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2014年12月19日金曜日

フランス・リヨンの油槽所における火災事故(1987年6月)

 今回は、1987年6月2日、フランスのリヨンにあるシェル社の油槽所においてポンプ所付近からの漏洩ガス爆発を発端に、火災が貯蔵タンク地区へ広がり、タンクがつぎつぎに爆発した火災事故を紹介します。
                       港の対岸から見た油槽所のタンク火災 (写真はARIA資料から引用)
< 事故の状況 >
■ 1987年6月2日13時過ぎ、フランスのリヨンにある油槽所においてポンプ所付近からの漏洩ガス爆発を発端に、火災が貯蔵タンク地区へ広がり、タンクがつぎつぎに爆発する火災事故が起こった。この事故に伴い、死傷者2名、負傷者14名を超える被災者が出た。
 事故があったのは、リヨンのエドゥアール・エリオ港にあるシェル社の油槽所で、ガソリン、軽油、重油、燃料添加剤用など約60基のタンクが保有されていた。油槽所は1948年に建設され、4回の増強工事を経て、総貯蔵能力は43,000KLだった。発災時、ガソリン8,000KLを含み23,000KLの油が貯蔵されていた。
                              油槽所の配置図       図はARIA資料から引用)
■ 最初に事故が起こったのは、面積5,400㎡の防油堤に囲まれたNo.3区画であった。この区画は7つに区分され、容量30KL~2,900KLのタンク58基が設置されていた。油槽所では、燃料添加剤設備のためタンクとポンプの変更工事が計画されていた。このため、油槽所内にはプレハブ用の仮設作業場が設けられ、2.2mの防火壁で区分されていた。

■ 作業チームが通電されていない溶接用電気ケーブルの移動作業中、13時05分、No.3区画のタンクNo.14近くのポンプ所付近からガスが霧状に流れてから数秒後にフラッシュ・ファイヤーが起こった。さらに1分後、そのエリア一帯で数km離れたところでも感じるほどの激しい爆発が生じた。タンクNo.14がタンクNo.13の方へ倒れた。13時15分、 No.3区画の南側で次々と爆発が起こった。タンクNo.12、No.55、No.57、No.58が空中に飛び出し、地面に落下した。最初に飛んだのは燃料添加剤用で容量250KLのタンクNo.12で、ロケットのように垂直に約200m飛び上がり、元の場所から約60m離れた貯蔵タンク地区外へ落下した。火災は貯蔵タンク地区No.3区画の約3分の1の範囲に広がった。油槽所全体が分厚い黒煙で包まれた。さらに、他のタンク5基に延焼した。

■ 1318分、当局へ第一報の通報があった。1323分、消防署が出動した。1328分、消防隊が消防士42名と消防車4台で現地に到着し、火災封じ込めの消防活動が開始された。同時刻に救急隊も医師3名と救急車で現場に到着した。1340分、この地区の道路が閉鎖され、工業地区にいる人たちが避難させられた。

■ 14時10分頃には、25台の放水モニターで流量約2,000KL/h(33,000L/min)のタンク冷却が行われた。この放水は火災鎮火まで続けられた。14時30分頃には、発災現場に消防士150名のほか、警官200名、医師・看護師20名が派遣されていた。17時00分頃には、冷却作業が行われていたにも関わらず、火災は貯蔵タンク地区No.3区画全域に広がっていた。多くの機材が輻輳し、消防活動を遅らせたが、17時25分、最初の消火の試みとして、9台の泡モニターを使用して1,000L/minの泡放射が実施された。

■ 18時30分、火災が弱まり始めたとき、軽油用で容量2,900KLのタンクNo.6に異常な音が発せられた。18時32分、約1,000KLの油が入ったタンクNo.6で爆発が起こり、火災がさらに拡大した。 この際、6名の消防士が負傷した。このため、医療チームが強化された。爆発は軽油タンクでボイルオーバーが起こったものである。この爆発で高さ約450m、幅約200mのファイヤーボールが生じた。この爆発によって、火災は隣接していた貯蔵タンク地区のNo.1区画へ広がり、さらに油槽所内の建物へ延焼していった。それまでの消火活動で約72,000リットルの泡が使用された。夜の間に、No.1区画にある浮き屋根式タンクで高級燃料用のNo.15とNo.16の2基が火災になった。
事故時における爆発の発生順と場所 ー 被害者の場所
(図はARIA資料から引用)
                                      施設の損傷状況と飛翔距離      (図はARIA資料から引用)
■ 630635分、2回目の消火活動の試みとして、17台の泡モニター(うち2台は大型)で200,000リットルの泡が使用して実施された。6,000L/minの放射能力をもった大型の泡モニターは、実際に効果を発揮していた。0730分、貯蔵タンク地区の火災を制圧できた。0900分、140,000リットルの泡を使用した
2回目の消火活動によって火災は消火した。なお、このとき、タンクNo.7の底部からわずかな漏れが続いていた。13時48分、火災は完全に鎮火した。タンクの冷却がその後2日間継続され、再燃防止措置として限定的に泡が投入された。

