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2017年5月31日水曜日

米国コロラド州の油井施設で原油タンクが爆発して死傷者4名

 今回は、2017年5月25日、米国コロラド州ウェルド郡ミードの近くにあるアナダルコ・ペトロリアム社の油井施設で原油タンクが爆発・火災を起こし、4名の死傷者が発生した事例を紹介します。
(写真はDenverpost.com から引用)
< 発災施設の概要 >
■ 事故があったのは、米国コロラド州(Colorado)ウェルド郡(Weld County)ミード(Mead)の近くにあるアナダルコ・ペトロリアム社(Anadarko Petroleum Corporation)の油井施設である。

■ 発災したのは、ミードのコロラド66号線とコロラド大通りの近くにある施設の原油タンクである。タンクは油井から生産された原油を集積するもので、パイプラインにつながっている。
ウェルド郡のコロラド66号線沿線付近 (矢印が発災場所)
(写真はGoogleMapから引用)
< 事故の状況および影響 >
事故の発生
(写真は9news.com から引用)
■ 2017年5月25日(木)午後3時15分頃、油井施設の原油集積用タンクが爆発し、火災を起こした。火災によって発生した黒煙が立ち昇り、遠くからも見ることができた。

■ 事故は火の手が上がったあと、爆発が起ったという目撃の証言がある。爆発・火災が起ったのを見た住民が消防へ通報した。

■ 発災場所から約半マイル(800m)離れたところの住民は、「衝撃波を感じる同時に家が揺れました」と語っている。現場から165ヤード(150m)しか離れていないところに住む人は、「ボン、ボンと音がし、家の屋根が落ちてくるのではないかと思いました」といい、「我が家は10年ほど前に建てましたが、その後、約5年前にタンクが設置されました」と語った。

■ 発災に伴い、マウンテン・ビュー消防署や保安官が出動し、現場に到着したとき、油井施設のタンクは完全に炎に包まれていた。

■ 爆発があった時、施設では作業員によるメンテナンスが行われており、事故に伴いひとりが死亡し、3人が負傷した。負傷した作業員のうち2人は火傷治療のためグリーリーにある北コロラド医療センターに搬送され、もう1人はラブランドにあるロッキーズ医療センターに搬送された。作業していたのはアナダルコ・ペトロリアム社の従業員でなく、メンテナンスを請負った会社の作業員だった。

■ 事故発生に伴う近くの住民への避難指示は出されなかった。消防署は近くの住民に対して危険性がない旨、戸別に伝えた。

■ アナダルコ・ペトロリアム社は、5月26日(金)、「作業員は施設のアップグレードに関する工事を行っており、ほぼ終了していました。事故時、施設の運転は行っていませんでした」と語った。

■ 事故のあった施設の所有者であるアナダルコ・ペトロリアム社は、今年4月17日、ファイヤーストーンの町で死者を出した住宅の爆発事故に関係している会社である。爆発事故は天然ガス配管の漏れによるもので、ファイヤーストーンの現場は今回の発災場所から南へ約4マイル(6.4km)行ったところにある。
 
被 害
■ 4名の死傷者が出ており、うち1名が亡くなった。死亡したのは、ウェルド郡庁のグリーリーに住む32歳の男性で、爆発によって亡くなったという。

■ 油井施設の複数の原油タンクが焼損し、内部の原油が焼失した。
(写真は9news.com から引用)
(写真は9news.com から引用)
(写真はDenverpost.com から引用)
< 事故の原因 >
■ 労働死亡災害に至った事故の原因は調査中である。

< 対 応 >
■ マウンテン・ビュー消防署は、4月25日(木)午後3時18分に爆発があったという通報を受け、ただちに現場へ出動した。消防隊のほか、ウェルド郡保安官およびウェルド郡検視官が同時に出動した。

