2016年6月19日日曜日

英国バンスフィールド油槽所タンク火災における消火活動(2005年)

 今回は、石油貯蔵タンク基地などで起った火災事故の消防対応の業務などを行う会社として有名なウィリアムズ・ファイア&ハザード・コントロール社が公開しているCode Red Archivesの中から、2005年12月11日に起った英国バンスフィールド火災の消火活動について、ウィリアムズ社がアドバイザーとして参画した話を紹介します。
< 発災施設の概要 >
■ 発災があったのは、英国ロンドンの北約40kmにあるハートフォードシャー州(Hertfordshire)ヘメル・ヘムステッド(Hemel Hempstead)のハートフォードシャー・オイル・ストレージ社 (Hertfordshire Oil Storage Ltd; HOSL)など石油3社によって運営されているバンスフィールド油槽所(Buncefield Fuel Depot)である。

■ HOSL社はトタール社(Total UK Ltd) 60%とテキサコ社(Texaco Ltd)40%の合弁会社である。地区は2つに分け、HOSL西地区と東地区がある。西地区は火災の中心になった。自動車用燃料34,000トン、灯油15,000トンの貯蔵能力を有している。
 油槽所は、ほかにシェル社(Shell)とBP社の合弁会社であるブリティッシュ・パイプライン社(British Pipeline Agency Ltd ; BPA)が貯蔵所地区とパイプラインシステムの操業を行っている。資産はUKパイプライン社(UK Oil  Pipeline Ltd ; UKOP)の所有である。この地区は、“北”(または“Cherry Tree Farm”)地区と主地区に分かれる。火災によってかなり被災した地区である。自動車用燃料など70,000トンの貯蔵能力を有する。
 また、BP社の設備が貯蔵所の南側にあり、自動車用燃料など75,000トンの貯蔵能力を有する。製品はすべてBPA地区のパイプラインから受入れている。       
             バンスフィールド油槽所の配置   (図はBBC.co.ukから引用)
              事故前の油槽所と周辺    (写真はHSE.gov.ukから引用)
< 事故の状況および影響 >
事故の発生
2005年12月10日(土) 
■ 19時頃、タンクT912にパイプラインから流量約550KL/hで自動車用燃料の受入れを開始した。

2005年12月11日(日) 
■ 午前零時に、石油貯蔵所のローリー車ターミナルを閉門し、貯蔵量の確認を実施し始めた。 この作業は午前1時半頃に終了し、「異状なし」の報告があった。午前3時頃から、タンクT912の液面計(レベルゲージ)の読取値が変化のない状態となっていた。 実際は、タンクT912 には約550KL/hの流量で受入れが続いていた。
■ 計算によると、タンクT912は午前5時20分頃に満杯になり、オーバーフローし始めている。本来は、タンクの過充填を防止するためタンクへの入荷を閉止する保護システムがあったが、機能しなかった。このとき以降、受入れていた燃料油はタンクの上から流出し、空気を巻き込みながら、防油堤Aの中で急速に濃度の高い可燃性混合気を形成していった。
■ 午前5時38分、初めて監視カメラによって、防油堤Aの西端から蒸気雲が漏出しているのが確認されている。蒸気雲は防油堤Aの北西部から西方向に流れていった。
■ 午前5時46分、蒸気雲の厚さは約2m深さに達し、防油堤Aから全方向へ流れていった。                                     
■ 午前5時50分には、蒸気雲の流れは貯蔵所構外の公道(チェリーツリーレーン)や建物付近(ノースゲートハウス、フジ駐車場、カテリーヌハウス)にまで達していた。い。                                     
■ 午前5時50分~6時の間、タンクT912への流量は徐々に増え、890KL/h程度になっていた。                                     
■ 午前6時01分までに、蒸気雲は広範囲に広がり、北はタンクT12まで、南はローリー車積込み場近くまで流れていたものとみられる。                 
■ 午前6時01分、最初の爆発が起こり、続いて起こった爆発と大火災によって、20基を超えるタンクをのみ込んでいった。(最終報告では23基のタンク) 最初の大きな爆発はハートフォードシェア西地区とフジビルとノースゲートビルの間の駐車場を中心に起こった。
              火災状況   (図はBBC.co.ukから引用)
      最初の爆発(12110601)から約10分後の状況 (写真はBBC.co.ukから引用)
衛星写真でみる黒煙の状況
衛星写真による経緯をみると、110601爆発・火災発生から半日後の午後には、黒煙が南に広く流れている。 黒煙の濃度は12日になって薄くなってきている。                        (写真はBBC.co.ukから引用)
■ 午前6時08分、事故発生の発表が行われ、ただちに事故対策本部が事故現場近くに設置された。
 燃え上がる火災からの煙が英国南部を越えて広範囲に広がった。数km先からも見える煙は衛星写真でもはっきりと確認できた。

