(写真はFoxtoledo.comから引用)
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< 大砲が油タンクの消火活動に寄与していた >
■ 2010年に起きたメキシコ湾の原油漏洩を止めるため、石油産業界ではいろいろな試みが行われ、その中には驚くような方法もあった。しかし、そのような異例と思う試みは、この産業界の中では特に新しいものだったわけではない。
■ 石油産業界では、初期の油井掘り時代に創造的な解決方法がとられていた。オハイオ州ウッド郡ボーリング・グリーンにあるウッド郡歴史・博物館にバックアイ・パイプライン社から「石油リグ用大砲」(Oil
Rig Cannon) が寄贈された。大砲はノース・バルチモアで鋳造され、サイグネットで1920年代に使用され、その後ノースウッドに持ってこられたという。ウッド郡歴史・博物館でマーケティング・広報活動を担当しているケリー・クリング氏はつぎのように語った。
「それは非常に興味深いことでした。最初に聞いた時、私は本当かなと疑いました。石油会社が大砲を何に使うのだろうかと」
■ 昔は、油井で掘られた原油は木製のタンクに貯蔵されていた。原油貯蔵タンクは、落雷にあったり、蒸気エンジンの火花によって火災を起こすことがよくあった。タンクへ落雷があると、木は火災を起こし、内部の油は火炎の燃料となった。火災は消火することが困難なときがあり、油が全量燃えるまで火炎が猛威をふるった。このようなときに大砲が使われた。大砲を使用してタンク側板に孔をあけ、準備した受皿(容器)や浅い堀に油を流し込み、消火に役立てたという。
バトラー郡歴史センター&カンザスオイル博物館の所蔵写真
雷が油井やぐらに落ち、火災が貯蔵タンクに拡大することがたびたびあった。
(写真および解説はAoghs.orgから引用)
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< 大砲は油井地区に配備されていた >
■ マサチューセッツ工科大学の1884年12月の新聞では、「石油火災を大砲によって戦う」と題する記事が掲載されている。当時、油田の油井やぐらに雷が落ちることがあり、配管を通じて近くのタンク群に火がつくことがあった。タンクが火災になり、油が過熱して泡立ち始めると、大きな破壊へ至る原因になる。これを回避するため、油をタンク外に排出し、地上で薄い状態で燃えさせる方が好ましい。このため、3インチ砲が油井地区に配備された。実際に鋼製のタンク火災にも使われた。最初は鋼板をかすめるように当たるだけだったが、何発か打っていると貫通させることができたという。
大砲で燃えているオイルタンクの下部に弾を打ち込むことによって、油を排出できる可能性があった。
(写真および解説はAoghs.orgから引用)
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■ これらの大砲は、現在、オクラホマ州石油博物館、テキサス州コルシカナ公園、オクラホマ州バートルズビル油井跡のディスカバリー・ワン・パークなどで展示されており、見学することができる。
オクラホマ州石油博物館に展示されている大砲
(写真はAoghs.org
から引用)
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テキサス州コルシカナ公園に展示されている大砲
(写真はAoghs.org から引用) |
オクラホマ州バートルズビル油井跡の
ディスカバリー・ワン・パークに展示されている大砲
(写真はAoghs.org
から引用)
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補 足
■ ウッド郡歴史・博物館(Wood County Historical Center
and Museum)は米国オハイオ州(Ohio)のウッド郡(Wood County)ボーリング・グリーン(Bowling
Green)にある地元の歴史博物館である。地元の歴史ある建物や物品を残していこうというもので、多くが寄贈されたものである。
ウッド郡の人口は約125,000人、ボーリング・グリーンは郡庁所在地で人口は約31,000人で、米国の地方らしいゆったりとした町である。
オハイオ州のウッド郡歴史・博物館
(写真はGoogleMapから引用)
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■ 大砲を寄贈したバックアイ・パイプライン社(Buckeye
Pipe Line Company, L.P.)の親会社はバックアイ・パートナーズ社(Buckeye Partners, L.P.)で中部大西洋地域を中心に業務展開している石油流通企業である。
■ 日本では、「木製の油タンク」は見られないが、米国では最近まで使用されている。また、タンク本体ではなく、屋根に木が使用されたタンクもあり、事故例としては、1986年10月に「ニューポート-86の火災事故」がある。
木製の油タンクの例 (写真はWilliamsfire.comから引用)