■ 6月6~7日、タンクからの油抜出し中に、予防措置として少量の泡が使用された。防油堤内に溜まった消火排水と未燃の油が回収され、製油所で再処理するために平底荷船や運搬車で移送された。

■ この事故によって、タンクNo.14の近くで作業していた2人が亡くなり、8人が火災で負傷した。出動した消防隊では、No.6タンクの爆発時に消防士6人が負傷した。結局、25人が病院で診察や手当てを受けた。うち13人は現場の医師が処置している。

■ 貯蔵タンク地区のNo.1区画とNo.3区画にあったタンクのうち、 No.6、12、14、55、56、57、58、59、59.1、 20、22は完全に損壊または使用できないほどの損傷を受けた。合計24基のタンクと総長4kmの配管が被災したほか、油槽所内の建物、作業場、荷役場などが損傷を受けた。焼失した油の量は、軽油および重油2,200KL(1,900トン)、ガソリン類1,500KL(1,200トン)、燃料添加剤600トンである。

< 事故の発端、原因および状況 >
■ 事故の原因調査が行われたが、特定に至らなかった。事故に関わる裁判では、最初のポンプ所付近からガスが霧状に流れてフラッシュ・ファイヤーが起こった要因は、昼休み中に燃料添加剤に関わる設備を過熱させたためという仮説も出たが、断定されていない。

■ 今回の事故は火災の拡大が極めて速く、激しいという特徴がある。この理由のひとつが燃料添加剤にあるとみられる。問題の燃料添加剤は燃焼性促進の目的に使用されるもので、分析結果では130~150℃の温度範囲ですばやく性能が出せるものだったという。従って、燃料添加剤が熱分解してすぐにガス化したものとみられる。

■ 火災の拡大要因に挙げられる要因のひとつが、小型のタンクの存在である。小型でさらに保有量が少ないタンクの場合、堤内火災で加熱されると、内液の温度が高くなるのは速く、可燃性ベーパーがタンク内外で発生する。小型タンクの堤内火災の実験によれば、液面より上方の温度が2分間で500℃に達した例もある。

■ 軽油用のタンクNo.6でファイヤーボールが発生したのは、ボイルオーバーとみられている。通常、軽油では、原油などで起こる「典型的なボイルオ-バー」は発生しないが、「薄層によるボイルオーバー」が生じたものと考えられている。隣接するタンクNo.7も火災に包まれていた。このタンクには、2,500KLの軽油が入っていた。一方、タンクNo.6は、貯蔵能力2,900KLの約三分の1の1,000KLしか入っておらず、約2,000㎥の空間はベーパーが充満していた。この可燃性ベーパーを通気弁から十分に排気できず、タンクNo.6の爆発は過圧現象と相乗したものだとみられる。

■ この事故では、固定屋根式タンクの屋根と側板の接続部を意図的に弱くするという放爆構造になっていなかったことが、火災を拡大させた要因のひとつだと指摘された。また、当時のタンクに関わる法令が適切でなかったとされている。
タンクNo.6ファイヤーボールおよびリヨン市内から見た黒煙
(写真はARIA資料から引用)
(写真はyoutube.com の動画から引用)
                63日朝におけるダメ押し泡放射状況  (写真はARIA資料から引用)
爆発によって噴き飛んだタンクおよび火災によって損傷したタンク群
(写真はARIA資料から引用) 
           事故後の油槽所の俯瞰図   (写真はARIA資料から引用)
<欧州基準による産業事故の規模 >
■  1994年2月、セベソ指令を司るEU加盟国管轄庁の委員会は、事故の規模を特定するために18項目のパラメーターを用いる評価基準を適用した。わかっている情報をもとに検討された結果、当該事故は4つの分類項目に対してつぎのように評価された。
補 足               
■  「フランス」は、正式にはフランス共和国で、西ヨーロッパ西部に位置する共和制国家である。 西は大西洋に、南は地中海に面し、北海のドーバー海峡を隔てて北西にイギリスが存在する。 人口は約6,100万人で、首都はパリである。
 「リヨン」 は、フランスの南東部に位置し、ローヌ県の県庁所在地で、人口約49万人の都市である。北東から流れ込むローヌ川と、北から流れ込むソーヌ川がリヨンの南部で合流する。
■ 「シェル」(Shell)は、石油メジャーのロイヤル・ダッチ・シェル(Royal Dutch Shell plc)の略称である。ロイヤル・ダッチ・シェルは、オランダのハーグに本拠を置くオランダとイギリスの企業で、原油・天然ガス採掘から精製,販売まで垂直に統合され、ほかに化学、原子力事業も行い、世界100か国以上に進出している。グループは、オランダのロイヤル・ダッチ・ペトロリアム社(Royal Dutch Petroleum Co.)とイギリスのシェル・トランスポート&トレーディング社(Shell Transport & Trading Co.)という二つの親会社から成り、売上高が世界2位の民間石油エネルギー会社であり、ヨーロッパ最大のエネルギーグループである。
 リヨンのローヌ川沿いのエドゥアール・エリオ港にシェルの油槽所があった。油槽所は1948年に建設され、ガソリン、軽油、重油、潤滑油など約60基のタンクが設置され、総貯蔵能力は43,000KLだった。リヨン油槽所の火災事故は、フランスにおける貯蔵タンクの配置や設計の安全性を見直すきっかけになった。発災当時の記録映像「Incendieau port Edourd Herriot de Lyon」がYouTubeに投稿されている。なお、事故後、リヨン油槽所は撤去され、現在は別な施設になって跡形もない。
                       発災時の俯瞰図    (写真はyoutube.com の動画から引用)
現在のエドゥアール・エリオ港付近 
(事故のあった油槽所は撤去されている)
(図はグーグルマップから引用)
■ 消火活動に使用した泡薬剤量の合計は412KL 72,000リットル+200,000リットル+140,000リットル)である。さらに、消火後も再燃防止で泡放射を続けており、総使用量はもっと多い。焼失した油量は3,700トン(1,900トン+1,200トン+600トン)である。発災から鎮火まで約24時間かかっている。

