今回は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省)がまとめているARIA(事故の分析・研究・情報)の中のひとつで「ミルフォード・ヘブンの原油タンク火災事故(1983年8月)」の資料を紹介します。
< 設備の問題点 >
タンク建設
■ 当該タンク地区は、ミルフォード・ヘブンの港湾地区の近くに建設された3つの製油所のうちのひとつにある。製油所は、1973年に操業開始され、1983年には精製能力が500万トン/年に増強されて、
67基の貯蔵タンクを保有していた。問題の貯蔵タンクTO11は浮き屋根式で、直径78m、高さ20m、容量が当地区で最も大きい94,110KLであった。タンクは面積16,222㎡の防油堤の中に設置されていた。浮き屋根はポンツーン式シングルデッキ型で、24個のポンツーンが屋根外周に環状に設置されていた。このTO11タンクの防油エリアには、精製油用の容量13,000KL固定屋根式タンク2基が共用の防油堤内に設置されていた。
TO11タンクの防油堤から99m離れたところに高さ83mのフレアー設備が設置されていた。
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事故当時の製油所配置 (図はAcerts.org.sgから引用)
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状 況
■ ウェールズの当海岸地区には特有の強風が吹くが、このため浮き屋根面に風を原因とする割れが発生していた。これらの割れは定期的に補修されていた。事故が起こる数日前に実施された屋根の検査では、長さ28cmの割れが確認され、屋根面に原油の漏出が見られた。
事故当日、貯蔵タンクには、軽質北海原油(引火点38℃)がタンクの約半分ほどの47,000トンが入っていた。事故前の24時間には原油の出し入れは無かった。(注:47,000トンは約55,000KL相当)
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ポンツーン式シングルデッキ型タンクの図
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< 事故の状況および影響 >
事故の発生
■ 1983年8月30日午前10時45分、製油所の接触分解装置の圧縮機が故障で停止した。午前10時50分、タンクTO11の屋根に火の手が上がるのが見えた。午前10時55分、タンクに固定式消火設備が無かったため、製油所の消防隊は高所プラットフォームに据付けた放射モニターを使用してタンク屋根に消火泡を投入した。消防隊は26台の放水ノズルを使用して、発災タンクの側板を冷却し、隣接する2基の精製油タンクを防護するためのウォーターカーテンを実施した。
■ しかし、午前11時05分、浮き屋根の割れ部が広がり、状況は悪化した。タンク屋根面の半分が高さ12mの火炎に覆われ、正午までに火は屋根全面に広がった。屋根への階段は火炎の輻射熱に曝されてしまい、消防士が屋根まで消火用ホースを展張することができなくなった。製油所間の相互応援協定によって、泡薬剤がヘブンに蓄えられており、必要なときに急送できるようになっていた。
■ 正午、タンクTO11では、空にするため1,700トン/時で移送が始められたが、一方、原油は300トン/時で燃焼していた。側板が座屈しない間にタンクから完全に油を抜き出すことは非現実的だと思えた。隣接している2基のタンクでは、空にすることは難しくはなかった。タンクTO11の屋根上には、雨水と漏出原油のほかに消火活動による水が溜まり、重さは約700トンにのぼった。屋根が沈み始め、表面はだんだんと油に覆われていった。当該製油所には63KLの泡薬剤しかなかったので、製油所内の消防隊だけで火災を制圧できる状況になかった。公設消防が消防活動の指揮をとることになった。
■ このとき風の強さが微風だったため、火災は広がらなかったし、煙はまっすぐに上がり、消防士の活動に大きな支障とならなかった。加えて、最小限にとどめるべきハイリスク・ゾーンに立ち入る消防士の数を少なくすることができた。
