< 発災施設の概要 >
■ 発災があったのは、米国バージニア州(Virginia)リッチモンド(Richmond)にあるリトル・オイル社(Little Oil)の石油貯蔵・出荷施設である。
■ 事故があったのは、州間高速道路95号線沿いにある石油の貯蔵・出荷設備のガソリン・タンクである。
< 事故の状況および影響
>
事故の発生
■ 1975年6月26日(木)真夜中頃、石油の貯蔵・出荷設備で爆発があり、火災となった。爆発して火災になったのは、合計90万ガロン(3,411KL)のガソリンを貯蔵していた2基のタンクだった。
■ リトル・オイル社の石油施設で働く従業員ひとりが爆発に遭い、負傷した。深夜勤務をしていた従業員は、燃料出荷のために自分の車を入口ゲートから移動させる必要があった。彼はガソリンの臭いを感じたが、なにも見えなかった。車の点火装置を回したとき、突然、爆発が起こった。
■ 彼は、重度のやけどを負ったが、助けを求めてよろめきながら歩いていった。近くにあったコロニアル・パイプライン社の事務所にいた従業員は助けを求める声を聞き、ドアを開けると、火傷を負ったリトル・オイル社の社員が立っていた。コロニアル・パイプライン社の従業員はすぐに消防署へ電話して事故発生の連絡と負傷者の救助を求めた。
■ 一方、彼の車は炎につつまれ、動かなくなっていた。彼はバージニア病院に搬送されたが、危篤状態だった。
■ 発災に伴い、午前0時13分にフォレストヒル通りの消防隊が出動した。1時間以内に15隊100名の消防士が現場に到着した。
■ 現場の近くに消火栓がないため、作業は難航した。消火栓から現場までの約1,200mの距離に消火ホースを展張した。水源から州間高速道路95号線を越え、大きな溝を通り、シーボード・コースト・ラインの鉄道線路を越えてホースを走らせた。
■ 発災現場は、州間高速道路95号線からモーリー通りへの出口近くにあった。タンク地区には、5基のタンクが隣り合って立っていた。貯蔵タンクには、燃料油や灯油が100万~200万ガロン(3,790~5,580KL)入っていた。周辺にはアメリカンオイル社、ガルフオイル社、サザンフューエルオイル社、ユニオンオイル社が保有する石油貯蔵所があり、消防当局は火災が大きくなれば延焼する危険性を感じながら消火活動を行った。
■ 火災は2基の貯蔵タンクが燃え、さらに1基が炎上した。 No.1タンクは、25万(948KL)のガソリンを貯蔵していたが、頂部ベントから火を噴き出していた。No.2タンクは、65万ガロン(2,463KL)の高オクタン価ガソリンを貯蔵していたが、座屈し、まるでアルミ缶をつぶしたようだった。No.3タンクは頂部付近で突風が発生し、一時的に炎が舞い上がった。炎は500フィート(150m)の高さにまで舞い上がった。
被 害
■ 合計95万ガロン(3,600KL)のガソリンを貯蔵していた2基のタンクが爆発して火災となり、焼損した。さらに石油タンク1基が火災で焼損し、内部の石油が焼失した。
■ 発災時に現場にいた従業員1名がやけどを負った。また、耐熱服を着用してバルブの操作を行った消防士が熱にうなされ、病院に搬送された。
< 事故の原因 >
■ 事故の原因は、何らかの理由でガソリンが漏洩し、従業員の車両のスターターで引火した。当時は雷によるという意見があったが、最終的に車両による引火と判断された。
< 対 応 >
■ 消防活動は3本の消防ホースから多くの水が火に注がれたが、あまり効果はなかった。午前8時頃に火の勢いが一時的に弱まったが、風の変化によって夜明け前の猛烈な火勢が再び現れた。バード空港から支援で出動してきた消防車による難燃性泡噴霧器も効果を発揮できず、午前中までに泡薬剤を使い果たした。
■ 州間高速道路95号線は消火活動のため通行が閉鎖され、リッチモンド周辺の交通が停滞した。火災現場の近くには多くの見物人が見守っており、州警察は立ち退くよう指導した。しかし、多くの消防士たちはすることがなく、消防車両の上に座ったり、写真を撮ったり、ボランティアから支給された昼食を食べたりしていた。
■ ところが、6月26日正午前になって、座屈したタンクから大きなファイアボールが噴出し、消防士、記者、見物人たちをあわてさせた。
■ 正午頃、ラジオではヘリコプターから火災の様子を伝えた。「No.3タンクの上部があたかも缶切りで開けられたような状態になっているのが見える。タンクから燃料が漏れており、タンク基礎部で火災が発生している。 No.3タンクは他のタンクほどひどく燃えているようには見えないが、漏れ出した燃料が火炎への供給を果たしている」と述べた。
■ 地元の消防署長は、“ライト・ウォーター”と呼ばれる泡薬剤について米国海軍の担当者に聞いて政府から入手しようと試みた。
■ No.3タンクの炎上を受け、消防隊員たちは自分たちだけでなく、まわりの機器についても気を配った。シーボード・コースト・ラインの鉄道が熱で使えなくならないように線路に冷却水をかけた。また、近くにあったタンク貨車6台を移動させた。
■ 6月26日午後になって警察が護衛して、ノーフォーク海軍航空基地、オセアナ海軍航空基地、ラングレー・フィールドから泡薬剤223バレル(35KL)を積んだトラック隊が現場に向かっていた。これには海軍の消防学校で使われる泡薬剤が含まれていた。
■ 消防署長は、泡薬剤が来たときの消防隊員の配置を指示した。海軍のトラックは現場へあと15分で到着する予定であったが、調整していたので1時間ほど遅れた。海軍のトラックが到着し、泡薬剤による消火活動が午後4時20分から開始された。泡薬剤に詳しいリーダーが“白い泡の吹雪”を放射した。海軍によると、 “ライト・ウォーター”が開発されたのは最近であり、これが使用された最初の大規模な火災だという。