2005年12月12日(月)
■ 正午、火災の激しさはピークになった。ハートフォードシャー消防署などの消防隊180名が出動して消火作業に当った。(最終的には、交代要員を含め、1,000名の消防士が動員された)
■ 流出した燃料と消火排水が防油堤の壁の上端から溢れ出たため,防油堤による2次封じ込めができなかった。

2005 年12月14日(水)
■ 英国安全衛生庁(HSE)がハートフォードシャー警察から事故調査の依頼を受けた。
■ 堤内火災の高熱によって防油堤に損傷が生じ,これがHOSL西地区およびBPA地区における2次封じ込めの能力を大きく減少させた。敷地の境界における3次封じ込めも失敗に終わり、汚染された大量の液体が敷地周辺に流出した。消防隊などはできる限り多くの流出汚染物質を回収したが、地下水および表層水の汚染を防ぐことができなかった。

2005年12月15 日(木)
■ 発災から5日目に鎮火が宣言された。
■ 使用された泡消火薬剤は786KL、消火用水は68,000KL(53,000KLの上水と15,000KLの回収水)だった。

2005年12 月16日(金)
■ 現場検証が開始されたが、主要部の捜査は危険が大きすぎるため、数週間から数か月の立入りが禁止された。  

被 害
■ 爆発によって油槽所の貯蔵タンク23基が延焼した。当時の貯蔵量10万トンのうち約6万トンのが焼失した。また、構内の防油堤や配管などの設備が被災した。このほか、構外の建物や車両が爆発・火災で損壊した。

■ 爆発のあったのが日曜で早朝ということがあり、死者は出なかった。しかし、43名の負傷者が出たほか、2,000名の市民が避難した。

■ 直接損害のほか、間接的な損害は被害賠償(625百万ポンド)や航空燃料損失(245百万ポンド)など894百万ポンドと推測されている。  

< 事故の原因 >
■ 爆発事故の誘因原因は「タンクへの受入れ時の過充填」である。

■ 事故の経緯はつぎのとおりである。
 ① タンクへパイプラインを通じてガソリンの受入れを開始した。
 ② タンク液面計が機能しなかった。(指示が途中からフラットのまま)
 ③ タンク受入・払出をコントロールする「自動タンクゲージシステム」が機能しなかった。
 ④ 過充填を防止する「液面上限安全スイッチ」が機能しなかった。
 ⑤ この状態で受入れが続いた。 
 ⑥ タンクが満杯になり、タンク屋根の通気口からあふれ出した。
 ⑦ 防油堤内に混合ガスが滞留し、防油堤外へ蒸気雲が流れだした。
 ⑧ 貯蔵所設備の着火源により爆発が起こった。
      内部浮き屋根式コーンルーフタンク(T-912)構造   (図はHSE.gov.ukから引用)
●タンクには、液面計、温度計、バルブ開度などの監視機能を有する自動タンクゲージシステム(ATG=Automatic Tank Gauging System)が設置されている。                                   
●ATGとは独立して、「液面上限安全スイッチが」が設置されている。 このスイッチは液面上限 を検知すると、計器室に警報を発し、自動停止が起動するようになっている。
          過充填で流出した状況  (図はHSE.gov.ukから引用)
< 対 応 >
■ ウィリアムズ・ファイア&ハザード・コントロール社英国事務所代表のケビン・ハーディング氏は、発災後、地方自治体からテクニカル・アドバイザーを要請された。ハーディング氏は11日(日)午後8時頃にバンスフィールドの現場に到着した。説明を受けた後、早速、現場内を歩き、問題と思われる箇所を挙げた。

■ 最初の12時間で獣のように暴れる炎に対して実行できた消火活動は極めて少なかった。その中で、西側にあるトラックスケールの近くにあるタンク群への冷却はうまくいっていた。2基のタンクで起こっていたリムシール火災へのホース展張と攻撃が成功していた。また、指揮本部の組織も確立していた。

■ 活動が遅れていたのは、消火用水系統が破壊されていたことと環境への配慮だった。というのは、近くに北ロンドンの飲料水供給の帯水層があり、この水系への汚染が懸念されたからである。