■ マウンテン・ビュー消防署は、4月26日(金)、タンク火災が鎮火したことを示す写真を公表した。
マウンテン・ビュー消防署から公表された写真
(写真はMvfpd.org から引用)
補 足
■ 「コロラド州」(Colorado)は、米国西部に位置し、人口約503万人の州である。
 「ウェルド郡」(Weld County)は、コロラド州の北部に位置し、人口約25万人の郡である。
 「ミード」(Mead)は、ウェルド郡の南西部に位置し、人口約3,400人の町である。
米国の各州の位置
(図はGepcities.j pから引用)
■ 「アナダルコ・ペトロリアム社」(Anadarko Petroleum Corporation)は1959年に設立され、テキサス州ウッドランドに本拠地を置く石油会社で、主に原油および天然ガスの探査・生産を行っている。2016年には、原油換算で1日当たり792,000バレルの原油を生産している。
アナダルコ・ペトロリアム社の本社ビル
(写真はFuelfix.com から引用)
ウェルド郡ミード近くにある発災したとみられる油井施設(事故前)
(写真はGoogleMapから引用)
  今回の事故のあった場所から南へ約6.4km行ったところにあるファイヤーストーンの町で、今年4月17日、住宅が天然ガスによる爆発で火災になった事故があり、2名の死者を出している。この原因は使用されていないアナダルコ・ペトロリアム社保有の埋設配管(呼び径1インチ)が関与し、このほかに3,000本の配管が残っているいうことで、大きな問題になっている。(油井と埋設配管の例は図を参照)
ファイヤーストーンの住宅爆発火災事故
(写真はDenverpost.com から引用)
アナダルコ・ペトロリアム社の油井と埋設配管の例
(写真はFuelfix.com から引用)
所 感
■  爆発時の状況が分からないが、2010年2月に米国CSB(化学物質安全性委員会)がまとめた安全資料「タンク内外の火気工事における人身事故を防ぐ7つの教訓」が活かされていない事例であることは間違いないだろう。
 原油価格が下がったことによって、一時低迷していた米国におけるシェールオイルの開発が盛り返しているという。シェールオイルの生産は原油価格が60~70ドル/バーレルでないと利益が出ないといわれていたが、最近、掘る場所の厳選判断や掘削方法の改善によって40ドル/バーレル以下でも採算が合うようになったという。(2017年5月26日朝日新聞「盛り返す米シェールオイル」)
 最近、米国における油井施設関連の原油タンク事故は減っている印象を持っているが、経済(経営)好調の裏に今回のような死傷者の出る事故が増えることのないことを望みたい。

■ マウンテン・ビュー消防署は情報公開に積極的で、ウェブサイトに出動状況を写真付きで発表している。ただし、消火活動に関する情報はあまり出ていない。消防隊が到着したときには、タンク群が炎に包まれていたという。油井施設まわりに隣接した設備や建物がなく、爆発を起こすような軽質ガス(または天然ガス)が存在し、消火水源に制限がある状況を考えれば、積極的消火戦略をとるのではなく、初期活動で燃え尽きさせる戦術をとるのは妥当な判断といえよう。


備 考
 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
  ・Denverpost.com,  Anadarko Oil Tank Fire in Mead Injured Three Workers, Spews Black Smoke,  May  25,  2017   
    ・Denverpost.com,  One Dead, Three Injured in Anadarko Oil Tank Explosion in Weld County,  May  25 (Up-date),  2017
  ・9news.com,  One Killed, Three Injured in Oil Tank Fire near Mead,  May  25,  2017  
    ・Kdvr.com,  One Killed, 3 Injured in Anadarko Oil Tank Explosion in Weld County,  May  25,  2017
    ・Reuters.com, Colorado Oil Tank Fire Kills One, Injures Three,  May  26,  2017
    ・Fuelfix.com,  Fire at Anadarko oil tank site kills worker, injures Three, May  26,  2017
    ・Usnews.com, Worker Killed, 3 Hurt in Colorado Oil Tank Fire,  May  25,  2017  
    ・Denver.cbslocal, Residents Shaken By Oil Tank Explosion,  May  26,  2017
    ・Upstreamonline.com, One dead in Anadarko tank battery fire,  May  26,  2017
    ・Coloradoan.com, Victim in Mead oil tank fire identified as Greeley man,  May  27,  2017
    ・Mvfpd.org, News Release: Mead Oil Tank Fire,  May  26,  2017



