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2024年5月13日月曜日

ブラジルのドゥケ・デ・カシアス製油所で球形タンクが爆発、死傷者82名(1972年)

 今回は、いまから52年前の1972330日(木)、ブラジルのリオデジャネイロ州にあるペトロブラス社のドゥケ・デ・カシアス製油所において液化石油ガス球形タンクが爆発し、91名の死傷者を出した事故を紹介します。

< 発災施設の概要 >

■ 発災があったのは、ブラジル(Brasil)リオデジャネイロ州(Rio de Janeiro)ドゥケ・デ・カシアス(Duque de Caxias)にあるペトロブラス社(Petrobrás) のドゥケ・デ・カシアス製油所(Refinaria Duque de Caxias)である。製油所は1961年に開設され、1日あたり24,000KLの石油を生産する能力があった。

■ 事故があったのは、製油所内にある液化石油ガス(LPガス)用の球形タンクである。製油所内には、容量1,600トンで直径25mの球形タンクが4基あり、うち3基が被災した。液化石油ガスの総貯蔵能力は7,803トンである。

<事故の状況および影響>

事故の発生

1972330日(木)午前050分頃、ドゥケ・デ・カシアス製油所で液化石油ガス用の球形タンク1基が爆発を起こした。

■ 前日の29日(水)午後5時頃、球形タンクの1基でタンク底から水抜き中、タンクのドレンバルブが氷結して閉めることができず、液化石油ガスが漏洩し続けた。漏れの量は大きくなっていた。この液化石油ガスに何らかの引火源によって火がついた。

■ 製油所の自衛消防隊が出動し、周辺地区を含め、球形タンクを冷却しながら火災の進行を防ごうと奮闘した。作業の効果はなく、まわりの空気は刻一刻と上昇した。そして、午前050分頃、最初の球形タンク1基が爆発した。球形タンクの一部が2km離れたところに噴き飛んだ。タンクの破片は数km先まで飛び散った。

■ 製油所近隣にあるカンポス・エリセオス地区はパニックに陥った。何百人もの人々が爆発に怯えて家を出た。製油所の周辺では、夜は昼のように明るくなり、空が真っ赤に染まった。炎は300mの高さまで達し、遠くの地区の人も見ることができた。リオデジャネイロの北地区では爆発の揺れを感じることができ、カシアスの中心部では多くの家屋の窓などが壊れた。爆発の圧力は地震のように感じられた。製油所の近くでは、店舗の扉が歪んで壊れ、窓は破られ、木は根こそぎ倒れ、壁は崩れ落ちた。

■ 製油所の現場では、温度が100℃を超え、まさに戦場のような光景だった。住民は赤ん坊を抱え、寝間着のまま家を飛び出し、自転車、車、バイクで製油所からできるだけ遠くへ逃げた。モンガバに到着した列車が住民によって止められ、人々が車内に進入し、あっという間に満員になった。

■ 最初の爆発から数分後にカンピーニョ消防署の消防隊が製油所に到着したが、新たな爆発に見舞われる危険性があり、消防活動ができなかった。ただちに、消防隊は本部に援軍を要請した。最大の難関は高温で消防隊が爆発現場に近づけないことだった。その後すぐに援軍が到着し、メイヤーから5部隊、ラモスから2部隊、中央本部から7部隊がカンピーニョの5部隊に加わり、製油所の自衛消防隊の応援隊も到着した。消防隊は、炎に向かって消火泡を放射した。炎の近くにいる人には離れるようにいい、もし急に炎が大きくなったら地面に身を伏せるように呼びかけた。ほとんどの人は、炎のまぶしさで目が見えなくなり、大きな爆発音で耳が聞こえなくなり、激しい熱さで窒息しそうになりながら、現場から離れざるを得なかった。

■ さらに小規模な爆発的燃焼が続き、 2基目の爆発が午前130分頃、3基目の爆発が午前230分頃に発生した。

■ 午前230分の爆発はさらに危険が差し迫った事態になり、消防士と救急士はすべてを放棄して逃げなければならなかった。爆発するたびに炎が低く噴出し、距離20mほどの範囲にあるものをすべて焼き尽くした。この爆発時に多くの人命が奪われ、多くの人が負傷した。

■ 周辺地区のカルロス・シャガス病院とゲトゥリオ・バルガス病院から40台の救急車で医師と看護師を載せて援助のために出動してきた。

■ 3基目の爆発の後、陸軍の兵士150名が現場に到着し、ドゥケ・デ・カシアス市を国のセキュリティ・エリアとし、周辺一帯を包囲した。この地区にいた医師、看護師、消防士を退去させた。