■ わずかに流量1,000gpm(3,785㎥/min)の水供給系統だけが利用可能で、上述のタンク群への冷却水として使用された。支援のために駆け付けた消防隊は、送水ポンプとホースをリレー式で接続し、現場へ十分な水を供給できるように作業を行った。

■ ウィリアムズ社が入ったバンスフィールド火災の消火専門家の支援グループには、トタール社英国LOR製油所、BP社英国コリトン・エセックス製油所、セムコープ社英国ティーシーデ緊急チーム、エセックス郡消防・救急隊が参画した。

■ まず最初に、“2×6ガン泡モニター”が事業所の南東地区に配置されるとともに、トタール社LOR製油所の泡薬剤搬送車が西地区に配置された。それから3日間、18~20基のタンクが火災になっている中で、この泡モニターは活躍し続け、隣接する8基のタンクへ延焼することを防止することができた。この期間、風はほとんど無く、消火活動の支障にならなかったのは幸いだった。

■ 火災になったタンクなどに立ち向かう準備のため、ウィリアムズ社の“2×6ガン泡モニター” のほかにウィリアムズ社の“パトリオットⅡトレーラー型モニター”を配置しようと、セムコープ社のケビン・ウェストウッド氏のチームは11日(日)の真夜中まで忙しく作業した。ウェストウッド氏チームは南東地区への配置を終えたが、ハーディング氏によると、東地区への攻撃を開始するためには十分な量の消火用水の供給が確保できるまで、2~3時間待たなければならなかったという。
 2×6Gun Monitor         PatriotⅡMonitor        Hydoro-chem Nozzle  
(写真はWilliamsfire.comから引用) 
■ 水供給のため、展張された6インチ大口径ホースの総延長は18マイル(28km)ほどに達した。

■ 12日(月)午前4時頃になっても、供給可能な水量は限られていた。水圧が低い上に水量は3,000~4,000gpm(11,000~15,000 L/min)だった。セムコープ社のウェストウッド氏チームが、南東地区にある3基の激しいタンク火災と堤内火災に対して“2×6ガン泡モニター” と“パトリオットⅡ泡モニター”によって一旦、消火させることができたので、ハーディング氏たちは別な火災現場へ移動中だったときに、再び消火用水の供給が止まってしまった。

■ 英国環境庁が特に関心をもっていたのは、流れ出た油や消火排水が北ロンドンの飲料水の帯水層に達することがないか、そして水を汚染することがないかという点だった。実際、消火用水の供給中断は繰り返し起ったが、これは環境庁の指導のもと2~3時間ごとに周期的に行われた。

■ ハートフォードシャー事故対策本部長はアドバイスを受け入れ、本来最適な手順である攻撃的な火災へのアタックの道をとらずに、“レット-イット-バーン”(リセットしてやり直す)の方法をとった。この方法は、十分な量を連続的に水供給できる体制が整っていることが前提であるが、当時の現場の条件は極めて困難だった。排水系統はあふれており、かなりの数の排水カバーが失くなっていた。消防隊員は排水系へ流れ込まないように注意しなければならなかった。排水系の一部では、ときどき油による炎が上がっていた。

■ 間断のない消火活動には大量の水を必要とするが、この点から、消火用水の供給を中断したことは重大な問題だったことを示す形になった。

■ 12日(月)の午前中の半ばまでに、消防隊は東地区のタンク火災のいくつかを堤内火災を含めた消火した。西地区にいたトタール社LOR製油所の消防チームは別のタンク3基の火災と堤内火災のいくつかを消火した。 LOR製油所の消防チームへの水供給量はちょうど1,000gpm(3,785 L/min)で、活動中のほとんどで、この量を保持できたことは幸いだった。

■ これらのタンクが消火すると、消火用水が止められた。この機会に、消防隊は東地区の火災の中心に対応するため“2×6ガン泡モニター”の配置場所を変え、“パトリオットⅡ泡モニター”はトタール社LOR製油所消防チームが活動する西地区に配置変えされた。残念なことに、消火用水が再び機能を回復したときには、以前消火したタンク2基が再び引火してしまった。

■ 水の供給が復旧すると、すぐに、消防隊は再び2基のタンク火災への消火活動を始めた。しかし、実際には、最初の2日間、消防隊は西地区と東地区の両方ともいろいろな種類の泡薬剤を使用せざるを得なかった。泡薬剤には良質なものやそうでないものがあった。このとき、消防チームはフラストレーションが溜まった。泡の覆いが保持できないために、消火したタンク火災や堤内火災がじきに再引火するケースがあった。

