今回は、1988年1月2日(土)、ペンシルベニア州フローレフェにあるアシュランド・オイル社のタンク・ターミナルで固定屋根式タンクが脆性破壊を起こし、内部の油が全量流出した事例を紹介します。
< 発災施設の概要 >
■ 発災施設は、ペンシルベニア州(Pennsylvania)アレゲニー郡(Allegheny)フローレフェ(Floreffe)にあるアシュランド・オイル社(Ashland Oil Co. : 現在のAshland Inc)のタンク・ターミナルである。タンク・ターミナルは、ピッツバーグ(Pittsburgh)の南方約25マイル(40km)に位置している。
■ 事故があったのは、タンク・ターミナルにある直径120フィート(36.6m)×高さ48フィート(14.6m)で、容量400万ガロン(15,100KL)の固定屋根式(コーンルーフ)タンク(TankNo.1338)である。内液はディーゼル燃料(No.2ヒューエル・オイル)用である。
■ タンクは1940年頃にオハイオ州(Ohio)クリーブランド(Cleveland)に建設・使用されていたが、 1986年5月に解体され、オハイオ州東隣のペンシルベニア州で再組立てされたものである。
< 事故の状況および影響 >
事故の発生
■ 1988年1月2日(土)午後5時頃、タンク・ターミナルにあるディーゼル燃料用タンクが縦方向に破壊した。タンクに油を入れるのは初めてのことだったが、液高さが14.0mに達したとき、突然、雷のような音が約30秒間続 き、タンク内の油が一気に噴出した。
■ タンク・ターミナルはモノンガヒラ川(Monongahela River)の近くにあった。タンクには、385万ガロン(14,600KL)のディーゼル燃料が入っており、全量が流出して石油施設の敷地に溢れだし、さらに約775,000ガロン(2,937KL)の油がモノンガヒラ川に流れ込んだ。このアッシュランドのタンク破壊事故は国内史上最悪の内陸油流出のひとつになった。
■ タンク破壊は、アシュランド社のペンシルベニア州フロレフェにあるタンク・ターミナルに設置されて初めて満杯にされたときに発生した。タンクは、以前オハイオ州で使用されていたもので、そこで解体され、ペンシルベニア州に移されて再び組み立てられていた。タンクが破壊したので、385万ガロン(14,600KL)のディーゼル燃料が貯蔵施設にあふれ、さらに油の一部が土盛り堤を越え、隣接する施設を横切って流れ出て、近くの排水溝に達した。流出した油は排水溝を通って約775,000ガロン(2,937KL)がモノンガヒラ川に流入した。
■ タンクが破壊し、大量の油が一気に放出することによって事故現場で発生する力はかなりのものだった。地元住民の中には、タンクが壊れるとき、低いレベルの爆発のような音が聞こえたと語っている。タンクから放出される油は、実際、タンクと基礎を引き離し、タンク本体を切り裂き、曲げてしまった。ペンシルベニア州環境保護局(DEP)によると、タンクの鋼製側板はねじ曲げられ、歪んだまま地面に残されており、「側板自体は、元の場所から東方へ約120フィート(36m)位置がずれていた。鋼製の柱や他の支持部材は鋭角に曲げられて、最初あった場所から遠くへ放り投げられていた」という。
■ 約100フィート(30m)離れた別の大きな貯蔵タンク(Tank No.1367)は、破裂したタンクから押し寄せる油の衝撃によって側板部が凹んでしまい、基礎からズレてしまった。次に近かった別なタンクは放出した油が飛び散ったところにあり、側板が地面から約40フィート(12m)のところまで褐色に汚れていた。流出経路にあった1個の小さな構造物も流された。
■ 流出事故に伴い、アッシュランド施設近くの住民242世帯(約1,200人)が自宅から避難を余儀なくされた。タンク破壊時、油流出に伴うタンク破片が別の百万ガロン(3,790KL)のタンクに接続されているガソリンラインを壊して、配管から約20,000ガロン(76KL)のガソリンが漏洩した。ディーゼル燃料とガソリンの混合液は爆発する危険性があり、これが住民避難の主要因だった。避難指示は1月4日(日)正午頃に解除された。
■ 川の近くを通る線路や道路は、人の健康と火災の危険性への懸念から、鉄道と車両の交通が停止された。
