今回は、石油貯蔵タンク基地などで起った火災事故の消防対応の業務などを行う会社として有名なウィリアムズ・ファイア&ハザード・コントロール社が公開しているCode
Red Archivesの中から、2005年12月11日に起った英国バンスフィールド火災の消火活動について、ウィリアムズ社がアドバイザーとして参画した話を紹介します。
< 発災施設の概要 >
■ 発災があったのは、英国ロンドンの北約40kmにあるハートフォードシャー州(Hertfordshire)ヘメル・ヘムステッド(Hemel
Hempstead)のハートフォードシャー・オイル・ストレージ社 (Hertfordshire Oil Storage Ltd;
HOSL)など石油3社によって運営されているバンスフィールド油槽所(Buncefield Fuel
Depot)である。
■ HOSL社はトタール社(Total UK Ltd) 60%とテキサコ社(Texaco
Ltd)40%の合弁会社である。地区は2つに分け、HOSL西地区と東地区がある。西地区は火災の中心になった。自動車用燃料34,000トン、灯油15,000トンの貯蔵能力を有している。
油槽所は、ほかにシェル社(Shell)とBP社の合弁会社であるブリティッシュ・パイプライン社(British
Pipeline Agency Ltd ; BPA)が貯蔵所地区とパイプラインシステムの操業を行っている。資産はUKパイプライン社(UK
Oil Pipeline Ltd ; UKOP)の所有である。この地区は、“北”(または“Cherry
Tree Farm”)地区と主地区に分かれる。火災によってかなり被災した地区である。自動車用燃料など70,000トンの貯蔵能力を有する。
また、BP社の設備が貯蔵所の南側にあり、自動車用燃料など75,000トンの貯蔵能力を有する。製品はすべてBPA地区のパイプラインから受入れている。
バンスフィールド油槽所の配置 (図はBBC.co.ukから引用)
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事故前の油槽所と周辺 (写真はHSE.gov.ukから引用)
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< 事故の状況および影響 >
事故の発生
2005年12月10日(土)
■ 19時頃、タンクT912にパイプラインから流量約550KL/hで自動車用燃料の受入れを開始した。
2005年12月11日(日)
■ 午前零時に、石油貯蔵所のローリー車ターミナルを閉門し、貯蔵量の確認を実施し始めた。 この作業は午前1時半頃に終了し、「異状なし」の報告があった。午前3時頃から、タンクT912の液面計(レベルゲージ)の読取値が変化のない状態となっていた。 実際は、タンクT912
には約550KL/hの流量で受入れが続いていた。
■ 計算によると、タンクT912は午前5時20分頃に満杯になり、オーバーフローし始めている。本来は、タンクの過充填を防止するためタンクへの入荷を閉止する保護システムがあったが、機能しなかった。このとき以降、受入れていた燃料油はタンクの上から流出し、空気を巻き込みながら、防油堤Aの中で急速に濃度の高い可燃性混合気を形成していった。
■ 午前5時38分、初めて監視カメラによって、防油堤Aの西端から蒸気雲が漏出しているのが確認されている。蒸気雲は防油堤Aの北西部から西方向に流れていった。
■ 午前5時46分、蒸気雲の厚さは約2m深さに達し、防油堤Aから全方向へ流れていった。
■ 午前5時50分には、蒸気雲の流れは貯蔵所構外の公道(チェリーツリーレーン)や建物付近(ノースゲートハウス、フジ駐車場、カテリーヌハウス)にまで達していた。い。
■ 午前5時50分~6時の間、タンクT912への流量は徐々に増え、890KL/h程度になっていた。
■ 午前6時01分までに、蒸気雲は広範囲に広がり、北はタンクT12まで、南はローリー車積込み場近くまで流れていたものとみられる。
■ 午前6時01分、最初の爆発が起こり、続いて起こった爆発と大火災によって、20基を超えるタンクをのみ込んでいった。(最終報告では23基のタンク) 最初の大きな爆発はハートフォードシェア西地区とフジビルとノースゲートビルの間の駐車場を中心に起こった。
火災状況 (図はBBC.co.ukから引用)
