2015年1月16日金曜日

フランス フェザンのLPGタンク爆発・火災事故(1966年1月)

 今回は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省)がまとめているARIA(事故の分析・研究・情報)の中のひとつで「フェザンのLPGタンク爆発・火災事故(1966年1月)」の資料を紹介します。
< 設備の建設 >
タンク建設
■ フェザン製油所は、リヨンの南に位置し、 1964年7月に計画が決まり、精製能力170万トン/年で設計された。1966年初めに、加圧式の液化石油ガス(LPG)の貯蔵施設が揃い、総容量は13,100㎥であった。計画は1962年4月20日付け、1962年5月4日付け、1964年8月4日、1965年7月30日付けで変更されている。

■ LPG貯蔵エリアは精製装置南側のBゾーンに配置された。LPG貯蔵施設として球形タンク8基と横型円筒タンク2基が設置されたほか、Bゾーンには加熱炉燃料、ガソリン、プレミアム用の貯蔵タンクも設置された。ゾーンCは、ゾーンBの南東側で自動車道路の反対側にあり、ローリー積み場になっている。
発災地区のタンク配置
■ LPG貯蔵施設は自動車専用道A7の側溝から最も近いところで22.5mしか離れていなかった。自動車道路は施設の地面より1.50m低いところを走っていた。ブタン用球形タンクのタンク間距離は11mで、プロパン用横型円筒タンクとは11.8m離れていた。LPG球形タンクは、それぞれ関係する2基の横型タンクを通じて充填される。 タンクは全基とも1964年に水圧試験が実施されていた。
LPG貯蔵タンクの配置
タンク仕様
■ 表にLPG貯蔵タンクの主な仕様を示す。
パージ用バルブ 
■ 球形タンクは1つの防液堤に4基が設置されており、つぎのような設備が設けられていた。
 ● タンク下部には、沈殿後に溜まった残留物を定期的に排出するため、パージ用配管が設けられて
   いた。この配管には、呼び径2インチのパージ用バルブ2個と、その間に呼び径3/4インチのサンプ
   リング用タップが設けられていた。約70cm下にコンクリート製集水桝があり、排出された液はこの桝を
   通って製油所の廃水系統に流れるようになっていた。
 ● タンク側面には呼び径3/4インチのサンプリング用タップが3個設けられていた。
 ● 計装取出しとしては、温度計タップ3個、液面計1個、圧力計1個が設けられていた。
パージ設備の概要図
■ 底部のパージ用バルブは、アウドコ・ロックウェル社(Audco Rockwell)製の注油型90度ターン式テーパープラグ・バルブであった。このバルブはステム・スクウェアにレンチを使って手動で操作するようになっていた。パージ配管は直径2インチ(50mm)で、サンプリング配管は3/4インチ(20mm)だった。

■ 2個のパージ用バルブは約260mm離して設けられていた。2個のバルブの間の配管には、簡易的なスチーム加熱のラギングが施してあった。

球形タンクの基礎
■ 球形タンクは10本の脚柱で支持され、2本の開きボルトによって基礎に据え付けられていた。
 ● プロパン用球形タンクの場合、直径610mm×厚さ6.5mm
 ● ブタン用球形タンクの場合、直径710mm×厚さ7.5mm

タンク保護設備
■ 球形タンクには、2個の安全弁が設けられていた。安全弁はサパグ社(Sapag)製で、ブタン用にはSapag1910-6”×8”型、プロパン用にはSapag1910-4”×6”型だった。安全弁の上流側には三方ダブル弁が設けられ、異常時にはどちらか一方の安全弁が作動するようになっていた。これは米国石油協会のAPI Std 520(1960年9月版)に準拠したものである。

■ 球形タンクに異常があった場合、安全弁は50℃の条件において71 t/hの割合で放出する。

■ 冷却を目的に、球形タンクにはつぎのような冷却設備が設けられていた。
 ● 2つの噴霧リングがあり、ひとつは上部に、もうひとつは中間部に付けられていた。
 ● 下部には、スプレー・システムが付けられていた。

■ この冷却設備によって、プロパンタンクでは全部で18個のスプレーノズルによって1.8㎥/min/基(3L/㎡/min相当)、ブタンタンクでは全部で22個のスプレーノズルによって2.2㎥/min/基(2.7L/㎡/min相当)を供給でき、タンク全基では960㎥/hとなる。