■ 質の悪い泡薬剤を使用せざるを得ない期間、消防隊は再引火していないタンクに火が出るかもしれないという心配を常にもっていたと報告している。ハートフォードシャー事故対策本部長は、“2×6ガン泡モニター” を停止し、まだ火災になっていないタンクに影響のある火災の消火を行う位置に移動するよう要請した。しかし、このとき、 “2×6ガン泡モニター” を操作していた消防チームは、220°の範囲にタンク火災と堤内火災を目の前にし、さらに混合泡の質が極めて悪かった(このとき供給されていた泡はフッ素たん白泡消火薬剤(FP)の規格外のものだったと思われた)ので、 “2×6ガン泡モニター” を停止して移動するのは危険すぎると感じていた。

■ この時点で、ハートフォードシャー事故対策本部長はこの地区から移動することを決めた。12日(月)の夜、この地区にいた全員が離れなければならなかった。これは、支援で出動した消防隊チームにとって、2時間の休息をとり、活動再開の計画を考え、現場へ信頼ある水供給体制を確保するために良い機会となった。

■ 12日(月)夜遅く、消防隊チームは再び元の地区の現場へ入り、まだ延焼を免れていた東地区の全タンクを防護するための水幕の準備を行った。消防隊チームは“2×6ガン・モニター”の噴霧パターンを使用し、タンクまわりに水幕を張り、鋼構造物の冷却を図った。トタール社LOR製油所の化学消防車は、北東地区で火災になっている堤内に泡を覆い始めた。この活動を契機に、消防隊チームは徐々に消火用水の信頼性を取り戻し始めた。そして、最初の事故対応状況まで戻り、その後の18時間のあいだに、堤内火災を含め、燃えているタンクの大部分を消火した。

■ ウィリアムズ社のハーディング氏は、セムコープ社ウェストウッド氏の消防チームが“ハイドロ・ケム・モニターノズル”と可搬式泡モニターを使用して、地区の西側に発生している配管の噴出火災に対応するのがよいと進言した。

■ それぞれの消防チームが重要なピースを担っているジグソーパズルのようだった。消防隊がそれぞれの地区の火災を消火していくことで、現場はだんだんと落ち着いていった。

■ 13日(火)の午後、 365フィート(110m)以上の放射性能を有する“2×6ガン泡モニター”の1台を使用して、北地区にある直径150フィート(45m)のタンク火災に挑んだ。その地区は離れているため、燃えさせておくと判断したところである。このとき、消防隊はタンクまわりで起こっている大きな堤内火災に直面した。消防隊は、 大容量の性能をもつ“2×6ガン泡モニター”を使用して、再びこのタンクを消火した。

■ 消防隊が最後に向き合ったタンクは、西地区にある内部浮き屋根式タンクだった。このタンクの外部屋根と内部屋根の状況を確認するため、ウィリアムズ社のハーディング氏は、ハートフォードシャー消防署のはしご車を使ってタンクを上から観察した。この結果、タンクの外部屋根が裂けていて、完全に燃え上がっている内部へ泡放射できることが分かった。このタンクのまわりには火災がいくつも見られ、脈打つように噴き出す油に引火していた。

■ 消防隊のチームは、タンク底部の水位をタンク出口の位置より高くしようと考えた。しかし、配管が火炎に曝されて受ける熱によってひどく変形してしまって、タンク内に水を入れることは難しく、非現実的ということが分かった。そこで、タンク内には油が2mほどしか残っていなかったので、タンクの内液は燃え尽きさせることとした。

■ 今回の火災は、最終的に鎮火するまで、長時間にわたって燃え続けた。この主たる要因は、消火用水のリレーが初動から極めて悪かったこととともに、ロンドンの飲料水の帯水層への汚染の懸念から、消火用水が止められるという状況にあったからである。これは、貯水池の保護がリスク・アセスメントの最優先事項になったためである。

■ 最初の2日間、消火用水が中断するという状況では、一部のタンクは2昼夜のあいだに多いものは4回消火されていた。これは消火用水の不足で泡を補充できず、油面を覆っていた泡が壊れてしまったからだとみられる。

所見、教訓、推奨事項
■ この火災事故においてとられた消火方法や使用された資機材について考えると、ウィリアムズ社がこれまでの経験で一貫して行ってきた考え方を裏打ちするものであった。そこで、つぎのような推奨事項は、この事例を含め最近の同種事故に対して参考になると思う。

