2015年10月8日木曜日

フランスで製油所の熱油タンクが突然、破壊(1988年)

 今回は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省)がまとめているARIA(事故の分析・研究・情報)の中のひとつで、1988年、フランスで起きた「熱油タンクの破壊」(Rupture of a heated fuel tank )の資料を紹介します。
< 発災施設の概要 >
■ 事故のあった施設は、フランス南東部マルセイユ近郊のベールレタンにあるロイヤル・ダッチ・シェル社のベールレタン製油所で、精製能力は80,000バレル/日である。

■ 発災があったのは、製油所の貯蔵タンク地区にある容量15,000KLのタンクである。タンクはT837と呼ばれ、常圧蒸留塔からの直留残渣である高硫黄含有の重油を貯蔵し、温度127℃に保持されていた。タンクは固定屋根式で直径30m×高さ22m、側板は10段で、攪拌機付き、タンク底部に固定された加熱コイルが設置されていた。また、爆発や内液攪拌による圧力サージの要因になる空気/水の侵入を防ぐため、タンクには屋根から過熱水蒸気を注入して不活性な状態にしていた。屋根部には排気管が1本設けられていた。タンクT837は、1971年に運用を開始されたが、3基並用の同じ基礎エリアに最初の1基として建設された。近くには、ガス配管、液体配管、液化石油配管が走っていた。

■ タンクは、屋根部の不良によってすでに2回の補修を行っていた。不活性用配管系統の漏れによって、水蒸気雰囲気の中に水が入り、内部で圧力サージが起こるという事象が2回あった。圧力サージによってリム・アングルと屋根の溶接部が破損した。1981年6月に2回目の補修が行われ、屋根と側板1段分が交換され、爆発扉が設けられた。作業の必要性から、側板に仮設の開口部が設けられた。工事終了後、側板の内外面から2.05m×1.60mの鋼板でカバーし、すみ肉溶接された。これらの補修が終わった後、タンクのテストが行われた。スチームコイルはオイルコイルに取り替えられ、テストも問題なく終わった。
                現在のベールレタンの製油所付近    (写真はグーグルマップから引用)
< 事故の状況および影響 >
事故の発生
■ 1988年12月25日、タンクは重油の受入れ中だった。許容受入れ流量は80~160KL/hに設定されていた。これは液位上昇速度にすると、0.12~0.25m/hだった。午前3時までに、液位は20.4m(13,500KL)に達した。これは高液位警報の1.1m下になり、屋根から1.5m下だった。測定は誤差2mm未満のレーダー式レベル計によって行われていた。このときまでに記録として残されていた最高充填レベルは19.6mだった。ほかのタンク液位は、低硫黄重油タンクT836が1.4m、低硫黄重油タンクT826が10.55m、高硫黄留出油タンクT827が0.94mだった。

■ 午前3時、タンクT837の側板部が、突然、裂けて口を開いた。1989年4月28日に行われた金属専門家の評価によると、1981年の補修作業の際、開口部をふさいだ鋼板の内側部の縦溶接線に沿って割れが走ったという。このときの評価で明らかにされたのは、当該部に長さ1.05mのクラックがあり、最大深さは2.5mmだったという。

■ 割れはタンク下部の方へ向かって走り、側板と底板のシール部まで続いた。この地点で、側板と底板の円弧溶接部の両側にせん断力が働き、タンク円環部全周に広がった。割れはタンク上部へ側板6段目まで垂直に伸び、屋根から8mの位置で側板と内部補強アングルのシール部交点まで達した。タンク底部では、円環部の3/4でシール部の両側でせん断力による破断が広がり続けた。

■ 午前3時20分に、所内の緊急事態連絡が行われた。午前3時40分、施設全体の警報が鳴らされた。午前4時頃までに緊急事態時対応チームが集結した。

■ 製油所の所外では、地元警察署が警備体制を整えた。ベールの消防隊は警戒体制を敷いたが、現場への配置はまだ行われていなかった。

■ 温度127℃に加熱されたタンク内から、重油(比重0.96)の津波がタンク基礎のエリアを越えて流れ出た。重油はプラント内の8ヘクタール(80,000㎡=282m四方)の面積に広がり、構内道路が油に覆われた。油流出の影響は隣接タンクのひとつであるT836(低硫黄重油)に及び、タンクが変形し、基礎から浮き上った。

