2015年3月6日金曜日

フランスで原油タンク底部が突然破れて油流出

 今回は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省)がまとめているARIA(事故の分析・研究・情報)の中のひとつで、2007年に起きた「原油タンク底部の突然の開口」(Sudden opening of a crude oil tank bottom)の資料を紹介します。
< 施設の概要 >
石油ターミナル
■ フランスのジロント県アンベにある石油ターミナルは、原油や石油製品を取り扱っている施設である。石油製品としては国内向け燃料油、ディーゼル燃料、ガソリンなどである。事故当時、石油ターミナルには、合計で28基のタンクを保有し、全貯蔵能力は283,000KLだった。さらに、施設には2つの埠頭があり、3つのパイプラインと接続していた。施設の操業は、セベソ指令による公共用役を使用するための許認可協定に従う必要があり、2006年3月9日付けの県条例に従っていた。

■ 石油ターミナルはガロンヌ川の川岸に沿って建設されており、地元で“ジャルサン”という名で知られている湿地帯の近くにある。

事故のあったタンク施設
■ 事故があったのは原油貯蔵施設のタンクだった。発災タンクはNo.1602で、1958年に建設された浮き屋根式だった。事故当日、タンクには約12,000KLの軽質原油が入っていた。

< 事故の状況および影響 >
事故の発生
■ 2007年1月11日の午後、タンクNo.1602のリテンション・ベースンの中にわずかな漏れが発見された。タンクからの排出を行なうためには、浮き屋根を保持する支持脚を設定する必要があるため、オペレーターは安全性の理由から翌日に作業を行なう計画にした。その間に、油が漏れるのを避けるため、ブリード弁を通じてタンク底部に水を注入した。

■ 翌1月12日午前8時、タンク底部の一部が破れ、ほんの2・3秒のうちに12,000KLの原油が流出してしまった。土盛り型の防油堤は、押し寄せる油の波に対して構造的に耐えることができた。しかし、2,000KLの油がオーバーフローし、タンク地区構内と構外の道路や地上に広がった。

■ 社内の緊急事態対応計画が発動された。炭化水素および硫化水素のベーパー発散を防ぐとともに引火を防止するために、リテンション・ベースンのレベルまで流出した油の表面を泡で覆った。このため、170KLの泡薬剤が使用された。

■ 当局は、隣接した企業の従業員12名を避難させ、安全区域を設定した。ガロンヌ川の船舶航行を閉鎖し、周辺道路の車両通行を規制した。
 構内の人たちの要請によって大気質の計測が行われ、近隣住民の多くにバッジ型モニター装置が渡された。

■ リテンション・ベースンや側溝へ流出した油はタンク基地の沈砂池の方へ流れ、それから空だった貯蔵タンクの方へ向きを変えた。約6,000KLの油がこのような状態になった。
                   原油の流出状況    (写真はARIA資料から引用)
事故による被害
■ この事故に伴う直接的な人への健康被害は無かった。

■ 1月12日に緊急対応部隊によって計測された大気質の結果では、貯蔵施設のいずれの箇所においても爆発下限値に達していなかった。硫化水素(HS)の臭いは現場から数km離れたところで確認され、貯蔵地区ではマスクの着用が必要だった。その後、壊れたタンクの補修のために呼ばれた人たちは、自給式呼吸器を装着する必要があった。現場周辺の発散濃度は限定的だったので、地元住民の避難は2・3時間で済んだ。当初から事業所境界では、硫化水素の濃度は曝露限度値を下回っていた。すべての測定箇所で硫化水素の濃度がゼロに低下したのは、1月15日だった。

■ 1月12日のベンゼン濃度は、曝露限度値3.25 mg/㎥に対して、タンク周辺で2.4 mg/㎥、沈砂池付近で0.4 mg/㎥だった。1月18日には、ベンゼン濃度は検出限界以下になった。

■ 防油堤外に流出した2,000KLの油の大半は構内に限定されていた。このうち、かなりの量の油がすぐに雨水排水溝に達し、重力で沈砂池の方へと流れていった。沈砂池から構外へ排出するためのポンプがあったが、油が流入したため、排出ポンプを停止せざるを得なくなった。しかし、ポンプを停止するまでの間に100KLの油が構外へ流出してしまった。
 ●  50KLの油は、タンク地区から東方に位置する“ジャルサン”の湿地帯に流入した。油は2kmの水路用の溝を汚染し、地下水に達するほど深く浸透していった。
 ● 西方に流れた50KLの油は、上げ潮が始まったばかりのガロンヌ川に達した。ほとんどのところで、油膜は川の右岸沿いに留まっていたが、上げ潮の経過とともに油が上がってきた。虹色の光彩は12km上流の“ポンアキテーヌ橋” までの間で観察された。潮が変わると、油膜は下流へ移行し、“ベックアンベ”まで達した。
                構内の状況     (写真はARIA資料から引用)
                   河川への流出状況    (写真はARIA資料から引用)
■ 南側でも、地上と細い道路を越えて油が広がり、地層に浸透して土壌を汚染していった。それから、県道10号線に出たが、ガロンヌ川に並行に走っているパラペットによって大部分が留まった。しかし、少量の油が漏れ出て、河岸の地表部分を汚染した。

