本情報はつぎのようなインターネット情報に基づいて要約したものである。
・TV.asahi.co.jp, ベネズエラで製油所が爆発、26人死亡、86人けが, August 26, 2012
・Jp.reuters.com, ベネズエラ最大の製油所爆発で41人死亡、鎮火のめど立たず, August 27, 2012
・CNN.com, ベネズエラの製油で新たな爆発 死者41人と発表, August 28, 2012
・CBSNews.com, Fire Spreads at Venezuela Refinery, 41 Dead, August 27, 2012
・Reutrs.com, Venezuela Refinery Could Restart Friday, August 27, 2012
・ctpost.com, Fire Doused at Venezuela Refinery Hit by Explosion, August 28, 2012
・BBCNews.com, Venezuela’s Amuay Oil Refinery Reopens after Fire, September 1, 2012
<事故の状況>
■ 2012年8月25日(土)午前1時過ぎ、ベネズエラのファルコン州にある製油所で爆発・火災があり、多くの死傷者を出す事故があった。事故のあったのは、ファルコン州アムアイにあるベネズエラ国営石油公社(PDVSA)アムアイ製油所で、ガス漏れが原因と思われる爆発が起こり、タンク火災となった。
当初、10歳の少年を含め死者は26人といわれていたが、のちに41名と発表され、負傷者は150人以上の大災害となった。損壊した民家は200棟を超え、事業所は11棟に上った。死者のうち20名は兵士だと報道されているが、死者の多くは製油所の隣に駐留していた国家警備隊の兵士や製油所に隣接する地区に住む人たちだった。
■ 事故は、8月25日(土)午前1時過ぎ、製油所の職員が施設からガス漏れしているのに気がついた直後に、爆発が起こったといい、その後、2基のタンクが火災となった。 翌8月26日(日)、ベネズエラ国営石油公社によると、燃えているタンクのうち1つの消火に専念するとしているが、消火できなかった場合、燃え尽きるのを待つ方針だと語った。
■ 発災して3日目になる8月27日(月)に、エネルギー石油大臣(兼PDVSA総裁)のラファエル・ラミレス氏は、ロイター通信の電話による単独インタビューでつぎのように答えた。
「今日か明日には、最初に火災となったタンクを鎮火できるでしょう。鎮火したら、もう1基のタンクの消火活動を継続します。2日以内に消火させます。
アムアイ製油所の生産施設は、火災鎮火後、2日で再稼働する予定です。おそらく8月31日金曜頃になるでしょう。 ベネズエラには、近々、燃料を輸入する予定はありません。米国でガソリン価格が上がっているようですが、それは続かないでしょう」
ラミレスエネルギー石油大臣によれば、アムアイ製油所は十分な貯蔵能力を持っているので、国営石油公社PDVSAは代替タンクを探すことはないと付け加えた。
■ 8月27日(月)に、最初に爆発・火災を起こしたタンク2基のうち1基は鎮火した。しかし、その後、ベネズエラ当局者は、新たに3基目のタンクが爆発し、火災となったと発表した。
発災後4日目の8月28日(火)に至って、やっとタンク火災は鎮火した。
炎上するタンク火災 (写真はAFP-時事通信から引用)
強風にあおられ、座屈が片寄っている (写真はAFP-時事通信から引用)
複数基炎上するタンク (写真はAFP-時事通信から引用)
夜間のタンク火災状況 (写真はAFP-時事通信から引用)
隣接する地区からタンク火災を見る住民 (写真はAFP-時事通信から引用)
爆風で瓦礫が飛散する通りのアーチ橋から見るタンク火災 (写真はAFP-時事通信から引用)
■ 当局者によると、爆発はガス漏れによるものだが、事故調査官は正確な原因を特定していないという。
検事総長のルイサ・オルテガ氏は記者会見において、負傷した人は151人で、そのうち33人はまだ病院に入院していると語った。 厚生労働大臣のユージニア・サダー女史はテレビのインタビューの中で、9歳の女の子が行方不明だと語った。
■ ガス漏れの対応に関する政府への非難は、石油の関係者だけでなく、地域住民からも湧き上がってきている。製油所の隣りに住んでいる人たちからは、土曜日の午前1時に起こった爆発の前に、製油所からは警告を促すような広報がなかったという声が上がっている。製油所の近くに住んでいる銀行員のルイス・スアレスさんは、「腹が立つのは、何の連絡もなかったことです。事前に逃げろとかなにがしの注意をしてほしかった。地震だと感じて目を覚ましたよ」と語った。 爆発によって、住宅の壁が倒れ、窓が飛び散り、町の通りは瓦礫で散乱している。
