今回は、 2020年8月25日(火)、神奈川県横浜市の小柴貯油施設跡地の旧覆土式地下タンクに工事中の男性が重機ごと転落して死亡した事故のその後の9月に出た情報を紹介します。新しい情報は主に「対応」の後半部以降にまとめています。(前回のブログは「横浜市の小柴貯油施設跡地の覆土式地下タンクに工事中に転落」を参照)
< 発災施設の概要 >■ 発災があったのは、神奈川県横浜市金沢区の旧米軍施設「小柴貯油施設跡地」である。 現在、跡地は日本に返還され、横浜市が公園整備を進めている。
■ 「小柴貯油施設跡地」は、旧日本海軍が燃料貯蔵基地として建設し、戦後は米軍が航空機燃料の備蓄基地として使用しており、敷地内には地上タンクが5基、覆土式地下タンクが29基ある。事故があったのは、直径約45m×深さ30mの地下タンクの1基である。
事故の発生
■ 2020年8月25日(火)夕方、小柴貯油施設跡地の現場で、ダンプカーから降ろした土を重機(バックホー)でならす作業をしていた男性の行方が操縦していた重機ごと分からなくなった。
ダンプカーの運転手は午後1時頃に重機を確認していたが、およそ2時間後に重機がいなくなっているのに気付いたという。
■ 工事施工者は、重機と共に男性の姿が見えなくなっていることを消防へ119番通報した。工事は横浜市が発注し、飛島・奈良・センチュリー建設共同企業体が施工する西部水再生センターの下水道工事であり、工事で出た建設発生土を小柴貯油施設跡地の公園整備事業の盛土用の土として搬入していた。
■ 男性は下水道工事で現場付近に仮置きした残土を、重機で整地する作業をしていたが、近くに地下タンクがあり、上部の天蓋(屋根部)の一部が崩落していた。このため、男性は地下タンクに転落したとみられている。周囲に柵はなく、男性が操縦していた重機は重量が20トンほどあり、重機が進入してタンク天蓋(屋根部)に乗った際に壊れた可能性がある。地下タンクには、深さ約9mの雨水などが溜まっているとみられる。
■ 県警と消防が捜索に当たったが、二次災害の危険があるとして25日(火)午後7時頃に中断した。救助活動を行うには、タンク内の水を抜く必要があり、翌26日(水)午後から排水ポンプを5台投入するための土台の設置や周辺の整地作業を進めた。
■ 8月26日(水)、県警と消防は、男性の捜索活動を再開したが、同日午後9時までに見つからなかった。地下タンクは水が溜まっており、排水して安全確認をした上で、捜索を本格化させるという。排水作業は27日(木)以降までかかる見込みで、県警などは、残った天蓋(屋根部)や新たな土砂の落下などの二次災害の懸念がなくなった段階で救助を始めるという。
被 害
■ 地下タンク近くで作業をしていた男性1名が、深さ約30mの地下タンクに重機(バックホー)ごと転落し、死亡(内部に溜まっていた水による溺死)した。
■ 戦前に建設された覆土式地下タンクの天蓋(屋根部)が一部崩落した。
< 事故の原因 >
■ 事故原因は、覆土式地下タンクの天蓋部(屋根部)に進入し、屋根部が重機の重み(約20トン)で崩落し、天蓋部(屋根部)に居た作業者が重機ごと地下タンクに転落したとみられる。
■ 排水作業を行いながら捜索していたが、8月28日(金)、警察と消防は地下タンク内で行方不明となっていた男性を発見したが、すでに死亡していたことが確認された。市消防局によると、同日午前10時45分頃、地下タンク内で重機の一部が見つかり、救助隊員が潜水して捜索するなどして午後5時35分頃、水の中にあった重機の操縦室内で男性を発見した。発見時、重機は横倒しになった状態で、窓ガラスは割れていたという。
■ 工事を発注した横浜市は、工事施工者に地下タンクを避ける形で作業場所を指定していたという。しかし、天蓋(屋根部)の縁ギリギリまで盛られた土が崩れていることなどから、横浜市は、男性が覆土式地下タンクの天蓋(屋根部)の上で作業をしていたのではないかとみている。
■ 9月1日(火)、神奈川県警は、横浜市の公園造成現場で重機ごと深さ約30mの地下タンクに転落し、遺体で見つかった男性を司法解剖した結果、死因は溺死と発表した。
■ 9月2日(水)、横浜市によると、男性は地下タンクの近くでダンプカーが運んできた土砂を重機でならす作業を担当しており、作業場所は当初、覆土式地下タンクの天蓋(屋根部)より5mほど低かったものの、土砂をならすうちに高低差がなくなったとみられるという。この事故に関連して、横浜市長は、記者会見で、工事の指示書では土砂を置く場所は、地下タンクの縁から10m以上離れた地点を指定していたと明らかにし、現場にどのような指示が伝わっていたのか、調べる考えを示した。
横浜市によると、今年5月、土砂の搬入が始まる前に、市の担当者や工事施工者が立ち会って現場で土砂を置く場所を検討したという。この時、地下タンクの縁から少なくとも14m離れたおよそ2,300㎡の場所を置き場に指定したという。しかし、横浜市によると、事故のあと、指定された場所の外側にも土砂があることが分かったということで、横浜市では、当時、現場にどのような指示が伝わっていたのか調べることにしている。
