全面火災事例」として紹介されました。今回は、消火活動を視点にした情報と事故の原因調査報告の内容を紹介します。
本情報はつぎのようなインターネット情報に基づいて要約したものである。
  ・ FireWorld.com, NTSB Blames 2003 Glenpool Fire on Non-Lightning Spark, Industrial Fire World Vol21 No4
  ・NTSB.gov,  Storage Tank Explosion and Fire in Glenpool, Oklahoma April 7,2003 Pipeline Accident Report

<事故の状況>
 200347日午後855分頃 、米国オクラホマ州グレンプールにあるコノコフィリップス社のパイプライン・ターミナルの貯蔵タンクが爆発する事故が起こった。
 グレンプールでは、2003年の火災事故から39か月後に再びタンク火災が起こっている。クレー・ウォード消防署長にインタビューした際に、ウォード署長は最初のタンク火災事故があった日付けを即座に答え、「パイプライン・ターミナルでは、タンクにディーゼル燃料を受入れ中で、静電気によって着火したことは調査によって明らかになっています。事故のあったターミナルの隣りにあるエクスプローラ・パイプライン・ターミナルにおいて20066月に再びタンク火災が起こってしまったよ」と語った。
■ 火災によって損壊したタンクT11は、直径109フィート(33m)、高さ48フィート(15m)の鋼製溶接構造の内部浮き屋根式コーンルーフタンクだった。米国運輸安全委員会による事故調査報告では、油種変更後に油を入れる際に、社内基準や業界の推奨基準よりはるかに速い流速でタンクT11に受入れていたことが原因だったと結論づけている。
 事故当日の昼、容量80,000バレル(12,000KL)のタンクT11は、ディーゼル燃料を入れるため、ガソリンを空にする作業が実施された。午後833分頃、油の受入れが開始され、最初の流速は時間当たり24,00027,500バレル(3,8004,300KL)だった。約22分後、タンクの高液位警報が鳴った。と同時に、午後855分頃、タンクT11で爆発が起こり、高さ75フィート(22m)の火炎が噴き上がった。事故調査報告書によると、固定式屋根がタンク側板から外れ、北側の方向へ飛び、次いで損傷したタンク北側の側板部上部に折り重なるように落下した。その後まもなくして2回目の爆発が起こり、タンクの北側は完全に損壊してしまった。近くに張られていた電線が防油堤内の落下し、堤内に流出していたディーゼル燃料に着火した。その後、地上を走っていた原油配管が火災によって壊れ、配管を停止しなければならなくなった。
■ 専門家の推測によると、爆発時、タンクT11には、7,397~7,600バレル(1,176 ~1,208KL)のディーゼル燃料とガソリンがわずかに入っていたとみられる。
■ 事故発生に伴い、グレンプール消防署は午後9時に緊急通報を受けた。グレンプール消防署のほか、コノコ・フィリップス社、近隣のサン製油所、 ウィリアムズF&HCを含め13の消防隊が緊急出動した。
 当初、消防隊はタンクT7とT12の間の防油堤の西側から消火泡を放射したが、地上火災を覆うつもりの泡が風によって分散したため、消防隊は火災タンクの周囲から消火活動を行った。しかし、タンクが壊れてしまった状態は、タンクへの泡放射の障害になった。
■ 消防隊は、火災による曝露対策として隣接するタンクに水を放射した。特に、隣のタンクT12にはガソリンが入っていたため、冷却放水が行われた。パイプライン・ターミナル社は防油堤の排水バルブが閉まっていることを再確認した。しかし、防油堤内の火災によって、近くにあるナフサの入った内部浮き屋根式タンクでシール部火災を引き起こす要因となった。このような火災は為すすべなく起こった。
■ ポンカ・シティにある製油所からは消火活動で使用する泡薬剤が供給された。しかし、火災が続くにつれ、タンク地区に近い住民約300世帯が避難し、近くにある学校は2日間休校になった。
■ 翌48日の午前343分頃、風向きが東に変わった。一時間もせずに、タンクT11の火災は悪化していた。タンクT11に投入していた消火泡が劣化し始めたためである。午前6時少し前、タンク東の防油堤エリアに電線が落下し、堤内に溜まっていたディーゼル燃料に着火してしまった。タンクT11の火災は、結局、21時間続いた。この間、隣接タンク2基が被災した。
                           鎮火後のタンクT11   (写真はIndustrial Fire Worldから引用)