■ ヘブンの公設消防に加え、相互応援協定による消火資機材の搬入にもかかわらず、大きな問題は泡薬剤がなおも不足したままだった。消防隊の計算によれば、必要な160KLには40KLが不足していた。
■ 午後11時30分、限定的な泡放射を試みたところ、炎が割れはするが、2度のスロップオーバーを引き起こした。
■ 真夜中、最初の“典型的なボイルオーバー”が起こって、半径90mのファイヤーボールが現れ、高さ150mの火柱が立ち上り、タンクからの溢流が起こった。火のついた大量の原油が防油堤内に流れ込み、火災が広がった。このため、配備していた消火機材の大半が破壊され、消防隊の活動ができなくなった。退却する間、6名の消防士が軽傷を負った。
■ 8月31日午前2時10分、規模は大きくなかったが、2回目のボイルオーバーが起こった。この際、タンク底板と側板の接続部が4箇所で切れ、火のついた原油が防油堤内に流れ出した。しかし、高さ5mを超える堤壁によって流出液を堤内に留めることができた。一方、隣接していた精製油タンクの保温材に火がつき、堤内で火災が広がったが、この火災は消防隊によって30分後に制圧された。
■ 夜の間に、英国中から製油所へ消火機材と泡薬剤が送られてきた。泡薬剤の量は305KLとなった。夜明けに、火のついた原油が堤壁を越えて広がっていることに消防隊は気がついた。午前8時00分、必要な消火機材が整い、泡薬剤の在庫も揃った。消防隊は、火災がさらに広がることを防ぐため、隣接タンク側へ消火泡を放射した。午前9時15分、防油堤内の火災を制圧下に入れることができ、最終的に午後2時00分、泡消火によって火災を消すことができた。泡放射モニターは、火災の勢いを減らすために使用され、消防隊が接近する際にも支援で用いられた。午後2時30分、タンク火災は座屈した側板の裏側で燃えている火炎3個所を残すのみになった。
■ 9月1日午前2時00分、泡薬剤の在庫が使い果たされ、その上に風が強くなり始めた。火災は再びタンク全面へ広がった。3基の泡放射モニターで泡攻撃を行なうだけの泡薬剤が補給されたのは、午前8時00分ちょうどだった。火災は午前10時00分に制圧下に入り、午後3時00分頃に消火が宣言された。
■ 消火活動のために投入された人員・機材は、消防士150名、消防車50台、消火用ポンプ44台、高所プラットフォーム6基、泡薬剤搬送用トラック70台であった。火災の消火に要した時間は2日間を超え、使用した泡薬剤は3%希釈用と6%希釈用の合計で765KLだった。火災からの熱と長時間の消火活動に体力を消耗した消防隊にとって、近隣の州から応援の消防士が出動してきたのは大いに役立った。
事故の結果
■ 6名の消防士が最初のボイルオーバーによって軽傷を負った。うち一人は病院へ入院した。
■ タンクTO11は完全に損壊し、隣接タンクは輻射熱で大きな損傷を受けた。燃焼した原油量は17,800トンだった。この事故による損害額は約1,000万ポンド(1983年当時、2007年換算で2,600万ポンド)であった。生産ロスは無かった。
■ 近くに住んでいる人はほとんどなく、また火災の影響を受けることが無かったので、避難計画は立てられたが、実施されることはなかった。製油所から高さ数百メートルの濃い黒煙が立ち上り、地元や周辺地区にススが雨のように降った。
■ 特記すべきことは、3基のタンクをTO11タンクと同じ防油堤に入れてしまったルールである。このようなオプションは石油貯蔵所において行使すべきでない。
欧州基準による産業事故の規模
■ 1994年2月、セベソ指令を司るEU加盟国管轄庁の委員会は、事故の規模を特定するために18項目のパラメーターを用いる評価基準を適用した。わかっている情報をもとに検討された結果、当該事故は4つの分類項目に対してつぎのように評価された。
■ これらのパラメーターや評価方法はつぎのアドレスを参照。
■ 軽質北海原油17,800トンが放出(燃焼)されたことによって、「危険物質の放出」はレベル4と評価された。(北海軽質原油は引火点38℃であり、セベソ指令では可燃性物質と分類されている)
最初のボイルオーバー時に6名の消防士が軽傷を負ったにより、「人および社会への影響」はレベル2と評価された。
「経済損失」の評価は、物質的損害に関わるコストの2,600万ポンドという額からレベル4となった。
「環境への影響」は、評価できる情報がなく、示されなかった。
