本情報はつぎのようなインターネット情報に基づいて要約したものである。
・FireDirect.net, Shell
in Dock over Plant Fire, September 4, 2012
・Reuters.com, Singapore Charges Shell over Safety
Lapses in Refinery Fire,
September 4, 2012
・tcetoday.com,
Singapore Charges Shell over Refinery
Fire Could be Fined up to $500,000 over
Safety
Breaches, September 4, 2012
・FoxBubusiness.com,
Singapore Charges Shell for Safety Lapses in Refinery Fire ,
September 4, 2012
・WildShores.Blogspot.com,
Shell Refinery Fire at Bukom:
What Caused It,
October 4, 2011
・SingaporeBusinessReview, Pulau Bukom Fire
Started during Maintenance
Preparation Work, October 5, 2011
・HomeTeam.
sq, Fighting Fearlessly against
the Flames, October 6, 2011
・SingaporeInfomedia, Pulau Bukom Fire(2011), February 2,
2012
<事故の概要>
(写真はStraitsTimesから引用) |
■ 2011年9月28日(水)午後1時15分、シンガポールのプラウ・ブコム島にあるロイヤル・ダッチ・シェル系列のシェル・イン・シンガポール製油所において貯蔵タンク地区のパイプラインから火災が起こった。
シンガポール市民防衛庁(SCDF)は、午後1時18分に火災発生の連絡を受け、ただちに消防車2台、消防バイク2台、レッドライノ1台および支援車両8台を出動させ、シェル自衛消防隊と共同して消火活動を行った。火災は何回かの爆発を伴い、ポンプ場周辺の175m×65mのエリアで激しく燃え続け、SCDFは消防士100名、車両34台(消防車13台、支援車両21台)を投入し、消火活動に努めた結果、9月29日(木)午後9時18分に鎮火した。
<事故の原因>
■ 事故は、ナフサタンクからポンプ場を通って石油製品を攪拌あるいは混合するパイプライン系統で起こっている。調査を実施した労働安全衛生を司る労働省の調査によると、「火災はメンテナンス前の準備作業中にポンプ場で発生した。事故当時、工事準備のためにパイプライン内の残留油の排出作業中で、バキューム車を使って油の抜き取りをしていた。このときに火災が発生し、周りに次々と広がり、ポンプ場全体を巻き込む大きな火災となった」という。
労働省によると、シェル社はパイプラインから油を排出するときにオープン・ドレン・システムをとっており、事故時にはナフサをドレン弁および緩めたフランジ部からプラスチック製のトレイに受けていた。この方法だと可燃性ガスが空気中に放出して滞留しやすくなるが、会社は、ドレン排出作業時の近傍で爆発混合気形成の危険を従業員に知らせる携帯式ガス検知器を使用させていなかった。
また、トレイにナフサを流し込んだことが、静電気を形成し、火花が飛び、ナフサの可燃性ベーパーに着火したのではないかという。ストレート・タイムズ誌は、発表でははっきり言っていないが、メンテナンス作業を行う前に油地区で油を抜き取る際、トラック(バキューム車)が着火源になった可能性もあるとしている。
<事故の責任>
■ シンガポール労働省は、2012年8月31日(金)、昨年32時間の火災を起こしたシェル社(シェル・イン・シンガポール)に対して安全義務違反で罰金請求の告発をした。シンガポールの下級裁判所で審議され、9月末に判決が出る予定である。労働安全衛生法に則り、有罪判決を受けた場合、
50万シンガポールドル(40万米国ドル=32万円)以下の罰金額となる。
<消火活動>
ブコム島に渡るSCDFの消防車両(写真はHomeTeam. Sq から引用) |
■ 2011年9月28日(水)午後1時15分、ポンプ場43と称する製油所内のオープンエリア内で火災が発生した。ポンプ場43は、ガソリン、灯油およびその他の石油製品を移送するため、ポンプ、バルブ、配管で構成されている。製油所の消火ポンプが自動起動し、火災部へ泡を張り込み、酸素を遮断させようとした。一方、排水系統のポンプも起動し、火災部およびパイプライン部から液体を排出し始めた。シェル社の自衛消防隊40名も、泡放射を行い、放水して火災の消火活動に入った。
■シンガポール市民防衛庁(SCDF)は、午後1時18分に火災発生の連絡を受け、ただちに消防車2台、消防バイク2台、レッドライノ1台および支援車両8台を出動させ、35分以内でプラウ・ブコム島の火災現場へ到着した。
出動するSCDFの消防隊員
(写真はHomeTeam.
