< 施設の概要 >
製油所の設備
■ 旧ペトロプラス社のプティクロンヌ製油所は、県庁所在地のルーアンから10kmほど離れた町の港地帯にあり、1929年に操業を始めた。原油の精製能力は年間700万トンで、欧州の中では中位の規模の製油所である。施設の操業は欧州の2つの規制を受けて行われている。すなわち、セベソ指令(事故のリスク回避に関する規制)およびIPPC(総合汚染の防止と長期的な対応)である。
■ 製油所設備は2つの地区に分けられており、公共道路によって分かれる形になっている。ひとつは精製装置の地区となっており、もうひとつは貯蔵タンクの地区である。貯蔵タンク地区には、原油、中間製品、精製油製品を貯蔵する。この貯蔵タンク地区は、“ミルテュイート公園”と呼ばれ、地上式タンク(円筒タンクおよび球形タンク)および地下式タンク(LPG岩盤貯蔵)がある。
プティクロンヌの町と製油所(青色部)
(写真はARIA資料から引用)
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事故のあったタンク施設
■ 発災タンクは、原油用の地上式円筒タンクで、貯蔵能力が60,000KLだった。タンク仕様はつぎのとおりである。
● 直径 70m、断面積 3,850㎡
● 側板高さ 17m
● 螺旋翼型の攪拌機が3台設置
● タンク屋根の仕様: 重量480トン、ダブル・ポンツーン型浮き屋根、4インチ径の雨水排出用ドレン配管、過剰な荷重による浸漬を回避する目的で設計された直径4インチ堰(タンク内に直接オーバーフローさせる) ダブル・ポンツーン型屋根は、複数の同心環状の潜函(せんかん)構造になっており、一番外側の潜函だけが区画構造になっている。屋根部の接続は、液側デッキプレートとコンプレッション・リング型構造になっている。
● 垂直筒(ガイド・チューブ)付きのレーダー式液位計による液位計測
● エアフォーム・チャンバー12個設置、放射能力800リットル/分
(図はARIA資料から引用)
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< 事故の状況および影響 >
事故の発生
■ 2007年6月30日から7月2日の間、タンクB962は、特別な問題点もなく、油を貯蔵していた。7月24日に立ち上がる常圧蒸留装置への原料供給が予定されていた。7月2日早朝時点で、タンクは正常状態だったと判断されている。ただし、タンクおよび付属配管の異変や漏洩を発見するための集中液面監視装置は無かった。
■ 7月2日には、雷を伴った嵐が何度か訪れ、激しい雨が降った。7月3日までの24時間に9.5mmの雨量を観測した。7月3日から4日にかけて、1時間の雨量が11mmと23mmを記録した。当該タンクでは、レベル警報(高液位)が7月2日に何回か鳴り始めていた。この警報に対して、計器室の技術担当は異変の可能性について考えなかった。このため、タンク屋根に関連するレベル確認の作業は実施されなかった。ただ、タンク基礎部の目視点検のみが行われた。というのも、タンク屋根のポンツーンは、2007年3月6日に行われたタンク予防保全の検査によって問題ないとされていたためである。
■ 7月18日、製油所の生産管理部門から原油の流量に異変があることが指摘された。この対応として、現場では、7月19日、タンク屋根の目視確認が行われ、浮き屋根が沈没していることが発見された。屋根が回復する見込みがあるかどうかや、構造部材が変形しているかどうかというような状況ではなかった。
■ 予防措置として、操業者は当該タンクの近くに高性能消防車を配置した。このようにした上で、原油を近くのタンクへ移送することとした。この移送作業だけで数週間かかった。すべての事故対応期間は3か月近くかかった。タンク側板上部にエアフォーム・チャンバーが設置されているのもかかわらず、操業者は、タンク油面からの蒸発防止対策として泡張り込みを行わなかった。これは、泡溶液の投入がベーパーの引火源(静電気現象による)になることを懸念したためである。
事故による被害
■ 類別施設検査官および県民保護監察官の双方から出された要請にもかかわらず、操業者は、炭化水素(特にベンゼン)に曝される期間が短いので、法令上のしきい値には当たらないことを理由に、町長への事故報告を行わなかったし、地元住民に対して行うべき予防措置を行わなかった。
