今回は、 2020年8月25日(火)、神奈川県横浜市の小柴貯油施設跡地の旧覆土式地下タンクに工事中の男性が重機ごと転落して死亡した事故について労働基準監督署が2020年3月24日(水)に書類送検したので、これにもとづく原因を紹介します。 事故後に掲載してきた前回のブログは「横浜市の小柴貯油施設跡地の覆土式地下タンクに工事中に転落(その後の情報)」(2020年10月)、前々回のブログは「横浜市の小柴貯油施設跡地の覆土式地下タンクに工事中に転落」(2020年9月)を参照してください。
< 発災施設の概要 >
■ 発災があったのは、神奈川県横浜市金沢区の旧米軍施設「小柴貯油施設跡地」である。 現在、跡地は日本に返還され、横浜市が公園整備を進めている。
■ 「小柴貯油施設跡地」は、旧日本海軍が燃料貯蔵基地として建設し、戦後は米軍が航空機燃料の備蓄基地として使用しており、敷地内には地上タンクが5基、覆土式地下タンクが29基ある。事故があったのは、直径約45m×深さ30mの地下タンクの1基である。
<事故の状況および影響
>
事故の発生
■ 2020年8月25日(火)夕方、小柴貯油施設跡地の現場で、ダンプカーから降ろした土を重機(バックホー)でならす作業をしていた男性の行方が操縦していた重機ごと分からなくなった。
ダンプカーの運転手は午後1時頃に重機を確認していたが、およそ2時間後に重機がいなくなっているのに気付いたという。
■ 工事施工者は、重機と共に男性の姿が見えなくなっていることを消防へ119番通報した。工事は横浜市が発注し、飛島・奈良・センチュリー建設共同企業体が施工する西部水再生センターの下水道工事であり、工事で出た建設発生土を小柴貯油施設跡地の公園整備事業の盛土用の土として搬入していた。
■ 男性は下水道工事で現場付近に仮置きした残土を、重機で整地する作業をしていたが、近くに地下タンクがあり、上部の天蓋(屋根部)の一部が崩落していた。このため、男性は地下タンクに転落したとみられている。周囲に柵はなく、男性が操縦していた重機は重量が20トンほどあり、重機が進入してタンク天蓋(屋根部)に乗った際に壊れた可能性がある。地下タンクには、深さ約9mの雨水などが溜まっているとみられる。
被 害
■ 地下タンク近くで作業をしていた男性1名が、深さ約30mの地下タンクに重機(バックホー)ごと転落し、死亡(内部に溜まっていた水による溺死)した。
■ 戦前に建設された覆土式地下タンクの天蓋(屋根部)が一部崩落した。
< 事故の原因 >
■ 事故の直接原因は、覆土式地下タンクの天蓋部(屋根部)に進入し、屋根部が重機の重み(約20トン)で崩落し、天蓋部(屋根部)に居た作業者が重機ごと地下タンクに転落したとみられる。転落した作業者は覆土式地下タンクの存在を認識していなかった。
■ 間接原因は、発注者の横浜市が建設発生土の搬入作業の元請け会社(飛島建設・奈良建設・センチュリー工業JV)に渡した現場の図面に、事故のあったタンク跡の位置を記載しておらず、元請け会社はタンク跡に対する認識が希薄で充分で無かった。また、元請け会社は、下請け業者に作業を請け負わせるに当たり、作業場所の巡視の義務があるにもかかわらず、6月15日(月)以降、事故当日まで現場の巡視を行わなかった。
< 対 応 >
■ 排水作業を行いながら捜索していたが、8月28日(金)、警察と消防は地下タンク内で行方不明となっていた男性を発見したが、すでに死亡していたことが確認された。市消防局によると、同日午前10時45分頃、地下タンク内で重機の一部が見つかり、救助隊員が潜水して捜索するなどして午後5時35分頃、水の中にあった重機の操縦室内で男性を発見した。発見時、重機は横倒しになった状態で、窓ガラスは割れていたという。
■ 工事を発注した横浜市は、工事施工者に地下タンクを避ける形で作業場所を指定していたという。しかし、天蓋(屋根部)の縁ギリギリまで盛られた土が崩れていることなどから、横浜市は、男性が覆土式地下タンクの天蓋(屋根部)の上で作業をしていたのではないかとみている。
■ 9月1日(火)、神奈川県警は、横浜市の公園造成現場で重機ごと深さ約30mの地下タンクに転落し、遺体で見つかった男性を司法解剖した結果、死因は溺死と発表した。
■ 9月2日(水)、横浜市によると、男性は地下タンクの近くでダンプカーが運んできた土砂を重機でならす作業を担当しており、作業場所は当初、覆土式地下タンクの天蓋(屋根部)より5mほど低かったものの、土砂をならすうちに高低差がなくなったとみられるという。この事故に関連して、横浜市長は、記者会見で、工事の指示書では土砂を置く場所は、地下タンクの縁から10m以上離れた地点を指定していたと明らかにし、現場にどのような指示が伝わっていたのか、調べる考えを示した。