後 記: 今回のメディアの事故情報では、当該タンク火災のほかに4月に起った住宅爆発の事故が必ず付随して記事にされていました。メンテナンス中だったタンク爆発・火災事故は事前の対策が可能だったのに対して、突然、住宅が爆発火災の被害を受け、なおも危険性が潜在するのではないかという不安感から住民の関心の高いことが伺い知れます。
 ところで、今日は地元で話題になっていることを紹介します。周南市に近い光市の虹ケ浜海岸にゴジラが現れたというローカルニュースです。実は、これは海岸に打ち上げられた流木や木切れを使って地元の方が制作したものです。海岸の美化の啓蒙のために作ったそうです。実物を見に行ってきましたが、よくできています。しかし、残念ながら5月末で解体されるそうです。海岸保全の法令からすると、危険な構築物ということで県から指示が出たとのことです。(惜しむ声が多数ということですが)


2017年5月26日金曜日

豪州の自動車解体施設でLPG燃料タンクによる火災

 今回は、2017年3月2日、豪州南オーストラリア州アデレード市にある自動車解体施設でLPG自動車用燃料タンクの爆発をきっかけに大きな火災になった事例を紹介します。
(写真はNews.com.au から引用)
< 発災施設の概要 >
■ 事故があったのは、豪州南オーストラリア州の州都アデレード市(Adelaide)ウィングフィールド(Wingfield)の工業団地にある施設である。施設は自動車解体のリサイクル会社で、家族経営の会社である。

■ 発災の起点になったのは、液化石油ガス(LPG)タンクであるが、タンクはLPG自動車用の燃料タンクとみられ、施設内に複数のタンクがあった。
アデレード市ウィングフィールド付近 (矢印が発災場所)
(写真はGoogleMapから引用)
< 事故の状況および影響 >
事故の発生
■ 2017年3月2日(木)午前9時頃、施設で爆発があり、続いて火災が起った。 火災の煙はアデレード市街地からも見え、臭いも感じられた。

■ 発災に伴い、メトロポリタン消防庁の消防隊が現場に出動した。消防隊が到着したとき、大きな炎が上がっており、現場には、解体用の廃車が120台以上あった。

■ メトロポリタン消防庁によると、作業員が施設内にあった廃車を動かすため、解体用重機のエクスカべーターを使用しているときに事故が起きたという。火災が起った後も何度か爆発があった。

■ 爆発は自動車用のLPG燃料タンクとみられ、残っているLPGタンクが再び爆発する危険性があるため、消防隊は最初にタンクの上から冷却散水をかける防御的な戦術をとることとした。火災は午前10時過ぎには制圧下に入った。

■ 目撃者によると、火災になる前に爆発音を聞いたといい、「最初、爆発のような変な音が聞こえました。当初、火はそんなに大きなものではありませんでした。しかし、10分ほどの間に段々大きくなり、最後はものすごい火災になりました。危険を感じて、その場から逃げました。ちょっと怖かったですね」と語っている。

■ 警察は発災現場近くの道路を封鎖し、交通規制を行った。消防庁は火災の煙に毒性を含んでいることを懸念して、発災現場から南および南西地区の住民に対して、煙が消えるまで家のすべての窓とドアを閉め、車の窓は巻き上げておくよう注意喚起を行った。

■ この事故に伴い、ファイヤーボール発生時にひとりが軽度の火傷を負い、病院に搬送され治療を受けた。このほかにケガをした人はいなかった。火傷を負ったのは、エクスカべーターを運転していた作業員とみられる。