■ 有効性の確認された消火設備
 ● この3日間の事故を見ていくと、BP社とトタール社LOR製油所の両消防隊がバンスフィールドの火災現場に持ってきた放射性能の高いトレーラ式の泡モニターは、泡放射や冷却作業の機動性を要求されたとき、固定台座やスキッド設計の泡モニター装置に比べ、優れた機能を発揮し、ウィリアムズ社の可搬式大容量泡放射砲の有効性が示されたといえる。
 ● 3次元的な噴出火災に対してモニターノズルの“ハイドロ・ケム”を使用することは、消火活動における必須の機材だということが示されたといえよう。

■ 最も有効だった泡薬剤
 ● 今回の事例で使用された泡薬剤は一貫性のある品質とはいえないものだった。その中で消火性能の品質の悪いものは、消防隊を危険な状況に曝しかねないことが示された。
   ● 多く使われたフッ素たん白泡消火薬剤(FP)は、小型タンクと堤内地区の双方の消火に使用されたが、消火時間が遅かったということが示された。トタール社LOR製油所消防チームの最初のコメントでは、自分たちが持ってきた多糖類添加耐アルコール泡(AR-AFFF)を使用したときには、火災の消火が速かったという。一方、泡薬剤を使い果たし、フッ素たん白泡消火薬剤(FP)を使わざるを得なくなった火災に対応することが増えてしまったという。
 ● フッ素たん白泡消火薬剤(FP)による蒸発抑制の泡の覆いは、弱い風の影響でも簡単に壊れることがよくあり、通常期待されるより早く泡の覆いが壊れて再引火を起こすことがあった。

■ 消防士のトレーニング
  ● 石油化学分野において行われている消防専門トレーニングの効果は、エセックス郡消防・救急隊とともに活動したBP社、トタール社LOR製油所、セム・コープ社の消防隊によってその価値が示された。支援で出動した消防隊は大半の消火活動を行ったし、この火災現場でも消火専門家を参画させたウィリアムズ・ファイア&ハザード・コントロール社によるトレーニングで経験を積んできた。
 ● 一般的に地方の消防署には、今回のような事故に対する資機材を保有しているところはなく、消防専門トレーニングの必要度も高くない。しかし、石油化学工場などの消防士にとって、このような消防専門トレーニングの必要度は実際に高い。

■ 事故対応の指揮
 ● まる3日間にわたる事故の消火活動に大きな影響を及ぼした決定に関与した英国政府環境庁のインパクトは、非常にユニークなものだったといえるが、このような事故においてひとつの規範になりそうである。そして、今回のような事故に出動する相互応援・消防専門チームにとって事前計画に考慮しておく必要がある。
 ● また、特記しておくべき事項としては、今回の事故に関する環境庁のコメントが、水系の汚染に関するものに比較して、空気汚染に関するものが非常に少なかったというである。
 ● ほかの類似事故と同様、バンスフィールド事故で明らかになったことは、英国内における専門家のナショナル・チームを作って、実際的で戦術的な観点から今回のような事故に対応するためのトレーニングと準備について検討する必要があるということである。それは、米国内において航空機ハイジャックや人質事件のような状況に対応するためのトレーニングと準備の必要性と同様であろう。
 ● このチームには、中央政府によって完全に公的な権限を与えられ、環境当局や政府ホームオフィスのような政府機関からの代表者だけでなく、国内の石油化学と関連分野から実務的な消防専門家を入れた編成とすべきである。
消火活動の状況  (写真BBC.co.ukから引用)
消火活動の状況  (写真BBC.co.ukから引用) 
消火活動の状況  (写真BBC.co.ukから引用)
消火活動の状況  (写真BBC.co.ukから引用)
補 足
■ 「ハートフォードシャー州」 (Hertfordshire)は、英国イングランドの東部に位置し、人口約106万人の州である。「ヘメル・ヘムステッド」(Hemel Hempstead)は、ハートフォードシャー州にある人口81千人の都市である。
     現在のバンスフィールド油槽所の周辺  (図はグーグルマップから引用)
■  「ウィリアムズ・ファイア&ハザード・コントロール社」(Williams Fire & Hazard Control)は1980年に設立し、石油・化学工業、輸送業、軍事、自治体などにおける消防関係の資機材を設計・製造・販売する会社で、本部はテキサス州モーリスヴィルにある。ウィリアムズ社は、さらに、石油の陸上基地や海上基地などで起こった火災事故の消防対応の業務も行う会社である。
 ウィリアムズ社は、2010年8月に消防関係の会社であるケムガード社(Chemguard)の傘下に入ったが、2011年9月にセキュリティとファイア・プロテクション分野で世界的に事業展開している「タイコ社」(Tyco)がケムガード社と子会社のウィリアムズ社を買収し、その傘下に入った。
 ウィリアムズ社は、 米国テネコ火災(1983年)、カナダのコノコ火災(1996年)、米国ルイジアナ州のオリオン火災(2001年)などのタンク火災消火の実績を有している。