< 米国運輸安全委員会による事故調査報告書の概要 >
 米国運輸安全委員会(National Transportation Safety Board)の事故調査報告書(Storage Tank Explosion and Fire in Glenpool, Oklahoma April  7, 2003  Pipeline Accident Report)から特記事項を紹介する。 
■ 事故調査報告書では、つぎの3点について問題があったと指摘している。 
  1. コノコ・フィリップス社のタンク切替え運転方法
  2. 異常事態時のコノコ・フィリップス社と電力会社(アメリカン・エレクトリック・パワー社)の連携と対応 
  3. 異常事態対処計画に関する連邦法と工業規格  
②③は火災発生後、事故の拡大に至った要因である。ここでは主として①について紹介する。
<事故の経緯>
■ 午後4時頃から、コノコ・フィリップス社のオペレータはタンク切替えのためライン確立の準備にとりかかった。 
■午後533、タンク11ガソリンを12移送し始めた。
■午後610、ガソリンの移送が終わったので、ディーゼル燃料の受入れ準備に入った。     しかし、このとき、タンク11のガソリンは抜けていたが、タンク底の油溜と入出荷用配管31インチ径)には8KLガソリンが残留していた。 
■午後6時15分、コノコ・フィリップス社のオペレータは、エクスプローラ・パイプライン社からディーゼル燃料3,900KLを空タンクT11へ受入れることを確認した。      
■午後6時30分、ライン確立が終わった。                           
■午後8時33分頃、エクスプローラ・パイプライン社から流量3,800~4,300KL/hでディーゼル燃料の受入れを開始した。
■コノコ・フィリップス社のオペレータの証言によると、午後8時55分、受入れを開始したばかりのタンクT11の高液面警報が作動し、びっくりしたという。           
■このとき、移送ポンプのそばにいたエクスプローラ・パイプライン社のオペレータはファイアボールが上がるのを見た。爆発が起こったのだ。
■タンクのコーンルーフ(円錐屋根)は側板から外れ、タンク北側の側板トップに覆いかぶさるような形になっていた。北側のタンク側板も損壊していた。          
■事故発生後、両社ではタンクの孤立作業に入った。午後9時45分にバルブ閉止作業が終わった。
■2回目の爆発が起こった。この爆発によって、タンク北側の側板は崩壊し、火炎に包まれた。
■ タンク地区の防油堤に沿って電力会社(アメリカン・エレクトリックパワー社)の架空電力線が走っていた。48日午前6時前、電柱から電力線が地面へ落下した。 この際、タンク11の北側の防油堤内に漏洩していたディーゼル燃料に着火した。                
  午前610、防油堤内のタンク7とT8間のあった地上配管から圧力3.8MPa原油が噴き出した。 この配管はコノコ・フィリップス社の12インチ径原油パイプラインの過圧防止用設備として使われていた。火炎によって配管フランジが損傷し、接続部が緩んで、原油が噴出したものである。 午前617、コノコ・フィリップス社はパイプラインのポンプを停止し、遠隔遮断弁を閉止した
<事故の分析>
() 爆発混合気の形成                                      
■ 2は、発災以前(4日前)からのタンクT11の入出荷記録である。インナーフロー ト(浮き屋根)のレベル以下での入出荷が行われている。 また、発災前に油種入替えのため、ガソリンはタンクが空になるまで移送されているが、油溜にガソリンが残留していた。                  
  1は、2に示す時間帯Time14におけるタンク内のガソリン蒸気の割合を計算した結果を示す。
■ 爆発混合気の形成状況を示したものが3である。
■ このようなタンク受入・油種切替の運転によって、タンクT11のタンク空間部には爆発混合気が形成していた。
() 着火源                                             
■ ディーゼル燃料の受入れを開始したが、受入れ始めの流量は約4,370KL/hで、これは受入れ配管サイズで考慮すると流速2.8m/s相当する。 発災時まで24分間、平均流量は約3,340KL/h、流速2.1m/sであった。           
■ この状況下で、流体(ディーゼル燃料)には静電気を徐々に蓄積していた。 液面が上がり、インナーフロート(浮き屋根)と液面間で蓄積された静電気が放電し、着火要因となった。
米国石油協会の推奨基準API RP 2003 “Protection Against Ignitions Arising Out of Static Lightning and Stray Current”には、静電気の蓄積防止として、浮き屋根タンクの場合、浮き屋根が浮上するまで、受入れ流速制限値1m/s以下としている。 
コノコ・フィリップス社の社内手順書では、油種によって受入れ流速の制限値を記載しており、これによると、制限値1m/s 以下としている。 これAPI RP 2003基準値を採用しているが、実際の現場での流量との相関を明らかにしていなかった。 この結果、制限値1m/s 23超える流速で受入れていた
(訳者注;API RP 2003では、流速制限値の記述は「3ft/s(1 m/s)」という表現になっている。3 ft/sを正確に換算すると、0.91 m/sである) 

