2003年4月7日、米国オクラホマ州グレンプールにあるコノコフィリップス社のパイプライン・ターミナルの貯蔵タンクが爆発・火災する事故が起こりました。このタンク火災は、パイプライン事故として米国運輸安全委員会(National Transportation Safety Board)が調査に乗り出し、事故調査報告書(Storage Tank Explosion and Fire in Glenpool, Oklahoma
April 7, 2003 Pipeline Accident Report)が公開され、当時、日本の危険物保安技術協会のインターネットホームページに「米国での石油タンク全面火災事例」として紹介されました。今回は、消火活動を視点にした情報と事故の原因調査報告の内容を紹介します。
本情報はつぎのようなインターネット情報に基づいて要約したものである。
・
FireWorld.com, NTSB Blames 2003 Glenpool Fire on Non-Lightning Spark, Industrial
Fire World Vol21 No4
・NTSB.gov, Storage Tank Explosion and Fire in Glenpool,
Oklahoma April 7,2003 Pipeline Accident Report
<事故の状況>
■ 2003年4月7日午後8時55分頃 、米国オクラホマ州グレンプールにあるコノコフィリップス社のパイプライン・ターミナルの貯蔵タンクが爆発する事故が起こった。
グレンプールでは、2003年の火災事故から39か月後に再びタンク火災が起こっている。クレー・ウォード消防署長にインタビューした際に、ウォード署長は最初のタンク火災事故があった日付けを即座に答え、「パイプライン・ターミナルでは、タンクにディーゼル燃料を受入れ中で、静電気によって着火したことは調査によって明らかになっています。事故のあったターミナルの隣りにあるエクスプローラ・パイプライン・ターミナルにおいて2006年6月に再びタンク火災が起こってしまったよ」と語った。
■ 火災によって損壊したタンクT11は、直径109フィート(33m)、高さ48フィート(15m)の鋼製溶接構造の内部浮き屋根式コーンルーフタンクだった。米国運輸安全委員会による事故調査報告では、油種変更後に油を入れる際に、社内基準や業界の推奨基準よりはるかに速い流速でタンクT11に受入れていたことが原因だったと結論づけている。
事故当日の昼、容量80,000バレル(12,000KL)のタンクT11は、ディーゼル燃料を入れるため、ガソリンを空にする作業が実施された。午後8時33分頃、油の受入れが開始され、最初の流速は時間当たり24,000~27,500バレル(3,800~4,300KL)だった。約22分後、タンクの高液位警報が鳴った。と同時に、午後8時55分頃、タンクT11で爆発が起こり、高さ75フィート(22m)の火炎が噴き上がった。事故調査報告書によると、固定式屋根がタンク側板から外れ、北側の方向へ飛び、次いで損傷したタンク北側の側板部上部に折り重なるように落下した。その後まもなくして2回目の爆発が起こり、タンクの北側は完全に損壊してしまった。近くに張られていた電線が防油堤内の落下し、堤内に流出していたディーゼル燃料に着火した。その後、地上を走っていた原油配管が火災によって壊れ、配管を停止しなければならなくなった。
■ 専門家の推測によると、爆発時、タンクT11には、7,397~7,600バレル(1,176
~1,208KL)のディーゼル燃料とガソリンがわずかに入っていたとみられる。
■ 事故発生に伴い、グレンプール消防署は午後9時に緊急通報を受けた。グレンプール消防署のほか、コノコ・フィリップス社、近隣のサン製油所、 ウィリアムズF&HCを含め13の消防隊が緊急出動した。
当初、消防隊はタンクT7とT12の間の防油堤の西側から消火泡を放射したが、地上火災を覆うつもりの泡が風によって分散したため、消防隊は火災タンクの周囲から消火活動を行った。しかし、タンクが壊れてしまった状態は、タンクへの泡放射の障害になった。
■ 消防隊は、火災による曝露対策として隣接するタンクに水を放射した。特に、隣のタンクT12にはガソリンが入っていたため、冷却放水が行われた。パイプライン・ターミナル社は防油堤の排水バルブが閉まっていることを再確認した。しかし、防油堤内の火災によって、近くにあるナフサの入った内部浮き屋根式タンクでシール部火災を引き起こす要因となった。このような火災は為すすべなく起こった。
■ ポンカ・シティにある製油所からは消火活動で使用する泡薬剤が供給された。しかし、火災が続くにつれ、タンク地区に近い住民約300世帯が避難し、近くにある学校は2日間休校になった。