■ 製油所の隣りの地区に住んでいる人たちの話によれば、爆発前の24日金曜の午後7時から8時の間に製油所からかなり強い刺激臭がし始めたという。しかし、多くの住民は、以前にもそのような臭いがしたことがあったので、余り気にしなかったという。 その後、燃料貯蔵タンク地区においてガス雲に引火し、爆発が起こった。
■ ウゴ・チャベス大統領が事故翌日の8月26日日曜に製油所を訪問した。テレビに映った大統領との会話の中で、一人の国営石油公社の役員は、従業員が午後9時過ぎに現場巡回したときには、異常な状態は何もなかったと話していた。その役員は、真夜中ごろ従業員がガス漏れを発見し、“交通を止めるため通りへ駆け出しました”と言っていた。チャベス大統領は、「その後で、爆発が起きるような何かが起こったんだろうな。どこかにあった火花で」と話している。
■ エネルギー問題アナリストのジョージ・ピニョン氏は、爆発に至るまでの時間経過に問題がありそうだと言い、つぎのように語った。
「ガス漏れについて随分長い時間気が付いていないという事実があり、そして避難の警告や指示がまったくなかったという事実は、コンビナート会社の中に操業の安全に関する意識が欠けており、最も重要な地域社会への配慮が欠けていると言わざるを得ません。製油所の安全を果たす鍵は、設備やメンテナンスだけでなく、検討プロセスや人の行動も大事です。さらに言うと、会社は従業員のことだけでなく、協力会社や地域社会のことも考えなければなりません」
■ チャベス大統領は事故原因の徹底調査を約束し、50名の専門家チームが事故の根本原因を探るために任命された。チャベス大統領は、爆発の前日にガス漏れがあったという意見を否定した。また、PDVSA当局は、発災部のメンテナンス不足が事故につながったのではないかという意見について否定している。
■ 火災は当局の思っていた以上に長引いた。8月27日(月)に政府当局が火災は制圧できたと発表した直後に、3基目のタンクが炎上し始めた。住民によると、最終的に炎が小さくなり始めたのは、8月28日(火)の明け方前だったという。火曜日に火災が鎮火して、住民はやっとほっとしたという。
■ ベネズエラ国営石油公社は、8月31日(金)、操業を再開すると発表し、広報担当は、「アムアイ製油所の精製装置は安全に且つ順次立ち上げていきます」と語った。
■ ベネズエラ国営石油公社アムアイ製油所の精製能力は645,000バレル/日で、世界最大級の製油所である。アムアイ製油所は、近くにあるカルダン製油所とともにパラグアナ・リファイニング・センターの一つである。同センターの精製能力は900,000バレル/日で、ガソリンの生産量は200,000バレル/日(32,000KL)である。
爆発で被災した地元の建物 (写真はArticle.wn.comから引用)
製油所を訪問したチャベス大統領 (写真はAFP-時事通信から引用)
消火活動の状況 (写真はAFP-時事通信から引用)
中型の大容量泡放射砲による消火活動の状況 (写真はEnglish.peaple.comから引用)
防油堤内に入って活動する消防士 (写真はctpost.comから引用)
ほとんど鎮火した状況での消防活動 (写真はAFP-時事通信から引用)
補 足
■ 「ベネズエラ」は、正式にはベネズエラ・ボリバル共和国といい、南米の北部に位置する連邦共和制社会主義国家である。人口は約2,850万人で、首都はカラカスである。ベネズエラはマラカイボ湖やオリノコ川流域を中心に多くの石油が埋蔵し、古くから油田開発が進められ、経済は完全に石油に依存している。
「ファルコン州」はベネズエラの北部のパラグアナ半島にある州で、人口約95万人である。
■ 「ベネズエラ国営石油公社」( Petróleos de Venezuela, S.A.、略称PDVSA)は1976年に設立され、ベネズエラ政府が100%出資する石油会社で、日本ではベネズエラ国営石油会社あるいはベネズエラ石油公団とも表記される。
設立以来、人事の政治化を排除し、政府から独立した合理的な経営が行われていたが、チャベス大統領就任後は、PDVSA上層部の刷新や職員の大量解雇が実施されたことに加え、PDVSA総裁はエネルギー石油大臣の兼務となり、PDVSAに対する政府の関与が著しく強まった。また、社会開発事業へ資金を提供するなど国家財政に対する貢献の度合いも増し、食料、電力、セメントなど石油関連以外の子会社をその傘下に加えるなど、政府の一機関としての側面も強まっている。 ファルコン州アムアイには、世界最大級の645,000バレル/日の製油所を有している。