横浜市によると、今年5月、土砂の搬入が始まる前に、市の担当者や工事施工者が立ち会って現場で土砂を置く場所を検討したという。この時、地下タンクの縁から少なくとも14m離れたおよそ2,300㎡の場所を置き場に指定したという。しかし、横浜市によると、事故のあと、指定された場所の外側にも土砂があることが分かったということで、横浜市では、当時、現場にどのような指示が伝わっていたのか調べることにしている。
■ 9月25日(金)、事故発生から1か月を迎える。重機の重みでタンク跡の天蓋(屋根部)が崩落したとみられるが、横浜市は、「あらかじめ決められたルート以外は通らない指示になっていた」という。横浜市議会で転落事故に関する質疑があり、横浜市は、工事を受注した工事施工者側に示した図面にタンク跡の位置が明記されていなかったことを明らかにした。
■ 9月28日(月)、25日に行われた横浜市議会の質疑応答で分かったことは、つぎのような事項である。
● 西部水再生センターの下水道工事で発生した建設発生土は、当初、南本牧ふ頭に搬出予定だったが、2020年5月初めに小柴貯油施設跡地に残土置き場を設けることに変更した。
● 5月14日(木)に現場で立会いの打合せを行った。その際、横浜市の下水道担当者、公園担当者、工事施工者で搬入ルートや仮置き場所の位置などについて確認をした。その際の資料は、横浜市の公園部局の職員が作成して提供した。
● その打合せで使用した資料は下記の図である。この資料では、残土置き場はBを指定したもので、事故が起きた残土置き場Aを指定したものではなかった。これは、当初、Bの所に残土を置くためのもので、その後、Bが一杯になったので、Aの方に置くように横浜市が指示した。
● 写真は残土を積む前のAの様子であるが、タンクは見えない状況だったし、地図上にも示されていなかった。タンクの位置をどのように伝えたのか、現場でどのようなやり取りがあったかについては、現在捜査中という理由で回答はなかった。
● 写真は残土置き場Bで残土が積みあがっている様子で、高さが約4mである。残土置き場Aも同じように積み上げられていたが、横浜市が行った写真での確認では、概ね5m程度と推測される。
● 事故の検証は、現在、警察の捜査および労働基準監督署の調査が進められており、横浜市としては協力しており、捜査に関わることについては回答できないという。
■ 12月25日(金)、メディアの日経コンストラクションは、発注者の横浜市が建設発生土の搬入作業の元請けである飛島建設・奈良建設・センチュリー工業JVに渡した現場の図面に、事故のあったタンク跡の位置を記載していなかった疑いがあると指摘した。警察と労働基準監督署は2020年12月時点でも事故の捜査や調査を継続しており、横浜市はそれを理由に事故の詳細な説明を拒否し、事故の発生原因など全容は明らかになっていない。また、飛島建設も取材依頼に「監督署と警察署の判断が出ていない状況での取材は断る」と答えている。それでも、横浜市担当者の市議会での答弁や、市が工事再開に先立って発表した安全対策の状況から、明らかになったのは、発注者としての横浜市と、元請けとしての飛島建設JVが、いずれも必要な務めを果たしていなかった疑いがあると指摘している。
■ 2021年3月24日(水)、横浜市南労働基準監督署は、労働安全衛生法違反の疑いで、東京都港区の土木・建築工事業者と現場責任者(40代男性)を書類送検した。書類送検容疑は、2020年6月15日(月)~8月24日(月)の間の計35日間、現場の巡視を行わなかったとしている。労働安全衛生法では、下請け業者に作業を請け負わせるに当たり、元請け業者に作業場所の巡視を義務付けている。当時、現場責任者は横浜市戸塚区の現場に常駐していたという。労基署は認否したかを明らかにしていない。
補 足
■「神奈川県」は、日本の関東地方に位置する人口約920万人の県である。
「横浜市」は、神奈川県東部に位置し、県庁所在地で人口約375万人の政令指定都市である。
「金沢区」は、神奈川県南端部に位置し、三浦半島の東側にあり、人口約197,000人の行政区である。
■「小柴貯油施設」は、戦前(1937年頃)に旧日本軍が燃料の貯蔵基地として建設されたものである。第二次世界大戦後に進駐した連合国軍が、市内中心部や港湾施設などを広範囲に接収し、接収された土地は市全体で最大で1,200ヘクタールあり、小柴貯油施設は米軍が航空機燃料の備蓄基地に使っていた。敷地内には地上タンクが5基、覆土式地下タンクが29基ある。
米軍の接収地は、解除を求める運動の機運が高まり、1952年には大桟橋や今の横浜スタジアムなどの土地が返還されている。その後、断続的に返還され、今回、事故が起きた53ヘクタールの金沢区の旧「小柴貯油施設」は、戦後60年の2005年に返還され、国が横浜市に現況のまま全面積を無償貸し付けし、現在、横浜市が公園整備を進めている。