補 足
■  「オクラホマ州」は米国南中部にあり、人口約375万人で、州都および最大都市はオクラホマシティである。オクラホマ州は石油、天然ガスおよび農業の生産が高い。合衆国46番目の州になっており、当初は全米のインディアン部族のほとんどを強制移住させる目的で作られた州で、このため、他の州に比べ、インディアンの保留地が非常に多い。気候は比較的温暖な地域にあるが、春先から晩夏にかけて、この地域特有の気候条件により雷雨が発生しやすいところである。
 「グレンプール」はオクラホマ州東中部のタルサ郡にあり、タルサ市圏にあり、人口約10,900人の町である。

■ 「コノコフィリップ」(ConocoPhillips)は、スーパーメジャーと呼ばれる石油会社の一つで、1875年に創立され、その後、コノコ社とフィリップス・ペトロリアム社が合併した会社である。コノコフィリップスは、2011年7月に石油開発部門と石油精製・販売部門を分割し、石油精製・販売部門は「フィリップス66」という名称の会社になり、石油開発部門の会社が「コノコフィリップス」の名称を継承している。
 最近では、2012年9月2日、ルイジアナ州のベルチャスにあるフィリップス66社のアライアンス製油所でハリケーン・アイザックの襲来後に油漏出の事故があり、このブログでは2012年9月に事故情報を紹介した。
 グレンプールには、パイプライン油槽所としてのターミナルがあり、貯蔵タンクを保有している。火災を起こしたタンクT11は再建されていないが、被災したタンクT7およびT12は復旧されている。
                     現在(2012年)のグレンプールのコノコフィリップス社のパイプライン・ターミナル(右側タンク群) 
                                                                                       (写真はグーグルマップから引用)

所 感
■ このタンク火災は、直径33m容量12,000KLで大型タンクではなかったが、極めて消火の困難な火災だったといえる。鎮火後のタンク被災写真を見ると、側板は完全に座屈し、固定屋根が覆いかぶさるように折り重なっており、いわゆる“障害物あり全面火災”だったことが想像できる。さらに、タンクから流出した油やパイプラインからの漏洩による火災が起こっており、防油堤内火災は広い範囲でなくても、消火が難しいと思われる。 結局、火災は21時間続いており、燃料が燃え尽きる状態までいって鎮火したものだろう。しかし、隣接していた2基のタンクも被災しているが、全面的な火災にならなかったのは、曝露対策の消防活動が適切だったものと思われる。
 消火活動には、米国の消火専門会社であるウィリアムズ社(Williams  Fire & Hazard Control)が支援しているが、さすがのウィリアムズ社も手ずったと思われる。ウィリアムズ社は、1983年の「テネコ-83のタンク火災」で消火活動に成功し、前回当ブログで紹介したカナダの「コノコ-96タンク火災」の消火に携わり、2001年には、ルイジアナ州オリオン製油所の直径82mのタンク火災の消火を行ったことで有名になった。そして、資料中にも記載されているように、20066月にグレンプールで再びタンク火災があり、ウィリアムズ社が出動し、消火に成功している
■ “単純な”タンク全面火災では大容量泡放射砲が有効であるが、必ずしも大容量泡放射砲が万能な消防機材ではないといえる事例である。火災への適切な対応は、ある面、経験が必要であるが、実際の火災現場を体験する機会は多くない。これを補うのが訓練であり、他の火災の消火活動の情報を知り、疑似体験することであると思う。