■ 油膜がモノンガヒラ川とアレゲニー川の合流点に到達し、さらに一緒になってオハイオ川に流れていき、1月8日までにウェスト・バージニア州のホイーリングに達した。モノンガヒラ川への流出はオハイオ川へ広がり、このための水質汚染は深刻な事態を引き起こした。公共水道系が閉鎖され、ペンシルベニア州、オハイオ州、ウェスト・バージニア州の約80の自治体で100万人以上が影響を受けた。一部の町では、8日間、水道が利用できなかった。また、水質汚染によって多くの鳥や魚が死んだ。
■ タンクの破壊状況の推定動画が米国環境保護庁(EPA)からユーチューブで公開されている。(YouTube,「Ashland Oil Company Diesel Fuel Spill 1988 Allegheny County, Pennsylvania」を参照)
被 害
■ 容量400万ガロン(15,100KL)のディーゼル燃料用タンクが破壊し、内部に入っていた385万ガロン(14,600KL)の油が全量流出した。
■ 油流出に伴うタンク破片によってガソリンラインが壊れて、配管から約20,000ガロン(76KL)のガソリンが漏洩した。また、油の流出によって隣接タンクの側板が凹んだ。
■ 近くにあったモノンガヒラ川に約775,000ガロン(2,937KL)の油が流出し、大規模な水質汚染を引き起こした。この影響によって公共水道系が閉鎖され、ペンシルベニア州、オハイオ州、ウェスト・バージニア州の約80の自治体で100万人以上が影響を受けた。
■ 近くに住む住民242世帯(約1,200人)が予防措置として自宅から3日間避難を強いられた。
< 事故の原因 >
■ 事故原因はタンク側板材の脆性破壊である。その要因はつぎのとおりである。
● タンクが初めて満杯にされたとき、タンクの側板が裂けており、使用材料が不適切だった。事故発生時の気象状況は、
気温-3.3℃、 湿度41%、風速4.1m/s、受入れ油の温度7.8℃、 破壊起点の側板の推定温度3.3℃で、タンクがさらされた低温と応力に対して十分な耐力をもっていなかった。
● アッシュランド社は、40年前に製作されていたタンクを安易に解体・再組立てし、当時の業界規格を満たす材料を使用していなかったし、これらの規格で要求するテストも行っていなかった。
● 当時の米国環境保護庁(EPA)の規制は、石油貯蔵施設の運営者が業界規格を使用してタンクを建設し、テストすることを要求していなかった。
■ 事故原因の調査結果の詳細は、「Investigation into the Ashland Oil Storage Tank Collapse on January 2, 1988」および「石油タンクの脆性破壊事故」を参照。
< 対 応 >
■ 沿岸警備隊と石油会社に雇用された請負会社による流出油のクリーンアップはオイルフェンス、バキューム車などを使用して行われ、冬の天候によって妨げられが、流出したディーゼル燃料とガソリンの混合液387万ガロン(14,676KL)のうち約298万ガロン(11,290KL)を回収したと報告されている。それでも、約89万ガロン(3,370KL)の油は回収されなかった。一方、米国環境保護庁(EPA)は、川に流出した油の20%を回収したと述べている。 注;流出量約775,000ガロン(2,937KL)×20%=回収量約155,000ガロン(587KL) 未回収量約620,000ガロン(2,350KL)
■ アッシュランド社は、発災から1か月後の1月27日(水)に、事故のあったタンクを再組立てする際、以前の溶接部に欠陥があったことを認めた。1986年11月17日のメモによってX線撮影された39個のうち22個の欠陥があった。
しかし、欠陥は40フィート(12m)の割れがあったタンクの領域ではなかったという。また、再組立て後の水張検査は液位1.5mで行われ、漏れは無かったという。
■ 流出した油のクリーンアップ費用は1,100万ドル(14億円)かかった。
■ 1988年6月、
国立標準局(National Bureau of Standards; NBS)は、事故の物理的原因について調査結果(Investigation into the Ashland Oil Storage Tank Collapse on January2, 1988)をまとめた。