■ 横浜市が策定した「小柴貯油施設跡地利用基本計画」(2020年3月)の表紙写真は、つぎのとおりである。この写真に限らず、横浜市が作成した小柴貯油施設跡地の図には、地下タンクの場所が示されている。一方、9月に横浜市議会で明らかになった「(仮称)小柴貯油施設跡地公園 土砂搬入場内案内」では、なぜか地下タンクの位置が示されていない。ただし、過去に爆発火災を起こして天蓋部(屋根部)が無くなった地下タンクだけは図に位置が示されている。
■ 「覆土式地下タンク」は、直径約45m×深さ30mで、屋根部は鉄製の桁(けた)の上にコンクリート製の蓋が載せられ、その上に土がかぶされていると報じられている。しかし、横浜市作成の「小柴貯油施設跡地利用基本計画」(2020年3月、横浜市返還施設跡地利用プロジェクト)では、貯油タンクの概要について、つぎのようになっており、事故のあった地下タンクは、5号タンクと称し、直径38m×高さ28m、内空体積34,006㎥となっている。「直径約45m×深さ30m」のデータも横浜市が提示しており、コンクリートの厚さを含めたものと思われる。
所 感(前々回;2020年9月17日)
■ 今回の事故の直接要因は、重機操縦者が亡くなっているので分からないだろう。間接要因は、盛り土の形成状況から重機操縦者の“善意の行動”だと感じる。事前の打ち合わせでは、建設発生土(残土)の置き場は「地下タンクの縁から少なくとも14m離れたおよそ2,300㎡の場所」に指定されたとある。2,300㎡は(たとえば、20m×100mに相当するかなり広い空地である。このような空地に残土が置かれ、盛り土を形成することはむずかしくはない。まして、重機操縦者は下水道工事を請け負った工事施工者の作業員である。ところが、盛り土は傾斜地で地下タンクの縁まで積み上げられている。推測だが、重機操縦者はどこに使う残土だろうという疑問をもち、地下タンクの埋め立てに使うらしいということを知ったのではないだろうか。重機操縦者は自分の技量を発揮して、地下タンクの縁の方へ残土を運んだのではないだろうか。“善意の行動”の発意ではあったが、残念なことに地下タンクの位置を知らなかったので、覆土式地下タンクの天蓋部(屋根部)にまで進入してしまった。
■ 事故の未然防止のためには、①「ルールを正しく守る」、②「危険予知活動を活発に行う」、③「報連相(報告・連絡・相談)により情報を共有化する」の3つが重要である。重機操縦者には、これらのいずれかが欠けていたために事故となったと思われる。
一方、今回の事故では、盛り土の形成状況を見ると、相当な時間が経過していると思われ、工事施工者および発注者の階層(所長、マネージャー、担当者など)ごとの「ルール」の観点、「危険予知活動」の観点、「報連相」の観点の失敗要因について分析・対応を考える必要があると思う。
所 感(前回;2020年10月13日)
■ 前回、「事故の間接要因は、盛り土の形成状況から重機操縦者の“善意の行動”だと感じる」と書いた。しかし、今回の情報(残土置き場の場所を示す図面に地下タンクの表示なし)で、重機操縦者は覆土式地下タンクの存在をまったく知らなかったのではないかという考えが浮かんだ。横浜市が
「地下タンクの縁から少なくとも14m離れた場所」という指示については、工事施工者(あるいは重機操縦者)は、発災のあった覆土式地下タンクではなく、天蓋部(屋根部)のない地下タンク(6号タンク)と理解する可能性がある。
■ 残土置き場が変更になったという情報を知って、残土置き場が写った写真を調べた。そうすると、当初の残土置き場Bは高さ約4mで整然と積まれ、いっぱいになっている。このため、残土置き場がAに変更になったとみられるが、この置き場は一部がすでに別な残土が積まれ、スペースが限られている。このため残土置き場Aはかなり無理な積み上げ方をしており、覆土式地下タンクの法面を埋める形で積まれている。当初は“善意の行動”でタンク埋め立てに便利なように積んだのではないかと思っていた。これは覆土式地下タンクのことを知っていたという前提だが、重機操縦者は覆土式地下タンクの存在をまったく知らなかったのではないかという気もする。
■ 事故の未然防止のためには、①「ルールを正しく守る」、②「危険予知活動を活発に行う」、③「報連相(報告・連絡・相談)により情報を共有化する」の3つが重要であるが、今回の事故では、「報連相(報告・連絡・相談)により情報を共有化する」がポイントであろう。(重機操縦者が亡くなっているので、解明はむずかしい)
所 感(今回)
