2020年9月17日木曜日

横浜市の小柴貯油施設跡地の覆土式地下タンクに工事中に転落

 今回は、2020年8月25日(火)、神奈川県横浜市の小柴貯油施設跡地で、現在は使用されていない覆土式地下タンクの工事中の男性が重機ごと転落して死亡した事故を紹介します。


<発災施設の概要>

■ 発災があったのは、神奈川県横浜市金沢区の旧米軍施設の「小柴貯油施設跡地」である。現在、跡地は日本に返還され、横浜市が公園整備を進めている。


■「小柴貯油施設跡地」は、旧日本軍が燃料貯蔵基地として建設し、戦後は米軍が航空機燃料の備蓄基地として使用しており、敷地内には地上タンクが5基、覆土式地下タンクが29基ある。事故があったのは、直径約45m×深さ約30mの地下タンクの一基である。

<事故の状況および影響>

事故の発生

■ 2020年8月25日(火)夕方、小柴貯油施設跡地の現場で、ダンプカーから降ろした土を重機(バックホー)でならす作業をしていた男性の行方が操縦していた重機ごと分からなくなった。ダンプカーの運転手は午後1時頃に重機を確認していたが、およそ2時間後に重機がいなくなっているのに気付いたという。

■ 工事施工者は、重機とともに男性の姿が見えなくなっていることを消防へ通報した。工事は横浜市が発注し、飛鳥・奈良・センチュリー建設共同企業体が施工する西部水再生センターの下水道工事であり、工事で出た建設発生土を小柴貯油施設跡地の公園整備事業の盛り土用の土として搬入していた。

■ 男性は下水道工事で現場付近に仮置きした土を、重機で整地する作業をしていたが、近くに地下タンクがあり、上部の天蓋(屋根部)の一部が崩落したいた。このため、男性は地下タンクに転落したとみられている。周囲に柵はなく、男性が操縦していた重機は20トンほどあり、重機が進入したタンク天蓋(屋根部)に乗った際に壊れた可能性がある。地下タンクには、深さ約9mの雨水などが溜まっているとみられる。

■ 県警と消防が捜索にあたったが、二次災害の危険があるとして25日(火)午後7時頃に中断した。救助活動を行うには、タンク内の水を抜く必要があり、翌26日(水)午後から排水ポンプを5台投入するための土台の設置や周辺の整地作業を進めた。

■ 近くに住む主婦は、転落したとみられることについて「仕事をしているときにこういうことになって気の毒です。早く見つかってほしい」と話していた。女性によると、公園の造成工事が始まる前から、小柴貯油施設跡地は敷地内を通り抜けることができたということで、「7年近く住んでいて、地上部分にタンクが残っているのは知っていましたが、地下にもあるとは知らずびっくりしました」と話している。また、近くに住む男性は「昔、燃料の備蓄基地だったというのは聞いていましたが、今は施設は撤去されていると思っていたので、まだ地下のタンクが残っているとは知りませんでした。ほとんどの人は知らないんじゃないかと思います」と驚いた様子だった。

■ 8月26日(水)、県警と消防は、男性の捜索活動を再開したが、同日午後9時までに見つからなかった。地下タンクは水が溜まっており、県警などは、残った天蓋(屋根部)や新たな土砂の落下などの二次災害の懸念がなくなった段階で救助を始めるという。

被 害

■ 地下タンク近くで作業をしていた男性1名が、深さ約30mの地下タンクに重機(バックホー)ごと転落し、死亡(内部に溜まっていた水による溺死)した。

■ 戦前に建設された覆土式地下タンクの天蓋(屋根部)が一部崩落した。

<事故の原因>

■ 事故原因は、覆土式地下タンクの天蓋(屋根部)に進入し、屋根部が重機の重み(約20トン)で崩落し、天蓋部(屋根部)に居た作業者が重機ごと地下タンクに転落したとみられる。

<対 応>

■ 排水作業を行いながら捜索していたが、8月28日(金)、警察と消防は地下タンク内で行方不明となっていた男性を発見したが、すでに死亡していたことが確認された。市消防局によると、同日午前10時45分頃、地下タンク内で重機の一部が見つかり、救助隊員が潜水して捜索するなどして午後5時35分頃、水の中にあった重機の操縦室内で男性を発見した。発見時、重機は横倒しになった状態で、窓ガラスは割れていたという。