Sq から引用)
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SCDFの消防隊が現場に到着したとき、2つの課題が存在していることがわかった。ひとつは荒れ狂っていた火炎の勢いを弱めること、もう一つは火災場所の直近に3基の石油タンクがあり、延焼を防がなければ、最悪の状況を招きかねないことであった。タンクは火災場所から15~20mしか離れていなかった。
その後、SCDFは消防隊を増強させ、消防士100名超、消防車13台、支援車両21台が消火活動に当たった。 SCDFとシェル自衛消防隊の消防活動によって、火災エリアは176m×65mに限定された。また、SCDFは、隣接する石油貯蔵タンクに水噴霧して冷却を行い、圧が上がらないように防護策をとった。
最初のサージング現象
SCDFアンワル・アブドラ大佐(写真はHomeTeam. Sq から引用) |
■ 28日発災から4時間後の午後5時15分、消防隊は火災を制圧下に入れることができたと思った。シェル社はこの状況を報道向けに発表した。しかし、覆ったはずの泡の下では、火災の進行によって多くの配管が損傷していた。これらの配管から漏れ出した多量の石油が、正に火に油を注ぐことになり、午後6時35分、火災の中でサージングの現象が起こった。
SCDF作戦本部長のアンワル・アブドラ大佐は、後日、「火災は暴走する恐れがありました。実際、火炎が噴き上がって大きくなる直前に、我々は無線連絡して、間一髪、消防隊員を退避させることができました」と語った。現場第一線にいたSCDFのリン・ヤン・アーン中佐はこの時のことを「ポンプ場の底の方で火炎が息つぎをするように弱まったり、強まったりするのが見えました。しばらくしてぱっと輝いたと思ったら、火が一瞬で走り、ポンプ場全体が炎で覆われました」と語った。このとき、火炎が大きく膨らみ、20mを超えるファイアボールが空に打ち上がった。アブドラ大佐は、「私は18年間勤務した中でいろいろな火災を経験してきましたが、このように複雑で激しい火災は初めてでした」と語っている。
SCDF保有の大容量泡放射砲 (能力23,000L/分、放射距離100m)も投入(写真はHomeTeam. Sq から引用) |
火勢が再び激しくなった後、消防隊は現場から一時撤退し、再編成を行い、放水銃の配置を変更した。重傷者の報告はなかったが、消防士1名が外傷を負い、5名が熱疲労と肉離れを起こした。
■ 28日夕方、SCDFの作戦本部がパシール・パンジャンのフェリーターミナルに設置された。一方、シンガポール軍はヘリコプターと海軍高速艇の部隊を待機させた。 日が落ちてから、100名を超す消防隊、消防車13台、支援車両21台が激しい火災と戦っていた。その火炎は、パシール・パンジャンやレッドヒルのあるシンガポール西地区ではっきりと見ることができた。 午後8時30分、シェル社は、事故対応に関係のない職員400名をプラントから避難させたが、自衛消防隊を含めて250名の職員は現地のプラウ・ブコム島に残った。製油所では、火災現場に近い装置はシャットダウンし、他のエチレン装置などのプラントは通油量を落として運転を続けた。
2回目のサージング現象
■ 夜を徹しての活動で、消防隊は火の勢いを弱めることができると感じていた。そして、翌29日(木)午前8時に、SCDFの新しい一隊が現場に到着し、消防士はより気持ちが楽になった。しかし、発災から22時間を経過した午前11時45分、再び火災にサージング現象が現れ、液化石油ガス(LPG)を移送するポンプ場のエリアを巻き込んでしまった。このサージング現象によって、消防士は後方へ退避せざるを得なかったほか、車両4台のタイヤが溶け、消防車2台が動かないほど損傷を受けた。
29日午前11時45分の2回目のサージング現象 (写真はHardwareZone.com から引用) |
SCDFのアブドラ大佐は2回目のサージング現象について、「2・3分の余裕があった1回目のサージング現象にくらべ、2回目は10秒ほどで突然起こりました。しかし、2回目のときは前の経験で賢くなっていました」と語っている。SCDFは素早く反応し、対処した。
シェル社と協議するSCDF作戦本部
(写真はHomeTeam.