■ 当該タンクから1.2km離れたプティクロンヌに設置されている大気汚染監視装置によると、7月4日から8月31日の間、高い炭化水素濃度が観測されていた。7月8日には、1時間平均で25mg/㎥に達していた。同監視装置は1時間平均のベンゼン濃度が25μg/㎥を記録していた。当該タンクから約2km離れたところに設置されていた2番目の監視装置の記録によると、6月30日~7月12日および7月12日~27日の各14日間のベンゼン濃度は4.5~6.5μg/㎥であった。監視装置の設置やメンテナンスを含め、計測結果の判断は大気質管理協会に責任が委託されている。これは1996年の大気質法に基づくものである。
2番目の監視装置における年間平均のベンゼン濃度レベルは、2007年が2.1μg/㎥、2006年が1.6μg/㎥であった。(ベンゼンに対する大気質のしきい値は、2007年の年間平均で8μg/㎥と設定されていた)
■ 7月22日~8月19日の間、監視していた大気質管理協会に何通かの苦情が登録されていた。これらの苦情は、製油所から概ね風下の方向に位置する町の住民から寄せられていた。
■ 操業者は、偶発的に大気へ発散させた揮発性の有機化合物の量を3,185トンと評価した。うち、ベンゼンは55トンだという。
欧州基準による産業事故の規模
■ 1994年2月、セベソ指令を司るEU加盟国管轄庁の委員会は、事故の規模を特定するために18項目のパラメーターを用いる評価基準を適用した。わかっている情報をもとに検討された結果、当該事故は4つの分類項目に対してつぎのように評価された。
■ 大気に放出されたベンゼン量は55トンである。これは、該当セベソ指令の毒性ガスしきい値で設定されている200トンの28%にあたる。この結果、「危険物質の放出」はレベル4と評価された。
「経済損失」は評価対象にならなかった。しかし、操業者によると、経営損失は500万ドルと評価している。
< 事故の発端、原因および状況 >
■ タンクB962の内部検査は、1993年以降、実施されていなかった。攪拌機のある反対側にスラッジ(沈殿物)が溜まっていた。この大量のスラッジ発見以降、予防保全計画では浮き屋根の検査だけが行われ、タンク内部の目視検査は実施されてこなかった。スラッジの高さは、浮き屋根着底時に使用する浮き屋根サポート(支柱)の高さ(1.8m)を超えていたことがわかった。
■ 浮き屋根がスラッジの上に乗るたびに、潜函のシール溶接部に曲げ応力が繰り返し掛かり、複数箇所の溶接部で微小な割れが発生する要因となった。そして、遂には潜函のいくつかに原油が浸入して一杯になったとみられる。
この仮説(屋根が“V”字に変形)は、過去に記録されていた屋根や屋根貫通部の状態に関する観察結果から検証できる。
■ 浮き屋根が油面に浮いた状態のとき、7月にあった激しい雨によって屋根上とタンク内(4インチ堰からのオーバーフローによる)にかなり大量の水が溜まった。タンク地上部にある手動弁の開閉によって雨水系統への接続・閉止を行なうようになっているが、この弁は閉状態だったため、浮き屋根雨水排出配管はきちんと機能することができず、屋根沈降の一因になった。
■ 潜函の中に浸入した大量の原油と屋根上に溜まった雨水によって、浮き屋根の浮力が失われ、屋根は不等沈下し、最終的に沈没してしまった。
(写真はARIA資料から引用)
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< その後の対応 >
■ 類別施設検査官が操業者から事故の連絡を受けたのは、2007年7月19日午後6時27分だった。検査官は、事故の時系列に関する正確な情報を収集するためと、火災になった場合に実施すべき介入戦略の内容を得るため、予告せず7月20日に現地を訪れた。
■ 県民保護監察官の要請によって、2007年7月25日、対応会議が開催され、緊急資機材の配置をどうするかについて議論された。消防署の代表者もこの会議に出席している。
製油所操業に責任をもつ石油グループの専門家が安全レポートの中で明らかにしたのは、当時明記されていた火災時の泡放射流量に比べ、推奨される泡放射流量は3倍違っていたということである。さらに、この推奨する泡放射流量を満足させるためには、消火用水の供給設備の能力は不十分だった。