■ 翌4月8日の午前3時43分頃、風向きが東に変わった。一時間もせずに、タンクT11の火災は悪化していた。タンクT11に投入していた消火泡が劣化し始めたためである。午前6時少し前、タンク東の防油堤エリアに電線が落下し、堤内に溜まっていたディーゼル燃料に着火してしまった。タンクT11の火災は、結局、21時間続いた。この間、隣接タンク2基が被災した。
鎮火後のタンクT11 (写真はIndustrial Fire Worldから引用)
< 米国運輸安全委員会による事故調査報告書の概要
>
米国運輸安全委員会(National
Transportation Safety Board)の事故調査報告書(Storage
Tank Explosion and Fire in Glenpool, Oklahoma April 7, 2003
Pipeline Accident Report)から特記事項を紹介する。
■ 事故調査報告書では、つぎの3点について問題があったと指摘している。
- コノコ・フィリップス社のタンク切替え運転方法
- 異常事態時のコノコ・フィリップス社と電力会社(アメリカン・エレクトリック・パワー社)の連携と対応
- 異常事態対処計画に関する連邦法と工業規格
<事故の経緯>
■ 午後4時頃から、コノコ・フィリップス社のオペレータはタンク切替えのためライン確立の準備にとりかかった。
■午後5時33分、タンクT11のガソリンをT12へ移送し始めた。
■午後6時10分、ガソリンの移送が終わったので、ディーゼル燃料の受入れ準備に入った。 しかし、このとき、タンクT11内のガソリンは抜けていたが、タンク底の油溜と入出荷用配管(31インチ径)には約8KLのガソリンが残留していた。
■午後6時15分、コノコ・フィリップス社のオペレータは、エクスプローラ・パイプライン社からディーゼル燃料3,900KLを空タンクT11へ受入れることを確認した。
■午後6時30分、ライン確立が終わった。
■午後8時33分頃、エクスプローラ・パイプライン社から流量3,800~4,300KL/hでディーゼル燃料の受入れを開始した。
■コノコ・フィリップス社のオペレータの証言によると、午後8時55分、受入れを開始したばかりのタンクT11の高液面警報が作動し、びっくりしたという。
■このとき、移送ポンプのそばにいたエクスプローラ・パイプライン社のオペレータはファイアボールが上がるのを見た。爆発が起こったのだ。
■タンクのコーンルーフ(円錐屋根)は側板から外れ、タンク北側の側板トップに覆いかぶさるような形になっていた。北側のタンク側板も損壊していた。
■事故発生後、両社ではタンクの孤立作業に入った。午後9時45分にバルブ閉止作業が終わった。
■2回目の爆発が起こった。この爆発によって、タンク北側の側板は崩壊し、火炎に包まれた。
■ タンク地区の防油堤に沿って電力会社(アメリカン・エレクトリックパワー社)の架空電力線が走っていた。4月8日午前6時前、電柱から電力線が地面へ落下した。 この際、タンクT11の北側の防油堤内に漏洩していたディーゼル燃料に着火した。
■ 午前6時10分、防油堤内のタンクT7とT8の間のあった地上配管から圧力3.8MPaの原油が噴き出した。 この配管はコノコ・フィリップス社の12インチ径原油パイプラインの過圧防止用設備として使われていた。火炎によって配管フランジが損傷し、接続部が緩んで、原油が噴出したものである。 午前6時17分、コノコ・フィリップス社はパイプラインのポンプを停止し、遠隔遮断弁を閉止した。
■ 午後4時頃から、コノコ・フィリップス社のオペレータはタンク切替えのためライン確立の準備にとりかかった。
■午後5時33分、タンクT11のガソリンをT12へ移送し始めた。
■午後6時10分、ガソリンの移送が終わったので、ディーゼル燃料の受入れ準備に入った。 しかし、このとき、タンクT11内のガソリンは抜けていたが、タンク底の油溜と入出荷用配管(31インチ径)には約8KLのガソリンが残留していた。
■午後6時15分、コノコ・フィリップス社のオペレータは、エクスプローラ・パイプライン社からディーゼル燃料3,900KLを空タンクT11へ受入れることを確認した。
■午後6時30分、ライン確立が終わった。
■午後8時33分頃、エクスプローラ・パイプライン社から流量3,800~4,300KL/hでディーゼル燃料の受入れを開始した。
■コノコ・フィリップス社のオペレータの証言によると、午後8時55分、受入れを開始したばかりのタンクT11の高液面警報が作動し、びっくりしたという。
■このとき、移送ポンプのそばにいたエクスプローラ・パイプライン社のオペレータはファイアボールが上がるのを見た。爆発が起こったのだ。
