2023年6月18日日曜日

中国青島市の黄島石油基地の火災でボイルオーバー発生、死者19名(1989年)

 今回は、 1989812()、中国の山東省青島市にある勝利輸油(胜利输油)社の黄島石油基地でコンクリート製半地下石油貯蔵タンクが落雷によって爆発・火災があり、ボイルオーバーが発生して死者19名を出し、さらに隣接するタンク4基に延焼し、5日間燃え続けた事故を紹介します。

< 発災施設の概要 >

■ 発災があったのは、中国山東省青島市の黄島にある勝利輸油(胜利输油)社の黄島石油基地である。黄島石油基地は勝利油田から生産される原油の受入れ基地だった。

■ 事故があったのは、黄島石油基地内にある容量20,000KLの半地下石油貯蔵タンクで5号タンクと呼ばれていた。半地下石油貯蔵タンクはコンクリート製で、タンク内には16,000KLの原油が入っていた。


<事故の状況および影響>

事故の発生

1989812()午前955分頃、黄島石油基地の5号タンクに落雷があり、爆発が起こり、火災となった。黄島地区では、午前9時頃から雷雨が降り始めていた。

■ 5号タンクは、 812()午前2時頃から発災のあった午前955分頃まで原油を受入れており、15,000KLを入荷していたという。

■ 発災時の落雷については6か所の別々なところから目撃されていたという。

■ 発災に伴い、黄島石油基地内の自衛消防隊と青島市消防署の消防隊が出動した。

■ 5号タンクには、泡消防車を接続する半固定泡消火システムが設置されていた。しかし、半固定泡消火システムは定期点検が行われておらず、整備も悪く、使用ができなかった。

■ 812日(土)、5号タンクは4時間以上燃え続けていた。午後235分頃、5号タンクの火災が急速に激しくなり、まばゆい白い炎が現れたら、突然、内部の原油が噴き上がるボイルオーバーが発生し、高温の油が周囲の地面に飛散した。消防司令はただちに退却を命じたが、手遅れで多くの死傷者が出た。

■ 消火活動中に発生したボイルオーバーによって、消防現場では避難が間に合わず、消防士14名と石油基地職員5名の計19名が死亡し、100人以上の負傷者が出た。このほか、消防車9台と消防指揮車など3台が巻き込まれて焼かれたという。

■ 5号タンクから南東方向に37m離れた同じ半地下石油貯蔵型の4号タンクの上部から放出されたガス層に引火し、火災が発生した。午後3時頃、4号タンクで、突然、爆発が起こった。コンクリート製タンク屋根が持ち上がり、炎と黒煙が数十メートルの高さまで噴き出した。4号タンク屋根のコンクリート破片が30m離れた隣接する金属製石油タンク(容量10,000KL)の1号、2号、3号タンクに落下し、上部に亀裂が入り、油とガスが漏洩した。1号タンク、2号タンク、3号タンクの漏洩した油とガスにつぎつぎと引火して爆燃を起こし、タンク地区全体が火災となった。

■ 制御不能になって流出した原油は、火山噴火によるマグマのように地上を流れた。火災は3つに分かれ、油火災の一部は5号タンク北側の高さ1mの低い壁を乗り越えた。油火災の残りの部分は地下パイプ溝に沿って流れ、石油パイプライン網から溢れた原油と合流して地下の火災網を形成した。

■ 油火災の一部は北に向かい、生産エリアの消防ポンプ室からガレージ、研究室、ボイラー室に至り、そこから東に進み、 変電所 、ローディングポンプ室、計量ステーションなどに引火した。生産地区全体に火の海が広がり、東路と北路で起きた2つの石油火災は一本の道路に合流、石油基地の第一門を通って燃え、黄島までの新港公路に沿って燃えた。火災によって青島化学輸出入黄島支店、第4海運会社、黄島商品検査局、パイプライン局倉庫、港湾建設本部倉庫が被害を受けた。

■ 812() 午後6時頃、流出した原油の一部は地面のパイプ溝や低い道路に沿って膠州湾に流入した。約600トンの油と水が膠州湾の海面に長さ10海里以上、幅数百メートル以上の汚染帯を形成し、深刻な海洋汚染を引き起こした。