■ 横型円筒タンクは、スプレー・ブームによって冷却する。

消火用水系統
■ 消火用水系統は、12,000㎥の貯水池、2台の消火ポンプ(1台は電動機駆動、1台はディーゼルエンジン駆動)と消火配管網(呼び径8インチ、10インチ、12インチ)から構成されていた。消火ポンプの能力は圧力14barで400㎥/hの流量を出せた。LPGと油の貯蔵施設のあるゾーンBには、20個の消火水接続口と10個の消火栓があった。

■ 消火用水系統の分岐配管からは、隣接施設に設置されているLPG貯蔵設備にも供給しており、また2基のLPG球形タンクへも供給している。

■ 所内の消防隊は9名の専属消防士がおり、42名の予備消防士が支援する形態となっていた。

< 事故の状況および影響 >
事故の発生
■ 1966年1月4日、製油所のLPG貯蔵タンクゾーンで爆発が連続して起こり、火災が広がった。午前5時の時点における球形タンクの状況はつぎのとおりであった。
時系列
■ 14日、プロパン用球形タンクT61-443(以下、No.443とする)には、エタンを過剰(12%)に含んだ液化ガスが入っていた。また、高純度プロパンも入れられていた。事故時、球形タンクは製油所の装置からの送液で満杯だった。製品の変化を監視するため分析が必要だった。このため、13日、製品のサンプルを採取する指示が出た。試験室の分析専門者が作業を担当した。サンプル採取の前にパージが必要だった。

■ 午前6時40分前、まだ暗い時間帯であったが、まわりには照明がなかった。試験室の分析専門者は球形タンクからサンプルを採取するため、タンクエリア内に入った。端切り(はなきり)パージを行なうため、分析専門者は、作業を実施するための助勢者と警備員に補助を求めた。
 タンク側面に付いている3個のサンプリング用タップは度々氷結し、操作が難しいので、通常はタンク下部のサンプリング用タップを使用する。

■ 午前6時40分、助勢者は、下側のバルブを半開し、それから上側のバルブを徐々に開けるべきだと主張した。塩分を含んだ水が排出されたあと、少量のガスが放出してきた。助勢者は上側のバルブを閉止した。パージを終える前に、助勢者は再びバルブを開けた。液が少し流れ出たのを確認してからバルブを閉止した。それから助勢者は上側のバルブを全開した。

■ 23秒後、破裂音が聞こえて、突然、プロパンが噴き出し、集水桝からはね返り、顔や腕にはねかかり、作業者は思わず引き下がった。安全ゴーグルを飛ばされた作業員は、ガスで覆われた中、引っ返して上側のバルブを締めようとした。しかし、可搬式のバルブ用レンチがステム・スクウェアにうまくはまらず滑ってしまった。(レンチはバルブステム端にあるグリース注入口に引っ掛かって吊り下がっていた) バルブは噴き出すLPGによってすでに氷結してしまい、元に戻すことができなかった。下側のバルブについては忘れてしまい、2人の作業員はあきらめて退却し、所内の警報を鳴らした。

■ 午前6時40分~50分: この10分間、所内の警備職員も漏れを止めようとしたが、できなかった。両方のバルブとも氷結してしまっていた。当時、風はまったく無く、気温も非常に低かったので、ガスの雲が広がっていくのに好都合な環境条件だった。目撃者によれば、厚さ1~1.5mのプロパンガスの雲が所内から県道CD4に沿っている自動車専用道A7の方へ地面を這って流れていった。

■ 6時50分、警備事務所に知らせが届き、警備員は自動車専用道と県道の交通遮断をしようとした。

■ 午前6時50分~7時05分: パージ作業を実施した助勢者は、球形タンクにつながっているポンプ所のモーターを停止した。午前6時55分、警備事務所からゾーンCの事務所に連絡された。しかし、対応したのが新しく雇用された従業員だったため、警察への連絡に10分かかってしまった。通報は午前7時05分だった。このときまでに1台のトラックがガス雲の中を通過したが、引火しなかった。県道路沿いには10台以上の車が駐車していた。このとき、製油所からの消防車が到着し始めた。

