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2015年8月30日日曜日

米国テキサス州で球形タンクの安全弁からブタジエン大気放出

 今回は、2015年8月9日、テキサス州ハリス郡ディアパークにあるシェル・オイル社ディアパーク製油所において、球形タンクの安全弁からブタジエンを大気に放出するという事故を紹介します。
(写真はChron.comから引用)
< 事故のあった施設の概要 >
■ 事故のあった施設は、テキサス州ヒューストンから東へ約20マイル(32km)のディアパーク(Deer Park)にあるシェル・オイル社(Shell Oil Co.)の製油所である。シェル・オイル社ディアパーク製油所は1929年に操業を開始した長い歴史があり、現在、全米で6番目に大きい精製能力34万バレル/日の精製施設のほか、石油化学施設を有している。 

■ シェル・オイル社の子会社であるシェル・ケミカル社(Shell Chemical Co.)は世界的なブタジエン製造者で、北米、欧州、アジア太平洋地区に生産施設を有している。ブタジエンの最大用途は自動車用タイヤで、このためブタジエンはスチレン-ブタジエン・ラバー(SBR)の原料として使用される。

■ 通常、ブタジエンと呼んでいるのは1,3-ブタジエンを指し、無色の気体で、-4.5℃で液体となる。ブタジエンは、原油のC4留分の抽出蒸留で製造されたり、エチレンやプロピレンの分解副産物から製造される。

■ ブタジエンの貯蔵には球形タンクが使用される。事故のあった設備は、北タンク地区にある球形タンクだった。
ディアパークのシェル・オイル社ディアパーク製油所
(写真はグーグルマップから引用)
< 事故の状況および影響 >
事故の発生
■ 2015年8月9日(日)午前10時55分、球形タンクV-BD-933の安全弁から大気へ放出されているのをオペレーターが発見した。運転情報を調べたところ、放出が始まったのは午前10時40分からだった。放出された液化ガスにはブタンやビニルアセチレンを含んでいるが、構成成分の90%はブタジエンだった。

■ 球形タンクが満杯だったため、安全弁が作動したもので、オペレーターは球形タンクV-BD-933への流入源を閉止し、タンクの圧力を下げるため、内液を別なタンクへ移送した。この結果、安全弁の作動が停止し、午前11時50分に球形タンクからの放出が止まった。

■ この間に放出された液化ガス総量は360,231ポンド(163トン)で、テキサス環境質委員会(Texas Commission on Environmental Quality)は、このうちブタジエンの量は326,166ポンド(148トン)だったと発表した。

■ エア・アライアンス・ヒューストンのアドリアン・シェリーさんによると、放出されたガスは可航水路を越えて流れていったとみられ、北の地区に影響を与えたではないかという。

■ 自然保護団体シエラクラブの化学者で、元テキサス環境質委員会の検査官だったネイル・カーマンさんによると、ブタジエンは発がん性のあることが知られているが、分子構造上、暑い大気の中ではすぐに発散してしまうという。通常、ブタジエンは車の排ガス中にもあるが、シェル社の事故で出された量は憂慮すべきものだとカーマンさんは語っている。エア・アライアンスのシェリーさんは、ブタジエンがガスで放出されれば、人間の眼でははっきり見えないだろうと語っている。

■ シェル社広報担当のレイ・フィッシャさんは、事象のあった時間、近くにあるモニターによるデータでは、テキサス環境質委員会臭気レベルや健康ベース・スクリーニング・レベルを超えていないとし、「私たちが知る限り、地元社会に有害な影響を与えるものではないと思っています」と語った。米国環境保護庁(U.S. Environmental Protection Agency)によると、長期間、ブタジエンに曝されれば、心血管疾患や白血病の可能性増加と関係してくるという。

■ しかし、製油所から北東に2マイル(3km)ほど離れたところにあるテキサス州の大気モニターはブタジエン濃度を検知しており、短期間曝露の危険レベルを超えるほどの値ではなかったが、正午ごろに急な上昇がみられた。
          テキサス州大気モニターのブタジエン濃度記録   (正午に急な上昇がみられる)
(写真はHoustonpublicmedia.orgから引用)
被 害
■ 事故に伴う人的被害は無かった。設備的な損害も無かった。

