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2021年5月31日月曜日

米国マサチューセッツ州ボストンの糖蜜タンク崩壊(1919年)

 今回は、1919115日(水)、米国マサチューセッツ州ボストンにあった米国工業用アルコール社の施設内にあった糖蜜用の貯蔵タンクが崩壊し、21名の死者を出した事例を紹介します。

< 発災施設の概要 >

■ 発災があったのは、米国マサチューセッツ州(Massachusetts)ボストン(Boston)のノースエンド(North End)にあった米国工業用アルコール社(United States Industrial Alcohol  USIA)の施設で、操業はピュリティ・ディスティリング社(Purity Distilling Company)が行っていた。

■ 事故があったのは、施設内にあった糖蜜用の貯蔵タンクである。タンクは、1915年にボストンのウォーターフロントに沿いに建設されたリベット接合式タンクで、直径90フィート(27m×高さ50フィート(15メートル)、容量250万ガロン(9,500KL)で、発災時は200万ガロン(8,000KL)の糖蜜が入っていた。

■ 当時、工業用アルコールは糖蜜を発酵させて作られており、用途として第一次世界大戦(19141918年)の軍需品や兵器を製造するのに使用され、非常に利益をもたらしていた。糖蜜はキューバ、プエルトリコ、西インド諸島から運ばれ、タンクに貯蔵され、イースト・ケンブリッジの蒸留所で工業用アルコールに変えられた。

< 事故の状況および影響 >

事故の発生

■ 1919115日(水)午後1230分頃、貯蔵タンクが、突然、崩壊し、200万ガロン(8,000KL)の糖蜜が一気に周囲に流出し、甘い香りで粘りのある糖蜜が大洪水を起こした。

■ 報告によると、高さ1540フィート(512m)、幅約160フィート(49m)の波が時速約35マイル(56 km/h)で移動し、ふたつの街区を襲い、建屋を破壊し、ボストン高架鉄道の鋼桁を壊して鉄道車両に損傷を与えた。

■ 目撃者によると、タンクが崩壊したとき、地面の揺れを感じ、轟音を聞いたという。また、タンクから接合部のリベットが飛び出し、機関銃の弾丸のように近所を襲ったという。

■ 事故に伴う糖蜜の流出によって死傷者が発生した。救助隊はすぐに到着したが、糖蜜が硬化し始め、救助活動は困難を極めた。結局、21人が死亡し、その多くは糖蜜による窒息死で、そのほか約150人が負傷した。さらに、数頭の馬が粘着性のハエ取り紙に捕まったハエのように死んだ。

被 害

■ 容量250万ガロン(9,500KL)の貯蔵タンクが崩壊し、周辺の施設や建物を破壊した。タンク内に入っていた200万ガロン(8,000KL)の糖蜜が流出した。

■ 事故に伴って、10歳から78歳までの21人が死亡し、約150人が負傷した。

■ 亡くなった男性、女性、子どもたちは、粘り気があって茶色の糖液のシロップの津波によって窒息死し、サフォーク郡の医療検査官は「重油の皮で覆われているように見え、目や耳、口や鼻が詰まっていた」と証言している。

< 事故の原因 >

■ 事故の原因はいろいろ調査され、断定には至らないが、つぎのような複数の要因が関与していたとみられる。

 ● タンクは急いで建設され、十分に試験されていなかった。建設時、タンクは満水による水張検査をせず、6インチ(15cm)の水を入れただけだった。タンクに糖蜜を入れるたびに異音がしていたという危険な兆候を無視していた。

 ● 事故の7日前、50万ガロン(1,900KL)以上の糖蜜がタンクに荷揚げされた。船からの温かい糖蜜がタンク内の冷たい糖蜜と混ざり合い、発酵プロセスが起きた。タンク内で起こった発酵により二酸化炭素が発生し、タンクの内圧が上昇した。この時期の通常の気温は-17℃であるが、事故前日には5℃に上昇しており、気温の上昇が内圧の増加を助長した。

 ● タンク基礎の近くのマンホールの蓋のところから破損が発生しており、材料の劣化による亀裂が致命的な段階にまで成長した。リベットの設計に欠陥があったことも問題で、亀裂が最初に形成されたリベット孔に大きな応力がかかっていた。

 ● 2014年に現代の工学技術による調査が行われ、側板の板厚は下部の0.67インチ(17mm)から上部の0.31インチ(7.8mm)までの範囲で、タンクの大きさに対して決められた厚さの半分しかなく、満杯の糖蜜を保持するには薄すぎたかったことが判明した。また、当時は認識されていなかったが、鋼材にマンガンが含まれておらず、それによって余計に脆くなっていたとみられる。

< 対 応 >

■ 被害地域の清掃には、消防艇から汲み取った海水で糖蜜を押し流し、砂を使って糖蜜を吸着させた。直接的に被害を受けた地域の清掃には数百名もの人々が参加したが、2週間を要した。このほかの浄化作業は数週間続き、ボストンはその後何年も糖蜜のような匂いがし続けたと伝えられている。糖蜜を洗い流すために汲み取った海水は数百万ガロン(19,000KL)といわれている。