後記;  先日、ある新聞に「相次ぐ爆発 動けぬ企業」という見出しに「化学工場で年3回の爆発事故があったが、その背景としてベテラン退職と施設の老朽化があるのではないか」という主旨の記事が掲載されていました。当ブログでも紹介した2011年11月の東ソー南陽事業所の塩ビプラント爆発・火災事故、2012年9月の日本触媒姫路製造所のアクリル酸プラント爆発・火災事故の2件に2012年4月の三井化学大竹工場のプラント爆発・火災事故の3件を対象にしたものです。「ベテラン退職と施設の老朽化」というのは観念論的には興味を引く言葉ですが、2つの事例を調べてみたことからいえば、ちょっと皮相的だなと感じました。ただ、不思議なことに“事故は連鎖する”ということです。何か共通的な要因がないのか考えたくなるのはわかりますね。




























2012年10月18日木曜日

米国サノコ社のタンク火災における消火活動

 今回は、米国の石油会社であるサノコ社において起こった2件のタンク火災の消火活動についてまとめられた資料を紹介します。ひとつは、2007年7月11日、米国ニュージャージー州ウェストビルにあるイーグル・ポイント製油所の落雷によるタンク火災の消火活動です。もうひとつは、1996年7月19日、カナダ・オンタリオ州のサーニアにある石油化学工場の落雷によるタンク火災の消火活動です。いずれも全面火災になりましたが、大容量泡放射砲による消火活動で鎮火させています。


 本情報はつぎのインターネット情報から得られた発表資料(Power Point)を要約したものである。
  ・SAChE.org, Atmosphric Storage Tank Fire Protection,  September  19, 2008
                  (SAChE; Safety and Chemical Engineering Education)  
   Power Pointによる資料を補足するため、以下の情報に基づいて説明文をまとめた。
  ・USAToday.com, Lightning Ignites Oil Refinery Storage Tank,  July  12, 2007 
  ・FireWorld.com,  Tank 15 is  Burning. Lightning Ignites N.J. Xylene Storage Tank,  Volume23, No.1







■ 2007年7月11日(水)午後4時30分過ぎ、米国ニュージャージー州ウェストビルにあるサノコ社のイーグル・ポイント製油所に落雷があり、タンクが火災になるという事故が起こった。落雷のあったタンクには、ガソリンのブレンド基材のキシレンが約36,000バレル(5,700KL)入っていた。
■ 立ち昇る炎と分厚い黒煙は数マイル先からも見えたが、火災によって地元住民へ危険が及ぶことはなかった。火災はタンク1基に限定された。製油所の各タンクは、火災や流出が起きた場合に備えてタンク容量以上の土盛り防油堤で囲まれている。
■ サノコ社の緊急対応部隊と近隣の地域消防署から出動した消防隊によって隣接するタンクの防護策がとられ、延焼の危険性は回避された。

屋根が噴き飛んで全面火災となり、西側に折れ曲がっている
攻撃的(オフェンシブ)戦略として、大容量泡放射砲による一点集中投入方式をとった。



  注記; 原本では“5,000ガロン/分” となっていたが、後述の資料をもとに“2,000ガロン/分”と直した。


 ■;サノコ社の消防機材 ;地域消防署の消防機材  黄線;5インチ径ホース 茶線;7-1/4インチ径ホース
     大容量泡放射砲の操作消防士を緊急退避時にピックアップするため配置された軽トラック型消防車両