■タンクのコーンルーフ(円錐屋根)は側板から外れ、タンク北側の側板トップに覆いかぶさるような形になっていた。北側のタンク側板も損壊していた。
■事故発生後、両社ではタンクの孤立作業に入った。午後9時45分にバルブ閉止作業が終わった。
■2回目の爆発が起こった。この爆発によって、タンク北側の側板は崩壊し、火炎に包まれた。
■ タンク地区の防油堤に沿って電力会社(アメリカン・エレクトリックパワー社)の架空電力線が走っていた。4月8日午前6時前、電柱から電力線が地面へ落下した。 この際、タンクT11の北側の防油堤内に漏洩していたディーゼル燃料に着火した。
■ 午前6時10分、防油堤内のタンクT7とT8の間のあった地上配管から圧力3.8MPaの原油が噴き出した。 この配管はコノコ・フィリップス社の12インチ径原油パイプラインの過圧防止用設備として使われていた。火炎によって配管フランジが損傷し、接続部が緩んで、原油が噴出したものである。 午前6時17分、コノコ・フィリップス社はパイプラインのポンプを停止し、遠隔遮断弁を閉止した。
<事故の分析>
(1) 爆発混合気の形成
■ 図2は、発災以前(4日前)からのタンクT11の入出荷記録である。インナーフロー ト(浮き屋根)のレベル以下での入出荷が行われている。 また、発災前に油種入替えのため、ガソリンはタンクが空になるまで移送されているが、油溜にガソリンが残留していた。
■ 表1は、図2に示す時間帯Time1~4におけるタンク内のガソリン蒸気の割合を計算した結果を示す。
■ 爆発混合気の形成状況を示したものが図3である。
■ このようなタンク受入・油種切替の運転によって、タンクT11のタンク空間部には爆発混合気が形成していた。
(1) 爆発混合気の形成
■ 図2は、発災以前(4日前)からのタンクT11の入出荷記録である。インナーフロー ト(浮き屋根)のレベル以下での入出荷が行われている。 また、発災前に油種入替えのため、ガソリンはタンクが空になるまで移送されているが、油溜にガソリンが残留していた。
■ 表1は、図2に示す時間帯Time1~4におけるタンク内のガソリン蒸気の割合を計算した結果を示す。
■ 爆発混合気の形成状況を示したものが図3である。
■ このようなタンク受入・油種切替の運転によって、タンクT11のタンク空間部には爆発混合気が形成していた。
(2) 着火源
■ ディーゼル燃料の受入れを開始したが、受入れ始めの流量は約4,370KL/hで、これは受入れ配管サイズで考慮すると流速2.8m/sに相当する。 発災時までの24分間、平均流量は約3,340KL/hで、流速2.1m/sであった。
■ この状況下で、流体(ディーゼル燃料)には静電気を徐々に蓄積していた。 液面が上がり、インナーフロート(浮き屋根)と液面間で蓄積された静電気が放電し、着火要因となった。
■米国石油協会の推奨基準;API RP 2003 “Protection Against Ignitions Arising Out of Static Lightning and Stray Current”には、静電気の蓄積防止として、浮き屋根タンクの場合、浮き屋根が浮上するまで、受入れ流速制限値を1m/s以下としている。
■コノコ・フィリップス社の社内手順書では、油種によって受入れ流速の制限値を記載しており、これによると、制限値は1m/s 以下としている。 これはAPI RP 2003の基準値を採用しているが、実際の現場での流量との相関を明らかにしていなかった。 この結果、制限値1m/s を2~3倍超える流速で受入れていた。
■ ディーゼル燃料の受入れを開始したが、受入れ始めの流量は約4,370KL/hで、これは受入れ配管サイズで考慮すると流速2.8m/sに相当する。 発災時までの24分間、平均流量は約3,340KL/hで、流速2.1m/sであった。
■ この状況下で、流体(ディーゼル燃料)には静電気を徐々に蓄積していた。 液面が上がり、インナーフロート(浮き屋根)と液面間で蓄積された静電気が放電し、着火要因となった。
■米国石油協会の推奨基準;API RP 2003 “Protection Against Ignitions Arising Out of Static Lightning and Stray Current”には、静電気の蓄積防止として、浮き屋根タンクの場合、浮き屋根が浮上するまで、受入れ流速制限値を1m/s以下としている。
■コノコ・フィリップス社の社内手順書では、油種によって受入れ流速の制限値を記載しており、これによると、制限値は1m/s 以下としている。 これはAPI RP 2003の基準値を採用しているが、実際の現場での流量との相関を明らかにしていなかった。 この結果、制限値1m/s を2~3倍超える流速で受入れていた。