写真は1935年に製作された木製の油タンクで、2007年までテキサス州で使用されていた。タンクはサイプレス(ひのき系)製で、鉄製のバンドが巻かれている。 オイルと塩がタンク裏面側から木材を保護し、長期間の使用に耐えるものと思われる。タンク上部にサボテンが生えているが、これは鳥が運んできた種が発芽して育ったものである。
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< ニューポート-86の火災事故 >
発災データ
● 発災日 1986年10月1日
● 場 所 米国オハイオ州ニューポート
● 着火原因 落雷
● タンク形式 木製屋根タンク
● タンクの大きさ 直径29m、高さ8.5m、表面積660 ㎡
● 油
量 5,500KL
● 油
種 ペンシルベニア原油
消火活動データ
● 消火設備 泡モニター1基、手動ノズル2台
● 泡薬剤の種類 多糖類添加耐アルコール泡(AR-AFFF)3M社“Light
Water”)
● 予燃焼時間 約5時間
● 泡放射量 3.95 L/㎡/min
● ノックダウン時間 約20分
● 消火活動時間 約40分
● 泡薬剤の消費量 3,200リットル
消火活動の状況
■ 1986年10月1日午後5時15分頃、原油を貯蔵しているタンクに落雷があり、火災が発生した。タンクは1930年代に建設されたもので、木製の屋根構造だった。発災時、油レベルはトップから約125mmだった。
■ 当初、消火水で油表面を冷却する方法をとった。ノズルが調整可能な泡モニターのデッキガン(Deck
Gun)を使用し、流量3,785 L/minの霧状放射を行った。午後10時頃、約1分ほどの短い時間だが、火勢がわずかに弱まったのが観測されたので、この機会を逃さず、ただちに泡放射を開始することを決めた。
■ 午後10時20分、デッキガン1基と手動ノズル2台を使った泡放射を開始した。デッキガンは手動調整で流量1,890
L/minとし、これに応じた泡混合比率で放射した。360 L/min級手動ノズル2台は、1,890L/minの泡放射流を補助する形で、デッキガンと同じ着水域に同じ方向から放射した。20分ほど経過したとき、火災の強さは目に見えて弱まった。泡放射を始めて40分後の午後11時頃、火災は鎮火した。
■ 消火活動に用いた泡薬剤は多糖類添加耐アルコール泡(AR-AFFF)の3M社“Light
Water”で、約3,200リットル使用した。このほか、安全確保のため2,300リットルを使用した。油に混じっていた泡消火水を分離したのち計測すると、焼失せずに助かった原油の量は約5,000
KLだった。
所 感
■ 興味深い話題である。油タンクの火災を目の前にして、大砲による消火戦術が効果あるのではないかと考えた発想は素晴らしい。このような発想力や創造力が自由の国、アメリカの根幹だと思う。
■ 木製の油タンクだけででなく、鋼製の油タンクにも大砲が使用されていたという。推測になるが、原油タンク火災のボイルオーバーという壊滅的な事象を経験し、これを回避させるために用いられたのではないだろうか。荒っぽい方法ではあるが、これは油井火災に対して爆薬を使って瞬時に火を消す方法と通じるように思う。
備 考
本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
・Foxtledo. com, Cannon Had
Role in Oil
Tank Firefighting, January 19, 2011
・Woodcountyhistory.org. An Unusual
Fire Extinguisher, Wood County
Historical Center, Autumn 2010
・Aoghs.org, Oilfield Artillery
Fights Fires, The American Oil & Gas Historical Society
(AOGHS)
・Rib.msb.se, Tank Fires Review of fire Incidents 1951–2003, Henry Persson,
Anders Lönnermark,
2004
後 記: 今回の情報は、2011年にローカルな話題として報じられたものです。面白い話(実際の火災では真剣だったでしょうが)なので、事故情報が無いときに紹介しようと思い、その後の情報を調べていたら、鋼製の油タンクにも使用されており、大砲もいろいろなところで展示されていることが分かりました。
木製の油タンクを紹介するついでに、浮き屋根に木材が使用されていた原油タンクの火災について補足で紹介しました。この火災の消火活動はデータの揃った成功例として知られています。メインの泡モニターを補助する形で消火ノズルを使用し、同じ着水域に泡を打込んむ方法はウィリアムズ社のフットプリント法ですよね。この火災の3年前のルイジアナ州のテネコ火災でウィリアムズ社が採った消火方法が活かされているようです。
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