■ 事故に伴い、38人が死亡し、53人が負傷した。

被 害

■ 球形タンク3基が損壊した。タンク内に貯蔵されていたLPガスが焼失した。

■ 死傷者91人が出た。内訳は38人が死亡し、53人が負傷した。

< 事故の原因 >

■ 事故の初期要因は、タンクの水抜き作業の運転ミスである。

 液化石油ガス中の水はタンク静置中にタンク底に沈降する。この水を除去するため、タンク下部に設置しているドレンバルブを開けて水抜きを行い、液化石油ガスが出てきたらバルブを閉める。液化石油ガス中の水の量によって水抜き時間は異なる。事故当日、オペレーターはドレンバルブを開け、水抜きを開始したが、バルブを開けたまま、休憩所で軽食をとって水が抜けるのを待った。タンクでは水が抜けて、液化石油ガス中が出始めた。オペレーターは走って戻ったが、ドレンバルブはすでに氷結して閉めることができず、液化石油ガスが漏れ続けた。

■ 漏洩した液化石油ガスに何らかの引火源によって火災になった。

■ 爆発は液体の急激な気化による爆発現象で「BLEVE」(沸騰液膨張蒸気爆発)だった。

■ 安全弁は開いていたが、この安全弁は火災状態ではなく通常の動作状態向けに設計されており、壊滅的な規模の爆発を防ぐには不十分だった。 

< 対 応 >

■ 球形タンクの爆発による被害について調べたところ、1基の球形タンク関しては球体がバラバラになり、3つの大きな破片が別々な場所に飛んでいることがわかった。のちに、この爆発は液体の急激な気化による爆発現象で「BLEVE」(沸騰液膨張蒸気爆発)として分類された。 (図を参照)

■ この事例を受け、ペトロブラス社は球形タンクにつぎのような対応策をとった。

  ● 球形タンクの上部および下から1/3の高さに散水設備を設置

  ● インターロッキング付きの安全弁を2個設置

  ● ドレン弁に解凍用のスチームトレースを設置

  ● 球形タンクの下部に水注入設備を設置

  ● タンク下部に恒設のドレン配管を設置し、遠隔操作式でファイアセーフ型のバルブを2個取付け

■ 事故は液化石油ガス貯蔵エリアに限定されており、ほかの液体製品タンクやプロセス装置には影響がなかった。

■ この事故は6年前の1966年に起きた「フランス フェザンのLPGタンク爆発・火災事故(19661月)」 20151月)と類似しているという指摘があった。

補 足

「ブラジル」(Brasil)は、正式にはブラジル連邦共和国で、南アメリカに位置する人口約21,340万人の連邦共和制国家である。州はブラジル連邦単位(Unidades Federativas do Brasil) から成り立っており、ある程度の自治権 (自治、自主規制、自己徴収を備えた組織で、独自の政府と憲法を備えていて、これらが集まって連邦共和国を形成している。ブラジルには26の州があり、各州政府は行政府、立法府、司法府をもっている。

「リオデジャネイロ州」(Rio de Janeiro)は、ブラジル南東部の大西洋沿いに位置し、現在は人口約1,600万人の州である

「ドゥケ・デ・カシアス」(Duque de Caxias)は、リオデジャネイロ州の都市でグアナバラ湾に面しリオデジャネイロ都市圏を構成する都市で、現在、人口は約92万である。石油精製や石油化学工業などの重要な工業地域を有している。

 ■「ペトロブラス社」 (Petrobrás) は、1953年にアマゾンのウルクー油田開発のために設立され、現在は南半球最大の石油掘削会社で広く石油産業に携わっている。ブラジルのリオデジャネイロ市に本社を置き、慣例としてブラジル石油会社あるいはブラジル石油公社と表記されることのある半官半民企業である。

■「ドゥケ・デ・カシアス製油所」の貯蔵エリアには、総容量5,616,000バレルの石油タンク26基、1,292,000バレルを貯蔵できる中間生成物タンク37基、最終製品2,730,000バレル用の貯槽37基、および7,803トンの液化ガス用の貯蔵施設があった。当時、この貯蔵エリアは南米最大だった。

所 感

■ 今回の事故を読んで思い出したのは、プラントの液化石油ガス設備(タンクや配管)で水抜き(ドレンアウト)をする場合、バルブの氷結に注意するよう言われたことである。いまにして思えば、当時、ブラジルのドゥケ・デ・カシアス製油所の事故やフランスのフェザンの事故の教訓があったからだろう。

■ 液化石油ガスの球形タンク事故では壊滅的な破壊を伴うが、50年前の海外の話だけではない。日本でも記憶に新しい事故は「東日本大震災の液化石油ガスタンク事故(2011年)の原因」20123月)である。この4年後には「中国 山東省の液化石油ガスタンク群で爆発・火災」20157月)が起こっている。