■ 操業者は、屋根の着底レベル近くの2.8mになるまで、重力差を利用して当該タンクから別なタンクへ原油を移した。タンク側板を高圧切断して、そこからタンク内へ水を注入し、残った原油をポンプで移送するようにした。この作業努力は11月中旬まで続けられ、タンク内の液体分に加えて堆積していたスラッジを完全に抜き取った。
■ 2008年から2009年に掛けてフォローアップ検査が行われ、タンク内部の確認状況およびオペレーターの日常点検について本当に改善されて信頼できる仕組みになっているかどうかが確認された。
< 教 訓 >
■ タンク底部のスラッジ(沈殿物)の高さを監視しておくこと(状態の評価または屋根との間隔の確認)はタンク管理の基本事項である。液位が低いレベルにあるとき、浮き屋根が水平であることを確認し、屋根構造物が一体性を維持していることを確認する。
■ 屋根の雨水排水配管の下流にあるバルブが閉止されていると、屋根に過剰な荷重がかかる可能性がある。雨水排出配管中の炭化水素の混入については、ドレンのシール部または屋根の潜函部に可燃性ガス検知器を設けておく。
■ 今回のプティクロンヌ事故では、気温が高く、夏の雷時期という悪い気象条件だったが、火災は発生しなかった。しかし、過去の事故事例で明らかなように、浮き屋根の機能不全によって炭化水素ベーパーに引火する可能性は高い。1983年ウェールズのミルフォード・ヘブン(Milford
Haven)事故では、フレアーが引火源になったし、2005年アルジェリアのスキクダ(Skikda)事故では、タンク近くにいた自動車が引火源になった。1994年フランスのベール(Berre)事故では、落雷という自然現象が引き金になった。1991年イングランドのエセックス(Essex)事故では、不適切な介入方法、すなわち摩擦電気現象を生じるようなホースガンによる泡放射で屋根中央部分に静電気が発生して引火している。
他方、1999年ドイツのカールスルーエ(Karlsruhe)事故では、タンク側板上部に設置されている泡放出口を使用することによって円滑に泡の膜を張ることができ、ベーパーに引火することはなかった。この作業は、地上のホースから投入する代わりに、タンク側板から泡を広げるというものだった。
■ 安全レポートの中で書かれた総合リスク・マネジメントの考え方によれば、火災や爆発と比べて、危険性物質を大気へ放出させることを容認してはならないということである。大気放出の影響、状態、予防措置、介入方法とその結果は、基本的に自然現象とは異なるのである。今回のような浮き屋根の固着や沈降が起こることは、無視できるほど少ないわけでない。
■ 安全レポートでは、特に注意を払わなければならない事項として挙げられたのはつぎのとおりである。
● 一般市民の健康問題の発症可能性。特に、長時間、毒性物質に曝されていた場合の毒性学的参照値について注意する。
● “爆発雰囲気”の領域に関する評価、および引火を回避するための方法
● 屋根浸漬の事態時における軽減策の可能性と実施方法
● 緊急事態時に、次にとるべき対応策(封じ込め、抜出しなど)
補 足
■ 「フランス環境省
: ARIA」(French Ministry of Environment :
Analysis, Research and Information on Accidents)は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省 French
Ministry of Ecology, Sustainable Development and Energy)がフランスにおいて発生した事故について情報を共有化し、今後に活用するため、1992年から始めた事故の分析・研究・情報のデータベースである。有用な海外事故も対象にしている。
■ 「ペトロプラス社」(Petroplus
Holdings)は、スイスを本社として1993年に設立された石油企業である。
同社は、2008年には西欧7か国に計87万バレル/日の製油所を有する欧州最大の独立系石油会社に成長したが、その後の厳しい経営環境から2012年に経営破綻した。