(訳者注;API RP 2003では、流速制限値の記述は「3ft/s(1 m/s)」という表現になっている。3 ft/sを正確に換算すると、0.91 m/sである)
補 足
■ 「オクラホマ州」は米国南中部にあり、人口約375万人で、州都および最大都市はオクラホマシティである。オクラホマ州は石油、天然ガスおよび農業の生産が高い。合衆国46番目の州になっており、当初は全米のインディアン部族のほとんどを強制移住させる目的で作られた州で、このため、他の州に比べ、インディアンの保留地が非常に多い。気候は比較的温暖な地域にあるが、春先から晩夏にかけて、この地域特有の気候条件により雷雨が発生しやすいところである。
「グレンプール」はオクラホマ州東中部のタルサ郡にあり、タルサ市圏にあり、人口約10,900人の町である。
■ 「コノコフィリップ」(ConocoPhillips)は、スーパーメジャーと呼ばれる石油会社の一つで、1875年に創立され、その後、コノコ社とフィリップス・ペトロリアム社が合併した会社である。コノコフィリップスは、2011年7月に石油開発部門と石油精製・販売部門を分割し、石油精製・販売部門は「フィリップス66」という名称の会社になり、石油開発部門の会社が「コノコフィリップス」の名称を継承している。
最近では、2012年9月2日、ルイジアナ州のベルチャスにあるフィリップス66社のアライアンス製油所でハリケーン・アイザックの襲来後に油漏出の事故があり、このブログでは2012年9月に事故情報を紹介した。
グレンプールには、パイプライン油槽所としてのターミナルがあり、貯蔵タンクを保有している。火災を起こしたタンクT11は再建されていないが、被災したタンクT7およびT12は復旧されている。
現在(2012年)のグレンプールのコノコフィリップス社のパイプライン・ターミナル(右側タンク群)
(写真はグーグルマップから引用)
所 感
■ このタンク火災は、直径33m、容量12,000KLで大型タンクではなかったが、極めて消火の困難な火災だったといえる。鎮火後のタンク被災写真を見ると、側板は完全に座屈し、固定屋根が覆いかぶさるように折り重なっており、いわゆる“障害物あり全面火災”だったことが想像できる。さらに、タンクから流出した油やパイプラインからの漏洩による火災が起こっており、防油堤内火災は広い範囲でなくても、消火が難しいと思われる。
結局、火災は21時間続いており、燃料が燃え尽きる状態までいって鎮火したものだろう。しかし、隣接していた2基のタンクも被災しているが、全面的な火災にならなかったのは、曝露対策の消防活動が適切だったものと思われる。
消火活動には、米国の消火専門会社であるウィリアムズ社(Williams Fire & Hazard Control)が支援しているが、さすがのウィリアムズ社も手こずったと思われる。ウィリアムズ社は、1983年の「テネコ-83のタンク火災」で消火活動に成功し、前回当ブログで紹介したカナダの「コノコ-96タンク火災」の消火に携わり、2001年には、ルイジアナ州オリオン製油所の直径82mのタンク火災の消火を行ったことで有名になった。そして、資料中にも記載されているように、2006年6月にグレンプールで再びタンク火災があり、ウィリアムズ社が出動し、消火に成功している。
■ “単純な”タンク全面火災では大容量泡放射砲が有効であるが、必ずしも大容量泡放射砲が万能な消防機材ではないといえる事例である。火災への適切な対応は、ある面、経験が必要であるが、実際の火災現場を体験する機会は多くない。これを補うのが訓練であり、他の火災の消火活動の情報を知り、疑似体験することであると思う。
後記; 先日、ある新聞に「相次ぐ爆発 動けぬ企業」という見出しに「化学工場で年3回の爆発事故があったが、その背景としてベテラン退職と施設の老朽化があるのではないか」という主旨の記事が掲載されていました。当ブログでも紹介した2011年11月の東ソー南陽事業所の塩ビプラント爆発・火災事故、2012年9月の日本触媒姫路製造所のアクリル酸プラント爆発・火災事故の2件に2012年4月の三井化学大竹工場のプラント爆発・火災事故の3件を対象にしたものです。「ベテラン退職と施設の老朽化」というのは観念論的には興味を引く言葉ですが、2つの事例を調べてみたことからいえば、ちょっと皮相的だなと感じました。ただ、不思議なことに“事故は連鎖する”ということです。何か共通的な要因がないのか考えたくなるのはわかりますね。
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