■ 今回の情報で分かったことは、重機操縦者が覆土式地下タンクの存在をまったく知らなかったということである。そして、元請け会社も現場巡視を怠っており、重機操縦者に覆土式地下タンクの存在と危険性を知らせていない。その要因は、発注者である横浜市が元請け会社に覆土式地下タンクの存在と危険性を伝えた気になっていた(実際には伝わっていない)ということである。
■ 事故の未然防止のためには、
① 「ルールを正しく守る」
② 「危険予知活動を活発に行う」
③ 「報連相(報告・連絡・相談)により情報を共有化する」
の3つが重要であるが、今回の事故では、発注者、元請け会社、作業者(重機操縦者)がまったく報連相(報告・連絡・相談)による情報を共有化していなかったという最悪の状態だった。
今回の事故は、発注者および元請け会社が、①「ルールを正しく守る」、②「危険予知活動を活発に行う」、 ③「報連相(報告・連絡・相談)により情報を共有化する」の3つのうち、いずれかを感度よく行っていれば、未然防止できた事例である。
備 考
本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
・Asahi.com,
米軍跡地で重機転落、男性不明 穴に大量の水、救助難航, August
26, 2020
・Nhk.or.jp, 横浜 重機転落事故 地下タンクの水を抜き作業員救助へ, August 26,
2020
・Kanaloco.jp, 男性作業員落下、捜索再開も発見できず タンクには重機跡, August 26,
2020
・Tokyo-np.co.jp, 重機ごと男性が地下タンクに転落か 横浜の米軍施設跡地, August 26,
2020
・Kanaloco.jp, 地下タンクに落下の作業員、死亡を確認 重機操縦室で発見, August 28,
2020
・Jcp.or.jp, 重機地下タンク落下調査, September 01,
2020
・Anzendaiichi.blog.shinobi.jp,
2020年8月25日、横浜市で米軍燃料基地返還後の・・・, September 01,
2020
・Sankei.com, 横浜のタンク転落、死因は溺死 重機操作の男性, September 03,
2020
・City.yokohama.lg.jp, (仮称)小柴貯油施設跡地公園 基本計画
・City.yokohama.lg.jp, 小柴貯油施設跡地利用基本計画, March, 2020
・Shippai.org, 隣接タンク工事の火花による米軍覆土式地下石油タンクの火災
・City.yokohama.lg.jp, 小柴貯油タンクの爆発事故の真相究明を横浜市に要求, December
19, 2019
・Img.p-kit.com, 西柴団地の歴史
・Jstage.jst.go.jp, 「JP-4」タンク火災における輻射熱, 安全工学,Vol23,No.4, 1984
・Furuya-yasuhiko.com, 横浜市が打ち合わせ時に示した地図には事故のあったタンクは描かれていなかった・・・ , September 28,
2020
・Mainichi.jp, 重機転落1か月、ふたの上走行、なぜ 土かさ増し、行き来容易に、横浜市「想定外」を強調, September
25, 2020
・Mainichi.jp, 重機転落死 穴の位置、図に記さず、横浜市、JVに提示,
September 26, 2020
・Kanazawa-chikurengo.jp, 金沢区町内会連合会定例会(令和2年9月), September, 2020
・XKtech.nikkei.com, 深さ30mの“落とし穴”に重機が転落, December 25,
2020
・Kanaloco.jp, 横浜・貯油施設跡地のタンク転落死亡事故 業者と現場責任者を書類送検, March 24,
2021
後 記: 今回の事故は、労働基準監督署が労働安全衛生法違反の疑いで元請け会社(と現場責任者)を書類送検したので、法廷上の争いになってしまいました。(不起訴になる可能性もあり) 発注者と元請け会社間で「言った」、「聞いていない(記憶がない)」という論争になっても、被害者(重機操縦者)が亡くなっているので、事故原因ははっきりしないでしょう。しかし、ここではこれまでの情報から間接原因を含めてはっきりさせました。それは、これから同じような事故が起こらないように願うからです。
こんにちは、初めてブログを拝見いたしました。面白く、興味がわくブログです。私はテキサスA&MでInspectorの資格を取りに行った事があります。ブログ内の写真はしっかり覚えておりました。また横浜小柴の施設もinspectionに行っておりました。のどかな場所でした。
返信削除これからも興味深いブログを読ませていただきます。宜しくお願いいたします。