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最初の爆発(12月11日06:01)から約10分後の状況 (写真はBBC.co.ukから引用)
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衛星写真でみる黒煙の状況
衛星写真による経緯をみると、11日06:01爆発・火災発生から半日後の午後には、黒煙が南に広く流れている。 黒煙の濃度は12日になって薄くなってきている。 (写真はBBC.co.ukから引用)
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■ 午前6時08分、事故発生の発表が行われ、ただちに事故対策本部が事故現場近くに設置された。
燃え上がる火災からの煙が英国南部を越えて広範囲に広がった。数km先からも見える煙は衛星写真でもはっきりと確認できた。
2005年12月12日(月)
■ 正午、火災の激しさはピークになった。ハートフォードシャー消防署などの消防隊180名が出動して消火作業に当った。(最終的には、交代要員を含め、1,000名の消防士が動員された)
■ 流出した燃料と消火排水が防油堤の壁の上端から溢れ出たため,防油堤による2次封じ込めができなかった。
2005 年12月14日(水)
■ 英国安全衛生庁(HSE)がハートフォードシャー警察から事故調査の依頼を受けた。
■ 堤内火災の高熱によって防油堤に損傷が生じ,これがHOSL西地区およびBPA地区における2次封じ込めの能力を大きく減少させた。敷地の境界における3次封じ込めも失敗に終わり、汚染された大量の液体が敷地周辺に流出した。消防隊などはできる限り多くの流出汚染物質を回収したが、地下水および表層水の汚染を防ぐことができなかった。
2005年12月15 日(木)
■ 発災から5日目に鎮火が宣言された。
■ 使用された泡消火薬剤は786KL、消火用水は68,000KL(53,000KLの上水と15,000KLの回収水)だった。
2005年12 月16日(金)
■ 現場検証が開始されたが、主要部の捜査は危険が大きすぎるため、数週間から数か月の立入りが禁止された。
被 害
■ 爆発によって油槽所の貯蔵タンク23基が延焼した。当時の貯蔵量10万トンのうち約6万トンのが焼失した。また、構内の防油堤や配管などの設備が被災した。このほか、構外の建物や車両が爆発・火災で損壊した。
■ 爆発のあったのが日曜で早朝ということがあり、死者は出なかった。しかし、43名の負傷者が出たほか、2,000名の市民が避難した。
■ 直接損害のほか、間接的な損害は被害賠償(625百万ポンド)や航空燃料損失(245百万ポンド)など894百万ポンドと推測されている。
< 事故の原因 >
■ 爆発事故の誘因原因は「タンクへの受入れ時の過充填」である。
■ 事故の経緯はつぎのとおりである。
① タンクへパイプラインを通じてガソリンの受入れを開始した。
② タンク液面計が機能しなかった。(指示が途中からフラットのまま)
③ タンク受入・払出をコントロールする「自動タンクゲージシステム」が機能しなかった。
④ 過充填を防止する「液面上限安全スイッチ」が機能しなかった。
⑤ この状態で受入れが続いた。
⑥ タンクが満杯になり、タンク屋根の通気口からあふれ出した。
⑦ 防油堤内に混合ガスが滞留し、防油堤外へ蒸気雲が流れだした。
⑧ 貯蔵所設備の着火源により爆発が起こった。
過充填で流出した状況 (図はHSE.gov.ukから引用)
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< 対 応 >
■ ウィリアムズ・ファイア&ハザード・コントロール社英国事務所代表のケビン・ハーディング氏は、発災後、地方自治体からテクニカル・アドバイザーを要請された。ハーディング氏は11日(日)午後8時頃にバンスフィールドの現場に到着した。説明を受けた後、早速、現場内を歩き、問題と思われる箇所を挙げた。
■ 最初の12時間で獣のように暴れる炎に対して実行できた消火活動は極めて少なかった。その中で、西側にあるトラックスケールの近くにあるタンク群への冷却はうまくいっていた。2基のタンクで起こっていたリムシール火災へのホース展張と攻撃が成功していた。また、指揮本部の組織も確立していた。
■ 活動が遅れていたのは、消火用水系統が破壊されていたことと環境への配慮だった。というのは、近くに北ロンドンの飲料水供給の帯水層があり、この水系への汚染が懸念されたからである。
