今回は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省)がまとめているARIA(事故の分析・研究・情報)の中のひとつで、東日本大震災時の気仙沼の燃料油タンク基地の被災を扱った「オイル・ターミナルの壊滅 2011年3月11日 気仙沼」(Destruction
of an Oil Terminal 11/03/2011- Japon Kesennuma)の資料を紹介します。
< 事故の状況 >
■ 2011年3月11日14時46分、大地震(マグニチュードMw=9)が日本の宮城県にある漁港の気仙沼を襲い、続いて15時26分に大津波による高さ8mを超す巨大な波が河口と漁港に押し寄せた。
■ 沿岸にあったオイル・ターミナルには、23基の貯蔵タンクがあったが、津波によって22基(アンカーボルト無し)が流失し、12,800KLの油が海の中に流れ込んでしまった。タンクの中には、ターミナルから2.5km離れた河口近くに浮かんでいるのが発見された。
■ 海水と油の混合物が何らかの熱源(おそらく、難破した漁船や電線の短絡)によって燃え始め、入江奥の市街地が大火災になる要因となった。津波から生き残った人たちは、翌日、ヘリコプターで救助された。
■ 漁港内は厚さ5cmの油混じりの沈殿層に覆われている。オイル・ターミナルが流失したことによる死傷者はいなかったが、津波のよって836名の人が亡くなり、1,196名の人が行方不明になっている。オイル・ターミナルの流失した石油貯蔵タンクを新たに建てる復興計画は、この5年以内より早くなることはないといわれている。
■ 東北の海岸沿いを襲った津波は、三沢、久慈、八戸、大船渡、石巻など各地の漁港にあった小型の貯蔵タンクの多くを押し流した。こうして、この地域には、油に汚染されたスポットが生じた。
欧州基準による産業事故の規模
津波で流される石油タンク (写真はARIA資料の動画から引用)
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オイル・ターミナルの被災前後 (写真はARIA資料から加工して引用)
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■ セベソ指令を司るEU加盟国管轄庁の委員会は、事故の規模を特定するために18項目のパラメーターを用いる評価基準を適用している。わかっている情報をもとに検討された結果、当該事故は4つの分類項目に対してつぎのように評価された。
注:当該事例についてARIA資料では、津波による石油タンク流失の映像を添付している。海上保安庁などが撮影して公表された津波映像の中から、石油タンクが流されている場面を編集したものと思われる。
「Destruction of an Oil Terminal」を参照。
補 足
■ 津波の大きさ
宮城県が県沿岸部について津波痕跡の調査を行なった結果、気仙沼市では、基準海面からの高さが20mを超えた地点があり、ほとんどの場所で既存の堤防、護岸を越えていた。調査地点の中で最も高い位置の痕跡は、気仙沼市の中島海岸付近で21.6mだった。なお、気象庁の設置していた気仙沼広田湾沖の津波観測GPS波浪計では、6.0mが観測されている。
■ 津波による石油タンクの被害
気仙沼湾にあったオイル・ターミナルは漁船用の燃油などの石油を貯蔵するもので、4つの事業所があった。貯蔵タンクの大きさは容量40~3,000KLで、気仙沼・本吉地域広域行政事務組合消防本部によってまとめられたタンクの被災状況はつぎのとおりである。
● 気仙沼市朝日町(湾口の埋立地先端)および潮見町(湾中部)に設置されていた100KL以上の石油タンク23基中、22基が津波により流失した。18基のタンクが市内各地で発見されているが、4基は所在不明である。なお、流されなかったタンクは容量100KLの横型円筒タンクだった。
● 18基のタンクの発見場所は図のとおりで、最長は湾口にあったタンクが湾奥の河口まで約2.4km移動している。
● 発見されたほとんどのタンクでは、発見場所周囲および内部に油分は見分されず、津波で流される過程でタンク内の油は流出したと考えられる。この流出した油が、気仙沼湾内で発生した海面火災になり、さらに広範囲に延焼拡大した一因になった。
■ 流出油とガレキによる海面火災の発生
気仙沼市では、地震発生から17件の火災が発生し、うち13件が東日本大震災によるもので、すべて津波襲来後に発生している。13