■ 午前7時15分: 1台の自動車がガス雲の方へ向かってきた。その車は県道CD4に通じる道路を走っていた。県道は地域管区道路で、自動車専用道と平行に走っていた。製油所警備員の一人が停止の合図をしていたのもかかわらず、走り続けた。車は球形タンクNo.443の東側約160mのところで停止した。自動車の高温部によってガス雲に引火し、またたく間に炎が製油所の方へ連なって走った。1分後、漏れていたプロパンガスに引火し、激しい火柱が立った。

■ 午前715分: この頃から、消防隊が現場に到着し始めた。製油所の消防隊が漏れを止めようと試みたが、無駄だった。特記すべきことは、隣接していたLPG貯蔵設備の中で2基の球形タンクに設置されていた冷却用スプレー・リングが作動し、製油所の消火用水系統の分岐配管から水が供給されたことである。消防隊は粉末消火器を使用し、粉末消火薬剤トラック(容量1,500kg)を持ち込んだ。いろいろな方法、すなわち泡モニター、タンクNo.442443463への放水砲などが実施された。

■ 午前7時20分: 現場のサイレンが鳴り始めた。公設消防署への通報が近くの住民から行われた。製油所の警備事務所からの通報は午前7時19分だった。他の7基の球形タンクに設置されている固定冷却水システムが作動し始めた。注記しておくことは、現地にあった2台のモーター駆動消火用水ポンプは並列運転ができなかったことである。(機動性が考慮されておらず、流量が400㎥/hに制限されていた)

■ 午前7時30分に活動開始: リヨンの消防隊が到着したのは午前7時30分で、漏洩が始まってから50分近く経っていた。水の供給に対する不安からローヌ川から取水するよう配備された。現場では、ブタンとプロパンを転送し始めた。

■ 午前7時45分: 球形タンクNo.443の安全弁がLPGの内部圧力によって作動した。放出されたLPGはすぐにガス化して引火した。この結果、高さ10mの火柱が立ち昇った。このとき、消防隊はこのタンクへの冷却散水を止め、隣接タンクの冷却に集中する戦術に転換した。安全弁が開いたことはガスが消費されることになり、2・3時間は制圧下に入れる可能性があり、安全弁作動を肯定的に受け取った。8時05分、消防隊の1部隊がノズルを固定して、消防士を引き戻す選択をとった。

■ 午前8時15分頃: 消防隊は強力な油火災用消防車の配置を進めた。しかし、操作ミスによって消防車は動きがとれなくなり、15~20分の間、止まったままだった。ヴィエンヌからの消防隊が到着し、近隣企業からの応援部隊も集結し、貯蔵タンクから半径100~120mの周囲に158名の消防士が配置された。15台の放水ノズルが使用された。この時点において冷却されていなかった球形タンクNo.443では、高さ40mの炎が舞い上がっていた。(冷却スプレーを調節するバルブが、激しい熱のため、操作ができず、球形タンクを冷却することができなかったものとみられている)

■ 午前830分頃: 運河からの水汲上げ装置を配置しようとしたが、製油所の境界フェンスを切り倒す必要があり、作業が遅れた。(切断機および堀取り機) 水量の不足と低い水圧のため、消防隊は球形タンクにできるだけ近づこうとした。目撃者によると、激しい熱のため、40mより中に入ることはできなかった。

■ 午前8時45分頃: 球形タンクNo.443が爆発した。すぐにファイヤーボールが生じ、直径約250m、高さは約400mに達した。

■ 午前8時55分、装置の緊急シャットダウンが指示された。ゾーンBでは、爆発から生き残った人の全員が退却した。(爆発では17名死亡、84名負傷)

■ 午前9時30分(報告書によって時間が異なっている): 隣接していた球形タンクNo.442が爆発した。このときにケガ人は無かった。

■ 午前9時40分~10時30分: 隣接のブタン用球形タンクNo.461、462、463は爆発破片を受けるとともに激しい輻射熱に曝された。爆発はしなかったが、つぎつぎと安全弁が吹いた。(9:40、9:50、10:30)

■ 午前10時10分:ORSEC(Organisation de la Réponse de SEcurité Civile)救助プランが開始された。

■ 最初の爆発によって発生した火災は、すぐに2基の横型円筒式LPGタンク(B 61501 および B 61502)に延焼した。さらに隣接していた4基のジェット燃料タンク(約2,000KLの燃料油)とプレミアム・ガソリン用タンク1基へと広がった。