■ 米国ニュージャージー州ウェストビルにあるサノコ社のイーグル・ポイント製油所のタンク火災の消火活動に当たって、サノコ社の消防隊長であるウィリアムズ・C・ケリー氏はNFPAのガイドラインで定められている泡放射量を約60%増加させて対応したことを明らかにした。
■ ケリー氏は、「ガイドラインがあることは結構なことですが、その推奨値に則らずにもっと早く消火できれば、私は良いと考えています。早く消火できれば、いろいろなところに影響の現れることがなく、皆さんが早く仕事場に復帰できるでしょう。 消防活動上、消防隊の安全確保に役立ち、総合的に考えて有効であれば、推奨値によらない対応はとりわけOKだとおもっています」と話している。 ケリー氏はガイドラインに則らないという背景について、「被災範囲を最小限に留め、消火時間を最短にするという目的のため、適切な防災計画があり、訓練が十分に実施されており、最小泡放射量を上回ることのできる設備が整っていることです」と語っている。
■ 一点集中投入方式をとり、最大能力3,000ガロン/分(11,000L/分)の大容量泡放射砲を用いて消火活動を行なった。当該条件の場合、NFPAのガイドラインでは1,200ガロン/(4,500L/分)の泡放射量となる。しかし、ケリー氏は大容量泡放射砲の設定を2,000ガロン/分(7,500L/分)にするよう指示した。
■ ケリー氏が“ジュース投入”(Shooting Juice)と呼んでいる泡放射攻撃を20分間行なった結果、発災から3時間半で火災は鎮圧された。 3%混合の泡放射によって、消防隊は最初の10分間で火炎を制圧することができた。サノコ社の米国北東部にある3つの製油所、すなわちペンシルバニア州のフィラデルフィアとマーコスフック、ニュージャージー州のウェストビルはお互いに20マイル(32km)以内にあるが、ケリー氏は、この3つの製油所の消防部隊のスーパーバイザーとして従事し、通常はマーコスフックの事務所で執務している。 3つの製油所は、30名の専任消防士と140名以上のボランティア消防士による緊急時対応チームを擁していることになる。 
■ ケリー氏によると、偶然にも、緊急時対応チームは、火災の起こった前の月の6月いっぱい、タンク火災の消火訓練に費やしていたという。ケリー氏は、「火災起こった当日に対応したことは、4週間の訓練で行っていたものでした」と語った。