< 事故の発端、原因および状況 >
事故の発端
■ 当該事故はつぎの2つの要因が大きく関係している。
● 浮き屋根の外面に可燃性ベーパーが存在した。これは、強風によって生じた疲労割れ個所から
原油が少量滲み出したものから生じた。
● タンクTO11の屋根上に高さ83mのフレアーから燃え殻が飛んできた。接触分解装置の圧縮機が
故障して止まったことによって、大量のガスがフレアー系統を通じて燃焼した。これは数種の精製油
を燃焼させてカーボン・デポジットを生じさせることになってしまった。
消火活動における問題点
■ 消火活動時に遭遇した問題点には、つぎのような要素があった。
● タンクに固定式消火設備(固定散水システム、泡消火用フォーム・チャンバーなど)が無かったため、
火災を拡大させてしまった。
● 泡薬剤の供給計画が浮き屋根式タンク火災の消火活動だけを前提にしたものだった。このような
固定概念のシナリオを想定した事故対応のため、最初のボイルオーバーが起こるまでの12時間が
効率の悪い活動になってしまった。
● タンクTO11が巨大サイズだった。タンク屋根面積が4,778㎡で、高さが20mだったので、泡モニターを
使用することが難しかった。
● 猛烈な熱によって作業を妨げられた。
・ 数回にわたって消火機材が壊されてしまった。
・ 2日目の夜の攻撃時に、タンクTO11内の泡が崩壊してしまった。
・ 数分の間もいられないほど、最前線の消防士が活動するには厳しすぎる状況であった。
● タンク側板の座屈部の裏側に消火困難な火災ポケットが存在した。消防隊は泡モニターを取付けた
台車を製油所のクレーンを使って消火作業を試みた。
● 消火ポンプと泡薬剤設備との接続に問題が生じた。消防隊は現場で新たな接続方法をとるのに
時間をとられた。
■ 消火活動時に遭遇したこれらの障害は、タンク火災への攻撃を遅らせてしまった。このため、タンク液面付近で原油の留出で形成したホットゾーン(高温層)が沈降していき、タンク底部の水の層に達したとき、ボイルオーバーが起こった。
■ もうひとつ特記すべきことは、発災後にタンクから抜出しを行なうのは非常にリスクを伴うことである。固定屋根式タンクでは、内液が少ない量であればすぐに昇温し、圧力が上がって爆発に至りやすくなる(リヨンのエドゥアール・エリオポート事故ーARIA4998を参照)。タンクTO11ではボイルオーバーを早めてしまった。
その後の対応
■ この事故以降、製油所では、タンクに固定式消火設備(泡消火用フォーム・チャンバー、固定散水システムなど)を設置している。
教 訓
■ 浮き屋根の割れ補修個所における油漏出の再発と、精製装置の圧縮機の故障が重なって起きた大規模な火災には、つぎのような技術的検討の不足や組織的な問題があった。
● 設備の設計について
・ 消火活動に役立つタンクの固定式消火設備に関する検討。泡消火用フォーム・チャンバー
はリムシール部の火災を消火できたであろう。固定散水システムはタンクの空の部分における
変形や座屈を防ぐことができたであろう。固定式消火設備と消防車両は現地の配置や状況に
適したものにしなければならない。
・ 想定される火災のエリアと油量に対して、必要な泡薬剤の保管量と適切な消火機材に関する
検討。
・ 浮き屋根式タンクにおける全面火災という想定を除外せず、次々と影響が及んでいくという
カスケード効果を考慮した徹底的なリスク分析の検討。
・ 大量の油を貯蔵する地区や関連の防油堤エリアに内在する長所と短所に関する検討。
・ フレアー設備とその他の設備との距離について特に天候条件を考慮した妥当性の検討。
● 現地におけるマネジメントについて
・ 設備の機能不良がわかった場合、状況の悪化に至るリスクを考慮し、定期保全時期を待つより
すぐに補修を行なうことを優先するといった問題回避の方法について綿密に計画する。
・ フレアー設備は周期的に清掃を行い、赤熱した粒子が他の製油所設備へ飛散しないようにする。
・ 消火活動時などにおいては、良好な状況や悪い傾向のフィードバック情報を共有化する。
● 消火活動について
・ 極めて厳しい想定の火災対応訓練を行なうこと。そして、消防活動時における事業所の責務と
公設消防の責務を明確にしておくこと。