「プティクロンヌ製油所」は、1929年に操業開始された歴史のある製油所(精製能力16万バレル/日)で、2008年ペトロプラス社がシェル社から買収したものである。しかし、ペトロプラス社の経営破綻からプティクロンヌ製油所の売却が検討されているが、買い手が見つかっていない。レクステット製油所と同様、油槽所に転化されるものとみられる。プティクロンヌはフランス北部に位置し、人口約9,200人の町である。
現在のプティクロンヌと製油所設備
(図はグーグルマップから引用)
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■ 日本における最近のタンク浮き屋根沈降事例としては、2003年9月十勝沖地震による出光北海道製油所のナフサタンク火災事故がよく知られているが、2005年2月大分市の九州石油大分製油所のスロップタンク(容量:25,000KL)、
2012年11月沖縄県うるま市の沖縄ターミナル原油タンク(容量100,000KL)で発生している。(後者は当ブログ「沖縄ターミナルの原油タンク浮き屋根の沈没事故(2012年)」を参照)
■ 「屋根浸漬の事態時における軽減策」として、ポンツーン内の微小割れ発生による油の滲みの発見が早ければ、浮力回復の応急補修が可能であり、この補修方法については当ブログ「外部式浮き屋根型タンクの漏洩ポンツーンの補修方法」(2014年1月)を参照。
■ 「緊急事態時に、次にとるべき対応策(封じ込め、抜出しなど)」については、
「自衛防災組織等の防災活動の手引き (案)」(危険物保安技術協会、2014年1月)に沖縄の事例をもとに、原油タンク浮き屋根沈降時の安全対策や油抜取り方法などがまとめられている。
所 感
■ ダブル・ポンツーン型浮き屋根タンクであっても、浮き屋根の沈降が起こりうることを示す事例である。事例の内容を読むと、屋根が沈降に至るのは当然の結果といえよう。おそらく、今回の発災事業所では、浮き能力の高いダブル・ポンツーン型であり、屋根が没むことはないと考えていただろう。
現在、日本では、ポンツーン部の補強策やダブルデッキ化が進められており、今後は問題ないという予断が生まれそうだが、日常点検、定期検査、メンテナンスなどにミスが重なれば、浮き屋根の沈降が起こる可能性を否定できない。逆にいえば、日常点検、定期検査、メンテナンスを地道に確実にやっていくことの大切さを示している。
■ 今回の事故は、直面する事態に対して、ことごとく対応の悪さが目立つ事例である。ある面、恥ずべき内容であるが、教訓を活かす目的に事例を公表するフランス(環境省)に敬意を表したい。
この資料の中でひとつ驚いたことは、大気へ発散させてしまった原油量が3,185トンという大きな数値である。おそらく、軽質北海原油で揮発性の高い油だったとみられるが、この数値をみると、浮き屋根が沈降したタンクの空気質への影響の大きさを感じる。
備考
本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
・Aria.development-durable.gouv.fr,
Irreversible sinking of the floating roof on a crude oil tank, 18 July 2007,
Petit-Couronne
(Seine-Maritime), France - DGPR / SRT /
BARPI - IMPEL- DREAL Upper Normandy , No. 33335
, File last updated: June 2009
後 記: ダブル・ポンツーン型の浮き屋根が沈没したという事例で興味をもって調べましたが、長期間に亘る事態への対応の悪さから妙(?)に納得しました。経営破綻したペトロプラス社がシェル社から製油所を買収したのは2008年で、発災した2007年は交渉が行われていた頃でしょう。製油所の人たちは落ち着かない心持ちにあったと思います。買い取ったペトロプラス社は破竹の勢いで多くの製油所を保有し、あっという間の2012年に経営破綻し、製油所を売りに出しています。この間、製油所の人たちは翻弄され、士気のあがる職場雰囲気ではなかったでしょう。企業の経営(者)は経済性を優先するのが常識でしょうが、何か違っているように感じますね。事故原因には書かれていない人の深層について考える事例でした。
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