■ ブタジエン放出による大気汚染があったが、人の健康被害への影響は不明である。

< 事故の原因 >
■ ブタジエン球形タンクへの過充填によって、安全弁が作動し、大気へ放出した。過充填の原因については、シェル・オイル社およびテキサス環境質委員会が調査中という。

< 対 応 >
■ シェル・オイル社は、テキサス環境質委員会へ「大気排出事象報告」(Air Emission Event Report)を出した。テキサス環境質委員会は、シェル・オイル社の大気排出事象を同委員会のウェブサイトにある「大気排出事象報告データベース」 (Air Emission Event Reporting Database)に登録し、公表した。

< 事故への反応 >
■ 多くのメディアはこの事故について報じようとしていないようにみえる。事故は重大でなく、報道価値がないとみているようだ。

■ 毒性の知られているガスを300,000ポンド(136トン)を超える放出事故があったのに、安全限界を越えていないということが信じられるか? それは簡単なことで、テキサス環境質委員会のブタジエンの排出基準値が全米の中で最悪の基準値の州のひとつだからである。米国環境保護庁(EPA)の基準値の60倍であり、カリフォルニア州の基準値の340倍である。この甘い基準は昔からではない。2007年、水圧破砕法によるシェールガス革命が始まり、テキサス環境質委員会が基準値を見直したときから、州民は大気汚染の脅威に曝されることになった。テキサス環境質委員会は、ブタジエンを含む45種の危険性のあるケミカル類の基準値を緩め、経済を優先させた。

■ 2008年、テキサス大学公衆衛生研究所は、シェル・オイル社などのプラントがある東ヒューストンにおいて、ブタジエンと子供の発がんとの間に強い関係があると発表した。この調査は現在も続けられている。

■ シェル・オイル社のディアパーク製油所は大気汚染による違反を繰り返している経緯がある。
  2003~2008年の間、テキサス州環境庁はシェル・オイル社が1,000件の環境基準に違反していたことを指摘している。 
 2013年7月には、米国環境庁(EPA)との交渉によって、シェル・オイル社はプラントの改善とフレアーの停止のため1億1,500万ドルを投資することに合意した。この合意の中には、学校との境界フェンスに沿ってベンゼン濃度をチェックできるモニタリング・システムの100万ドルを含んでいる。シェル・オイル社は260万ドルの罰金にも合意した。
 2015年1月には、民事訴訟で、シェル・オイル社は大気汚染違反の有罪で90万ドルの罰金の支払いに合意している。

補 足
■  「テキサス州」(Texas)は米国南部にあり、メキシコと国境を接している州で、人口は約2,510万人と全米第2位である。
 「ディアパーク」(Deer Park)は、テキサス州の東南に位置するハリス郡(Harris County)にあり、人口約32,000人の市である。ディアパークは、ヒューストン-シュガーランド-ベイタウンの都市圏にある。

■ シェル・オイル社ディアパーク製油所における球形タンクは構内に点在している。事故のあった球形タンクは北タンク地区にあり、放出ガスが可航水路を越えるという情報に基づきグーグルマップで調べたが、特定することはできなかった。標題の写真にある駐車場近くの球形タンクは南側に位置しており、該当タンクではないと思われる。
                ディアパークのシェル・オイル社ディアパーク製油所   (矢印は球形タンクの設置場所)
(写真はmetroforensics.blogspot.jpから引用)
■ 大気放出されたブタジエン量はテキサス環境質委員会が報じたとされる326,166ポンド(148トン)とした。この細かい数値は、シェル・オイル社が提出した「大気排出事象報告」の中に該当安全弁(RV955)による流体毎の放出量が添付された表からきている。 1,3-ブタジエンの場合、326,166ポンドとなっている。このほか、N-ブタン16,372ポンド、1-ブテン7,064ポンド、ビニルアセチレン844ポンドなどが放出され、合計で360,231ポンド(163トン)である。従って、ブタジエンの割合は全体の約90%となる。
 一方、「大気排出事象報告」は当初版と変更版があり、内容に差異がある。
              当初版       変更版
   放出始めの時間   午前10時40分   午前10時39分
   放出終わりの時間  午前11時50分   午前11時35分
   放出の時間        70分間      56分間
     事象発見時間     午前10時55分   午前10時39分
   放出総量      360,231ポンド   341,508ポンド
    うちブタジエン量  326,166ポンド         309,213ポンド   
 「大気排出事象報告」の変更版が正しいのか、都合の悪い箇所を直したかは分からない。報道の記事の多くは当初版に基づいており、また、当初版の方が実態に合っているように思う。当ブログでは、事象経緯を含め、放出量も当初版に基づいた。なお、密度を640kg/㎥とすれば、163トンは約250KLに相当する。