件のうち10件が3月11日に発生している。特に、海上で発生した海面火災は、3月11日17:30~18:00頃に8箇所で発生し、複数地区に延焼して、焼損面積が広範囲になった。
陸上火災の出火原因は、倒れた電柱のトランス、流失車両、積算電力計の電気配線のショートによることが確認されている。従来、海上に流出したA重油などは引火せず、早期に揮散すると考えられていたが、次のような過程で大火災に至ったとみられている。
● 浮遊する壊れた建物などの木材等のガレキにA重油などの油が吸着し、着火しやすくなった。
● 着火源としては、浮遊するプロパンガス・ボンベから噴出するガスにボンベ衝突による衝撃や車両のショートなどとみられる。
● 油を吸着した木材などのガレキに着火し、複数の火種が発生した。
● これらの火種が津波に乗って流され、内陸部の市街地に流れ着き、次々と建物に延焼し、大規模な
市街地火災を引き起こした。
気仙沼市の海面火災と建物火災
(写真はDailymail.co.uから引用)
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気仙沼市の大火災
(写真は47news.jp:
河北新報から引用)
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■ 湾内の船から目撃された海面火災
河北新報は、船に乗って海面火災を身近に見た人の話を、つぎのように報じている。
● 気仙沼市魚町の旅館経営者熊谷浩典さん(45歳)は、地震直後、津波から釣り船を守ろうと湾内に船を出した。湾の奥で第1波をかわしたとき、海の異変にがくぜんとした。一面真っ黒だった。「津波が押し寄せているのに、海面はのっぺりとして、波しぶきさえ上がらない」 分厚い油の層が広がり、異臭が鼻を突く。
● 湾の入口には、漁船の燃料となる重油やガソリンを貯蔵する燃油タンク群がある。そこから油とともに壊れたタンクが海を漂い、流されてきた。黒い煙が立ち上っているのが船から見える。湾口西岸で上がった火の手は西風にあおられて対岸に燃え移り、岸に沿って走るように広がっていった。
● 日が落ちると、地獄絵図がくっきりと浮かび上がった。「湾内は炎上しながら漂うガレキが、数十箇所で渦を巻いていた。炎の高さは3~4m。ガレキが近づいただけで、油の浮いた海面に火が走った」
● 火と煙に包まれ、周囲にいた数隻も右往左往していた。風向きが東風に変わり、東岸から炎が帯状になって迫ってくる。背筋が凍り付いた。船ごと焼けてしまうのか、熊谷さんは覚悟を決めてかじを操った。何度も進む方向を変えながら、炎と漂流物をかいくぐり、最後は浸水した岸壁に、へさきから飛び降りた。約5時間、炎の海での決死の彷徨(ほうこう)だった。
● 湾の入口には、漁船の燃料となる重油やガソリンを貯蔵する燃油タンク群がある。そこから油とともに壊れたタンクが海を漂い、流されてきた。黒い煙が立ち上っているのが船から見える。湾口西岸で上がった火の手は西風にあおられて対岸に燃え移り、岸に沿って走るように広がっていった。
● 日が落ちると、地獄絵図がくっきりと浮かび上がった。「湾内は炎上しながら漂うガレキが、数十箇所で渦を巻いていた。炎の高さは3~4m。ガレキが近づいただけで、油の浮いた海面に火が走った」
● 火と煙に包まれ、周囲にいた数隻も右往左往していた。風向きが東風に変わり、東岸から炎が帯状になって迫ってくる。背筋が凍り付いた。船ごと焼けてしまうのか、熊谷さんは覚悟を決めてかじを操った。何度も進む方向を変えながら、炎と漂流物をかいくぐり、最後は浸水した岸壁に、へさきから飛び降りた。約5時間、炎の海での決死の彷徨(ほうこう)だった。
気仙沼湾東岸に燃え広がった海面火災。熊谷さんは船(手前)から様子を見守った
(3月11日18:47、気仙沼市の提供写真)
(写真は河北新報から引用)
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■ 気仙沼湾の油濁の懸念
社会技術研究開発センターRISTEX広報担当の増田愛子さんは油濁を懸念し、2011年4月21日に現地を視察したが、つぎのような印象を述べられている。
● 意外にも、海はきれいで、まったくといっていいほど海面に油は残っていなかった。気仙沼市産業部水産課の熊谷課長の話では、大規模な火災で流出した油の多くは燃えてしまい、残った油も潮、風、川がうまく機能して湾外に流れたのではないかということであった。
● 大分県産業科学技術センター斎藤雅樹主任研究員によれば、津波で拡散され、潮流や風に乗って湾外に出ていった油は、近くを漂流して再び海岸に接近する可能性もあるとのこと。