・ 大規模な攻撃を行なうために必要な消火資機材を待つことに対して、限定的な資機材によって
迅速な消防活動を行なうことの長所と短所に関する比較検討。
注記
■ 広範囲の石油火災や大量の油火災では、特に制圧が難しく、多くの消火資機材や冷却水を必要とし、フィードバック情報が重要である。これに失敗すると、長時間の火災になったり、隣接設備への延焼に至る。
(ARIA
2914、3610、4998、6052、6076、31312ほか)
■ ほかにボイルオーバーを伴った火災事故としてはつぎのような事例がある。
● ARIA 6051、日本、四日市、1955年、消防士数名の負傷者を出した8,000KL燃料油タンクの爆発事故
● ARIA 6052、ベネズエラ、タコア、1982年、500名の負傷者を出した40,000KL重油タンクの爆発事故
● ARIA 6076、ギリシャ、テッサロニキ、1986年、消防士8名の負傷者を出した事故
補 足
■ 「フランス環境省
: ARIA」(French Ministry of Environment :
Analysis, Research and Information on Accidents)は、フランス環境省(現:フランスエコロジー・持続可能開発・エネルギー省 French
Ministry of Ecology, Sustainable Development and Energy)がフランスにおいて発生した事故について情報を共有化し、今後に活用するため、1992年から始めた事故の分析・研究・情報のデータベースである。有用な海外事故も対象にしている。
■ 「ミルフォード・ヘブン製油所」(Milford
Haven Refinery)は、英国のウェールズにあり、1973年に操業を開始した精製能力108,000バレル/日のアモコ社(Amoco
Corp.)の製油所である。現在は135,000バレル/日で米国の独立系石油精製企業マーフィー・オイル社(Murphy
Oil Corp.)の英国子会社マーコ・ペトロリアム社(Murco Petroleum Ltd)が所有している。発災のあったタンクTO11は、1976年から運転が開始されていた。事故後、現在では撤去されている。(貯水池になっている)
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現在の製油所配置
(図はグーグルマップから引用)
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発災場所の現在
(図はグーグルマップから引用)
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日本で総括的にまとめられた「風荷重による浮屋根損傷に起因した石油タンク全面火災事故」(若狹勝、圧力技術、2010年)には、参考文献のひとつとして今回のARIAの資料があげられている。
■ 今回の資料によって当該事故について特記しておく主な事項はつぎのとおりである。
● 発災タンクの浮き屋根ポンツーンは、あまり見られないアニュラー・ケイソン(環状潜函)式と図に
示されている。この方式が割れを増長させたかどうかはわからない。
● 浮き屋根デッキの割れ部は何度か応急補修が行われていた。また、図をみると、最長28cmの割れ
以外にもかなりの数の割れ部がある。
● 防油堤が単独でなく、被災した3基のタンクが同じ堤内に入った配置になっていた。当初の計画を
変更されていたとみられる。ただし、防油堤は掘下げ方式の傾斜側壁型であるが、どのような形で
防油堤を共有化していたかはよくわからない。
● タンクへの泡放射が遅れた理由のひとつが、消火ポンプと泡薬剤設備との接続が合わなかった
という問題があったことである。当該事例だけでなく、消火ホース接続部の不一致の問題は
過去にもある。現在はアダプターが準備されており、問題は少なくなったと思われるが、広域の共同
防災がとられるようになっており、確認しておく事項である。
■ ミルフォード・ヘブン火災は、今回を含めて3つの資料を紹介してきたが、消火活動関連事項については若干の違いがみられる。資料①「原油タンク火災の消火活動中にボイルオーバー発生事例」(2013年9月)、資料②「石油貯蔵タンク火災の消火戦略