■ わずかに流量1,000gpm(3,785㎥/min)の水供給系統だけが利用可能で、上述のタンク群への冷却水として使用された。支援のために駆け付けた消防隊は、送水ポンプとホースをリレー式で接続し、現場へ十分な水を供給できるように作業を行った。
■ ウィリアムズ社が入ったバンスフィールド火災の消火専門家の支援グループには、トタール社英国LOR製油所、BP社英国コリトン・エセックス製油所、セムコープ社英国ティーシーデ緊急チーム、エセックス郡消防・救急隊が参画した。
■ まず最初に、“2×6ガン泡モニター”が事業所の南東地区に配置されるとともに、トタール社LOR製油所の泡薬剤搬送車が西地区に配置された。それから3日間、18~20基のタンクが火災になっている中で、この泡モニターは活躍し続け、隣接する8基のタンクへ延焼することを防止することができた。この期間、風はほとんど無く、消火活動の支障にならなかったのは幸いだった。
■ 火災になったタンクなどに立ち向かう準備のため、ウィリアムズ社の“2×6ガン泡モニター”
のほかにウィリアムズ社の“パトリオットⅡトレーラー型モニター”を配置しようと、セムコープ社のケビン・ウェストウッド氏のチームは11日(日)の真夜中まで忙しく作業した。ウェストウッド氏チームは南東地区への配置を終えたが、ハーディング氏によると、東地区への攻撃を開始するためには十分な量の消火用水の供給が確保できるまで、2~3時間待たなければならなかったという。
2×6Gun Monitor PatriotⅡMonitor Hydoro-chem Nozzle
(写真はWilliamsfire.comから引用)
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■ 水供給のため、展張された6インチ大口径ホースの総延長は18マイル(28km)ほどに達した。
■ 12日(月)午前4時頃になっても、供給可能な水量は限られていた。水圧が低い上に水量は3,000~4,000gpm(11,000~15,000
L/min)だった。セムコープ社のウェストウッド氏チームが、南東地区にある3基の激しいタンク火災と堤内火災に対して“2×6ガン泡モニター”
と“パトリオットⅡ泡モニター”によって一旦、消火させることができたので、ハーディング氏たちは別な火災現場へ移動中だったときに、再び消火用水の供給が止まってしまった。
■ 英国環境庁が特に関心をもっていたのは、流れ出た油や消火排水が北ロンドンの飲料水の帯水層に達することがないか、そして水を汚染することがないかという点だった。実際、消火用水の供給中断は繰り返し起ったが、これは環境庁の指導のもと2~3時間ごとに周期的に行われた。
■ ハートフォードシャー事故対策本部長はアドバイスを受け入れ、本来最適な手順である攻撃的な火災へのアタックの道をとらずに、“レット-イット-バーン”(リセットしてやり直す)の方法をとった。この方法は、十分な量を連続的に水供給できる体制が整っていることが前提であるが、当時の現場の条件は極めて困難だった。排水系統はあふれており、かなりの数の排水カバーが失くなっていた。消防隊員は排水系へ流れ込まないように注意しなければならなかった。排水系の一部では、ときどき油による炎が上がっていた。
■ 間断のない消火活動には大量の水を必要とするが、この点から、消火用水の供給を中断したことは重大な問題だったことを示す形になった。
■ 12日(月)の午前中の半ばまでに、消防隊は東地区のタンク火災のいくつかを堤内火災を含めた消火した。西地区にいたトタール社LOR製油所の消防チームは別のタンク3基の火災と堤内火災のいくつかを消火した。
LOR製油所の消防チームへの水供給量はちょうど1,000gpm(3,785
L/min)で、活動中のほとんどで、この量を保持できたことは幸いだった。
■ これらのタンクが消火すると、消火用水が止められた。この機会に、消防隊は東地区の火災の中心に対応するため“2×6ガン泡モニター”の配置場所を変え、“パトリオットⅡ泡モニター”はトタール社LOR製油所消防チームが活動する西地区に配置変えされた。残念なことに、消火用水が再び機能を回復したときには、以前消火したタンク2基が再び引火してしまった。