備 考

 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。

       Diariodorio.com, O Dia em que a REDUC explodiu,  April  01,  2019

       Wikidata.pt-pt.nina.az, Explosão na Reduc em 1972,  December  17,  2023

       Sindipetrocaxias.org.br, 30 de março de 1972 – A Explosão da Esfera de GLP,  March  30,  2020

       Revista Geográfica de América Central Número Especial EGAL, O MAIOR ACIDENTE DA REFINARIA DUQUE DE CAXIAS (RJ) – BRASIL: UM ESTUDO GEOGRÁRICO-HISTÓRICO,  2011

       Inspecaoequipto.blogspot.com, Caso 007: O Maior Acidente da REDUC (1972),  May  07,  2013

       Zonaderisco.blogspot.com, Explosão na Refinaria Duque de Caxias (Reduc),  December 11,  2014

       Portalc3.net, Memória: Explosão Refinaria Duque de Caxias,  March 30,  2024


後 記: 50年も前の事故だと発災内容が曖昧なことです。大きな事故だったので、繰り返し報じられていますが、事故の経緯がはっきりしません。事故の発端である球形タンクの水抜き作業は、このブログでは29日の午後5時頃ということにしましたが、30日の未明で爆発の直前と報じているところもあります。前日の夕方から漏れ始め、爆発が午前050分であれば、6時間以上も漏れ(火災)が続いているのは長すぎると思うのですが、そのほかの状況をみていくと、30日の真夜中に水抜き作業を始めるのは不自然です。このほか、2回目と3回目の爆発が続きますが、どのタンクが爆発したのか判然としません。それで、 2回目、3回目というのは、2基目、3基目という解釈にしました。

 あとブログにまったく触れなかったのは、「配管工の英雄的な行動のおかげで、事態はさらに悪化しなかった。彼は安全弁を開くために球形タンクに登るのが目撃された。これで水平方向の爆発は防げた」という英雄談です。複数のメディアで扱っていますが、対象のタンクはどれか、いつの時点だったのか、安全弁(締切時の液封だけを対象にしたものだとみられる)は火災時に役立つのかなど疑問があるので、取り上げませんでした。異常時で慌てていれば、人間の記憶はあやふやなものです。

2024年5月5日日曜日

韓国・蔚山市の液体貯蔵ターミナルで予告なしのテロ対応訓練

 今回は、2024415日(月)、韓国の蔚山市にある石油会社のオドフェル・ターミナル・コリアにおいて事前予告や訓練計画を知らせずに、軍、警察、消防署などが合同のテロ対応訓練が実施されたので、紹介します。

< 訓練施設の概要 >

■ 訓練があったのは、韓国の蔚山市(グァンヨク・シ/うるさん・し)にある石油会社のオドフェル・ターミナル・コリア㈱(Odfjell Terminals KoreaOTK) である。  

■ オドフェル・ターミナル・コリアは、ノルウェーの物流サービス会社であるオドフェルSE社(Odfjell SE)と韓国の石油化学会社である大韓油絵(株)(Korea Petrochemical Ind.)が合弁して設立された。現在、貯蔵タンク85基で総容量31KLを保有する液体貯蔵ターミナルである。


< 訓練の実施 >

■ 2024415日(月)、オドフェル・ターミナルズ・コリアにおいて、事前予告や訓練計画を知らせずに軍、警察、消防署などが合同のテロ対応訓練が実施された。

■ テロ対応訓練は、航空用燃料の貯蔵タンクに爆発ステッカーを貼り付け、テロリストたちが爆発させたという想定で行われた。そのあと、すぐにテロリストたちはオドフェル・ターミナル・コリアの本館に移動し、人質をとったという状況だった。ここで、軍と警察の部隊が投入され、テロリストを制圧し、訓練を終えたという。

■ 緊急事態発生時に外部機関を導入することがうまく機能し、オイルターミナルが適切に対応することができ、このような状況が発生した場合に事態に備えた能力の向上が期待される。

(注記; 本文はTank Storage誌に載ったものであるが、この続きは一般に公開されていない。また、韓国のメディアも本訓練について記事にしていない)

< 対 応 >

■ これより約1年前の2023414日(金)、蔚山市にあるS-オイル(S-OIL)蔚山工場において国内テロ状況を想定した対応訓練が実施された。参加したのは韓国国家情報院、韓国陸軍、蔚山警察庁、蔚山消防本部などで関係機関の合同訓練が行われた。
 この訓練は、大量危険物貯蔵処理施設に自爆ドローンにより火災が発生し、多数の死傷者が発生した状況を想定して行われた。また、屋外タンクの爆発事故が発生し、数十人の死傷者を救助する作業も繰り広げられた。今回の訓練は陸軍と警察などがテロ勢力を掃討し、爆発物専門チームが爆弾を除去するという状況で行われた。訓練には化学消防車、大容量砲など装備44台と人員330人余りが動員された。ユーチューブでは、訓練の状況を伝えるニュースが投稿されている。