潰れた石油タンクと気仙沼湾の様子 (目視で油は確認できない)
(写真はRISTEX CT ジャーナルから引用) |
■ 気仙沼湾の海底における油汚染
東京海洋大の中村宏教授(海洋環境保全学)による調査が行われ、
2012年4月11日に結果が発表され、国内メディアが報じている。毎日新聞による内容はつぎのとおりである。
気仙沼湾底から採取された油を含む泥
(写真は毎日新聞から引用)
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● 津波で石油タンクが炎上した気仙沼湾沿岸の海底泥から、国の環境基準を上回る油が検出された。
● 油は水に浮かぶため、海底に沈むことはないと思われていたが、津波に巻き上げられた泥に付着して沈殿したとみられる。
● 調査は2011年7月~2012年2月に水深30〜40mの海底71箇所で泥を採取したところ、すべてから油を検出。うち、陸地に近い10箇所は、国の環境基準(1,000ppm)の1.9~1.1倍だった。
● 中村教授は「油は海底で泥と一緒に固まっており、自然分解は難しい。気仙沼の海水からは検出されていないが、将来、油が溶け出して養殖魚介類に影響を与えることも危惧される」と指摘した。
■ 流失した行方不明の石油タンクを発見
2012年7月28日、朝日新聞は「津波で流されたタンク爆発、潜水士1人けが」という見出しで、つぎのように報じている。
● 7月28日午前9時55分頃、気仙沼市の大島付近で海底の石油タンクの引き揚げ作業をしている会社から「タンクが爆発し、作業員がけがをしたようだ」と119番通報があった。
● 気仙沼海上保安署などによると、負傷したのは大阪市に本社がある同社の潜水士の男性(38歳)。外傷はなかったが、専門的な治療が必要と判断され、県の防災ヘリで東北大学病院に搬送された。
● 男性は午前9時15分頃に深さ21mまで一人で潜り、タンクをつり上げる鎖を通すため、電気とアセチレンを使うバーナーで穴を開ける作業をしていたという。海保が爆発原因を調べている。宮城県によると、タンクは東日本大震災の津波で流された22基のうちの1基。この日は穴を開けて鎖を通し、29日にクレーンで引き揚げる予定だった。
気仙沼市大島の位置
(図はグーグルマップから引用)
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■ 気仙沼市の新しいオイル・ターミナルの計画
河北新報はつぎのように報じている。
津波で水没しても本体の大きな損壊を免れた仙台港の
給水タンク
(写真は河北新報から引用)
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● 気仙沼市は津波で破壊された石油タンクの再建に着手する。国の復興事業を活用し、南気仙沼地区にタンク8基(総容量7,000KL)を建設する。事業費31.5億円で、2016年秋の完成を見込む。
● 構造上、地震と津波に強く、手本となるタンクがある。仙台市宮城野区の仙台港は、東日本大震災で7mを超す津波に襲われた。給水タンク2基が水没し、うち1基は壁にコンテナが衝突したが、いずれもタンク本体は大きな損壊を免れた。
● 2基とも、コンクリート壁にピアノ線を埋め込んで強度を増すプレストレストコンクリート(PC)構造だった。鋼板製が主流の燃油用の貯蔵タンクに対し、強い水圧がかかる大容量の給水タンクに採用されている。「東日本大震災級の津波に流されることなく、漂流物衝突の衝撃にも耐えられる」と、気仙沼市の担当者はPC工法に注目し、新たな石油タンクに採用する計画だ。
● 構造上、地震と津波に強く、手本となるタンクがある。仙台市宮城野区の仙台港は、東日本大震災で7mを超す津波に襲われた。給水タンク2基が水没し、うち1基は壁にコンテナが衝突したが、いずれもタンク本体は大きな損壊を免れた。
● 2基とも、コンクリート壁にピアノ線を埋め込んで強度を増すプレストレストコンクリート(PC)構造だった。鋼板製が主流の燃油用の貯蔵タンクに対し、強い水圧がかかる大容量の給水タンクに採用されている。「東日本大震災級の津波に流されることなく、漂流物衝突の衝撃にも耐えられる」と、気仙沼市の担当者はPC工法に注目し、新たな石油タンクに採用する計画だ。
■ 東日本大震災時における各地の石油タンクの被害状況
危険物保安技術協会によって調査され、その内容は、「Safety
& Tomorrow誌」(2011年9月~2012年3月)に掲載されている。
この調査では、気仙沼市の石油タンクは対象にされなかった。