■ 1月13日、流出の痕跡は発災場所から20km以上離れた下流でも観察された。潮の満ち引きが汚染範囲を悪化させ、ガロンヌ川、ドロドーニュ川、ジロンド川の河岸40kmに及んだ。最も汚染がひどかったのは、ガロンヌ川とジロンド川の右岸沿い約10kmであった。
(写真はグーグルマップから引用)
■ 最初の水路検査において、汚染された鳥が2・3羽見つかっている。それでも、県から事故の連絡をもらった地元の鳥類保護協会は、鳥類の個体数への大きな影響が出ている様子はないとした。哺乳類のヌートリアが何頭か死んでいたと発表されている。 “ジャルサン”の湿地帯では、油混じりのぬかるみになった獣道(けものみち)をイノシシが渡った跡が見つかっている。それにもかかわらず、環境グループと狩猟協会は、現地の野生生物に対して特別な影響があったとは報告していない。

■ 「偶発的水質汚濁に関するドキュメント、研究および実験センター」(Centre for Documentation, Research and Experimentation on accidental water pollution: CEDRE)の管理のもとに操業者によるクリーンアップ作業が進められた。乳化剤を混合した消火用水総計13,000KLがタンク地区で使用され、長時間エアレーションの方法によってスラッジを含む油処理が実施された。

■ 石油貯蔵部門が止まることによって、原油生産会社はパレンティス湖(フランス南西部)での油井操業を停止せざるを得なくかった。というのも、原油生産会社はアンベの石油ターミナルのタンクに貯蔵した油をパイプラインを通じて出荷していたからである。油井の生産活動は、陸上輸送体制を整えて他の貯蔵基地へ移送することができるようにして、数日後には操業を再開した。

欧州基準による産業事故の規模 >
■  1994年2月、セベソ指令を司るEU加盟国管轄庁の委員会は、事故の規模を特定するために18項目のパラメーターを用いる評価基準を適用した。わかっている情報をもとに検討された結果、当該事故は4つの分類項目に対してつぎのように評価された。

■ タンク開口によって非常に引火性の高い軽質原油をおよそ11,000トン(12,000KL)流出させたので、「危険物質の放出」はレベル4と評価された。(セベソのしきい値50,000トンの22%に該当)
 地元住民が2時間を超える避難を余儀なくされたので、「人および社会への影響」はレベル2と評価された。河岸42kmおよび“ジャルサン”の湿地帯への油汚染により特別な汚染除去を必要とする環境への影響があったので、 「環境への影響」はレベル4と評価された。操業損失は推定5,000万ユーロに昇るとみられたので、「経済損失」はレベル5と評価された。

< 事故の発端、要因および状況 >
■ 事故要因としては、腐食およびタンク基礎の圧密不良に関して多くの疑問が出されている。
 
■ タンクNo.1602について行われた最近の検査は2006年2月27日で、タンク底板は2006年4月3日に検査が実施されている。検査方法は漏洩磁束探傷試験で、底板100%について行われた。事故報告書では、つぎのような検査結果であった。
 ● 中央部分の板厚の減肉率は20%~50%の範囲
 ● 周囲部分の板厚の減肉率は20%~80%の範囲
 ● タンク底板における最短の寿命は2年

■ 溶接継手はタンク溶接線の10%について確認され、欠陥は見つかっていない。

■ この検査結果にもとづき、補修が行われた。

< その後の対応 >
タンク施設
■ 事故後の1月13日および2月5日に、県からつぎのような改善命令事項が出された。
 ● 全原油タンクの運転の一時停止
 ● 緊急時における初動措置の改善(タンクの排出、原油のポンプ移送など)
 ● 静水衝撃に関する特別なモニタリング
 ● 汚染の影響および処理方法に関する検討
 ● 事故原因の分析、タンク検査結果の評価、事故再発の可能性に対する対応方法の検討

■ タンク地区のリテンション・ベースン部には、約2週間の期間、泡の膜が保持された。(約170KLの泡薬剤)

■ 人の安全対策として、運転が再開されてからひと月の間、現場の技術職員全員にはカートリッジ型エアフィルター・マスクの装着が義務付けされた。健康被害が出ないことを確認するため、石油ターミナルで働く人は全員、健康診断(血液検査および尿検査)が実施された。