■ 消防隊による献身的な消火活動は、LPG貯蔵ゾーン全域にわたって行われ、24時間以上続けられた。非常に多くの支援部隊が現地に送り込まれた。1月5日夕方、現場ではわずかに炭化水素が漏れて燃料になり、いくつかの火が残っていたが、警戒警報は解除された。

事故による被害結果
■ 事故によって18名の死亡者のほか、84名の負傷者が出た。死亡した人は、リヨン消防署消防士7名、ビエンヌ消防署消防士4名、製油所の従業員2名、請負会社の従業員3名、支援で来た近隣企業の従業員1名、ガス雲に突っ込んだ自動車の運転手1名(事故の4日後に死亡)である。負傷した84名のうち49名は病院に入院した。

■ 事故は製油所の内外の施設に大きな損害をもたらした。製油所構外では、爆発によって1,475戸の家屋と構造物に被害が出た。

■ 火災によって、LPG貯蔵施設と隣接の油貯蔵施設では、11基が損壊あるいは損傷を被った。(球形タンク5基、横型円筒タンク2基、浮き屋根式タンク4基) 焼失した油は、プロパン1,012トン(約2,000KL相当)、ブタン2,027トン(約4,000KL相当)、ジェット燃料2,000KL(石油1,500トン相当)にのぼった。ポンプ所(横型LPGタンクとジェット燃料タンクの間にあった)および消防車6台も火災によって損壊した。
事故後のLPG球形タンクの状況
貯蔵施設の被災状況


 (左) 4.5mの裂け目ができたブタン用球形タンクNo.463
  (右) 7mの引き裂け目ができたブタン用球形タンクNo.462
                    (左) 長さ3.5mの裂け目ができたブタン用球形タンクNo.461
                    (右) 爆発によって被災した球形タンクの状況
                    (左) 高温に曝され、下部が膨らんだ横型円筒タンク(ブタン用No.61502
                    (右) 爆発による球形タンクの破片などで損傷した配管
欧州基準による産業事故の規模
■  1994年2月、セベソ指令を司るEU加盟国管轄庁の委員会は、事故の規模を特定するために18項目のパラメーターを用いる評価基準を適用した。わかっている情報をもとに検討された結果、当該事故は4つの分類項目に対してつぎのように評価された。

現場における爆発および熱の影響
■ 事故時に現場にいた158名のうち42名は、3か月以上現職に復帰できなかったという。最初の球形タンクによる予期しなかった爆発とそれに続くBLEVE(Boiling Liquid Expanding Vapour Explosion)による輻射熱は多くの消防隊員の命をうばった。球形タンクから50m以内にいた隊員は、2名を除いて全員死亡した。半径150m以内にいた人はひどい火傷を負った。これより遠いところにいた人のケガの程度は重傷ではなかった。

■ プロパン用球形タンクNo.443442の爆発は激しかった。半径800mの範囲内に飛散した大小の破片が見つかった。(表を参照)
■ 球形タンクの安全弁はつぎのような状況で発見された。
 ● タンクNo.442: 1台は開、もう1台は閉で、両方とも約800m飛び、完全に壊れていた。
 ● タンクNo.443: 1台は開、もう1台は閉で、両方とも約600m飛び、形状はとどめていた。

■ 爆発によって2基の球形タンクから飛散した69個の破片の発見位置を図に示す。
 球形タンクのBLEVEによって飛散した破片は、ほかの球形タンク、配管、油貯蔵タンクに衝突し、
大きな損傷を与えた。
球形タンクNo.442のあった場所には、長さ35m×15m×深さ2mのクレータが残った。
貯蔵施設の被災状況
主な破片の飛散状況
球形タンクから飛散した破片の発見位置
■ 爆風圧による影響は南方向のローヌ谷沿いで顕著だった。2.2km離れた家屋で屋根が壊れたところがあり、4.2km離れたところでは壁がはがれた家屋があり、8km先でも窓が壊れた家があった。爆発による振動は16km離れたヴィエンヌでも感じられた。 
< 事故の発端および状況 >
漏 洩
■ 気象台によるデータによれば、事故当日の天候はつぎのとおりで、風は比較的穏やかだった。
 ● 1966年1月4日午前5時~午前6時35分: 南からの風で、風速1~2m/sだった。
 ● 1966年1月4日午前6時35分~午前6時55分: 東からの風向きに変わり、風速は1m/sから2.5m/s
    の範囲だった。
 ●  1966年1月4日午前6時55分~午前7時20分: 東の風で、風速は2~2.5m/sの範囲だった。
 ●  1966年1月4日午前7時20分以降: 風は1m/s未満だった。
 特記しておくべきことは、現場の場所がフェザン村の丘で東側を守られていたということである。