■ ウィリアムズ社はウェブサイトを有しており、各種の情報を提供している。この中で「Code Red Archives」というサブサイトを設け、同社の経験した技術的な概要を情報として公開している。今回の資料はそのひとつである。

所 感
■ 「バンスフィールド火災」は、発災当時から衝撃的な事故として大きく報道されたほか、比較的早く、調査報告書も公表され、よく知られるタンク火災事故となった。一方、20基を超すタンク火災について3日間の消火活動の状況も報じられたが、断片的だった。その後、日本の消防庁から現地へ行って調査したり、API(米国石油協会)で発表されたりしたので、難航した消防活動だったことは分かっていた。
 
■ 今回の消防活動の話は、民間の消火専門家が実際に現場に参加した中での状況なので、なぜ難航したのか、どのような対応がとられたかを知ることのできる内容である。ウィリアムズ・ファイア&ハザード・コントロール社の立場から見ており、公平さの点で一抹の疑問は残るが、貴重な体験話である。特に、 「所見、教訓、推奨事項」は英国だけでなく、大容量泡放射砲システムを保有していない日本の公設消防の関係者にとって耳を傾けるべき話だと思う。


備 考
 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
  ・Williamsfire.com,  「Tale of Two Cities: Baton Rouge, 1989 & Buncefield, 2005」, Field  Report, Edited by Brent  Gaspard,   CODE RED ARCHIVES, Williams Fire & Hazard Control. Inc.
  ・HSE.gov.uk,  「The Buncefield Incident 11 December 2005」, The final report of the Major Incident Investigation Board,  2008
      ・Jniosh.go.jp,  「英国バンスフィールド油槽所で発生した爆発火災について -バンスフィールド事故調査委員会調査報告書(第 1 報) より抜粋」, 藤本康弘, 労働安全衛生研究(Vol. 1, No. 1), 2008
      ・Tokyo-horei.co.jp,  「英国における油槽所火災の概要について」, 白石 暢彦, 消防防災2006年夏季号,  2006
      ・KHK-syoubou.or.jp,  「英国バンスフィールド油槽所爆発火災の原因はタンク過充填」



後 記: 今回は、ウィリアムズ社が公開しているCode Red Archivesの資料だけをできるだけ尊重することとしました。事故の状況や原因を記載する必要がありますが、これらはHSEの報告書や日本の資料から最小限に留めました。消防活動については、日本の消防庁の調査結果やAPIの発表資料がありますが、あえて整合をとることは避けました。また、実際に何が正しいか判断する材料がありません。一般に、発災した際の消防活動状況は、公設消防で記録されているはずですが、まとめが公表されることはないですね。火が消えた、一件落着、めでたし!というのは日本だけでなく、外国でも同様のようですね。民間のウィリアムズ社だと、将来のために貴重な経験を活かすという意識があるのだと感じます。


2016年6月6日月曜日

米国バトンルージュの貯蔵タンク複数火災における消火活動(1989年)

 今回は、石油貯蔵タンク基地などで起った火災事故の消防対応の業務などを行う会社として有名なウィリアムズ・ファイア&ハザード・コントロール社が公開しているCode Red Archivesの中から、1989年12月24日、米国ルイジアナ州バトンルージュにあるエクソン社の製油所で起った爆発から石油タンク16基が延焼し、この消火活動にウィリアムズ社が応援で出動した事例を紹介します。
< 発災施設の概要 >
■ 事故があったのは、ルイジアナ州バトンルージュのミシシッミー川東岸にあるエクソン社(Exxon Corp)のバトンルージュ製油所(Baton Rouge Refinery)である。
 エクソン社は、1911年にスタンダードオイルの分割によって生まれたテキサス州に本拠地をもつ総合エネルギー会社である。発災のあった1989年当時はエクソン社だったが、その後の1999年にエクソン社とモービル社が合併してエクソンモービル社(ExxonMobile Corp)になっている。バトンルージュ製油所は1907年のスタンダードオイル時代に建設された製油所である。