油汚染のクリーンアップ
■ 事故後、最初の5日間、毎日、空、川、地上からの調査が組織的に実施された。この調査によって、汚染の状況(流出した50KLの油が河岸40kmにわたる汚染)がわかるとともに、ガロンヌ川、ドルドーニュ川、ジロンド川に対する介入戦略を立てることに役立った。まず優先させるべきことは、汚染された現場から漏れてくる油を止めるという考えに一致した。1月12日、県道上、排水管および排水路に主要な回収装置を配備した。雨水排水溝は土で塞いだ。この作業を行なうとともに、油分散剤を散布していった。一時閉鎖していた船舶航行をその日のうちに解除し、船の水流で攪拌を加速させようとした。

■ スキマーとタンクを装備した設標船“ガスコーニュ”が配備されたが、強い流れと油流出の広がりのため、川から油を回収することが難航した。影響を受けた地区にある埠頭には、浮遊する油を回収するため、吸着型オイルフェンスが沿岸警備隊によって展張された。汚染除去ボートが配備され、機動的に汚染除去活動を始めた。このボートは狭い水路でも自由に航行でき、浮遊物の集積用カゴが船側に付いており、地中海の港で実績がある。船側のカゴの底に吸収材を貼り付けることによって、効率的に汚染除去ができた。

■ 1月19日、タンク地区から雨水が放出される全箇所のガロンヌ川の河岸に、バックホー・ローダー(ユンボ)を使用して止水壁を構築することが最終的に決定された。
 1月20日には、環境保全専門会社が河岸のクリーンアップを開始した。河岸から川へ洗い流された油を除去するために投入した吸収マットの位置変えや取替え、汚染除去ボートによる浮遊物の回収、現場近くの河岸における囲い込みの作業は1月25日まで続けられた。1月25日に降雪があり、クリーンアップ作業は実施されず、週末まで中断した。 1月29日に作業が再開された。

■ 3月6日の調査では、汚染地域は10kmの範囲になっており、河岸では植物が芽吹いてきた。4月5日には、汚染地域はガロンヌ川右岸の3kmに縮小した。7月3日に最終の調査が行われた。

■ 構内および構外のクリーンアップ方法については、土壌浄化や地下水系の処理を含めて議論が続いている。(2009年6月時点)
                  県道10号線の状況     (写真はARIA資料から引用)
                 油回収作業の状況     (写真はARIA資料から引用)
地方レベルでの対応
■ 当該事故後、可燃性液体を貯蔵する施設の事業者に対して、行政的な覚書の形で要請があった。
 ● タンク本体の見落としによる結果と推奨事項の概要、およびとるべき対策
 ● タンクからの漏れ発見時の緊急事態対応の確立
 ● 異常時における排出液の管理方法の規定(側溝やリテンション・ベースンなどへの排出)
 ● 防油堤への波濤による影響の検討

国家レベルでの対応
■ 炭化水素系タンクの底板に関する確認のための全国規模のアクション・プランは、2008年から始められた。

< 教 訓 >
 この事故から反映すべきことは、3つに区分され、つぎのとおりである。
組 織
■ 事故の分析結果が示していることは、タンクからの漏れを発見したあと、起きうる最悪事態を想定したタンク漏洩対応手順の初期活動を行なうべきだったことである。

■ 操業者は、即座に専門知識をもった人に相談するとともに、大きな事態に至る突然のタンク開口の被害を軽減するため、タンクからの移送を即断し、準備に掛からなければならない。

予防方法
■ 法の審査が終われば、事故原因の完全な分析が行われ、この種の開口事故の可能性を減らすための方法が検討されるだろう。つぎのような点は考慮に値する。
 ● 制御システムの効率化
 ● タンク基礎: 次世代タンクのより良い設計、既設タンクの改善

防護方法
■ 今回の事故は第三の防止壁の必要性について議論し始められている。既存の2つの防止壁とは、リテンション・ベースンと防油堤の2つである。すなわち、タンク地区を囲ってしまい、構外への流出がないようにしようというものである。

■ 規制はつぎのようなことが条件になろう。
 ● 可燃性液体の貯蔵地区における流出に限定
 ● 技術的に可能な対応を前提にした最悪ケースのシナリオを想定

注記
■ 可燃性液体以外の物質を貯蔵する施設において、この種の事故が起こりうるのかどうかを明らかにするための検討が行われている。環境的に危険性や毒性の物質の貯蔵設備は、圧力設備ではなければ、貯蔵タンクのような10年周期の検査の規制対象外である。

補 足   
■ 「フランス環境省 : ARIA」(French Ministry of Environment : Analysis, Research and Information on Accidents)は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省 French Ministry of Ecology, Sustainable Development and Energy)がフランスにおいて発生した事故について情報を共有化し、今後に活用するため、1992年から始めた事故の分析・研究・情報のデータベースである。有用な海外事故も対象にしている。