■ 気温は5℃だった。

■ 証言および事故後の現場確認によれば、パージ・システムのバルブは、上流側が全開、下流側が半開だった。

■ 事故後、入手し得た各種情報に基づいて専門家が漏洩量の推算を行い、発表している。その結果はつぎのとおりである。
 ① 呼び径2インチの分岐管からの漏れ計算
      0.82.S.(2gh)1/2 、すなわち11.5 kg/s、流れのロスを考慮すると、8 kg/sとなる。
 ② 計器からの損失量の推算
     午前5時には球形タンクの貯蔵量は693KLだった。球形タンクの計器によって、647KLで閉止され
    ていたことが爆発後にわかった。この差は46KL(約23トン)であるが、最小値とみられる。午前6時
    40分に事故が起こってからも球形タンクから漏洩が続いており、記録からはおよそ1時間40分続い
    た。計器の閉止した時間の仮定から、最小の漏れ流量は 6.4 kg/sとなる。     
   ③ ガス雲の大きさからの推算
     ガス雲は最大約30分間で形成しており、目撃者によって観察されたガス雲の大きさは、面積で
    約3.8ヘクタール、厚さは約1.5mとみられる。このときのガス容量は40,000㎥であり、ガス混合気の
    性状を仮定して重量を出せば68トンとなり、漏洩の推算は 37 kg/sとなる。
  ④ 作業状況からの簡易推算
      パージラインのバルブ開では、30~40 t/hである。これから、漏洩の推算は 8~11 kg/sとなる。
目撃者によるガス雲の形成状況
(注;右上の赤いマークが引火源になった自動車とみられる)
BLEVE(沸騰液膨張蒸気爆発) 
■ プロパン用球形タンクNo.443、442の2基の爆発は、BLEVE(Boiling Liquid Expanding Vapour Explosion)に分類される。事故発生当時、この現象についての知見はほとんど無かった。事故後に、モデルを使って、2基の球形タンクが爆発で生じた破裂について確認された。
モデルによる球形タンクT61443の主要な破片
モデルによる球形タンクT61442の主要な破片
(1) 最初のBLEVE
■ 爆発は、漏洩が始まってから約2時間後に起き、ガス雲が火災になってから1時間半後に起こっている。
記録と特に写真を見ると、球形タンクは炎の中に完全に飲み込まれた状態だったことがわかる。直径13.27mのプロパン・タンクは、午前5時時点で液面高さが7.12mだった。その後、球形タンクは液を受入れており、受入れを停止(午前7時30分?)するまで続いた。漏洩は、呼び径2インチの配管から起こり、約30分間続いた。受入れバルブは、事故が起こったときにも、開いた状態が続いていた。

■ 収集したデータを調べた結果、球形タンクの冷却システムは、スプレー調節部が火災による高温に曝されてすぐに機能しなくなる位置についていたため、作動しなかった。

■ ファイヤーボールは、直径250mで、400mを超える高さに達した。

■ 金属学的な調査結果によると、タンク上部は降伏域にあり、温度は800℃以上に達している。

(2) 2番目のBLEVE
■ 直径13.27mのプロパン・タンクは、午前5時時点で液面高さが8.47mだった。この球形タンクの固定式冷却システムは午前7時20分に作動し、タンクは冷却され始めていた。

■ このタンクに起きた現象を説明しうるものはほとんどない。しかし、爆発によってタンクの下側地面に大きなクレータができているという事実がある。破片の調査後による公式の仮説によれば、タンクNo.443の1回目のBLEVEによる破片B1がタンクNo.442の東側の脚柱に衝突して損傷を与え、倒れたことによるものだとみられている。