被 害

■ 消防士14名など19名の死者が出た。また、100人以上の負傷者が出た。

■ タンクは、半地下のコンクリート製タンク2基が損壊し、金属製の固定屋根式タンク3基が損壊した。このほか、設備や建物などに多数の被害があった。

■ 石油が海に流出し、海洋汚染があった。動植物への影響が出た。

■ 経済損失は3,540万元だった。

< 事故の原因 >

■ 火災の原因は、半地下石油貯蔵タンクの落雷による引火である。

 黄島石油基地の大地への落雷による誘導火花で、油やガスが爆発したことによる可能性が高いとみられている。当時、避雷針は設置されていたが、高さが30mと低かった。半地下石油貯蔵タンクのコンクリート製屋根は鉄筋が露出するなど保全状態が悪かったという。

■ 中国国務院によると、間接原因は黄島石油貯蔵所に金属製石油タンクが不足し、コンクリート製タンクにしたことで落雷によって爆発したと考えている。同時に、石油貯蔵所の設計と配置が不合理であること、不適切な資材の選択、安全保護の無視、避雷針の不備、不適切な管理で消火設備の故障によって消火活動に遅延が生じたと考えている。


< 対 応 >

■ 青島市消防署は、1989812日(土)午前1015分、現場に近い黄島開発区、膠州市、膠南県から消防隊と消防設備を出動させた。青島市中心部から8台の消防用車両とともに消防隊が出動し、湾を越えて海上から10台の消防用車両が急行し、1040分に市街地の消防隊が到着し、157名の消防士による消防活動が行われた。

■ 自衛消防隊の消防士は35名いたが、そのうち24名は農家の臨時契約職員で必要な訓練を受けておらず、また、当日は12名が帰郷して不在だった。

■ 火災は燃え続け、813日(日)早朝、山東省各地から支援の消防隊が駆けつけた。大型化学消防車10台、粉末消防車3台、ポンプ車27台が追加された。

■ 火元の5号タンクの消火活動が開始され、 813日(日)午後220分頃までに5号タンクの火災は制圧され、午後930分に鎮火した。

■  813日(日)午前11時に中国首相が飛行機で青島市に急行し、火災現場を視察し、災害救援を指導した。青島市は全力を挙げて消火活動に取り組み、党、政府、軍、民間の1万人以上が緊急救助と災害救助に出動した。 山東省各都市の公設消防署、勝利油田、斉魯石化同社、青島市公安消防分隊、企業消防団が出動し、現地で活動した消防士は1,000人以上、消防車は147台にのぼった。

■ 国務院は、153トンの泡消火液と乾燥粉末を全国から手配した。北海艦隊は、消防救助艇、水上飛行機、ヘリコプターを派遣し、消火活動と負傷者の輸送に支援した。

■  55晩の消火活動が続き、1号タンク、2号タンク、4号タンクの火災が制圧され、その後、数回の繰り返しを経て、建物火災やパイプラインの火災も制圧され、816日(水)午後5時までにすべての火災が消された。全消火活動にはおよそ104時間を要した。

■ この火災は深刻な結果を引き起こし、40,000トン以上の原油が燃え、4,000㎡超の家屋、20,000㎡超の道路が焼失し、約3,000頭のミンク、 エビ池や貝柱養殖場が焼失した。さらに、数千トンから1万トンの原油が流出し、膠州湾の水域や黄島周辺の102kmの海岸線に深刻な油汚染の被害が出た。汚染を防ぐため、海岸には当面は海で泳がないようにという警告看板が建てられた。

■ この事故については、タンクの火災状況を撮った写真がインターネットで報じられていないが、ビデオにまとめられた1989年黄岛油库大火视频资料」1989年黄島石油貯蔵所火災のビデオ)(2021/2/21がある。このビデオ映像でもタンク火災の状況は分からないが、大きな火災事故だったらしいことはうかがえる。


補 足

■「中国」は、正式には中華人民共和国で、1949年に中国共産党によって建国された社会主義国家である。人口約131,100万人で、首都は北京である。

 「山東省」(さんとう省/シャントン省)は、中華人民共和国の東部にある省で、北に渤海、東に黄海があり、黄河の下流に位置する。人口は約9,580万人、省都は済南である。

 「青島市」(ちんたお市/チンダオ市)は、山東省の東部に位置する港湾都市で、市区人口約635万人、総人口約1,025万人と東部沿岸の重要な経済と文化の中心であり、近代的な製造業やハイテク産業基地がある。

 「黄島区」(こうとう区/ファンダオ区)は青島市の市轄区で、膠州湾入口の西側に位置し、青島市街地と海を隔てて向かいあっている。人口約149万人で、青島経済技術開発区を有している。