■ タンクT837の側板部は、屋根がはがれ、隣接していたタンクT827(高硫黄留出油)の方へ流され、壊れた。同じ基礎エリアで斜め反対側にあったタンクT826(低硫黄重油)は基礎から位置がずれた。重油の津波の力によって、タンクT837の屋根部は4段分の側板を付けたまま、元の位置から45m流された。

■ ビスブレーカー装置はシャットダウンされた。その他の製油所装置の稼働が下げられ、フレアー系統は圧力を下げて、フレアーの燃え殻で流れ出た油に引火しないように図られた。残渣油の詰まりにより、プロセス系統の淡水供給水路は孤立され、廃水の量を最小に保つように図られた。

■ 津波による破壊力によって、トレンチ内に走っていた石油移送配管から漏れ出し、流出規模が大きくなった。油の津波が押し寄せたとき、フランジのボルトがねじ曲げられて接続部に隙間ができ、午前8時30分まで配管のフランジ部から油が漏れ続けた。
(写真はARIA資料から引用)
(写真はARIA資料から引用)
事故による被害
人の被害
 ● 消防士1名が車両の転倒で軽傷を負い、診療所へ搬送された。また、オペレーター1名が消火用水系統の遮断弁を操作する際に軽いケガをした。

設備の被害
 ● 重油13,500KLを貯蔵していたタンクT837が損壊するとともに、流出した重油の津波によって隣接タンクが損壊またはズレるなど大きな被害が出た。
  ○ 容量15,000KLのタンク2基(T827、T836)が完全に壊れる被害を受けた。例えば、タンクT827は、高硫黄留出油630KLを貯蔵していたが、T837の壊れたタンク円環部の直撃を受けて、側板のほかに屋根部まで壊れた。タンクT836は低硫黄重油770KLを貯蔵していた。容量15,000KLのタンクT826は、高硫黄重油7,090KLを貯蔵していたが、津波によってタンク位置がズレたにもかかわらず、壊れて開口することはなかった。
  ○ 損壊したタンクから50m離れたところに敷設されていた重油や留出油の配管はねじ曲げられて、ズタズタにされるか、隣接のタンク基礎の防油堤に衝突した。漏洩があったが、火災にはならなかった。
  ○ エチレンと塩ビモノマーを移送するパイプラインは位置がズレたが、漏洩は無かった。
  ○ 建設中のブタンとプロパンの配管はねじ曲げられ、位置がズレた。
  ○ 送電塔1個が倒れた。
  ○ 防油堤内にあった攪拌機用のジャンクションボックス(接続箱)と電動機の複数台に被害が出た。
  ○ 石造りの破片が元の場所から100m以上離れたところで発見された。
 ● 近くのベール湖への油流出という環境汚染は避けられた。容量20,000㎥の雨水排水ベースンの入口部にオイルフェンスが張られ、含油排水が通過しないようにされた。また、流出した油は、タンク基礎部や構内敷地で割と早く固まったので、封じ込めという点では比較的容易だった。

欧州基準による産業事故の規模
■  1994年2月、セベソ指令を司るEU加盟国管轄庁の委員会は、事故の規模を特定するために18項目のパラメーターを用いる評価基準を適用した。わかっている情報をもとに検討された結果、当該事故は4つの分類項目に対してつぎのように評価された。
■ セベソ指令では、直留残渣油の事故に関する評価を対象にしていないので、「危険物質の放出」は評価されなかった。
 消防士とオペレーターの2名が軽傷を負う被害が出たので、「人および社会への影響」はレベル1と評価された。
 事故に伴う経済的損害がはっきりしていないので、「経済損失」は評価されなかった。
 事故に伴う対応状況の結果から、「環境への影響」は評価されなかった。

< 事故の原因 >
■ 現場調査と再現実験によって、応力に曝された腐食と疲労が相まったことが、最初のクラックの原因になったものとみられている。専門家の評価によれば、ほかにつぎのような多くの悪い条件が重なっていたという。
 ● 側板の湾曲を考慮されていなかった鋼板の雑な取付け方によるノッチ効果
 ● 運転の周期的な変動と風の影響による疲労
 ● 構造部材として使用された金属板の機械的性質の不適切性 (溶接部に高レベルの硬化が残留していたことは明らかである)
 ● 1981年にタンク開口部を塞ぐために取付けた鋼板の重ね方式の不良
 ● 貯蔵していた油に含まれていた高い硫黄分 (水素による腐食を促進していた可能性が高い)