■ 9月25日(金)、事故発生から1か月を迎える。重機の重みでタンク跡の天蓋(屋根部)が崩落したとみられるが、横浜市は、「あらかじめ決められたルート以外は通らない指示になっていた」という。横浜市議会で転落事故に関する質疑があり、横浜市は、工事を受注した工事施工者側に示した図面にタンク跡の位置が明記されていなかったことを明らかにした。毎日新聞では、残土置き場の事故前後の状況を分かりやすく図に示した記事を掲載した。
■ 9月28日(月)、25日に行われた横浜市議会の質疑応答で分かったことは、つぎのような事項である。
● 西部水再生センターの下水道工事で発生した建設発生土は、当初、南本牧ふ頭に搬出予定だったが、2020年5月初めに小柴貯油施設跡地に残土置き場を設けることに変更した。
● 5月14日(木)に現場で立会いの打合せを行った。その際、横浜市の下水道担当者、公園担当者、工事施工者で搬入ルートや仮置き場所の位置などについて確認をした。その際の資料は、横浜市の公園部局の職員が作成して提供した。
● その打合せで使用した資料は下記の図である。この資料では、残土置き場はBを指定したもので、事故が起きた残土置き場Aを指定したものではなかった。これは、当初、Bの所に残土を置くためのもので、その後、Bが一杯になったので、Aの方に置くように横浜市が指示した。
● 写真は残土を積む前のAの様子であるが、タンクは見えない状況だったし、地図上にも示されていなかった。タンクの位置をどのように伝えたのか、現場でどのようなやり取りがあったかについては、現在捜査中という理由で回答はなかった。
■ 9月に行われた金沢区町内会連合会定例会において、横浜市の事故概要説明において、タンク内には推定約 10,000㎥の水が溜まっていたことが分かった。
補 足
■「神奈川県」は、日本の関東地方に位置する人口約920万人の県である。
「横浜市」は、神奈川県東部に位置し、県庁所在地で人口約375万人の政令指定都市である。
「金沢区」は、神奈川県南端部に位置し、三浦半島の東側にあり、人口約197,000人の行政区である。
■「小柴貯油施設」は、戦前(1937年頃)に旧日本軍が燃料の貯蔵基地として建設されたものである。第二次世界大戦後に進駐した連合国軍が、市内中心部や港湾施設などを広範囲に接収し、接収された土地は市全体で最大で1,200ヘクタールあり、小柴貯油施設は米軍が航空機燃料の備蓄基地に使っていた。敷地内には地上タンクが5基、覆土式地下タンクが29基ある。
米軍の接収地は、解除を求める運動の機運が高まり、1952年には大桟橋や今の横浜スタジアムなどの土地が返還されている。その後、断続的に返還され、今回、事故が起きた53ヘクタールの金沢区の旧「小柴貯油施設」は、戦後60年の2005年に返還され、国が横浜市に現況のまま全面積を無償貸し付けし、現在、横浜市が公園整備を進めている。
■ 横浜市が策定した「小柴貯油施設跡地利用基本計画」(2020年3月)の表紙写真は、つぎのとおりである。この写真に限らず、横浜市が作成した小柴貯油施設跡地の図には、地下タンクの場所が示されている。一方、9月に横浜市議会で明らかになった「(仮称)小柴貯油施設跡地公園 土砂搬入場内案内」では、なぜか地下タンクの位置が示されていない。ただし、過去に爆発火災を起こして天蓋部(屋根部)が無くなった地下タンクだけは図に位置が示されている。
所 感 (前回;9月17日)
■ 今回の事故の直接要因は、重機操縦者が亡くなっているので分からないだろう。 間接要因は、盛り土の形成状況から重機操縦者の“善意の行動”だと感じる。事前の打ち合わせでは、建設発生土(残土)の置き場は「地下タンクの縁から少なくとも14m離れたおよそ2,300㎡の場所」に指定されたとある。2,300㎡は(たとえば、20m×100mに相当するかなり広い空地である。このような空地に残土が置かれ、盛り土を形成することはむずかしくはない。まして、重機操縦者は下水道工事を請け負った工事施工者の作業員である。ところが、盛り土は傾斜地で地下タンクの縁まで積み上げられている。推測だが、重機操縦者はどこに使う残土だろうという疑問をもち、地下タンクの埋め立てに使うらしいということを知ったのではないだろうか。重機操縦者は自分の技量を発揮して、地下タンクの縁の方へ残土を運んだのではないだろうか。“善意の行動”の発意ではあったが、残念なことに地下タンクの位置を知らなかったので、覆土式地下タンクの天蓋部(屋根部)にまで進入してしまった。
■ 事故の未然防止のためには、①「ルールを正しく守る」、②「危険予知活動を活発に行う」、③「報連相(報告・連絡・相談)により情報を共有化する」の3つが重要である。重機操縦者には、これらのいずれかが欠けていたために事故となったと思われる。 一方、今回の事故では、盛り土の形成状況を見ると、相当な時間が経過していると思われ、工事施工者および発注者の階層(所長、マネージャー、担当者など)ごとの「ルール」の観点、「危険予知活動」の観点、「報連相」の観点の失敗要因について分析・対応を考える必要があると思う。(階層ごとの失敗要因と対策の解析例は、「太陽石油の球形タンク工事中火災(2012年)の原因」および「三井化学岩国大竹工場の爆発事故(2012年)の原因」を参照)