■ 「フランス環境省
: ARIA」(French Ministry of Environment :
Analysis, Research and Information on Accidents)は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省 French
Ministry of Ecology, Sustainable Development and Energy)がフランスにおいて発生した事故について情報を共有化し、今後に活用するため、1992年から始めた事故の分析・研究・情報のデータベースである。有用な海外事故も対象にしている。
所 感
■ 気仙沼のオイル・ターミナルの石油タンク流失は、ある面、東日本大震災時における代表的な事故であろう。地震直後のテレビでは、各所の津波被害の状況が報じられ、夜になって気仙沼市の火災が映し出されていたのを思い出す。おそらく、フランス環境省ARIAは、数多い東日本大震災の石油タンク被害の中で、気仙沼のオイル・ターミナルの石油タンク流失を津波による象徴的な貯蔵タンク事故事例として選んだものと思われる。
■ 今回、改めて調べてみると、明らかにドミノ効果を示す事故であった。①津波の襲来、②建物・石油タンクの破壊・流失、③油流出とガレキによる海面火災、④津波の引き波と押し波による海面火災の延焼、⑤市街地火災への拡大、⑥海底における油濁といった広範囲の事故に至っている。さらに、1年後には、行方不明だったタンクが発見されたのはよいが、人身事故が起こっている。改めて、自然が時として示す猛威に翻弄(ほんろう)され、人間の非力さを感じる事例である。
備 考
本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
・Aria.development-durable.gouv.fr,
Destruction of an oil terminal, N 40260, 11 /03/2011,
JAPON, KESENNUMA
補足についてはつぎのインターネット情報に基づいてまとめた。
・Km-fire.jp, 東日本大震災「消防活動の記録」(気仙沼・本吉地域広域行政事務組合消防本部),
2012年7月
・News-sv.aij.or.jp, 地震・津波による火災への備えー東日本大震災での被災実像からー(日本建築学会),2012年9月
・kahoku.co.jp,第10部・津波火災(下)もろさ/油大量流出、炎広がる海
・Ristex.jp, 気仙沼港の石油タンク倒壊による調査報告(RISTEX
CT ジャーナル), 2011年4月25日
・Sonpo.or.jp, 東日本大震災における 危険物施設の被害 (
消防庁消防研究センター,予防時報),
2012年
・Memory.ever.jp, 気仙沼を襲った大津波の証言(河北新報), 2011年
・Isad.or.jp, 東日本大震災に伴う火災の調査から得られる教訓(消防科学総合センター,
消防科学と情報), 2012年
・Asahi.com, 津波で流されたタンク爆発、潜水士1人けが 気仙沼(朝日新聞),
2012年7月28日
・Mainichi.jp, 東日本大震災:気仙沼湾海底泥に環境基準上回る油沈殿(毎日新聞), 2012年04月11日
・Bousaihaku.com, 石油タンクの津波被害について
(消防庁消防研究センター ), 2012年
・NHK.or.jp, 都市を襲う津波火災に迫る(NHK、時論公論), 2014年
後 記: 東日本大震災時の貯蔵タンクの事故情報は、当ブログ最初に投稿した「東日本大震災によるタンク被災(海外報道)」と1年後に出した「東日本大震災の液化石油ガスタンク事故(2011年)の原因」があります。地上式石油貯蔵タンクについては断片的な情報が多く、まとめようがありませんでした。そうしているうちに、危険物保安技術協会が各地区ごとに被害状況をまとめ、公表されましたので、東日本大震災時の地上式石油貯蔵タンクの事故情報は投稿対象から外す気持ちになっていました。
最近になって、ARIA資料に「気仙沼オイル・ターミナルの壊滅」の事例が出されているのを知り、この災害を調べることとしました。多くの関連情報があり、特に地元の人たちが、この未曾有の災害を記録に残しておこうという気持ちの伝わるものだったのが印象的です。
これらによって、ARIA資料の内容を補完することができました。
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