● タンク側板の使用材料を分析したところ、ASTM A 283 grade
D steel相当(SS400類似品)だった。API Std
650 (Welded Tanks for Oil Storage)の適用材料から外れ、引張強さとシャルピー衝撃値が不足する材料だった。
● タンクは脆性破壊で壊れているが、タンク側板にはペンシルベニア州フローレフェにおける再組立て前から欠陥があり、これが起点となった。欠陥は、基礎部から約8フィート(2.4m)上で、側板1枚目と2枚目の間で水平溶接継手の下部に位置しており、溶接によるものでなく、ガス切断によるものとみられる。
● 側板材料に十分な強さが不足していたので、破壊の伝播を抑えることができず、タンク側板が完全な断裂に至った。タンク側板の溶接品質はAPI Std 650を満足するものではなかったが、破壊の起点になった要因ではなかった。しかし、欠陥に近傍した溶接は金属の脆化に寄与したとみられる。
● タンク基礎の安定性の欠如が側板に過度な応力をかけた可能性を調査したが、基礎部に問題は見つからなかった。
■ 1989年に米国会計検査院(Government Accountability Office: GAO)による調査結果が議会に報告され、つぎにように指摘された。
● 米国環境保護庁(EPA)の規制は、石油貯蔵施設の運営者が業界規格を使用してタンクを建設やテストすることを要求していない。
● アッシュランド社のタンクは、当時の業界規格を満たす材料で構成されておらず、これらの規格で要求するテストが行われていなかった。
● タンクが初めて満杯にされたとき、タンクの側板が裂けた。金属分析の結果、タンクがさらされた低温と応力に対して十分な耐力をもっていなかった。
補 足
■「ペンシルベニア州」(Pennsylvania)は、米国北東部に位置し、人口約1,300万人の州である。気候は多様な地形により様々であるが、総体的に冬は寒く、夏は降水量が多い。
「アレゲニー郡」(Allegheny)は、ペンシルベニア州の南西部に位置しており、人口約122万人の郡である。同郡には主要都市のピッツバーグ(人口約30万人)がある。
「フローレフェ」(Floreffe)は、アレゲニー郡のジェファーソン・ヒルズにある区域である。
■「アシュランド・オイル社」(Ashland Oil Company :現在のAshland Inc)は、1924年にケンタッキー州アシュランドに石油精製会社として設立された。その後、複数の石油精製会社を合併して発展し、石油化学にも進出した。化学事業が中心となったことから、1995年に社名をAshland OilからAshland Inc.に変更した。
■「当時の規制」 アッシュランドのタンク破壊事故は、米国の州レベルと連邦レベルの両方で地上式貯蔵タンクの不十分な規制を浮き彫りにした。当時の米国環境保護庁(EPA) によると、当時、地上式貯蔵タンクを規制していた法律があったのは15州だけだった。米国の州の半分以下が地上式貯蔵タンクの流出を追跡することさえ気にしなかったという。規制を行った州の中でも、管轄区域や管轄当局が不明確であり、時にはいくつかの機関に分散しており、流出や地下の漏洩事故が学校、水道、住宅地を脅かした場合、地方の管轄当局は混乱していた。
■ 材料に力を加えていくと、通常、弾性変形し、次に塑性変形をし、さらに力を加えると破壊に至る。しかし、塑性変形をほとんど伴わず、破壊が起こることがあり、目に見える変形を伴わずに、突然、破壊が起こる現象が「脆性破壊」である。たとえば、鋳鉄や黒鉛などは曲げる方向に力を入れても曲がらず、突然、折れてしまうが、これが脆性材料である。一方、鉄鋼材料でも「低温環境」、「引張応力が高いこと」、「応力が一点に集中すること」などの条件によって脆性破壊が起こる。これが分かったのは、第二次世界大戦中、米国で製造された溶接接合が採用されたリバティ船が真二つに割れて沈没する事故が多発したが、これが脆性破壊を知るきっかけになった。この事例や脆性破壊については失敗知識データベース「リバティー船の脆性破壊」を参照。
所 感