所 感
■ この事故は油槽所としても稀なケースの火災事例であろう。通常の油槽所と異なり、品質管理や計装制御を要する燃料添加剤注入システムが設けられているようで、数基の燃料添加剤タンクが設置されている。この燃料添加剤設備が事故の発端になり、さらに火災を拡大させた要因になったものとみられるが、燃焼性促進の添加剤が火災の燃焼性を促進させてしまったのは、皮肉な結果といえよう。

■ 燃料添加剤タンクを除いても、タンク間距離の小さい配置である。このような小型から中型のタンクが密集しているエリアで堤内火災が起これば、タンク施設は壊滅的な結果に至るということを示す事例である。日本では、このような堤内火災が起こっていないため、認識が薄く、想定を考えるにしても、配管からの漏れ程度で容易に消火できるというものであろう。堤内火災の厳しさを認識する事例として有用な事故情報だと思う。

■ 消火活動は難航を極めたことを物語るデータが示されている。焼失油量は約3,700トン(約4,200KL相当)と、驚くほど多い量ではない。しかし、泡薬剤は412KLと多くの量を使用し、発災から鎮火までに約24時間を費やしている。密集したタンク群で次々に起こるドミノ効果によって効率の悪い泡放射活動だったと思われる。その中で、この当時としてはかなり大型の6,000L/min(大型化学消防車2台分に相当)の放射能力をもった泡モニターが効果を発揮したという。1980年代に起こった「ミルフォード・ヘブンの原油タンク火災事故(1983年8月)」と今回の「リヨンの油槽所における火災事故(1987年6月)」をみると、この頃、すでに大容量の泡放射モニターと大量の泡薬剤の必要性を示唆していた事例があったと感じざるをえない。

備 考
 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
     ・Emars.jrc.ec.europa.eu, Accident Profile, The accident occurred in a storage installation in port EdouardHerriot near to Lyon (The SHELL depot) - 02/06/1987
     ・Aria.development-durable.gouv.fr, Incendie dans un dépôt d'hydrocarbures du Port Édouard Herriot Les 2 et 3 juin 1987, Lyon (Rhône)  France, Ministère du développement durable - DGPR / SRT / BARPI N4998, avril 2009
     ・Fdma.go.jp, 自衛防災組織等の防災活動の手引き(案), 危険物保安技術協会, 平成261月 (海外における災害事例、リヨン・油槽所火災事例)




後 記: 今回の情報にはARIA資料が入っていますが、「ミルフォード・ヘブン火災(1983年)」の資料と異なり、フランス語です。(フランスで起こり、フランスでまとめられたものなので、当然ですが) 内容を知りたいと思い、苦肉の策として仏語を英語に訳してトライしました。全ての内容を理解することはできませんでしたが、図や写真があり、主要な部分は記事にしました。
(写真は中国新聞1212日から引用)
 話ががらっと変わり、この後記で周南市の寂しい話題(出光徳山製油所の閉鎖、帝人徳山事業所の閉鎖計画)について書きましたが、今日は良いニュースを紹介します。ひとつは、東ソー南陽事業所で2つの新しいプラント(ハイシリカゼオライト製造施設とウレタン発泡触媒製造施設)が完成し、生産を開始するというニュースです。もうひとつは、出光徳山事業所(石油化学と油槽所機能)が総務省消防庁が開催した自衛防災組織の技能を競う全国的なコンテストで、最優秀賞の総務大臣賞を受賞したというニュースです。 (写真) 今年初めて開かれ、全国から33事業所が参加した中で受賞したものです。どのような競技であれ、一番になるということは大変なことだと思います。

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