■ このクラックがタンクの弱点になったことは紛れもないことであるが、クラックだけでタンク本体の破壊に直接つながらないのではないかという疑問があった。事故調査委員会によると、不活性用水蒸気の凝縮によって生じ、残渣油(比重0.95)の下に留まっていたタンク底の水溜まり部が、加熱コイルや高温の残渣域に直接触れるようになり、蒸発し始めたとみられる。運転記録によると、蒸気流量は12月22日の毎時16トンから事故前には毎時27トンと異常に増えていたという事実がある。さらに、8つある0.8m径の爆発用ベントのうちいくつかは、数日間、開位置のままであった。オペレーターは排気される蒸気に注意を払うことがなかった。タンクの突然の破壊後に、3個のベントが開き放しになっていたことがわかった。残渣油の下にあった水が不意に蒸発し始めたことが、タンク過圧の要因になり、破壊に至るきっかけになった。設備の工程的なエラーやタンクの運転上の不調は、事故の危険信号にならなかった。今回のような破壊事故は、重大事故の潜在的シナリオとして過去に見られなかったものである。

< 対 応 >
■ 最初の瓦礫除去機材が現場に到着したのが午前7時20分で、すぐに作業が開始された。洗ってきれいにされたものは、構内の設定場所に集められた。

■ 事故のあと、事業者は、油の津波で移動したり、変形したエチレンと塩ビモノマーのパイプラインについて検査を実施した。検査による健全性の確認結果を待つとともに、つぎのような安全対策の改善を行った。
  ● 運転圧力レベルの軽減
  ● パイプライン検査のルーチン化
  ● 敷設区域の標示およびパイプラインの表示

■ 事故後、1990年の運転再開を目指して、復旧作業が行われた。
(写真はARIA資料から引用)
< 教 訓 >
■ 水蒸気の凝縮によって生じたタンク底の水が突然の蒸発現象を起こしたという仮説をもとに、事故調査委員会は、1989年6月、つぎのような推奨事項を提起した。
 ● 爆発扉の撤去。これは、開位置のまま保持されるのは良いというより、もっと不都合な状況に至る可能性があるということからである。
 ● マンホール閉鎖時の総合的な健全性の確認。これには、不活性用水蒸気の放出のために設計した排気管の検査を含む。
 ● 必要ならば、検査および補修の実施。金属学的評価によって、割れは1981年に実施された開口部のカバー用鋼板の内側縦溶接に沿って進展していたことが明らかになったので、タンクの健全性を保証するために必要な検査および補修を実施する。
 ● 不活性用水蒸気を単一排気管による放出の維持。

■ この事故では、つぎのような注意すべき事項があった。
 ● タンク修正時: 材料選定では、既存設備(同一の材料組成)、貯蔵物の性状(含有する硫黄、水素、水など)、使用条件(加熱、サイクル性、風など)に適したものであること。そして、追加する部品については適切な形状と配置を行うこと。
 ● 例外的な事故の事象を想定外にしないこと。特に潜在的に重大な事故に至るような場合。
 ● タンク基礎構造の強度と配置: 基礎部を分割にすると、より小さなスペースで津波の力を分散することに有効であり、さらに隣接する施設への損傷を軽減することができる。すなわち、基礎部に仕切り堤を設けてつないだ防油堤では、津波の速度を減少させることができる。
 ● パイプ配置の分散化。燃焼性ガスを移送するパイプは、弱点を減らすように配慮する。