 ● Youtube「울산에 테러범이요...? s-oil 원유탱크 폭발 상황에서 소방·경찰·군 합동 대테러 훈련! 영화 같은 실전 클라스★」2023/04/14

 ● Youtube [2023 튼튼한 국방] 동시다발적 테러로부터 울산시민 생명재산 지킨다」2023/04/20

■ 2024124日(水)、韓国の情報機関である国家情報院は2023年における韓国に対するサイバー攻撃の分析結果を発表した。国際ハッカー集団などによる公共機関へのサイバー攻撃は前年比36%増の1日平均約162万件で、そのうち北朝鮮が80%、中国が5%だったという。国家情報院によると、北朝鮮のハッカーが、生成AI(人工知能)を活用してハッキングの準備を進める事例も確認したという。北朝鮮独自の生成AIの開発も進められているが、まだ初期段階にあるという。

所 感

■ 韓国では、これまでオイルターミナルにおけるテロ対応訓練を実施してきている。しかし、従来のテロ対応訓練では効果が少ないと思ったのか、事前予告や訓練計画を知らせずに、軍、警察、消防署などによるテロ対応訓練が実施された。これまでのテロ対応訓練は、日本もそうであるが、シナリオが盛りだくさんだったのが、今回はテロリストが貯蔵タンクを爆発させ、そのあとすぐに本館に移動し、人質をとるという想定だったようだ。

■ 日本でも、2000年代に重要施設のテロ対応が叫ばれるようになり、テロ対応訓練が行われるようになった。その後、国民保護法が制定され、武力攻撃事態などの発生に備えて政府が地方公共団体などと連携して、図上訓練と実動訓練が実施されるようになった。 (たとえば、「令和4年度 国民保護に係る訓練の成果等について」を参照) しかし、住民の避難訓練が主目的に置き換わっており、オイルターミナルや製油所のタンク施設を対象としたテロ対応から離れていっている。

■ 世界的にみると、過去の事例ではオイルターミナルや製油所などに対するテロは変化している。2010年代まではテロリストによる小火器や爆弾のテロ攻撃だった。 (たとえば、「タイで石油タンクに擲弾(てきだん)によるテロ攻撃(2010年)」「フランスの製油所で仕掛けられた爆弾によってタンク火災2015年)」、「イラクで天然ガス工場にテロ攻撃、球形タンク爆発・炎上2016年)」である。

 その後2010年代の後半になると、中東でロケット砲やミサイルが使われるテロとはいえないような攻撃が始まる。(たとえば、「サウジアラビアの石油流通ステーションの貯蔵タンクをミサイル攻撃2020年)」、「イラクのバイジにあるシニヤ製油所でロケット攻撃、貯蔵タンクへ延焼2020年)」) 

 つづいて2020年代になると、テロ兵器の進歩によって、無人機(ドローン) による攻撃が出てきた。(たとえば、「サウジアラビアの石油施設2か所が無人機によるテロ攻撃 2019年)」、「ロシアの石油貯蔵施設が2日連続で無人航空機攻撃によりタンク火災 2023年)」、「ロシアの石油貯蔵施設が無人航空機攻撃によるタンク複数火災 2024年)」) 

■ 基本的にテロ対応訓練は爆発物によるタンク被災であり、最近の国民保護訓練のテロ兵器の前提はミサイルとなっており、このふたつの訓練は合っていない。(たとえば、「Jアラートによる情報伝達と国民保護訓練」) 避難訓練としては“ミサイル” で構わないが、最近、「安価なドローンが化学テロの脅威となる理由2024年)」が指摘されており、無人機(ドローン)による攻撃を念頭にしたテロ対策基準を考える必要がある。テロが起こった後のタンク火災などに対応するのではなく、テロを起こさなくする対策についてである。


備 考

 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。

    Tankstorage.com,  Odfjell Terminals Korea Completes Terorrism Drill,  April  19,  2024

    Ujeil.com,  울산경찰·소방·국정원, S-OIL공장 테러 대응 훈련,  April  16,  2023

    Asahi.com,  韓国へのサイバー攻撃が36%増、1日平均162万件 8割が北朝鮮,  January  24,  2024


後 記: 韓国のテロ対応訓練がどのようなものか興味があり、紹介することとしました。しかし、事前予告や訓練計画を知らせず行われた所為か、韓国メディアの記事はありませんでした。調べると、昨年度の訓練風景がユーチューブにありましたが、緊迫感にやや欠けるところがあり、訓練としてはあまり参考になるものではありませんでした。日本の国民保護法によるテロ対応訓練と相違がないように感じました。ということで初めの趣旨と異なり、日本の重要施設のテロ対応に関する所感のブログになってしまいました。