 9月1日(火)、神奈川県警は、横浜市の公園造成現場で重機ごと深さ約30mの地下タンクに転落し、遺体で見つかった男性を死亡解剖した結果、死因は溺死と発表した。

■ 9月2日(水)、横浜市によると、男性は地下タンクの近くでダンプカーが運んできた土砂を重機でならす作業を担当しており、作業場所は当初、覆土式地下タンクの天蓋(屋根部)より5mほど低かったものの、土砂をならすうちに高低差がなくなっていたとみられるという。この事故に関連して、横浜市長は、記者会見で、工事の指示書では土砂を置く場所は、地下タンクの縁から10m以上離れた地点を指定していたと明らかにし、現場にどのような指示が伝わっていたか、調べる考えを示した。

 横浜市によると、今年5月、土砂の搬入が始まる前に、市の担当者や工事施工者が立ち会って現場で土砂を置く場所を検討したという。この時、地下タンクの縁から少なくとも14m離れたおよそ2,300㎡の場所を置き場に指定したという。しかし、横浜市によると、事故のあと、指定された場所の外側にも土砂があることが分かったということで、横浜市では、当時、現場にどのような指示が伝わっていたのか調べることにしている。

■ 事故に伴い、いろいろなメディアから報じられているが、上空から撮った映像がユーチューブにも投稿されている。

 「横浜地下タンク重機落下事故 水抜き作業始め救出再開へ」(2020.8.26)

 ●「タンク内で重機発見 転落作業員の捜索急ぐ」(2020.8.27)

(写真はTokyo-np.co.jpから引用)
補 足




■「神奈川県」は、日本の関東地方に位置し、人口約920万人の県である。

「横浜市」は、神奈川県東部に位置し、県庁所在地で人口約375万人の政令指定都市である。

金沢区」は、神奈川県南端部に位置し、三浦半島の東側にあり、人口約197,000人の行政区である。

■「小柴貯油施設跡地」は、戦前(1937年頃)に旧日本海軍が燃料基地として建設されたものである。第2次世界大戦後に進駐した連合国軍が、市内中心部や港湾施設などを広範囲に接収し、接収された土地は市全体で最大1,200ヘクタールあり、小柴貯油施設は米軍が航空機燃料の備蓄基地に使っていた。敷地内には、地上タンクが5基、覆土式地下タンクが29基ある。

 米軍の接収地は、解除を求める運動の機運が高まり、1952年には大桟橋や今の横浜スタジアムなどの土地が返還されている。その後、断続的に返還され、今回、事故が起きた53ヘクタールの金沢区の旧「小柴貯油施設」は、戦後60年の2005年に返還され、国が横浜市に現況のまま全面積を無償貸し付けし、現在、横浜市が公園整備を進めている。なお、現在も返還されていないのは、広さが合わせて150ヘクタールに上る米軍施設4箇所と、米軍の船の停泊などのための水域2箇所である。

■ 横浜市が策定した「小柴貯油施設跡地公園の基本計画」では、地上および地下の貯油タンクの処理について、つぎのようになっている。

 ● 大型地下タンクは、躯体(くたい)を撤去せず、ほかの公園緑地工事で発生した土で埋め戻して、広場等の利用を基本とし、一部を歴史的遺構として保全活用する。

 ● 小型地下タンクは躯体を撤去せず、太陽光発電の設置や敷地内の発生土の処理等に活用する。

 ● 地上タンクは、一部をモニュメントや壁面緑化等の見本園、拠点施設として活用し、残りは撤去する。

■「覆土式地下タンク」は、直径約45m×深さ約30mで、屋根部は鉄製の桁(けた)の上にコンクリート製の蓋が載せられ、その上に土がかぶされていると報じられている。しかし、横浜市作成の「小柴貯油施設跡地利用基本計画」(2020年3月、横浜市返還施設跡地利用プレゼント)では、貯油タンクの概要について、つぎのようになっており、事故のあった地下タンクは、5号タンクと称し、直径38m×深さ28m、内空体積34,006㎥となっている。「直径約45m×深さ約30m」のデータも横浜市が提示しており、コンクリートの厚さを含めたものと思われる。