- 事例検討(その1)」(2014年10月)、今回の資料③として、主な差異を列記してみる。
資料① 資料② 資料③
● 当初製油所の泡薬剤保管量 ー ー 63KL
● 必要な泡薬剤量の試算値 205KL ー 160KL
● 8/31 08:00集積の泡薬剤量 305KL 253KL 305KL
● 泡薬剤を一旦、使い果たした日時 9/1
02:00 9/1早い時間帯 9/1 02:00
● 最終的な泡薬剤の全消費量 763KL
765KL 765KL
● 焼失原油量 ー 25,000t 17,800t
● 防油堤の仕様 90m×180m 90m×180m×h:5m 16,222㎡
( h:5m)
● ボイルオーバー後の堤内火災 90m×180m
16,000㎡ ー
● 隣接の精製油タンクの容量 ー 22,630KL×2基 13,000KL×2基
(注;
90m×180m=16,200㎡)
■ 発災した直径78m(屋根面積4,778㎡)の浮き屋根式タンクの場合、現在の日本の基準でいえば、必要な泡放射は50,000L/min(泡放射量約8
L/㎡・min相当)である。使用泡薬剤が3%希釈用で、泡放射時間を60~120分とすれば、
泡薬剤量は約69~138KLとなる。 当時の必要量の試算値(160KLまたは205KL)の算出根拠がわからないが、試算は間違っていないといえよう。しかし、実際の泡放射は14,500L/min(3.0
L/㎡・min)程度でしか行われていない。当時の消火機材の能力不足である。
所 感
■ 過去の事故を今に活かそうという目的で作成された資料だけによくまとまっており、大いに参考になる。「教訓」の項は、地域が変わっても普遍的な内容で、示唆に富んでいる。
■ 1983年当時、浮き屋根タンクは安全神話に包まれていた。たとえ、火災があってもシール部の火災程度であり、タンク上部へホースを展張し、泡放射すれば簡単に消えると考えられていた。現在では、このような安全神話を信じる人はいない。
今の日本で考えておかなければならないことは、「想定の火災」である。2003年十勝沖地震に伴う北海道製油所のナフサタンク全面火災を契機に、大容量泡放射砲システムの導入が行われたが、この火災想定は浮き屋根タンク1基の全面火災である。大容量泡放射砲の放射能力を決めるためには、それでよいといえる。しかし、ミルフォード・ヘブン火災を見るとわかるように、タンク火災に加えて堤内火災の対応に追われている。実際の火災は限定的に起こってくれるわけではない。
タンク火災+堤内火災あるいは複数タンク火災などの「想定の火災」を考えるべきである。机上訓練によって消火機材、泡薬剤、消火水など、どこに課題があり、どのようにして消火資機材の供給計画を立てるか考えておく。例えば、ミルフォード・ヘブン火災では、必要泡薬剤の量は160KL(または250KL)と試算されたが、実際に鎮火までに消費された泡薬剤は765KLである。これが現実の事故であることを語っている。
備 考
本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
・Aria.development-durable.gouv.fr,
Boilover of a crude oil tank, 30 August
1983, Milford Haven [Wales], United Kingdom , French Ministry of Environment -
DPPR / SEI / BARPI – AC070344 N6077,
July 2008
後 記: 今回のARIA資料は思っていた以上に興味深いものでした。これまでもミルフォード・ヘブン火災については2回紹介していましたから、補完的なものかと思っていましたが、なかなか良い内容でした。これまでの2回の資料の内容と見比べてみると、若干違っていることに気がつきました。主な事項を「補足」で付記してみました。実際、緊迫した消火活動の最中に時間と事象を記録していくことは難しいことです。記録を残すことが好きと言われている米国ですが、最近、このような事故記録の公表が少ないように思います。連邦政府や石油メジャーの人件費削減が響いているのでしょう。その点、意外(?)にも、フランスが頑張っているようです。