■ 火災は3月2日(木)午前12時過ぎにほぼ消されたが、数時間はくすぶり続けるとみられる。
(写真はFiveaa.com.au から引用)
(写真はFlashover.comから引用)
(写真はAbc.net.auから引用)
(写真は、左:Abc.net.au、 右:Fiveaa.com.auから引用)
被 害
■ 事故に伴い、火傷による負傷者が1名出た。

■ 住民への避難指示は出されなかったが、風下の地区には家の窓やドアを閉めておくよう注意喚起が出された。

■ 約120台の解体用の廃車が焼損した。 損害額は約50,000豪州ドル(約400万円)と推定されている。

< 事故の原因 >
■ 事故の原因は特定されていないが、自動車解体中にLPGタンクが引火・爆発したとみられる。

< 対 応 >
■ メトロポリタン消防庁は、消火活動のため、約70名の消防隊員と消防車14台のほか支援車両を出動させた。 
(写真はNews.com.auから引用)
(写真はFiveaa.com.auから引用)
(写真はFiveaa.com.auから引用)
補 足
豪州の各州の位置
(図は2m.biglobe.ne.jp から引用)
■ 「豪州」(オーストラリア)は、南半球に位置し、正式にはオーストラリア連邦で、人口約2,400万人の国である。オセアニアに属し、オーストラリア大陸本土、タスマニア島のほか多くの小島から成る。
 「南オーストラリア州」は、豪州の南部に位置する州で、人口約170万人の州である。
 「アデレード市」(Adelaide)は、南オーストラリア州の州都で、人口約132万人の都市である。
 「ウィングフィールド」(Wingfield)はアデレード市の北部に位置する地区である。
 
■ LPG自動車は燃料をLPG(液化石油ガス)とする自動車で、日本でもタクシーなどに使用されていた。豪州でも、2000年代初めに税制優遇措置がとられ、かなり普及したが、優遇措置が無くなり、保有台数は少なくなっているとみられる。豪州では、自動車を動かなくなるまで乗り潰す傾向があり、現在、多くの廃車が出てきているものと思われる。

■ 「エクスカべーター」(Excavator)は、本来、掘削用重機であるが、解体工事分野でも押しつぶしなどの作業に使用している。また、解体専用の機種も製造されている。今回、どのような機種が使用されていたかは分からない。
エクスカべーターの例
(写真は、左: Incredible-adventures.com、 右:Sasfork.comから引用)
所 感
■ 廃車になった自動車のLPG燃料タンクが関与したものとみられる。解体作業がどのような工程をとられているか分からないが、かなり荒い作業を行っていたという印象をもつ。しかし、燃料油の場合、燃料タンクからの油の抜き取りは比較的容易であるのに対して、 LPG燃料タンクでは残量が分かりにくい上にLPGの抜き取り(大気放散でなく)はむずかしい。この観点からすれば、LPG自動車の解体作業における盲点だったように思う。

■ 消火作業はなかなか判断がむずかしかったと思われる。自動車の内装は燃えやすいものが多く、一旦火がつけば、積み上げられた車によって短時間で大きな火災になることは想像がつくし、さらにLPG燃料タンクがどのくらいの数あるかわからない状況から、当初は火災拡大を防ぐ冷却を主とした防御的消火戦略がとられたのだろう。その後、爆発がおさまった段階で積極的消火戦略がとられたと思う。これは妥当な判断だったと思う。