Sq から引用) |
■ 破裂した配管からLPGが漏れ出して火災になっているという事実から、消防戦略を変更する必要があった。それまで消防隊は泡と水を使用していたが、消防活動は水だけを使用することに切り替え、火災との境界部を冷却して爆発を回避させる方法をとった。このため、海水を送水して、23台の放水銃で冷却活動を行った。しかし、製油所の火災現場では昼頃に爆発音が聞こえ、シンガポール本土では空に黒煙とファイアボールが見えた。
共同記者会見するシェル社とSCDF
(写真はHomeTeam.
Sq から引用) |
■ 後日、SCDFは“複雑で多元的”な火災と呼んだが、過去に見られないタイプの火災だったと付け加えた。シェルの専門家も火災に供した油が何だったか確認できなかったと言っている。29日午前7時、シェル社は、3つの原油精製装置を含めてプラントのシャットダウンをさらに進め始めた。シェル社はSCDFと一緒に共同記者会見を行い、火災はなおも続いており、その理由はよくわからないが、火災周辺のパイプラインに入っている石油製品の流れを完全に閉止し、火災への燃料供給を断ち切る消火戦略をとっているという状況を説明した。
■ 消防隊は、発災から32時間経った29日(木)午後9時18分に火災の鎮火に成功したが、油のベーパーが残っていて再燃する可能性があるため、そのまま現地に待機した。30日(金)の夕方、SDCFは、配管が完全に閉止されており、ポンプ場に油が供給されてないことを確認した。SCDFは、現場の管理をシェル社へ引き継ぎ、10月2日(日)に撤収を始めた。
所 感
■ 従業員にガス検知器を携帯させていなかったという会社側の責任が問われているが、実際の現場では、このほかにミスがあったように感じる。というのも、手がつけられない火災になるほど大量のナフサや油が存在していたこと、また人が関わっているはずの作業にも関わらず、怪我人が出ていないという疑問が残るからである。工事準備のため、ドレン弁や緩めたフランジから油を排出させることは一般的に行われている。ガス検知器を使わないほか、ルールを正しく守らなかった操作が行われていた可能性がある。ルールを守らなくても事故がたまたま起こらないことはある。しかし、ルールを逸脱した作業はいつか事故につながることは明白である。
■ 事故直後の消火活動の情報は断片的であったが、今回の情報によって概況が理解できた。現場へ到着して火災を見たとき、予想を越える厳しい状況にあることが分かり、シンガポール市民防衛庁(SCDF)は車両34台(消防車13台、支援車両21台)と消防士100名の増強を判断したものと思われる。
今回の情報で、配管火災のサージング現象の状況がわかった。2回目のサージング現象は石油液化ガス(LPG)が関与していたため、消火戦略を“積極的(オフェンシブ)戦略”
から“防御的(ディフェンシブ)戦略” に切り替えていた。非常に厄介な配管火災だったことがわかる。事故直後、32時間も続いた消火活動の排水による海の汚染を懸念する報道もあったが、大きな問題にはならなかったようである。この点はシェル社の対応が評価できる。
■ 今回、大容量泡放射砲(23,000L/分×100m)が投入されていたことがわかったが、当該事例では有効に使われる状況ではなかったと思われる。前回の事故情報でも指摘したが、日本では、大容量泡放射砲の整備の次は堤内火災に関する弱点補強であり、その一つが堤内火災用に開発された消火泡発生装置の導入が必要だと思う。
後記; 今回の情報を整理していて感じたのは、シンガポールという国が元々国際貿易都市として発展してきただけに、情報に対する価値観が高いということです。一般に、事故の報道は一過性のところがあり、事故が収束しそうになれば、情報(報道)は出ない傾向にあります。この点、シェル製油所火災事故は続報が出されており、今回のようなまとめができました。例えば、前回は発災場所である「Pump House」を「ポンプ室」と訳しましたが、今回の情報でオープンスペースであることが分かり、「ポンプ場」と変更しました。
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