■ この事例は今から34年前の1988年の事故であるが、当ブログで紹介した1960〜2003年までの43年間に起こった事故をまとめた「貯蔵タンク事故の研究」(2011年8月)の中で、貯蔵タンクの割れによって川に流出した事例として出てくるほど有名な脆性破壊の事故である。しかし、事故状況の詳細は知らなかったので、まとめてみた価値はあった。タンク再組立て時の材料選定や溶接技術などの欠陥問題はわずか34年前の技術立国である米国の一姿であるが、日本ではありえないと思わず、謙虚に読むのがよいと感じる。
■「地上式貯蔵タンクの破壊による液流出のモデル化と軽減策の検討」(2015年11月)では、 主な事例として、米国ペンシルベニア州の燃料油タンクが破壊し、防油堤内に流出し、別なタンクに損傷を与えたほか、油が防油堤を越えていった事故として掲載されている。
「地上式貯蔵タンクの破壊による液流出のモデル化と軽減策の検討」では、結論として「はっきりしたことは、貯蔵タンクに壊滅的な破壊が生じた場合、たとえ防油(液)堤が損傷しなくても、貯蔵されていた液の70%を超える量が越流して堤外の環境へ影響を与えるということである。その上、流出液による衝撃に対して、2次封じ込め設備が耐え得るか疑わしい。堤の構造にはいろいろあるが、一般的に設計された堤には、6倍の動圧力がかかる」としている。ペンシルベニア州の事故では、「14,600KLのディーゼル燃料の全量が流出して石油施設の敷地に溢れだし、さらに2,937KLの油がモノンガヒラ川に流れ込んだ」といい、貯蔵タンクの20%が防油堤を越えて川に流出している。また、「約30m離れた別の大きな貯蔵タンクは、破裂したタンクから押し寄せる油の衝撃によって側板部が凹んでしまい、基礎からズレてしまった」とあり、「液流出のモデル化」が机上の話ではないことを物語っている。
備 考
本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
・Pophistorydig.com, “Disaster at Pittsburgh” 1988 Oil Tank
Collapse, April 06,
2015
・Washingtonpost.com, WATER SCARCE FOR 750,000 AFTER OIL SPILL, January 04,
1988
・Epa.gov, Floreffe, Pennsylvania Oil Spill
・Apnews.com, Oil Spill Fouls River, Threatens Water for 750,000, January 04,
1988
・Apnews.com, Bad Welds Detected A Year Before Tank Collapsed, January 27,
1988
・Govinfo.gov, Investigation into the Ashland Oil Storage Tank
Collapse on January 2, 1988, June, 1988
・En.wikipedia.org, Ashland oil spill,
December 20, 2020
・Jstage.jst.go.jp, 石油タンクの脆性破壊事故, JHPI Vol.31
No.2 1993
後 記: 今回の事故では、前回の「米国における貯蔵タンクの保守とリムシール火災後の対応」(2022年1月12日)を紹介したとき、事例のひとつとして載っていたのをきっかけに調べたものです。なにせ34年前の事故ですし、インターネットでどのくらい情報が集まるかと思っていましたが、意外にいろいろな情報が検索できました。さすがに記録好きの米国だと感じました。一か月も立たずに情報が消える日本と違うと実感しました。ところで、今回の事故の事象で悩んだのが「破壊」という言葉です。いままでは事故では、「損傷」、「損壊」、「破損」などを使っていましたが、事故の激しさから見てしっくりきません。「崩壊」という言葉を使っているのもありましたが、脆性破壊の「破壊」という言葉を使いました。
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