備 考
 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
  ・Hazmatnation.com,  Industrial Yard in Australia Experiences Multiple LPG Tank Fires,  March  02,  2017   
    ・Adelaidenow.com.au,  Firefighters Have Extinguished a Massive Fire in Wingfield Following LPG Tank Explosion,  March  02,  2017   
  ・ Adelaidenow.com.au,  Fire Crews Have Contained the Wingfield Blaze  Following LPG Tank Explosion,  March  02,  2017  
    ・Abc.net.au, Wingfield Fire Sends Thick Smoke over Adelaide, As Worker Suffers Burns,  March  02,  2017
    ・Fiveaa.com.au, MFS Says Fire Has Been Contained, But Is Expected to Continue Burning for Hours yet,  March  02,  2017
    ・Au.news.yahoo.com, Tower of Smoke over Adelaide as 100 Cars Go up in Flames at Wingfield,  March  02,  2017
    ・Flashover.com.au, Photo & Video: Over 120 Cars Alight in Wingfield, Adelaide,  March  02,  2017



後 記: この事故情報に最初に接したとき、液化石油ガス貯蔵タンクの爆発・火災だと思いました。情報を集めてみると、どうもそうではなく、LPG自動車の燃料用タンクらしいということが分かり、一旦は情報紹介の対象から外しました。その後、貯蔵タンクの事故がない(情報を聞かない)ことから、少し異質ですが、今回の事例を紹介することとしました。改めて調べ直してみて一番難儀したのが、発災場所の特定です。発災地区の情報や発災写真があり、グーグルマップで調べたら分かるだろうと思っていましたが、近くに別な自動車解体施設らしいところがあり、明らかにすることができませんでした。さらに調査してみたら、空から撮影した動画があり、これでやっと特定することができました。

2017年5月11日木曜日

米国フィラデルフィア製油所のタンク火災で消防士8名死亡(1975年)

 今回は、1975年8月17日、ペンシルバニア州フィラデルフィアにあるガルフ・オイル社の製油所で起った原油貯蔵タンクの火災事故から消防活動中に消防士8名が死亡するという事例を紹介します。
< 発災施設の概要 >
■ 事故があったのは、ペンシルバニア州フィラデルフィアにあるガルフ・オイル社(Gulf Oil Co.)の製油所である。製油所の当時の精製能力は180,000バレル/日だった。

■ 発災があったのは、フィラデルフィア製油所の貯蔵タンク地区にある石油貯蔵タンクである。貯蔵タンク地区に設置されていたタンクは約600基だった。発災のきっかけになったのは、容量75,000バレル(12,000KL) で内部浮き屋根式の原油用貯蔵タンクである。
                           現在のフィラデルフィア製油所付近   (写真はGoogleMapから引用)
< 事故の状況および影響 >
事故の発生
■  1975年8月17日(日)午前6時頃、容量12,000KLの原油貯蔵タンクが、スクールキル川の桟橋に着桟していたオイルタンカーからの荷揚げを終えた直後、引火して火災となった。発災から2・3時間後には、制圧下にあると思われた火災が息を吹き返したように勢いを増した。現場では、多くの消防士が決死の活動を行なっていたが、その後、火災は拡大して大災害となった。

■  8月17日(日)真夜中の午前12時45分頃、フィラデルフィア製油所の桟橋に停泊していたオイルタンカー“アフラン・ネプチューン” は製油所への原油の荷揚げを始めた。原油はナフサを5%加えられたベネズエラ原油で、貯蔵タンクNo.231に移送された。

■ このタンクは1929年に建設されたリベット接続式で、第4ボイラーの近くに設置されていた。ボイラーには、レンガ造りの高い煙突があった。タンクと煙突はペンローズ・アベニュー橋に近かった。煙突には、白色で「GULF」と大きな文字が書かれており、フィラデルフィアのひとつのランドマークになっていた。

■ 8月17日(日)夜明け前に、貯蔵タンクNo.231はオイルタンカーからの荷揚げで一杯になった。さらに原油が入り続け、タンクのベントから炭化水素のベーパーが放出され、タンク外の空気中を漂い、ボイラー室の近くに溜まっていった。明け方近く、炭化水素のベーパーに引火し、フラッシュファイヤーが起った。炎はベーパーの跡をたどってタンクNo.231の方へ向かった。そして、タンク上部で大爆発が起った。時間は太陽が出始めた午前6時頃だった。