所 感 (今回)
■ 前回、「事故の間接要因は、盛り土の形成状況から重機操縦者の“善意の行動”だと感じる」と書いた。しかし、今回の情報(残土置き場の場所を示す図面に地下タンクの表示なし)で、重機操縦者は覆土式地下タンクの存在をまったく知らなかったのではないかという考えが浮かんだ。横浜市が
「地下タンクの縁から少なくとも14m離れた場所」という指示については、工事施工者(あるいは重機操縦者)は、発災のあった覆土式地下タンクではなく、天蓋部(屋根部)のない地下タンク(6号タンク)と理解する可能性がある。
■ 残土置き場が変更になったという情報を知って、残土置き場が写った写真を調べた。そうすると、当初の残土置き場Bは高さ約4mで整然と積まれ、いっぱいになっている。このため、残土置き場がAに変更になったとみられるが、この置き場は一部がすでに別な残土が積まれ、スペースが限られている。このため残土置き場Aはかなり無理な積み上げ方をしており、覆土式地下タンクの法面を埋める形で積まれている。当初は“善意の行動”でタンク埋め立てに便利なように積んだのではないかと思っていた。これは覆土式地下タンクのことを知っていたという前提だが、重機操縦者は覆土式地下タンクの存在をまったく知らなかったのではないかという気もする。
備 考
本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
・Asahi.com, 米軍跡地で重機転落、男性不明 穴に大量の水、救助難航, August 26,
2020
・Nhk.or.jp, 横浜 重機転落事故 地下タンクの水を抜き作業員救助へ, August 26,
2020
・Kanaloco.jp, 男性作業員落下、捜索再開も発見できず タンクには重機跡, August 26,
2020
・Tokyo-np.co.jp, 重機ごと男性が地下タンクに転落か 横浜の米軍施設跡地, August 26,
2020
・Kanaloco.jp, 地下タンクに落下の作業員、死亡を確認 重機操縦室で発見, August 28,
2020
・Jcp.or.jp, 重機地下タンク落下調査, September 01,
2020
・Anzendaiichi.blog.shinobi.jp,
2020年8月25日、横浜市で米軍燃料基地返還後の・・・, September 01,
2020
・Sankei.com, 横浜のタンク転落、死因は溺死 重機操作の男性, September 03,
2020
・City.yokohama.lg.jp, (仮称)小柴貯油施設跡地公園 基本計画
・City.yokohama.lg.jp, 小柴貯油施設跡地利用基本計画, March, 2020
・Shippai.org, 隣接タンク工事の火花による米軍覆土式地下石油タンクの火災
・City.yokohama.lg.jp, 小柴貯油タンクの爆発事故の真相究明を横浜市に要求, December
19, 2019
・Img.p-kit.com, 西柴団地の歴史
・Jstage.jst.go.jp, 「JP-4」タンク火災における輻射熱, 安全工学,Vol23,No.4, 1984
・Furuya-yasuhiko.com, 横浜市が打ち合わせ時に示した地図には事故のあったタンクは描かれていなかった・・・ , September 28,
2020
・Mainichi.jp, 重機転落1か月、ふたの上走行、なぜ 土かさ増し、行き来容易に、横浜市「想定外」を強調, September
25, 2020
・Mainichi.jp, 重機転落死 穴の位置、図に記さず、横浜市、JVに提示,
September 26, 2020
・Kanazawa-chikurengo.jp, 金沢区町内会連合会定例会(令和2年9月), September, 2020
後 記: 今回の事故は首都圏で起こったので、事故当初はいろいろなメディアやSNSで取り上げていました。その後、横浜市議会で質疑応答が行われ、新たに分かった情報が出ましたが、私が知る限り、メディアでは毎日新聞だけが報じています。(地方紙や地方版は?ですが) 熱しやすく、冷めやすい典型の日本人的で、大手メディアからこれですから、なんとかならないでしょうかね。
ところで、前回の後記に周南市(旧徳山市)にある旧日本海軍が建設した覆土式地下タンク(最大は内径88m×深さ10m×容量50,000KL)について書きましたが、10月8日付け朝日新聞山口版に「周南緑地今なお戦時の油」と題して旧日本海軍の覆土式地下タンクに関する記事が掲載されました。副題は「旧海軍の地下タンク跡から流出か」、「大雨で川へ」、「根本的改善策なし」ということで、建設時のことと現状のことが書かれていました。その中で、「周南緑地に残る巨大な貯油タンクの跡」の写真が載っていました。さっそく見に行ってきました。サッカー場の東端にあり、なんども見ていましたが、これが地下タンク跡とは思ってもいませんでした。
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