■ 小柴貯油施設における地下タンクの事故は、今回が初めてでなく、返還前の1981年10月13日午後12時07分頃、6号タンクで爆発が起こっている。6号タンクは大音響とともに爆発炎上し、黒煙は約1,000mに達し、炎は50m以上まで上がった。容量は32,500KLで、当時24,000KLのジェット燃料の入った地下タンクは、天蓋(屋根部)が噴き飛び、全面タンク火災となり、鎮火までに約4時間かかった。現場に隣接していた団地などでは、爆風で飛ばされた破片や石などによって延べ474戸の家が被害を受けた。横浜市消防局は住民約900人に避難命令を出した。負傷者は、消火活動にあたった基地内自衛消防隊員2名のほか、住民3名がけがをした。

 原因は、隣接タンク(3号タンク)の工事火花(溶接機など)が6号タンクの通気管から生じていたベーパーに引火し、通気管を経由してタンク火災になったものとみられている。発災当時は返還前で、施設の使用者が米軍、工事管理は防衛施設庁、作業は民間企業であり、安全管理が不徹底であったとみられる。施設は国内法が適用されないため、米軍の安全管理規定のみ適用されていた。しかし、この事故については、事故発生当時時に米海軍による調査が行われ、爆発原因を特定することはできなかったとの調査結果が1983年7月に国から報告されている。なお、6号タンクは、現在、天蓋(屋根部)がなく、今回、事故のあった5号タンク近くにある

■「バックホー」は、油圧ショベルの中でも、ショベルを操縦者側向きに取り付けたものである。操縦者側向きのショベルで操縦者は自分に引き寄せる方向に操作するので、地表面より低い場所の掘削に適している。なお、最近のバックホーには、ブルドーザーのように排土板を付けたものもある。

<所 感>

■ 今回の事故の直接要因の真実は、重機操縦者が亡くなっているので分からないだろう。

 間接要因は、盛り土の形成状況から重機操縦者の“善意の行動”だと感じる。事前の打ち合わせでは、建設発生土(残土)の置き場は「地下タンクの縁から少なくとも14m離れたおよそ2,300㎡の場所」に指定されたとある。2,300㎡は、たとえば20m×100m以上に相当するかなり広い空地である。このような空地に残土が置かれ、盛り土を形成することはむずかしくない。まして、重機操縦者は下水道工事を請け負った工事施工者の作業員である。ところが、盛り土は傾斜地で地下タンクの縁まで積み上げられている。推測だが、重機操縦者はどこに使う残土だろという疑問をもち、地下タンクの埋め立てに使うらしいということを知ったのではないだろうか。重機操縦者は自分の技量を発揮して、地下タンクの縁の方へ残土を運んだのではないだろうか。“善意の行動”の発意ではあったが、残念なことに地下タンクの正確な位置を知らなかったので、覆土式地下タンクの天蓋部(屋根部)にまで進入してしまった。

■ 事故の未然防止のためには、①「ルールを正しく守る」、②「危険予知活動を活発に行う」、③「報連相(報告・連絡・相談)により情報を共有化する」の3つが重要である。重機操縦者には、これらのいずれかが欠けていたために事故になったと思われる。 一方、今回の事故では、盛り土の形成状況を見ると、相当な時間が経過していると思われ、工事施工者および発注者の各階層(所長、マネージャー、担当者など)ごとの「ルール」の観点、「危険予知活動」の観点、「報連相」の観点の失敗要因について分析・対応を考える必要があると思う。 (各階層ごとの失敗要因と対策の解析例は、「太陽石油の球形タンク工事中火災(2012年)の原因」および「三井化学岩国大竹工場の爆発事故(2012年)の原因」を参照)


備 考

 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。








後 記:今回の事故は首都圏で起こった特異なできごとだったので、いろいろなメディアやSNSで報じられていました。地下タンクは現在使われておらず、このブログの対象にすることに躊躇(ちょうちょ)しました。しかし、昔、在日米軍の地下タンクで火災があったということを思い出し、調べてみることにしました。最初は、被災写真を見ても埋め戻し中の人身事故かと思っていましたが、どうもそのような単純な話ではないことが分かりました。昔の在地米軍で起こった地下タンク火災の隣接タンクだということも分かりました。40年ほど前のタンク火災ですが、地元の人の中には、タンク火災はもちろん、地下タンクが残されていることを知らない人もいます。風化してしまうのですね。

 ところで、私が住んでいる周南市(旧徳山市)にも、旧日本海軍が建設した覆土式地下タンク(最大は内径88m×深さ10m×容量50,000KL)が大迫田地区にありました。いまは緑地公園になっていますが、円形の広場が地下タンクの跡地だと聞いています。






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