■ それから、火のついた油がタンクまわりの防油堤エリア内に流出したので、タンクNo.231で2回目の爆発が起った。さらに、タンクNo.231の防油堤内には別な貯蔵タンクNo.114があり、このタンク系統に延焼した。最初の爆発によってタンクに付帯する配管マニホールドが損傷を受けて、油が噴き出し、それに着火したものである。

■ 1回目のタンク爆発が起った直後に、フィラデルフィア消防署に最初の通報が寄せられた。ただちに消防隊が出動して現場に到着したときに眼にしたのは、火災になった2基のタンクから噴き上がる黒煙の巨大な雲だった。ボイラーに付帯する高さ150フィート(45m)のレンガ造りの煙突は基礎部から縦方向の割れがあり、火災になっているように見えた。
火災の状況
ペンローズ・アベニュー橋付近(左写真)、ボイラー煙突付近(右写真
(写真はPophistorydig.com から引用)
■ 消防隊は泡消火剤と消火用水を使用して火炎と戦った。午前9時頃には、なおも燃え続けていたが、消防隊は火災を制圧できると思っていた。しかし、現場ではいろいろな問題が生じ、破滅的な状況を迎えることになる。

■ 製油所の排水系統が適切に消火水と油の混合液を排出できなくなり、現場の地上に溜まり始めたのである。さらに、この地区の架空電線の危険性を懸念して、製油所にある何台かの排水ポンプが接続されている電源系統を遮断してしまった。写真を見て分かるように、現場は排水が溜まり続けた。
タンク火災に対応する消防隊員
(製油所排水系統が排水を吐け切らず、足元に溜まった消火用水)
(写真はPophistorydig.com から引用)
■ 消防士3名が、消防車No.133と資材のある場所から排水の溜まったところを渡っていた。そのとき、突然、閃光が発し、“水”が燃え上がった。このとき、フィラデルフィア消防長官とガルフ社の製油所長が近くの歩廊の上で消防活動を観察している最中で、この恐ろしい状況を目撃していた。3名の消防士は燃える水の中で窮地に陥っていた。消防長官はかろうじて最初の爆発時に脱出し、振り向くと、「炎が3人を巻き込んでしまっていた」と言い、「3人は泡の下に潜ろうとしたが、できなかった。3人は火に包まれていた」と語っている。

■ その日に出動した消防士のスクールフィールドさんは、その惨事の近くにいたひとりだった。彼も負傷してしまうことになるが、後年、当時の状況をつぎのように語っている。
 「地上はあらゆる方向に展張されていた消防ホースで一杯でした。私たちは暖かい油の中を歩いていました。私たちの足元より24インチ(60cm)ほどの深さだったと思います。しかし、みんなは火災を制圧するんだと言っていました。私も信じていました。事故が起きたのは、午後3時30分頃です。私は赤十字社の車で休憩していたら、“消防士に火がついた”と叫ぶのを聞きました。すぐにその方向へ駆け出しました。そのとき、私は炎に包まれた3人の消防士を見ました。火のついた3人は走り回っていました。彼らは油の中に突っ込んでいき、沈んでいきました。私はどうすることもできませんでした。そのとき、背後からそこから早く引き返せと叫んでいる声を聞きました。振り向いて走り出したとき、泡の覆いが壊れて、炎が立ち上がり、私は火に包まれました。このとき、シモンズさんという男性が私をつかんで走り、私たちは抜け出すことができました」
 スクールフィールドさんは大やけどを負って病院に搬送され、火傷治療センターで2か月間過ごすことになった。その後、スクールフィールドさんは消防士として職場復帰することはできなかった。