< 事故の原因 >
■ 事故の要因を調査した結果、原因に関して要素ごとに分類してまとめられた。
タンク下部のサンプリング装置
(1) 氷結の要因
■ 作業の時系列を見てみると、最初に下側のバルブが開けられた。つぎに上側のバルブが開けられ、それから流れを止めている。つぎに上側のバルブを全開にすると、すぐに内液が大量に放出された。操作用レバーはバルブのステム・スクウェアに掛けるようになっている。作業員はそれを元に戻すことに失敗し、引き下がった。バルブが氷結してしまい、操作できなくなっていた。

■ この現象はつぎのように説明できる。下流側のバルブを開放のまま上流側のバルブを開けると、上流側バルブにおいてLPGの膨張が起こり、水分が固化して氷のブロックができる。氷はパイプを閉塞させ、液が流れなくなる。作業員の操作(上流側バルブを全開)は氷のブロックに穴をあけて貫通させることになり、大量漏洩に至った。

(2) バルブの潤滑
■ 元の位置から約200m離れたところで回収されたバルブについて調査した結果、潤滑不良という評価だった。潤滑剤は低温でも操作を容易にするが、当該バルブはほとんど潤滑性を有していなかった。また、バルブは全開状態でみつかった。

■ 下流側バルブもほとんど潤滑性を有していなかったことが確認されている。このバルブの操作は容易だった。バルブは1/2開でみつかった。

■ バルブの保全は最適な状態ではなかったが、潤滑不足というだけで、事故時に操作不能という結論にはならないというのが、専門家の見解であった。しかし、それにもかかわらず、設備の保全状態を把握し、記録に残しておくべきだという推奨意見が出された。そして、低保全性の無給油式バルブの採用が提案された。

(3) バルブの機能
■ テーパープラグ・バルブはアイス・ブレーカー型として知られている。今回の場合、ドレン排出操作時にパージ用配管の中で生成した氷のブロックを貫通させることに寄与してしまった。この結果、事故時のような漏洩が起った。

(4) スクウェア・レンチの操作性
■ バルブを操作する場合、取付け向きによって操作用レバーが脱落しないように設計されたものが使用される。タンクNo.443の場合、そのような設備になっていなかった。

(5) パージ配管
■ サンプリングという目的から考えると、パージ配管のサイズ(直径)は大きすぎると結論づけられた。

(6) 部品の配置スペース
■ 調査結果によると、サンプリング用バルブは必ずしも操作しやすいものではなかった。特に、当該タンクの場合はそうだった。サンプリング操作がしやすいように、タンク下部には十分なスペースをとるべきだというのが、専門家の推奨意見だった。(配管系統や他の設備を考慮すると、垂直方向に3mの間隔をとる)

(7) バルブ操作
■ 事故以前にも類似の問題が起こっていた。1964年8月6日、ブタン用タンクNo.462において漏洩問題が起った。操作している間に、バルブ用レンチが落ちてしまった。困難を伴ったが、漏洩は制御できた。1965年2月26日、類似の問題がプロパン用タンクNo.441でも起った。

■ 1966年1月の事故より前に、操業開始から2年間で起ったこの2件の問題に対応して、教訓を活かすべく操作手順書が作成された。技術的観点はつぎのとおりである。「サンプリングまたはパージ操作は、最初に上流側バルブを1/4回転、開ける。それから、下流側バルブを徐々に開ける。決して全開してはならない。基本は、上流側バルブをわずかに開け、それから下流側バルブでパージ流量を調節することである。この方法によって膨張現象による突然の氷結が起こっても、上流側で操作が可能である」

■ 総じていえば、ヒューマン・ファクターに関連する過去の教訓(操作に関する手順書の策定と基本の遵守)が活かされておらず、また設備の改善も行われていなかった。事故時の操作は、バルブ開の順番がまったく逆であり、上流側バルブを過度に開けてしまった。

集水桝
■ 調査報告では、集水桝の大きさについて使用時間の基準にもとづいて見直すように明記された。

構外施設との孤立化
■ 自動車専用道沿いの境界フェンスについて警備部門から数度にわたって改善要求が行われ、建設許可が出されていた高さ2.5mの固体壁への変更が行われていなかった。
緊急事態対応時の所内および所外の組織と戦略