■ 午後5時頃、リッチモンドの消防士ら3名が耐熱用のアスベストスーツを着て、高オクタン価ガソリンが放出していたNo.1タンクの開いていた2つのバルブを閉止することに成功した。しかし、この作業でリッチモンドの消防士は熱にうなされ、病院に搬送された。
■ 泡薬剤を積んだトラックは、かろうじて火災の前にとどまって、消火活動に寄与していた。しかし、泡薬剤がなくなれば、ガソリンが再び炎上し、トラック焼き尽くす恐れがあった。監視を続ける中、夕暮れまでに、援軍はなんとか火災を制御することができた。
■ 泡が最後の残り火を消した時、リトル・オイル社の社長は「もっとひどいことになったかもしれない」と最悪の事態が避けられたと語った。
■ 火災が発生してから19時間後、6月26日(木)午後7時11分、消防当局は鎮火を宣言した。
■ その後、タンクには保険がかけられており、設備は取替えられた。リトル・オイル社で重傷を負った従業員は快復したという。
補 足
■「バージニア州」(Virginia)は、米国東部の大西洋側に位置し、人口約860万人の州である。バージニア州のタンク関連事故はなく、少なくともこの10年間に取り上げた事例はない。
「リッチモンド」(Richmond)は、バージニア州の中部に位置し、人口約22万人の州都である。
■「リトル・オイル社」(Little Oil)は、1921年にバージニア州リッチモンドで設立した石油会社である。ガソリンやディーゼル燃料などの販売代理店で、現在はバージニア州、ノースカロライナ州、メリーランド州のガソリンスタンドやコンビニエンスストアなどに石油製品を提供し、BP、Citgo、ExxonMobil、Pure、Valeroなどのブランドや非ブランドに卸している。
■「ライト・ウォーター」(Light Water)は、1960年代後半に米国スリーエムで開発された水成膜泡薬剤(AFFF)である。フッ素系消火薬剤が働いた後、油面上にフィルム状の膜を作ってガソリン等のベー
パーを抑制し、再燃防止と引火防止効果を狙ったものである。一時期は画期的な消火薬剤として広く使われていたが、薬剤が分解しにくく、長期間残留するとの観点から、製造者の判断により製造が中止されている。
現在は、 PFOS(ピーフォス)と呼んでいるフッ素系化合物の泡薬剤が分解されにくい特徴を持つ事から環境への残留性や人体への蓄積性が問題視され、国際的に規制されることとなった。一方で、代替品であるフッ素フリーの泡薬剤に効果的なものが現れておらず、消火薬剤としての問題が出ている。消火薬剤の種類と特徴、フッ素フリーの泡薬剤の課題は、つぎのブログを参照。
●「グアテマラの固定屋根式タンク火災で消火泡から炎(2003年)」( 2016年2月)
●「フッ素フリー泡薬剤(F3)の研究の重大な欠陥を浮き彫り」(2021年10月)
●「フッ素フリー泡薬剤(F3)への移行で取り組むべき課題」( 2021年11月)
■「被災したタンク」の場所や仕様などが情報によって若干異なっており、整合性から判断してまとめた。場所をグーグルマップで調べてみたが、タンク施設はいくつかあり、発災場所をはっきりと特定できなかった。
所 感
■ 今回の事例を火災の時間帯でみると、大きく3つに分けられると思う。
● 真夜中の発災から朝方までの時間帯・・・状況を知る従業員がやけどで負傷し、火災状況を手探りで把握しようと努め、消火ホースの放水で対応した。効果はほとんど無かった。
● 朝8時から昼までの時間帯・・・空港から航空用の泡消火設備(難燃性泡噴霧器)の支援を受け、対応した。効果は無く、泡薬剤を使い果たした。
● 午後から消火までの時間帯・・・消防署長が“ライト・ウォーター”と呼ばれる泡薬剤(水成膜泡薬剤)を入手しようと努めた。夕方に“ライト・ウォーター”が到着した。午後4時20分に泡放射開始、午後7時11分に鎮火した。 “ライト・ウォーター”による実質の消火時間は2時間51分だった。
複数タンク火災に対して19時間で鎮火までにこぎつけたのは、手持ちの消防資機材だけでなく、広く支援を求め、的確な消防戦術をとったことが功を奏したという印象である。
備 考
本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
・Richmondmagazine.com , The Big Little Inferno, June 29, 2018
・Richmond.com , The Little Oil Fire of 1975 ‘one of the most
spectacular fires’ in Richmond’s history,
August 13, 2018
・Richmond.com, Little Oil
inferno off I-95 could have been worse,
July 30, 2008
後 記: 今回の事故はいまから47年前の出来事です。毎回いいますが、米国というところは記録を残すことの好きな国です。今回の事故からいえることは、100名の消防士を集めても、資機材がなければ“やる仕事が無い” ということを米国の消防に携わっている人たちが感じたのではないかと思います。この事故のあと、タンクの大型化に対する米国における消火薬剤の開発、大型泡モニター(大容量泡放射砲)の開発、送水ポンプシステムの開発が結びついているように感じます。その好例が26年後に起きた2001年米国ルイジアナ州のオリオン製油所において直径82mのガソリン・タンクの全面火災について大容量泡放射砲を使用して65分で消火させた対応でしょう。(「米国オリオン製油所のタンク火災ー2001」(2011年10月)を参照)
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