設立以来、人事の政治化を排除し、政府から独立した合理的な経営が行われていたが、チャベス大統領就任後は、PDVSA上層部の刷新や職員の大量解雇が実施されたことに加え、PDVSA総裁はエネルギー石油大臣の兼務となり、PDVSAに対する政府の関与が著しく強まった。また、社会開発事業へ資金を提供するなど国家財政に対する貢献の度合いも増し、食料、電力、セメントなど石油関連以外の子会社をその傘下に加えるなど、政府の一機関としての側面も強まっている。 ファルコン州アムアイには、世界最大級の645,000バレル/日の製油所を有している。
■ 発災タンクはアムアイ製油所の中でも敷地境界に近い浮き屋根タンク群のいずれかと思われる。グーグルマップの航空写真によると、タンクは直径50mクラスと推測される。高さを15~20mとすれば、容量は30,000~40,000KLクラスである。
燃焼した油をガソリンとし、燃焼速度を33cm/h(消防研究所の燃焼実験結果)と置き、タンクが満杯だったとすれば、燃え尽きる時間は45~60時間(1.8~2.5日)である。
所 感
■ ベネズエラでは、2010年11月14日、超重質原油のオリノコタールを処理する施設で事故が2件起こっている。そのうちの1件はペトロピア社(ベネズエラ国営石油公社PDVSAとシェブロンの合弁会社)の貯蔵タンクで起こったもので、タンクの浮き屋根が損壊したという事象であるらしいが、詳しいことはわからなかった。
■ ベネズエラでは、2010年11月14日、超重質原油のオリノコタールを処理する施設で事故が2件起こっている。そのうちの1件はペトロピア社(ベネズエラ国営石油公社PDVSAとシェブロンの合弁会社)の貯蔵タンクで起こったもので、タンクの浮き屋根が損壊したという事象であるらしいが、詳しいことはわからなかった。
■ 今回の事故は、原因がわからないが、印象としては、ベネズエラのカリブ海を挟んで対岸にあるプエルトリコで2009年10月23日に起こったカリビアン石油のタンク爆発・火災事故を想起させる。プエルトリコの事故は、タンクの監視システムの故障が要因で、タンクからガソリンをオーバーフローさせ、爆発・火災が起こったものである。タンクから溢れ出したことに気づかず、ガス化したガソリンが施設外にも広がり、ガソリンベーパーは直径600mに広がったと推測されている。火災は3日間燃え続け、10基を超えるタンクが被災した。
■ 今回の事故では、爆発の起こる5時間ほど前に製油所からかなり強い刺激臭がし始めたという話があるが、この事象は別な要因ではないかと思う。プエルトリコの事故は米国化学物質安全性委員会(CSB)で事故調査中であり、漏れに気がつかなかった時間は不詳だが、同じくガソリンタンクのオーバーフローで起こった英国バンスフィールドのタンク火災事故(2005年12月11日)では、漏れ始めてから爆発までの経過時間は約40分であった。漏れ要因は別にして、数時間も爆発に至るようなガス漏れの異常状態に気がつかないことはなく、おそらく数十分の時間ではないかと思う。
■ 今回の情報では、消防活動の状況は余りわからない。一度に2基のタンク火災を消火させることは困難だったことは理解できる。消火活動はいずれか一方に限定し、もう1基は燃え尽きさせる戦術をとらざるを得ないと思う。写真によると、中型の大容量泡放射砲が使用されたようであるが、どのような消防資機材が使用され、どの位の水と消火泡剤が使用されたか知りたいところである。
日本では、複数基のタンク火災を想定していない。しかし、現実には起こっている。法令による消防設備の設置義務とは別に、タンクの複数基火災に対してどのような対応をするのかについては机上訓練をやっておくべきである。
後記; 今回の事故について最初に日本のテレビ報道で見たときは精製プロセスの爆発事故と思いましたが、その後の情報でタンク火災だとわかりました。調べてみると、火災写真はたくさん公開されていますし、報道記事も多くありました。しかし、私(たち)が知りたいタンク火災の情報は少なかったことです。その要因の一つは、ベネズエラの大統領選挙が来月10月7日に予定されており、現職大統領の政権側は事故を小さく見せようとし、反権力側は政府および国営石油公社の怠慢を批判するという政治的な背景があるためです。報道としては面白い内容でしょうが、この種の政治的な記事はとりあげませんでした。
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