■ 水の供給が復旧すると、すぐに、消防隊は再び2基のタンク火災への消火活動を始めた。しかし、実際には、最初の2日間、消防隊は西地区と東地区の両方ともいろいろな種類の泡薬剤を使用せざるを得なかった。泡薬剤には良質なものやそうでないものがあった。このとき、消防チームはフラストレーションが溜まった。泡の覆いが保持できないために、消火したタンク火災や堤内火災がじきに再引火するケースがあった。
■ 質の悪い泡薬剤を使用せざるを得ない期間、消防隊は再引火していないタンクに火が出るかもしれないという心配を常にもっていたと報告している。ハートフォードシャー事故対策本部長は、“2×6ガン泡モニター”
を停止し、まだ火災になっていないタンクに影響のある火災の消火を行う位置に移動するよう要請した。しかし、このとき、
“2×6ガン泡モニター” を操作していた消防チームは、220°の範囲にタンク火災と堤内火災を目の前にし、さらに混合泡の質が極めて悪かった(このとき供給されていた泡はフッ素たん白泡消火薬剤(FP)の規格外のものだったと思われた)ので、
“2×6ガン泡モニター” を停止して移動するのは危険すぎると感じていた。
■
この時点で、ハートフォードシャー事故対策本部長はこの地区から移動することを決めた。12日(月)の夜、この地区にいた全員が離れなければならなかった。これは、支援で出動した消防隊チームにとって、2時間の休息をとり、活動再開の計画を考え、現場へ信頼ある水供給体制を確保するために良い機会となった。
■ 12日(月)夜遅く、消防隊チームは再び元の地区の現場へ入り、まだ延焼を免れていた東地区の全タンクを防護するための水幕の準備を行った。消防隊チームは“2×6ガン・モニター”の噴霧パターンを使用し、タンクまわりに水幕を張り、鋼構造物の冷却を図った。トタール社LOR製油所の化学消防車は、北東地区で火災になっている堤内に泡を覆い始めた。この活動を契機に、消防隊チームは徐々に消火用水の信頼性を取り戻し始めた。そして、最初の事故対応状況まで戻り、その後の18時間のあいだに、堤内火災を含め、燃えているタンクの大部分を消火した。
■ ウィリアムズ社のハーディング氏は、セムコープ社ウェストウッド氏の消防チームが“ハイドロ・ケム・モニターノズル”と可搬式泡モニターを使用して、地区の西側に発生している配管の噴出火災に対応するのがよいと進言した。
■ それぞれの消防チームが重要なピースを担っているジグソーパズルのようだった。消防隊がそれぞれの地区の火災を消火していくことで、現場はだんだんと落ち着いていった。
■ 13日(火)の午後、 365フィート(110m)以上の放射性能を有する“2×6ガン泡モニター”の1台を使用して、北地区にある直径150フィート(45m)のタンク火災に挑んだ。その地区は離れているため、燃えさせておくと判断したところである。このとき、消防隊はタンクまわりで起こっている大きな堤内火災に直面した。消防隊は、
大容量の性能をもつ“2×6ガン泡モニター”を使用して、再びこのタンクを消火した。
■ 消防隊が最後に向き合ったタンクは、西地区にある内部浮き屋根式タンクだった。このタンクの外部屋根と内部屋根の状況を確認するため、ウィリアムズ社のハーディング氏は、ハートフォードシャー消防署のはしご車を使ってタンクを上から観察した。この結果、タンクの外部屋根が裂けていて、完全に燃え上がっている内部へ泡放射できることが分かった。このタンクのまわりには火災がいくつも見られ、脈打つように噴き出す油に引火していた。
■ 消防隊のチームは、タンク底部の水位をタンク出口の位置より高くしようと考えた。しかし、配管が火炎に曝されて受ける熱によってひどく変形してしまって、タンク内に水を入れることは難しく、非現実的ということが分かった。そこで、タンク内には油が2mほどしか残っていなかったので、タンクの内液は燃え尽きさせることとした。
■ 今回の火災は、最終的に鎮火するまで、長時間にわたって燃え続けた。この主たる要因は、消火用水のリレーが初動から極めて悪かったこととともに、ロンドンの飲料水の帯水層への汚染の懸念から、消火用水が止められるという状況にあったからである。これは、貯水池の保護がリスク・アセスメントの最優先事項になったためである。
■ 最初の2日間、消火用水が中断するという状況では、一部のタンクは2昼夜のあいだに多いものは4回消火されていた。これは消火用水の不足で泡を補充できず、油面を覆っていた泡が壊れてしまったからだとみられる。
所見、教訓、推奨事項