■ 災害をきっかけに多くの訴訟が提起された。犠牲者は疑惑タンクが安全ではなかったと申し立てたが、米国工業用アルコール社(USIA)は、悪意をもった人間による破壊行為であると主張していた。しかし、1925年にタンクは健全では無かったと判断され、米国工業用アルコール社(USIA) は損害賠償を支払うように命じられた。(賠償金は今日の金額で約1,500万ドル=約16億円)

■ この災害事例によって全国の州において、より厳しい建設規則が採用された。  

■ 長年、糖蜜のような一見穏やかな物質がどうしてこれほど多くの死者を引き起こしたのかという疑問が投げかけられていた。2016年に、ハーバード大学の研究者たちは糖蜜の温度変化が関係しているという

研究結果を発表した。事故の起こる2日前、運搬しやすいように外気温よりも高い温度状態で糖蜜がタンクに貯蔵され、糖蜜の粘度は低い状態だった。タンクが崩壊したとき、糖蜜は街を広がっていくほどに温度が下がり、当時のボストンの冬の夕方の気温と同じくらいになるまで冷やされていくことで糖蜜の粘度は劇的に増加していった。これにより救助隊が被害者の窒息する前に救助しようという試みを妨げることになった。

■ 密度のある糖蜜を非常に高く積み上げられたタンクは、大量の位置エネルギーを蓄えていた。保持していたタンクが崩壊すると、その位置エネルギーはすべて運動エネルギーになった。糖蜜が非常に粘性であっても、慣性は粘性によって移動できる力よりもはるかに強力である。

 ハーバート大学では、タンクの縮尺模型を作成し、コーンシロップによる実験を行い、高速度カメラで撮影した。その結果、事故と同じようにコーンシロップが津波のように小さな置物を飲み込んだ。密度が水の1.5倍ある糖蜜はゆっくりしか注ぐことができない。しかい、非ニュートン流体である糖蜜が洪水のような状態では、土砂崩れ、雪崩、溶岩流のように重力流として移動し、推算結果、事故時の証言にあるように時速35マイル(56 km/h)の速さで移動した可能性があることが確認された。

■ 糖蜜流出のコンピュータによるシミュレーションがユーチューブに投稿されている。

YouTubeBoston Molasses Flood.mov2017/01/14)を参照。2分半過ぎから始まる)

補 足

■「マサチューセッツ州」(Massachusetts)は、1788年に米国で6番目の州となった。現在、人口約654万人で、事故のあった1919年には人口約378万人だった。州都および州内最大都市はボストン(Boston)である。

 マサチューセッツ州は、農業分野の発展は無かったものの、経済は1900年から1919年まで繁栄を極めた。ボストンは1900年時点で米国で2番目に重要な港であり、漁獲取扱量では一番の港であった。しかし、1908年までに市場競争によってその価値は急速に下がっていった。一つの工場が1つか2つの製品を作ることに頼っていた大規模産業に基づく経済に陰りが見え始め、外国の低賃金労働による競争の激化や、後年の世界大恐慌などの要因もからみ、マサチューセッツの製靴と繊維の2つの主要産業が衰退した。

所 感

■ 本事故は失敗学会の「失敗知識データベース」の失敗事例に掲載され、事例の知識化(教訓)について「仕事に対するあせり、詳細部分の無視など一件小さな要因が集まって、大きな予想外の事故を招くことがある」としている。当時のマサチューセッツ州の経済・社会状況を反映した事例ともいえる。

■ 米国は記録や覚書を残すことの好きな国であるが、今回の事例を調べても驚くほどいろいろな情報が残っている。不可思議な事故という印象の強い理由や背景はあろうが、100年前の事故について容易に調べることができる。この点は米国を見習うべきことだと感じる。


備 考

 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。

     Britannica.com, Great Molasses Flood, April  29, 2021

     Bostonglobe.com,  The Great Molasses Flood of 1919 was Boston’s strangest disaster,  January  09, 2019

     Ja.wikipedia.org,  ボストン糖蜜災害,  May  08, 2021

     En.wikipedia.org , Great Molasses Flood,  May  18, 2021

     Historytoday.com, A Sticky Tragedy: The Boston Molasses Disaster,  January 01, 2009

     Nbcnews.com, The Great Boston Molasses Flood of 1919 killed 21 after 2 million gallon tank erupted,  January 15, 2009

     Time.com, How the Great Molasses Flood of 1919 Made the World a Little Bit Safer,  January 14, 2019

     Boston.com, ‘Masses of wreckage’: The painstaking cleanup and tragic aftermath of Boston’s Great Molasses Flood,  January 14, 2019

     Youtube.com, The Great Boston Molasses Flood,  January 15, 2019

     Shippai.org ,  糖蜜貯蔵タンク破裂事故


後 記: 今回は、202152日に紹介した「貯蔵タンクが崩壊する原因はなにか?」の中で、「貯蔵タンクの破損で最も不名誉な事例のひとつは、100年前に米国のボストンで起こった」という記述をきっかけに調べたものです。調べてみると、100年前とは思えないほど、インターネットではいろいろな情報がありました。中には、当時の白黒写真に色付けを施したものもありました。一方、一番難儀したのが、リベット接合式タンクの写真です。グーグルで検索しても、日本はおろか米国でもリベット接合式タンクの写真や図が出てこないのです。「タンクから接合部のリベットが飛び出し、機関銃の弾丸のように近所を襲った」という記事に対してリベット接合式タンクを見たことのない人は分からないでしょう。時代が変わっていることを実感しました。 

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