補 足
■ ベールレタン(Berre-l‘Etang)はブーシュ・デュ・ローヌ(Bouche du Rhone)県にあり、フランスで2番目の大都市であるマルセイユ(Marseille)の北方約20kmにある。
                     フランスのベールレタンの位置(マーク部)     (写真はグーグルマップから引用)
■ 事故のあった製油所は、フランス南東部マルセイユ近郊のベールレタンにあるロイヤル・ダッチ・シェルの精製能力80,000バレル/日の製油所である。ベールレタンの製油所はマルセイユ空港の近くにあり、 1929年に建設された。2008年にリヨンデルバゼル社がロイヤル・ダッチ・シェルから取得し、現在はリヨンデルバゼル社所有の工場である。ベールレタン製油所では、2015年7月、「フランスの製油所で仕掛けられた爆弾によってタンク火災」の事故が起こっている。
 なお、ベールレタン製油所の現在のグーグルマップの地図で調べてみたが、発災のあった場所は特定できなかった。 

■  「フランス環境省 : ARIA」(French Ministry of Environment : Analysis, Research and Information on Accidents)は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省 French Ministry of Ecology, Sustainable Development and Energy)がフランスにおいて発生した事故について情報を共有化し、今後に活用するため、1992年から始めた事故の分析・研究・情報のデータベースである。有用な海外事故も対象にしている。

所 感
■ ベールレタン製油所はびっくりさせられるタンク事故の起こるところである。 2015年7月に「フランスの製油所で仕掛けられた爆弾によってタンク火災」が起っている。今回の1988年クリスマスの日に起った熱油タンクの事故は発災現場の写真を見ると、地上式円筒タンクがこのようにバラバラに破壊することが現実にありうることに驚いた。

■ 事故調査委員会も現場の状況を見て驚き、どのような原因があるのだろうと感じたに違いない。開口部のカバー鋼板に施された雑な補修を見て、すぐにこれが起因していると直感しただろう。しかし、ひとつのクラックからこれほど完全に破壊することに疑問をもち、「事故の原因」の項にあるような仮説(タンク底の水が加熱コイルによって蒸発して過圧)が考えられたのだろう。この点でいえば、今回の資料で最も興味深く読んだのはこの「事故の原因」の項である。爆発防止を目的に導入していた水蒸気が爆発以上の破壊要因になったのは皮肉な結果である。

■ 過去には、日本でタンク全面火災などは起きないという安全神話があったが、最近では、さすがにそのように考えることは無くなった。しかし、「教訓」の中で指摘されている「特に潜在的に重大な事故に至るような場合、例外的な事故の事象を想定外にしないこと」ということについて考えている人は少ないだろう。今回の事例でいえば、タンクが突然、破壊して、油が全量一気に流出するということである。日本では、1974年の「水島のタンク破損による重油流出」による事例がある。さらに世界的にみると、今回の「フランスで製油所の熱油タンクが突然、完全に破壊(1988年)」のほか、2005年の「ベルギーで原油タンク底部が裂けて油流出」、2007年の「フランスで原油タンク底部が突然破れて油流出」のように大量流出事故が起こっているのが現実の世界である。


備 考
 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
  ・Aria.development-durable.gouv.fr, Rupture of a heated fuel tank, 25 December 1988, Berre l'Etang (Bouches-du-Rhône), France,  DPPR / SEI / BARPI - No. 163 , Sheet updated: October



後 記: 今回の事故はARIAの資料の中でも古い事例のひとつです。壊滅的な事例ですが、「欧州基準による産業事故の規模」では、 「人および社会への影響」の評価がレベル1のほかは、評価されていません。発災写真をみれば、ちょっとおかしいではないですかと言いたくなりますね。入力(可能)データからみれば、当然の正しい結果(?)ですが、これが「定量的評価」のマジックです。

映画「刑事ジョン・ブック 目撃者」の一シーン
 ところで、今年9月に紹介した「米国メリーランド州で納屋の火災中に燃料油タンクが爆発」の事例で知ったキリスト教とコミュニティに忠実で厳格な規則に従って暮らしているアーミッシュの人たちに興味をひかれ、何となく気になっていました。調べたところ、「刑事ジョン・ブック 目撃者」(ハリソン・フォード主演:1985年公開)という映画がアーミッシュのコミュニティを舞台にしたものでしたので、DVDを借りて観ました。映画そのものもなかなか良くできていますが、アーミッシュの人たちのことも少し理解できたように思います。この映画でも、納屋をコミュニティの人たちが協力して一日で建てるシーンが出てきます。現在の米国の中で、車を使わず、電話もなく暮らしている人たちがいるのが不思議なように思います。

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