■ この火災事故においてとられた消火方法や使用された資機材について考えると、ウィリアムズ社がこれまでの経験で一貫して行ってきた考え方を裏打ちするものであった。そこで、つぎのような推奨事項は、この事例を含め最近の同種事故に対して参考になると思う。
■ 有効性の確認された消火設備
● この3日間の事故を見ていくと、BP社とトタール社LOR製油所の両消防隊がバンスフィールドの火災現場に持ってきた放射性能の高いトレーラ式の泡モニターは、泡放射や冷却作業の機動性を要求されたとき、固定台座やスキッド設計の泡モニター装置に比べ、優れた機能を発揮し、ウィリアムズ社の可搬式大容量泡放射砲の有効性が示されたといえる。
● 3次元的な噴出火災に対してモニターノズルの“ハイドロ・ケム”を使用することは、消火活動における必須の機材だということが示されたといえよう。
■ 最も有効だった泡薬剤
● 今回の事例で使用された泡薬剤は一貫性のある品質とはいえないものだった。その中で消火性能の品質の悪いものは、消防隊を危険な状況に曝しかねないことが示された。
● 多く使われたフッ素たん白泡消火薬剤(FP)は、小型タンクと堤内地区の双方の消火に使用されたが、消火時間が遅かったということが示された。トタール社LOR製油所消防チームの最初のコメントでは、自分たちが持ってきた多糖類添加耐アルコール泡(AR-AFFF)を使用したときには、火災の消火が速かったという。一方、泡薬剤を使い果たし、フッ素たん白泡消火薬剤(FP)を使わざるを得なくなった火災に対応することが増えてしまったという。
● フッ素たん白泡消火薬剤(FP)による蒸発抑制の泡の覆いは、弱い風の影響でも簡単に壊れることがよくあり、通常期待されるより早く泡の覆いが壊れて再引火を起こすことがあった。
■ 消防士のトレーニング
● 石油化学分野において行われている消防専門トレーニングの効果は、エセックス郡消防・救急隊とともに活動したBP社、トタール社LOR製油所、セム・コープ社の消防隊によってその価値が示された。支援で出動した消防隊は大半の消火活動を行ったし、この火災現場でも消火専門家を参画させたウィリアムズ・ファイア&ハザード・コントロール社によるトレーニングで経験を積んできた。
● 一般的に地方の消防署には、今回のような事故に対する資機材を保有しているところはなく、消防専門トレーニングの必要度も高くない。しかし、石油化学工場などの消防士にとって、このような消防専門トレーニングの必要度は実際に高い。
■ 事故対応の指揮
● まる3日間にわたる事故の消火活動に大きな影響を及ぼした決定に関与した英国政府環境庁のインパクトは、非常にユニークなものだったといえるが、このような事故においてひとつの規範になりそうである。そして、今回のような事故に出動する相互応援・消防専門チームにとって事前計画に考慮しておく必要がある。
● また、特記しておくべき事項としては、今回の事故に関する環境庁のコメントが、水系の汚染に関するものに比較して、空気汚染に関するものが非常に少なかったというである。
● ほかの類似事故と同様、バンスフィールド事故で明らかになったことは、英国内における専門家のナショナル・チームを作って、実際的で戦術的な観点から今回のような事故に対応するためのトレーニングと準備について検討する必要があるということである。それは、米国内において航空機ハイジャックや人質事件のような状況に対応するためのトレーニングと準備の必要性と同様であろう。
● このチームには、中央政府によって完全に公的な権限を与えられ、環境当局や政府ホームオフィスのような政府機関からの代表者だけでなく、国内の石油化学と関連分野から実務的な消防専門家を入れた編成とすべきである。
消火活動の状況 (写真はBBC.co.ukから引用)
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消火活動の状況 (写真はBBC.co.ukから引用) |
消火活動の状況 (写真はBBC.co.ukから引用) |
消火活動の状況 (写真はBBC.co.ukから引用) |
補 足
■ 「ハートフォードシャー州」 (Hertfordshire)は、英国イングランドの東部に位置し、人口約106万人の州である。「ヘメル・ヘムステッド」(Hemel
Hempstead)は、ハートフォードシャー州にある人口81千人の都市である。
現在のバンスフィールド油槽所の周辺 (図はグーグルマップから引用)