■ 一方、その頃、製油所の火災は大火に発達していた。午後5時頃、消防長官は、休憩のために一旦は署に返した消防士を呼び戻さざるを得なかった。

■ 火災は製油所の東の方向へ拡大していた。このため、消防車が2台が被災し、製油所の消火剤ポンプも使えなくなっていた。これ以前にも、フィラデルフィア消防署の消防車2台がフラッシュファイヤーで壊されていた。

■ 製油所では、部分的に電力の供給が停止し、電話も通じない状態だった。一方、火災は高さ125フィート(38m)のペンローズ・アベニュー橋に向かって広がっていき、4基の貯蔵タンクが危険な状況になった。午後5時30分頃には、製油所の管理棟が火災に巻き込まれた。この日、フィラデルフィアでは、製紙工場で別な火災が起こっており、消防署の対応能力を超えていた。

■ 午後6時、消防長官は消火活動に関する指示を出すとともに、その日の日勤の消防士に居残るように指示した。橋の近くにあるボイラーの煙突には、火災時の爆発による大きな割れができていた。煙突が橋に倒れかかる恐れがあり、拡大する火災によって橋が壊れたり、強度の低下が懸念されたため、当局は橋を閉鎖した。

■ 午後7時、火災となったタンクと配管からは炎が噴出し続け、製油所内の道路でも油が流れながら燃えていた。この時点では、火災を止めることができないように思えた。実際、多くの道路ごとに緊急事態対応がとられ、火災となったタンクごとに緊急事態対応がとられていた。

■ 一晩を過ぎ、フィラデルフィア消防署は主要な戦いに打ち勝つ目処が立ったとし、8月18日(月)午前5時38分、火災を制圧下に入れたと報告した。最初に火の出たタンクNo.231の火災は燃え尽きさせる方法をとる判断がされた。現場では、その週も、ぽっと燃え出すような状況が続いた。フィラデルフィア消防署は、消火後の再燃に対応する製油所の自衛消防隊を支援するために少なくとも4回出動した。

■ 最終的に、火災は一週間後の8月26日(火)に鎮火宣言が発表された。
 一方、当該事故がガルフ・オイル社フィラデルフィア製油所における最初の火災ではない。1960年以降、フィラデルフィア製油所では10回の火災が起きている。1975年5月16日に火災事故が起こっており、1975年8月の大火災の後、1975年10月20日にも火災が起こっている。
(写真はPilly.comから引用)
被 害
■ 事故によって22名の死傷者が出た。
 発災のあった日に6名の消防士が命を失った。さらに、その後、重度の火傷を負った2名の消防士が亡くなった。このほか、少なくとも14名が負傷して病院で治療を受けた。

■ 複数の貯蔵タンクが焼損した。少なくとも6基のタンクが被災している。このほか、タンクまわりの配管や製油所の管理棟が被災している。また、消防車にも4台以上の損害が出ている。
 
< 事故の原因 >
■ 火災発生の最初の要因は原油用の貯蔵タンクNo.231の過充填だった。タンク過充填の原因は、タンカー乗員がタンク内へ移送する原油の量をきちんと監視していなかったためである。
 
■ 原油が荷揚げされた大型貯蔵タンク内の上部には、大量の炭化水素ベーパーが溜まっていた。タンク内に入る原油の量が増え、タンクから油が流出することはなかったが、タンク内に溜まった炭化水素ベーパーがタンクベントから押し出され、ボイラー室のエリアに流れていった。この後、引火して最初の爆発と火災が起った。引火源は特定できなかった。
 なお、供給していたタンカーは移送を終了して、スクールキル川の桟橋を離れ、ホグ島の埠頭に移動している。