■ 公設消防は、リスクの想定が不十分で、且つ対応への訓練が不十分だった。さらに、直面している状況への対応を的確に指揮する能力が欠けていたと感じざるを得ない。

< 教 訓 >
■ フランスでは、フェザン事故は近年の産業界において最大の死傷者を出した災害であり、忘れえぬ大災害のひとつとしてあり続けている。

■ この事故を契機に、石油設備に関する技術基準は広範囲に改正されることになった。その主な事項はつぎのとおりである。
 ● 石油および液化ガスのクラス分けは引火点の基準だけでなく、新たに取扱い・貯蔵条件、精製油、圧力液化ガスなどを加味されるように改正された。
 ● 石油施設まわりの危険地区の定義は、常用運転あるいは非定常条件において発生しうる爆発性
   ガスに基づいて区分(タイプ1およびタイプ2)されることになった。
 ● 設備の配置に関する基準、特に保安距離は設備どうしの考慮だけでなく、構外の第三者施設(住宅、
   道路、公共施設)を重要視されるようになった。
 ● 液化石油ガス貯蔵施設における集水桝の設計と大きさに関する基準が新たに策定された。
 ● 液化石油ガス貯蔵施設、特にパージ配管および安全弁について広範囲の火災を仮定した条件で
   設計する新たな基準が策定された。
 ● 液化石油ガス設備および液化石油ガス貯蔵タンクの防火設備に関する基準、すなわち消火設備
    (泡消火)および周辺機器の冷却に関する基準が新たに策定された。
  ● 一般安全規則(事故時にとるべき行動や安全ルール)および製造、保全、作業、検査に関する
    指導書が発行された。
 ● 知事の権限によるORSECプラン(産業設立機関にとっては特別な介入プランになる)が機能
    しなかったので、消防・救援活動に関する組織プランは設立機関の長によって策定しなければ
    ならないとされた。
 ● 既設設備への遡及適用に関する考え方の基準が策定された。

補 足               
■  「フランス環境省 : ARIA」(French Ministry of Environment : Analysis, Research and Information on Accidents)は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省 French Ministry of Ecology, Sustainable Development and Energy)がフランスにおいて発生した事故について情報を共有化し、今後に活用するため、1992年から始めた事故の分析・研究・情報のデータベースである。有用な海外事故も対象にしている。

■ 「フェザン製油所」は、フランス南部リヨン市(Lyon)の郊外の町フェザン(Feyzin)にあるフランス国立石油会社のエルフ社(Elf:現在のTotal)のフェザン製油所で、精製能力40,000バレル/日で1964年に操業した。
 製油所の貯蔵タンクエリアは現在も変わっていないが、LPG球形タンクは自動車専用道路側の境界から遠い場所に変更され、球形タンクのあった場所には、油タンクが建っている。また、境界フェンスは固体壁になっている。引火源になった自動車が走っていた県道は、自動車専用道に比べ、交通量は少ないようにみえる。
現在のフェザン製油所の貯蔵タンクエリアと構外の公道
(図はグーグルマップから引用)
製油所境界に設けられた固体壁
(図はグーグルマップのストリートビューから引用)
県道から見た自動車専用道と製油所の貯蔵タンク(現在)
(図はグーグルマップのストリートビューから引用)
■ 「フェザンLPGタンクの爆発火災事故」について日本でまとめられたインターネット資料としては、 「フランス フェザンのLPGタンク爆発火災」(小林光夫・田村昌三、失敗知識データベース・失敗百選)、「LPGタンクのドレン弁が低温のため閉止できずにLPGが漏洩して爆発した大事故」(失敗知識データベース・失敗事例)、「LPGタンク水抜き作業中LPGが漏洩し爆発火災」(PEC SAFER、石油エネルギー技術センター、事故事例)がある。また、当ブログでも「石油貯蔵タンク火災の消火戦略- 事例検討(その2)」で紹介した。

■ 「BLEVE」(沸騰液膨張蒸気爆発)は、2011年3月11日東北地方太平洋沖地震によるコスモ石油千葉製油所の液化石油ガス爆発火災事故でみられたが、この事故では6名の負傷者が出た。 BLEVE現象は「石油貯蔵タンク火災の消火戦略」を紹介した際、実験ビデオ「BLEVE (Boiling Liquid ExpandingVapor Explosion) Demonstration - How it Happens Training Video」を紹介したが、 このほかBLEVEの激しさを示す動画としては「BleveTest - Firefighter Video」「Firefighter Gas Explosion」がある。