■ 2007711日、イーグル・ポイント製油所では、この地域に嵐通過による落雷警報が発せられた。全従業員はタワー類から離れ、室内に退避した。午後438分、落雷があり、タンク15番で火災が起こった。ケリー氏は、「我々は、タンク地区の中では一人のオペレータであり、気象警報が発令されてタンク地区から離れていました」と語っている。
■ 発災のあった貯蔵タンクはコーンルーフ式で、側板は5段で高さ40フィート(12m)であった。頂部から10フィート(3m)まで油が入っており、タンクには150万ガロン(5,700KL)のキシレンが貯蔵されていた。API(米国石油協会)では、コーンルーフタンクは異常時ことを考慮して、屋根と側板の溶接部を意図的に弱くするよう設計することになっている。 当該タンクの場合、タンク屋根は爆発時に設計通り正しく機能したと、ケリー氏は言い、「設計では、火災が起こって圧力が上がり、屋根が浮き上がり、側板から外れるようになっていましたが、屋根はタンクから完全に離れ、外側に垂れ下がっていました」と語った。
 設計どおり、タンクは液面が露出し、全面火災になっていた。サノコ社北東部方面の3つの製油所にいた緊急対応部隊は、一つのタスク・フォースとして編成され、ただちに出動した。現場には、7-1/4インチ径ホース全部と泡薬剤が運び込まれた。
■ ケリー氏によると、火災タンクは防油堤に囲まれていたが、タンクから油は漏れ出ていなかったといい、隣接するタンクに関してもただちに延焼する恐れはなかったという。ケリー氏は、「イーグルポイント製油所のタンク地区では、タンク間距離が十分あり、本当に良かったと思います。従って、隣接タンクの外壁に冷却するための活動はたいしたことありませんでした」と語った。風向きが変わったときに、輻射熱に曝されると思われる隣接タンクを保護するために、放水モニターが配置された。このモニターをテストする以外に、他のタンクを保護するための作業はほとんどないと言ってよかった。
 同様に、火災タンク自身の外壁を冷却する作業もしなかったと、ケリー氏は言い、「私が過去から学んだことからすれば、タンクの全周360°の外壁を完璧に冷却できなければ、側板を損壊する可能性が高くなるということです。それで、我々は側板を冷却することが好ましいとは思っていません」と話している。
■ 6月の訓練から、火災タンクに対する消火戦術としては一点集中投入方式をとることとした。屋根のほとんどは時計の12時方向で垂れ下がっていたので、放射位置は時計の6時方向からとしたと、ケリー氏はいい、「放出は単点方式をとりました。幌馬車で円陣を組むような周りから放射するのは良いとは思っていません」と語っている。
 泡放射攻撃の前準備として、ケリー氏は、ゴルファーやハンターが使うような一対の距離計を使用し、搬送式据付型泡放射モニターの最適な配置場所を計算して出した。ケリー氏は、「我々は機材について精通しているし、どのように飛んでいくかもわかっています。我々は、距離計によって出した値と泡放射砲の設置場所から判断した補足値を考慮して、タンクから正しい距離の場所を割り出していました。そして、泡放射モニターが到着したら、その正しい場所に設置することができました」とケリー氏は語った。
■ 泡混合装置を運転するため、ケリー氏は能力6,000ガロン/(22,600L/分)のポンプを泡放射モニターから約700フィート(210m)離れた場所に設置させた。ポンプと一点集中投入装置との間は7-1/4インチ径のホース2本でつないだ。泡薬剤の運搬はトートを使わず、混合装置のあるマニホールド部にローリー車4台を配置した。相互応援を通じて泡薬剤が必要な場合、ローリー車の方が使い勝手がよい。

■ ケリー氏は、「誰もケガすることがないようにしなければなりません。火災場所に近づくのは、大容量泡放射砲に配置された4・5名だけでした。さらに安全を確保するため、我々は火災場所から少し離れたところに消防士の乗った軽トラック型消防車両をアイドリングしたまま配置しました。もし、状況が悪くなったとき、泡放射砲を操作している消防士をピックアップして急いで退避されるという避難計画によるものです」と語った。
■ しかし、ちょっとした問題が起こって消火活動が遅れてしまった。最初の泡放射攻撃を始めてから10分間経ったところで、軽トラック型消防車両がポンプへの供給ラインを誤って損傷させてしまい、消火活動を中断せざるを得なくなった。ケリー氏は、「我々は計画通り、すべて順調に事を運んでいました。このちょっとした問題が起こって、放水することができなくなりました。このため、水が供給できるようになるまで約25分間費やし、その後、消火活動を再開し、第2回目の泡放射を始めました」と語った。
■ 2回目の泡放射攻撃は20分間で鎮火することができ、タンク内の製品の損失は2フィート(60cm)以内にとどまった。タンク側板の損害も上部から2段分の鋼板に限定できた。NFPAのガイドラインに則って進めていれば、消火活動による泡薬剤の全使用量は3,000ガロン(11,300L)弱で達成できたと思われる。ケリー氏によれば、実際の消火活動ではそれより1,000ガロン(378Lほど多くなったが、何も問題ないと話している。
■ タンク火災に対処するときの鍵は訓練と事前の計画である。ケリー氏によれば、サノコ社北東部の製油所(Northeast RefineryNER)の全タンクについて自社で作成した事前計画書があり、必要なNERの人材と消防資機材を動かすことができる社内一般命令書(タンク火災タスクフォース)が制定されているという。タスクフォースと地域消防署との相互活動がうまくいって初めて成功につながる。今回の場合、地域消防署への水の供給は、能力6,000ガロン/(22,600L/分)の消火用ポンプを動かして製油所の消火用水系統の供給ラインから行うようにした。
 ケリー氏は、「我々の業界において起こるタンク火災は、大抵、1日を超えることが多いが、今回の消火活動では、3時間半で目的を達成することができた」と語った。
以上で発表を終わります
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 本情報はつぎのようなインターネット情報に基づいて要約したものである。
   ・「Tank Fire」(SP Swedish National Test and Research  Institute)、2003