■「勝利輸油」(胜利输油)は、中国石油化工(SINOPEC)系のパイプライン会社である。

「黄島石油基地」は1973年に建設され、勝利油田から生産された原油を石油パイプラインによって黄島石油基地に輸送された。黄島石油基地のある青島港から各所に石油が出荷されていた。黄島石油基地の原油貯蔵能力は76KL 、石油製品の貯蔵能力は6KLだった。

「黄島石油基地」のエリアにおける石油貯蔵規模が大きすぎ、タンク配置が不合理だった。1.5平方kmの斜面に黄島石油基地と青島港湾局石油港の2つの石油基地が建設された。1975 年にはすでに容量34KLの石油貯蔵施設がつくられた。さらに、1983年以来、国の関係部門が相次いで開発計画を発表し、事故前には黄島の石油貯蔵容量は76KLに達し、隣接の石油貯蔵所エリアと密集したタンク群の配置が形成された。黄島石油基地の旧タンク地区にある5つの石油タンクは丘の中腹に建設され、石油生産地域が隣接する山の麓に建設された。これは、電力を節約するために自然の高低差の利用のみを考慮しており、石油タンクの監視や検査に影響を与える安全要件が無視されていた。このことによって黄島石油基地自体の安全に重大なリスクを残しただけでなく、膠州湾の安全に対する脅威となっていた。

■「コンクリート製半地下石油貯蔵タンク」は、欠陥を修正するのが簡単ではないという本質的な問題を内在している。黄島石油基地の4号タンクと5号タンクは1973 年に建設された。当時、中国は兵器生産を主としていたため、石油貯蔵タンクをつくるための鉄鋼が不足していた。このためにコンクリート製石油タンクをつくることになったが、タンク上部には通気口や消火用配管などの金属部分が張り巡らされており、内部の鉄筋は複雑で、一定の使用年数が経過すると、コンクリートの保護層が剥がれ、鉄筋が露出していた。このため、誘導雷の影響を受けやすくなり、通気口などからの石油ガスが存在すると放電火花によって爆発が発生しやすくなる。コンクリート製石油タンクは石油の貯蔵の機能のみを重視しており、防火や避雷設計を無視した粗雑で簡素なものが多く、安全率が低く、非常に落雷を受けやすかった。

 「コンクリート製半地下石油貯蔵タンク」の詳細構造は分からないが、イメージは「韓国の石油貯蔵所で半地下式ガソリンタンクの爆発・火災」201810月)の火災タンクを参照するとよい。(ただし、韓国の半地下式タンクの屋根は鋼板が使用されている)

■「避雷針の追加設置」; 本事故の前に1985715日、黄島石油基地の4号タンクが落雷を受けて火災になった。この教訓から、4号タンクの周囲に高さ30mの避雷針4本が立てられた。 5号タンクとともに誘導避雷ネットが設置されたが、 石油タンク使用中のために系統の接続は溶接できず、全て鉄製クリップでかしめてあった。調査の結果、ほとんどの圧接箇所がひどく腐食していることが判明し、火災で焼けた固定点を測定したところ、抵抗値は規定値の0.03オームを大きく上回る1.56オームに達していたという。

■「金属製石油タンク」(1号タンク、2号タンク、3号タンク)は、元々、容量5,000KLで設計されていたが、勝利油田の意向によって建設段階で容量10,000KLに変更された。タンク配置計画はそのままにされたので、タンク間隔はわずか11.3mで、安全防火規則の間隔である33mをはるかに下回っていた。青島公安局は火災危険通知を出し、中間にある2号タンクの是正と廃止の期限を定めていた。 しかし、この事故が起こるまで、2号タンクは一度も休止されたことがなかった。 

■「5号タンクのボイルオーバー」; 半地下石油貯蔵型5号タンクの仕様は、容量が20,000KLというだけで情報がない。20,000KLのタンクのサイズを推測すれば、大体、直径44m×高さ10mほどである。日本の現在の法令によれば、放射能力10,000L/minの大容量泡放射システムが必要である。当然、当時の消防機材には無く、全面火災の消火は困難だった。原油は16,000KL入っており、液面高さは8.0mくらいである。ヒートウェーブの降下速度は、実験によると40cm/h以下であるが、実際の火災ではもっと速い。平均の降下速度は50100cm/hと考えるのがよいので、8.0mの液面高さだと816時間でボイルオーバーが発生すると見込まれる。実際には、4時間半で起こっている。タンク火災が消火できないので、タンク内液を抜き出したのではないだろうか。