■ バトンルージュ製油所は、2,100エーカー(850万㎡)の敷地に50万バレル/日の精製能力を有する製油所のほか、生産能力が35万バレル/日の石油化学工場をもち、1,000を超す生産プラントがある。
 施設内には、 3段のパイプラックに配管群が動脈のように走っていた。パイプラックの一番上に敷設されていた配管のひとつに、ガーデン・シティ・ラインと呼ばれるパイプラインがあった。この1,500psiクラスで8インチ径の配管は、57マイル(91km)南のガス田から天然ガスを移送していた。製油所に受入れられた天然ガスは、脱ブタン装置で C3より軽い留分が回収され、精製される。最初の爆発発生のきっかけになったのが、このC3より軽い石油製品用の8インチ径高圧配管である。

■ 発災のあった1989年のクリスマス・シーズンは、異常天候によって天然ガスの需要が高かった。バトンルージュの12月における通常の平均気温は10℃であるが、その年のクリスマス前は零度を下回る気温が続いており、クリスマス・イブの前日夜は-12℃だった。この異常低温のため、製油所では、クリスマス休暇を返上して対応がとられていた。ガス田が氷結して天然ガス量が減ったため、ガーデン・シティ・ラインは停止された。
              ルイジアナ州のエクソン社バトンルージュ製油所周辺  (図はグーグルマップから引用)
< 事故の状況および影響 >
事故の発生
■ 1989年12月24日クリスマス・イブの朝、ルイジアナ州バトンルージュを中心に電力会社:エンタージー社(Entergy)の240KV送電網において広範囲の地域で停電が起った。この地域の中に、ミシシッピー川沿いにあるエクソン社の製油所・石油化学工場が含まれていた。この停電によって施設のシステムはすべて“フェール・セーフ”モードで作動していった。

■ このフェール・セーフ・モードは、プロセスの安全設計上、制御システムにおける流量、液位、圧力、温度などのプロセス変数について全開位置あるいは全閉位置の安全方向へ動くことになる。しかし、このフェール・セーフ・モードのバルブ作動が、最終的にバトンルージュ事故における異常連鎖の引き金になってしまった。

■ C3より軽い留分の製品用8インチ径高圧配管がサーマル・エキスパンション(熱膨張)によって破損し、ベーパー/ミスト状の炭化水素が毎秒1,500ポンド(680kg/s)の割合で流出した。流出がおよそ2分半続いた後、火が付いた。
 流出した炭化水素ベーパーは推定225,000ポンド(102トン)で、周囲1,000~1,500フィート(300~450m)で高さ(深さ)約80フィート(24m)の蒸気雲を形成していた。爆発の威力は、75マイル(120km)離れたニューオリンズでリヒター・スケール3.2を記録している。

■ 爆発は12月24日午後12時35分に起った。このとき、エクソン社のジェリー・クラフト消防チーフは、安全関係のメンテナンス作業について監督するため、貯蔵タンク地区にある2つの高い防油堤壁の間の低い場所にいた。この防油堤壁の間に立っていたことによって、クラフト氏たちは爆発に伴う衝撃波から免れることができた。衝撃波が頭上を通り過ぎていったのである。爆発が起ったとき、クラフト氏は空に向かって巨大なキノコ雲が立ち上るのを見た。高さは1,000フィート(300m)に達したという。

■ 最初の爆発の後、クラフト氏は設備の運転状態と被害状況を確認するため、施設内を進んでいった。爆風によって飛び散った破片に妨げられながら、クラフト氏は施設内の主なところを徒歩で見て回って、地上からの観察結果と被害状況の第一報を報告した。

■ パイプラックが損壊して17本の配管から火が噴出し、施設内の至るところで流出油による火災が広がっていた。 APIセパレーターが火災となり、プロセス装置でも火災が起こり、建物が火炎に包まれ、施設内は破片で行く先を塞がれる状態だった。貯蔵タンクでは、大小16基のタンクで火災が起っていた。クラフト氏は、さらに施設内を歩き回り、状況と取るべき対応について無線で緊急事態対応本部へ連絡し続けた。

■ 「このような重大な緊急事態が起これば、火災と戦うに当たって理想的な状態を簡単には作り得ない。われわれが最初に手をつけたは、消防活動に不可欠な人員と資機材の確保に関するロジスティクスである。それが構築できなければ、製油所・石油化学工場全体で起こっている複数の火災などの事態に戦術的に優位な状況は生まれない」とクラフト氏は語っている。