<基本情報> 
 ■ 発災日               1996年7月19日
 ■ 場 所                Sunoco  refinery,  Sarnia,  カナダ(オンタリオ州) 
  ■ 着火原因              落雷                                
 ■ タンク形式             浮屋根タンク (カバー無し)                
 ■ 直径(D)、高さ(H)、面積(A)   D=42.7m、H=15m、A=1,430㎡             
 ■ 容 積                 19,000㎥                            
 ■ 油 量                 11,400㎥                              
 ■ 油 種                  ラフィネート(ガソリンと同等の揮発性)

<タンク火災消火活動の関連データ>                                 
 ■ 設備のタイプ             2,000gpm(7,570L/min)級泡放射砲 2基(Foam cannon)                                                                                                                 
 ■ 泡薬剤のタイプ           モニター1; 3M  ATC 3%、モニター2; AFFF 3%  
                              (耐アルコール泡薬剤)     (水成膜泡)    
 ■ 予燃焼時間             6時間45分                           
 ■ 泡放射量                10.6 L/㎡/min                                               
 ■ ノックダウン時間                    10~12分                                
 ■ 消火活動時間            3時間10分                           
 ■ 泡薬剤の消費量          約51,000 ㍑ (安全確保のための使用量を含む) 

< 事故の概要>
 19967190036落雷による火災が発生した。屋根の一部(およそ屋根の50%) がタンク外に吹き飛び、残りの屋根部分はタンク内に留まったのち、沈んだ。 この結果、全面火災になった 着火時、高さ15のタンクには7.9mまで油が入っていた。 集った防災隊が最初に行うべきことは、隣接タンク群を冷却し、発災状況を拡大させないことだった
 戦略として2つの採りうる案が考えられた。 一つは、油をできるだけ多く移送して残量が燃え尽きるのを待つこと、もう一つは、大規模な泡放射活動を行い、火災消火を試みることである。 天気予報では、風向きが変る予想であり、このため、隣接タンク1基が激しく熱輻射を受けると予測された。 従って、2番目の選択案をとることとした。
■ 泡薬剤、ポンプ容量、泡設備は、相互応援組織を通じて活用可能な状況にあり、泡放射量NFPA推奨基準を上回ることができそうだった 泡放射モニターの配備位置が適正な風の向きになるまで、泡放射の開始を待った。 0720頃、 7,570L/min 2,000gpm)級泡放射砲(Foam cannon2基を使用した泡放射活動が開始された。 2本の放射流はまとめられ、1本の放射流として火災油面へ打ち込まれた。 
 泡放射から約1012分後、火災は90%ノックダウン域に達し、15分後には、タンクからほとんど黒煙は見えなくなった。 制圧下に入ったが、泡放射砲の配備位置に近い方で、タンク側板の内側に沿って若干火が残っていた。 また、沈んだ屋根の一部が油面上に出ていて、この部分の空間部(ポケット部)から小さな炎が出ていた。 0900に、これらの火災に届くように泡放射砲の配備位置を変えることを決めた。 1030火災は鎮火した。 