 一方、ボイルオーバーが発生したとき、前線の消防士などは安全域「タンク直径の510倍」に撤退しなければならないといわれており、撤退距離は220440mぐらいとなる。発災直前に撤退指示が出ても、100人を超える死傷者が出たのはあり得ることである。原油の燃焼速度は1030cm/h程度であり、20cm/hと仮定すれば、燃焼時間は40時間となる。5号タンクの火災は、813日(日)午後220分頃までに制圧され、午後930分に鎮火したという。おそらく燃え尽きるようなときが制圧されたと考えられるので、燃焼時間はおよそ28時間半であり、推定の燃焼時間(40時間)より早い。液面高さや降下速度などの数値に幅があるので断定はできないが、火災中にタンク内液を抜き出した可能性は高い。  

所 感

■ 本事故は「中国の原油タンクに関する火災・爆発燃焼解析とリスクマネージメント」20236月)の中で重大事故のひとつとして紹介されていたが、思っていたよりもひどい事故(人的被害、タンク設計の不出来、雑な操業管理、粗い危機管理)である。2005年に出された「貯蔵タンク事故の研究」20118月)には重大事故にも落雷事故にも名が出ておらず、隠れた事故であろう。

■ コンクリート製の半地下石油貯蔵タンクという特異な構造の事例であり、現在では教訓となるようなことは少ない。しかし、ボイルオーバー事例としての教訓はある。すでに「消火戦略」で述べられている事項であるが、改めて資する事項はつぎのとおりである。

 ● ボイルオーバーの予兆を鋭敏に早く感じる。

 ● 安全域「タンク直径の510倍」を事前に把握し、撤退時には安全域まで下がる。

 ● 原油などボイルオーバーが想定されるタンク内液は、火災中、別なタンクに抜き出してはならない。

 ● ヒートウェーブの降下速度は50100cm/hと考えてボイルオーバーが起こる時間を想定しておく。

 ● 対象タンクについて大容量泡放射システムの必要泡放射能力を事前に把握し、ボイルオーバーが起こる想定時間内に必要な人員・資機材が届くことを確認する。

 このほか、「ボイルオーバーの研究 = 実際的な教訓」202112月)を参照。


備 考

 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。

    Sohu.com,  1989黄岛油库大火,不能忘却的纪念, August 14,  2018

    Zh.wikipedia.org, 1989年黄岛油库爆炸事故, February 25,  2022

    Chinabaike.com, 1989年山东黄岛油库“8.12’特大火灾事故, February 21, 2011

    K.sina.com.c消防员来不及撤退,瞬间被大火吞没,记1989山东黄岛油库爆炸,  December 23, 2020

    163.com,   1989年的那一日,青岛的黄岛油库燃爆,烧55, 19,  August 11,  2022

    Dailyqd.com,  1989812日:黄岛油库发生特大火灾,  August 12,  2014

    News.qingdaonews.com,  铭记32年前黄岛油库灭火抢险:惊心动魄!赴汤蹈火的五天四夜,  May 17,  2021

    Mva.gov.cn,  王福久: 2000次出入火场的退役消防兵, August 26,  2022

    News.sohu.com, 1989812日黄岛油库遭雷击起火爆炸,  December 22,  2013


後 記: 前々回のブログ「中国の原油タンクに関する火災・爆発燃焼解析とリスクマネージメント」20236月)で重大な事故のひとつとして青島市黄島石油基地の爆発・火災を取り上げていましたので、事故内容を調べることとしました。1989年の事故ですので、情報はあまり無いと考えていましたが、意外に多くの情報がありました。時を経て大きな事故を忘れないようにという記事がほとんどでした。しかし、調べていて、肝心なタンク火災の写真とタンク配置(図)が見当たらず、報道の規制を感じました。そればかりでなく、下に示すようなフェーク写真もありました。「青城市档案」(青島市公文書館)とありますので、青島市黄島石油基地のタンク火災の写真と受け取りました。(影の声;受け取る方が悪い。だれも黄島石油基地のタンク火災とは言っていない。青島市公文書館にあるタンク火災写真を載せただけ) 実は、この写真は2009年にプエルトリコで起ったカリビアン石油タンクターミナルのタンク火災です。


 

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