■ 「アウドコ・ロックウェル社(Audco Rockwell)製のテーパープラグ・バルブ」は、プラグ・バルブとしては標準的な型式だったと思われる。バルブステム端にあるスクウェアにレンチ(操作レバー)を入れて手動で操作するものだったとみられる。注油式のため、ステム端(スクウェア端)にグリース給油口(シーラント・インジェクター)が付いた型式だと思われる。
アウドコ社製の現在のテーパープラグ・バルブの例
(図は同社ウェブサイトの資料から引用)
所 感
■ これまで日本でまとめられたフェザンLPGタンク爆発火災の事故情報には無かった事実がわかった。その中で最も印象深いのは、単なるヒューマンエラーでなかったことである。原因はパージ用バルブの操作ミスであるが、事故以前に同種事例が2件あり、このため、つぎのような操作手順書が策定されていた。
 「サンプリングまたはパージ操作は、最初に上流側バルブを1/4回転、開ける。それから、下流側バルブを徐々に開ける。決して全開してはならない。基本は、上流側バルブをわずかに開け、それから下流側バルブでパージ流量を調節することである。この方法によって膨張現象による突然の氷結が起こっても、上流側で操作が可能である」
 いかに過去の教訓を現場第一線の人に徹底することが難しいか。ルール(マニュアル)を作ればよいというものでないし、ルールを知ればよいというものでない。ルールのできた背景を理解して、「ルールを“正しく”守る」ことの大切さを感じる事例である。

■ この事故対応では、貯蔵タンクから半径120m以内に158名の消防士が配置され、さらに水量・水圧不足のため、タンクへ接近していった。爆発した球形タンクから50m以内にいた隊員は、2名を除いて全員死亡(17名)し、150m以内にいた人はひどい火傷を負ったという。当時、BLEVEという現象はほとんど知られていなかったが、多くの犠牲者が出たため、事故調査報告では消防活動に厳しい評価をしている。
 しかし、この教訓は日本では改善されていたかというと、必ずしもそうは言えない。たとえば、2011年3月東北地方太平洋沖地震後に起ったコスモ石油千葉製油所の液化石油ガス爆発火災事故では、反省事項として「輻射熱、再爆発の恐れがある中で、所有していた放水銃では射程が小さかったため、消火能力単位の高い放水銃を導入した。ガス火災、三次元火災に対する資機材が小さく、火元近くまで接近しなければならなかったため、遠距離放射できる資機材を導入した」という。
 今回の事例は50年近く前の事故であるが、事故調査報告を詳細に見ていけば、現在にも活かすべき情報があると感じた。

備 考
 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
  ・Aria.development-durable.gouv.fr, BLEVE in an LPG storage Facility at a Refinery, January 4, 1966, Feyzin (Rhône), France , French Ministry of Environment - DPPR / SEI / BARPI- CFBP, July 2008
      ・東日本大震災時のLPGタンク火災・爆発事故における防災活動,  コスモ石油千葉製油所, Safety & Tomorrow, 2012.5


後 記: 2015年1月7日、フランスの週刊誌社シャルリー・エブドの建物に武装したテロリストが押入り、12名の死亡者が出たというニュースがテレビ・新聞で大きく報道され、さらに1月9日、工場に立てこもった犯人が特殊部隊によって射殺されたと報じられていました。
 そのとき、私は同じフランスの49年前の1月に起きたフェザンの事故情報を調べていました。フランスで起きた事故で、フランス環境省でまとめられたものですが、おそらく広く世界に知ってもらおうという意図でしょう、英文にされた資料です。非常に興味深い資料でした。感じたことがいろいろあり、主な二点だけを所感に述べました。しかし、所感に書いていない疑問が残っています。
 それは、これまでフェザンの事故原因とされていたバルブが氷結して動かなかったということへの疑問です。確かに加圧されたLPGが大気圧へ放出されていますので、蒸発熱によって氷結があったでしょう。しかし、今回の資料をみると、作業者は相当狼狽していた様子がうかがえます。あわてていたため、取外し型のレンチ(操作レバー)をうまく使いこなせなかったのが主要因ではないでしょうか。下流バルブの閉止操作について作業者は失念していたとあります。LPGの氷結現象だけに注目しすぎているように感じます。(話としては面白い?ですが) もし、固定式の操作レバーであれば、上・下流バルブの閉止は可能だったのではないでしょうか。

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