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■ 「ウィリアムズ・ファイア&ハザード・コントロール社」(Williams
Fire & Hazard Control)は1980年に設立し、石油・化学工業、輸送業、軍事、自治体などにおける消防関係の資機材を設計・製造・販売する会社で、本部はテキサス州モーリスヴィルにある。ウィリアムズ社は、さらに、石油の陸上基地や海上基地などで起こった火災事故の消防対応の業務も行う会社である。
ウィリアムズ社は、2010年8月に消防関係の会社であるケムガード社(Chemguard)の傘下に入ったが、2011年9月にセキュリティとファイア・プロテクション分野で世界的に事業展開している「タイコ社」(Tyco)がケムガード社と子会社のウィリアムズ社を買収し、その傘下に入った。
ウィリアムズ社は、 米国テネコ火災(1983年)、カナダのコノコ火災(1996年)、米国ルイジアナ州のオリオン火災(2001年)などのタンク火災消火の実績を有している。
■ ウィリアムズ社はウェブサイトを有しており、各種の情報を提供している。この中で「Code
Red Archives」というサブサイトを設け、同社の経験した技術的な概要を情報として公開している。今回の資料はそのひとつである。
所 感
■ 「バンスフィールド火災」は、発災当時から衝撃的な事故として大きく報道されたほか、比較的早く、調査報告書も公表され、よく知られるタンク火災事故となった。一方、20基を超すタンク火災について3日間の消火活動の状況も報じられたが、断片的だった。その後、日本の消防庁から現地へ行って調査したり、API(米国石油協会)で発表されたりしたので、難航した消防活動だったことは分かっていた。
■ 今回の消防活動の話は、民間の消火専門家が実際に現場に参加した中での状況なので、なぜ難航したのか、どのような対応がとられたかを知ることのできる内容である。ウィリアムズ・ファイア&ハザード・コントロール社の立場から見ており、公平さの点で一抹の疑問は残るが、貴重な体験話である。特に、
「所見、教訓、推奨事項」は英国だけでなく、大容量泡放射砲システムを保有していない日本の公設消防の関係者にとって耳を傾けるべき話だと思う。
備 考
本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
・Williamsfire.com, 「Tale
of Two Cities: Baton Rouge, 1989 & Buncefield,
2005」, Field Report,
Edited by Brent Gaspard, CODE RED ARCHIVES, Williams Fire & Hazard Control.
Inc.
・HSE.gov.uk, 「The
Buncefield Incident 11 December 2005」,
The final report of the Major Incident Investigation Board, 2008
・Jniosh.go.jp, 「英国バンスフィールド油槽所で発生した爆発火災について
-バンスフィールド事故調査委員会調査報告書(第 1 報) より抜粋」, 藤本康弘, 労働安全衛生研究(Vol.
1, No. 1), 2008
・Tokyo-horei.co.jp,
「英国における油槽所火災の概要について」, 白石 暢彦, 消防防災2006年夏季号, 2006
・KHK-syoubou.or.jp, 「英国バンスフィールド油槽所爆発火災の原因はタンク過充填」
後 記:
今回は、ウィリアムズ社が公開しているCode Red Archivesの資料だけをできるだけ尊重することとしました。事故の状況や原因を記載する必要がありますが、これらはHSEの報告書や日本の資料から最小限に留めました。消防活動については、日本の消防庁の調査結果やAPIの発表資料がありますが、あえて整合をとることは避けました。また、実際に何が正しいか判断する材料がありません。一般に、発災した際の消防活動状況は、公設消防で記録されているはずですが、まとめが公表されることはないですね。火が消えた、一件落着、めでたし!というのは日本だけでなく、外国でも同様のようですね。民間のウィリアムズ社だと、将来のために貴重な経験を活かすという意識があるのだと感じます。
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