■ 火災制圧のために使用した泡薬剤量は約7,600 Lであり、このほか全消火活動に使用した泡薬剤量は30,000 Lに達した。 このあとの2日間、消火時にタンク内に残った3m深の油を空にするまでの間、ダメ押しの冷却と蒸気抑制のため、追加で使用した泡薬剤量は13,250 Lだった。
 本事例で得られた教訓の一部はつぎのとおりである
 ● NFPA11に示されている泡の最低必要量はあくまでガイドラインであり、ゴスペル(福音)ではない。実際の消火活動に必要な泡放射の量はもっと大きいこともあるし、貯蔵タンクに残った油のシールを保持するためにも必要である。
 ● 応援者は、できる限り、たくさん呼集するのがよい。 たとえ、ただちに必要な人員が集まっていても、人手は必要になる。例えば、貯蔵タンク火災は長期戦になることがあり、最初に配置した消防隊員を交代させる事態もある。              
 ● 大容量泡放射砲を購入する場合、必要な容量と放射距離を明確にしておくべきである。 設備は、一番大きいタンク火災の冷却と消火活動に際して、消防隊員を危険にさらすことなく、据付や操作ができるものにすべきである。

補 足                                                        
■  「サノコ社」(Sunoco.Inc)は、1886年に創立された米国の石油会社で、Sun CompanyまたはSun Oil Co.と称していた時代がある。ペンシルバニア州フィラデルフィアに本社があり、米国最大のガソリン配給会社の一つである。米国内に製油所を保有しているほか、カナダのオンタリオ州サーニアには石油化学工場を有している。サノコ社には、最近、製油所を売却する話もあったが、操業を継続することになった。 

所 感
■ 製油所は異なるが、同じ会社でタンク全面火災に遭い、いずれも消火に成功しているという珍しい例だといえる。1996年のカナダのタンク火災は、米国の消火専門会社であるウィリアムズ社(Williams  Fire & Hazard Control)が支援した事例の一つである。ウィリアムズ社は、1983年の「テネコ-83の火災」で消火活動に成功したが、本事例では戦略と戦術が明確にされ、実行されている。 大容量泡放射砲(7,570L/分クラス)2基を使用し、 2本の放射流を1本にまとめた放射流として火災油面へ打ち込む方法、いわゆる「フットプリント(Foot Print)理論」をベースにした消火戦術がとられている。 
 2007年の米国イーグル・ポイント製油所のタンク火災では、サノコ社自身の防災対応部隊が中心となった消火活動で鎮火に成功している。1996年の経験が活かされている。

■ 今回の2件の事例でいえることは、消火活動についてデータを含めて記録を残し、情報が公開されている点である。 このような積み重ねがあって、経験が知識として活かされる。成功事例だけでなく、成功しなかった事例も記録を残し、次代に活かすという意識が大切だと思う。
 日本では、いまだに“火消し” の美意識があり、このような記録を残し、情報を公開する風土が薄いが、この認識を変え、“ファイア・プロテクション・エンジニア” が育つことを期待する。

■  2007年のイーグル・ポイント製油所のタンク火災で注目するのは、消防士の安全確保に関する基本的な考え方と実施策である。2012年9月29日、消防士を含め37名の死傷者の出た姫路市の日本触媒のアクリル酸タンクの爆発・火災事故に比べて大きな差異がある。
 日本でも、大容量泡放射砲システムが導入され、システムを運用する人員の配置について議論されたが、実際の消火活動時に泡放射砲を操作する消防士の退避については話題になっていない。今回の事例では、緊急退避時に消防士をピックアップするため軽トラック型消防車両が配置されたが、このためには、車両が通行できる通路を確保しなければならない。この観点で資料中の消防機材の配置図を見ると、理解できる。
 日本では、大容量泡放射砲システム導入後、幸いなことに大容量泡放射砲を使うような事故はないが、消防士の安全確保と退避に関する事前の検討を行っておくべきである。 


後記;  すっかり秋になり、昨日の雨もあって大気が澄み、夜空にきれいな三日月が昇っています。聞こえる虫の音もわずかで、いつの間にか虫しぐれは終わったようです。秋分の日を境に太陽が沈むのが本当に早いと感じます。 
 今回のサノコ社イーグル・ポイント製油所のタンク火災(2007年)の資料は最近知ったものです。大容量泡放射砲システムの運用に参考になるので、1996年のサノコ社カナダのタンク火災の消火活動とともに紹介することとしました。