< 対 応 >
■ 火災の対応のため出動し、消火活動に携わった消防士は約600名だった。

■ 1975年のガルフ・オイル製油所火災事故は、フィラデルフィア市にとって記憶にとどめる日となっている。特に、フィラデルフィア消防関係者で火災によって亡くなった人の家族や友人にとって忘れられない日である。2007年8月、フィラデルフィアのファイアマン・ホール・ミュージアムに約200人が集まり、事故で命を失った消防隊員に敬意を表する追悼碑の除幕式が行われた。 
ペンローズ・アベニュー橋から見たタンク火災
(写真はPophistorydig.com から引用)
タンク火災の消火のために配備された消防車と消防隊員
(写真はPophistorydig.com から引用)
タンク火災の消火活動に従事する人たち
(写真はPophistorydig.com から引用)
(写真はHiddencity.orgから引用)
補 足
■ 「ペンシルバニア州」(Pennsylvania)は、米国北東部に位置し、人口約1,280万人の州である。
 「フィラデルフィア」(Philadelphia)はペンシルバニア州南東部のフィラデルフィア郡にあり、人口約156万人の州都である。
    ペンシルバニア州の位置   (図はNizm.co.jpから引用)
■ 「ガルフ・オイル社」(Gulf Oil Co.)は、1901年に設立された石油会社を発祥とし、セブン・シスターズのひとつとして発展した。1970年頃の全盛時期を経て、1984年にスタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア(SOCAL)と合併し、シェブロンと改名した。
 フィラデルフィア製油所は1904年に創業され、1975年当時は米国で最大の製油所にひとつとして操業されていた。現在は、335,000バレル/日の精製能力でカーライル・グループのフィラデルフィア・エナージー・ソリューションズ社によって経営されている。グーグルマップで見ると、火災事故のあったエリア付近のタンクは多くが撤去されている。しかし、橋の近くに使われていない煙突が今もみられる。
現在のフィラデルフィア製油所における1975年火災事故のあったエリア付近
(写真はGoogleMapから引用)
現在のフィラデルフィア製油所と残されている煙突
(写真はGoogleMapから引用)
所 感
■ 事故の原因はタンクの過充填であるという。事故の経緯や要因は異なるが、タンクの過充填を引き金に大災害となった事例としては、2005年12月の「英国バンスフィールド油槽所タンク火災」や2009年10月の「カリビアン石油タンクターミナルの爆発・火災」と同じである。まさに、事故は繰り返えされると感じる。


■ 消火活動中の消防士8名が亡くなるという極めて稀な事例である。製油所の排水系統が排水を吐け切らず、流出していた油と消火排水が現場から抜けずに溜まり、軽い油が水の上に浮き、消火泡が途切れた部分で火が付いたとみられる。石油産業の最先端を走っている米国では、事故の分野でも思ってもみなかったような経験をしていると感じる事例である。  

備 考
本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
    ・Pophistorydig.com, “Burning Philadelphia”,  Refinery Inferno: 1975,  February  15,  2015
    ・Gendisasters.com,  Philadelphia, PA Refinery Fire, Aug 1975,  August  18,  1975
    ・Firehouse.com,  Remembering the Gulf Oil Refinery Fire,  December  03,  2015
    ・Philly.com ,  Ceremony    marks 1975 Gulf Oil Refinery blaze that  killed Eight Firefighters,  August  17,  2015
    ・En.wikipedia.org, 1975 Philadelphia Gulf Refinery Fire,  March 27,  2017


後 記: 最近、貯蔵タンクの事故情報を聞きません。実際に事故が起こっていなければよいのですが、そうなのかどうかははっきりしません。これまで産業事故の情報を伝えていたインターネット情報源のひとつが無くなり、アンテナが狭くなっています。この種の情報をキャッチしずらくなっています。
 さらに、公的な機関では、このブログでも多くの事例を紹介したフランス環境省のARIA(事故の分析・研究・情報)がすでに活動を停止していますし、最近では、米国の軍事予算増大のあおりでCSB(米国化学物質安全性委員会)が閉鎖されようとしています。事例情報の分析や公表を行わない世の中になっていくことを懸念しています。