所 感
■ 最近、カリビアン石油事故など地上式貯蔵タンクの過充填事故を紹介してきたが、当事例は液化石油ガス球形タンクの過充填事故である。しかも放出総量は163トン(250KL)と少ない量でない。(カリビアン石油事故のガソリン過充填量:757KL、バンスフィールド事故ガソリン過充填量:250KL) ブタジエンを含む液化ガスのガス密度は1.8(空気1.0)程度であり、風が無い状況であれば、滞留して蒸気雲が形成してもおかしくなかった。おそらく、当日はガスが拡散するほどの風が吹いていたものと思われる。確かに表面上はひとつの「大気排出事象」であろうが、たまたま爆発事故に至らなかっただけである。

■ 「失敗は隠れたがる」と言われるが、今回の事例でも「大気排出事象報告」において失敗を小さくみせようという意図を感じる。なぜ安全弁が吹いていることに気が付かなかったかなど事実を正しく認識しないと、失敗をつぎに活かすことはできない。球形タンクの過充填という稀な事例だけに、直接原因および深層原因(間接原因)を明らかにして公表してほしいところである。


備 考
 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
   ・Chron.com, Shell Oil Accidentally Spills Hundreds of Thousands of Pounds of Toxic Gas in Deer Park,  August 12, 2015  
    ・Permianshale.com,  Shell Discharged 163 tons Worth of Toxic Gas at Deer Park,  August 12, 2015
    ・Isssource.com,  Shell Oil Toxic Gas Release in TX,  August 13, 2015   
    ・Houstonpublicmedia.org, Tons of Chemicals Leak from Shell Oil Refinery in Deer Park,  August 13,  2015
    ・Mylandrestoriationproject,wordpress.com,  Shell Oil and Deer Park,  August 13, 2015
    ・Metroforensics.blogspot.jp, 326,166 Pounds of 1,3-Butadiene were Released into The Air from Shell’s Oil Refinery in Deer Park,Texas, August 14, 2015
    ・Tceq.texas.gov, Air Emission Event Reporting Database(Shell Oil Deer Park RN1000211879),  August, 2015



後 記: 事例を調べていて面白いのは、ひとつの事例から新しい知識や情報が広がっていくことです。 今回の場合、シェールガス革命の背景に水圧破砕法や天然ガス生産を進めるため、テキサス環境質委員会がブタジエンを含む45種の危険性のあるケミカル類の基準値を緩め、経済を優先させたという話です。
 この話から思い出したのが、映画「プロミスト・ランド(Promised Land) 」(2014年日本公開)です。米国のある貧しい農村にエネルギー会社のエリート社員(マット・デイモン)が出向き、多大な利益を生むシェールガスの採掘権を手に入れるようと働きかけを行う物語です。採掘権買収が進められますが、村には自然環境保護の立場から反対する人びともいます。最新のビジネスモデルを題材にし、人間の幸せとは何かを訴える社会派ドラマです。このブログでも、天然ガス採掘に関連するタンク事故を調べると、必ず水圧破砕法の環境問題や地震問題が付随して出てきます。思わぬところで映画との結びつきが現れ、面白いと感じながらまとめました。



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