■ 「アンベの石油ターミナル」は、アトランティック・ポート・オブ・ボルドー社(Atlantic Port of Bordeaux)が運営管理する「アンベ・オイル&ケミカル・プロダクト・ターミナル」(Ambes Oil and Chemical Products Terminal)である。同ターミナルには複数の企業が参加しており、事故のあったタンクは、SPBA(Société Pétrolière du Bec d’Ambès)の所有するタンク基地である。
 事故当時、 SPBAはフランスの石油企業トタール社(Total)がオーナーだったが、当時8基あった原油タンクは現在4基(総容量82,500KL)に減っており、フランス石油企業のバーミリオン・エナージー社(Vermilion Energy Inc.)の所有になっている。
(注記:グーグルマップの航空写真では原油タンクは8基のままであるが、ストリート・ビューでは4基しかない。発災タンクを含め、原油流出に影響のあった北側6基が撤去され、残った2基と新たに南側に2基が建設されたものと思われる)
アンベス・オイル&ケミカル・プロダクト・ターミナル
               矢印が発災のあったタンク地区 (図はAtlantic Port of Bordeauxの資料から引用)  
                       発災のあった原油タンク地区     (図はグーグルマップから引用)
                      現在の原油タンク地区と県道10号線     (図はグーグルマップから引用)
■ タンク底部からの大量流出事故としては、1974年12月に起きた岡山県倉敷市三菱石油水島製油所における「水島のタンク破損による重油流出」事故がよく知られている。当該事故を契機として、1975年に石油コンビナート等災害防止法が制定され、1979年には、消防法についてタンクの基礎、本体、防油堤、その他流出防止措置に関する技術基準が詳細に規定され、さらに不等沈下を計測する等の定期開放検査が義務付けられた。
 なお、水島事故では、漏れ発見後、ただちに移送を始めようとして、バルブを開にした途端、噴出したという。急激な変動を与えないことが教訓である。タンク漏れ発見後、最悪事態を想定したタンク漏洩対応手順の初期活動を行なう際、留意すべきことは、タンク移送のバルブ開は静かに行なうことである。

所 感
■ 法廷で争われているためか、事故原因について腐食およびタンク基礎の圧密不良の可能性を示唆するのみであるが、おそらく腐食と基礎不良の複合した要因であろう。タンク設置場所としては、川の三角州で、湿地帯に近く、且つ川の直近という極めて悪いところで、タンク基礎の問題が大きいと思われる。
 ただ、タンクの大きさ、材質、板厚などのタンク本体や基礎の仕様に関する基本情報の記載がなく、事故の原因について考えるには、情報が乏しい。

■ 今回の事例における教訓として提言されていることは、日本では、1974年の「水島のタンク破損による重油流出」事故を経験し、1975年の石油コンビナート等災害防止法の制定、1979年の消防法の大幅改正で、すでに通過しているといえる。
 しかし、今回の事故では、防油堤が構造的には耐えたが、津波のような油が防油堤を越えている。おそらく、どこの貯蔵タンク基地でも、同じことが起こりうるだろう。タンク底部から一挙の大量流出が起こり、一部防油堤外に出た場合、どのような事態が想定されるかを考えてみることは有用である。油の波濤による流動解析、流出防止堤の有無、雨水排水系統の流れ、油回収の支援体制(環境保全専門会社)など自社の弱点の有無を考える機会としてとらえることである。 

備考
 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
  ・Aria.development-durable.gouv.fr, Sudden opening of a crude oil tank bottom, 12  January  2007,  Ambès (Gironde)
France  - DGPR / SRT / BARPI - DRIRE Aquitaine, No. 32675, File last updated: June 2009



後 記: 今回、ARIAの資料としては物足りないものでした。事故の原因が曖昧な表現ですし、タンクの基本情報が欠けています。一方、油汚染の対応についてはタンクの情報に比べると、一部をカットするぐらい詳しく記載されています。しかし、その内容は疑問に感じるところが多々ありました。
 例えば、「1月12日の事故後、最初の5日間、空・川・地上からの調査が実施され、介入戦略に有効だった」といっていますが、川への油流出ですから、クリーンアップ作業を早く始める必要があるのに、環境保全専門会社が河岸のクリーンアップを開始したのは1月20日からです。8日間も過ぎており、遅すぎますよ。油汚染の対応はCEDREの管理のもとに行われていますが、この組織は基本的に研究機関であり、緊急事態時の対応に長けてはいないようです。 CEDREのアンベ汚染対応レポートが公開されており、今回の資料はほぼこの内容を踏襲しています。
 このように今回は何か枝葉末節の話が気になって調べてしまい、無駄な時間を費やしてしまいました。 

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