■ 火災になった16基の貯蔵タンクのうち14基は直径60フィート(18m)以下の小型タンクだった。あとの2基のタンクは直径134フィート(41m)で、内液はいずれも暖房用オイルで116,000バレル(18,400KL)入っていた。

■ 最初に対応本部から離れた場所にいることになったが、クラフト氏は、爆発と続いて起った火災の影響を受けにくい進入ルートや風上に当たる戦術活動位置についての情報を連絡した。「爆発によって、本来、攻撃に最適な場所が使えなくなっていた。消防車両用アクセス・トンネルが、近くのタンク破損部から漏れ出た油で深さ10フィート(3m)ほど浸かっていた」とクラフト氏は語っている。

■ 現場指揮所のクラフト氏たちは、人員と資機材を移動させる方法を探していた。“橋頭堡” (きょうとうほ)とする場所についてはすぐに4箇所を設定した。これらの場所は、その後14時間半に及ぶ戦いを維持するための人員と資機材を投入するのに役立った。4つの発災個所への攻撃を行うために、4つのチームが“橋頭堡”に編成された。 各チームの前には、どのように進展していくかわからない火災が敵対し、それぞれが立ち向かっていかなければならなかった。

■ 「同時に4つのチームが編成されたので、最初に私が最も憂慮したことであるが、まず第一に対応しなければならなかった仕事は構内に停まっていた多くの鉄道車両をどうするかであった。施設内には5つの鉄道引込み線があり、工業地区の工場からいろいろな製品を積んだ鉄道車両がいつでも構内にいた。そして、この中で最も懸念したのは赤いストライプの入った3両の“キャンディー・ストライパー”で、この車両にはシアン化水素が積み込まれていた。この貨車は、事故が起った時間には別な施設へ移動する予定だったのが、停まったままになってしまった」とクラフト氏は振り返って語った。 

■ 危険性の高いシアン化水素の貨車は、ほかの鉄道車両と簡単に識別できるよう、側面が白地に赤いストライプを入れて目立つ塗装を施すよう鉄道委員会によって決められていた。

■ 事故当時、消防隊長でハズマット隊のチーフだったハーシェル・スタフォード氏は鉄道ヤードの支配人に連絡をとり、構内に停まっている鉄道車両をすべて移動してもらいたいと依頼した。特殊エンジン車を使用して、最初の爆発から45分で鉄道車両は整然と移動していった。

■ 構内にあった151台の貨車には、ガソリン、塩化ビニル、LPG、その他の爆発性や燃焼性の液体などのケミカル類が積んであった。これらの貨車の近くには、地上流出油火災やパイプラックからの噴出火災が迫っており、貨車を移動させたことによって、ケミカル火災、さらなる流出火災、貨車のBLEVE(Boiling Liquid Expanding Vapour Explosion:沸騰液膨張蒸気爆発)の可能性を無くすことができた。

■ 電力、ガス供給、スチーム発生がすべて喪失した状態で、施設の従業員はプロセス装置の安全を確保しようと現場で必死に作業し続けた。広範囲な対応に努力が払われている一方、人命優先の責任を果たす方向に向かっていた。
 「この事故対応において成功に導いたのは、当日直面したような脅威に立ち向かった人たちが事に当たっての意欲と日頃に学んだ訓練の成果が大きい。すべての対応チームはエクソン社の消防士で構成されており、シフト管理者と消防チームの各隊長によって指揮がとられた」とクラフト氏は語っている。

被 害
■ 爆発によって2名の作業員が亡くなった。消防活動に伴う負傷者はいなかった。

■ 製油所・石油化学工場内の配管などが損壊した。貯蔵タンク地区では、16基のタンクが火災によって損傷した。
 (写真はKittnerstore.photoshelter.com から引用)
(写真はYoutube.comの動画から引用)
< 事故の原因 >
■ 貯蔵タンクの火災は、 8インチ径高圧配管がサーマル・エキスパンション(熱膨張)によって破損し、蒸気雲爆発が起ったための延焼である。蒸気雲爆発の発火源は特定できなかった。

< 対 応 >
■ 爆発があったのは午後12時35分で、そのあとの午後1時15分、クラフト・チーフはダン・ベイドン氏にウィリアムズ・ファイア&ハザード・コントロール社のドワイト・ウィリアムズ氏に連絡するよう依頼した。要請した内容は、現地で発生している大型タンク火災を消火するために必要な支援人員の派遣、泡薬剤の供給、予備の消火ポンプの手配だった。

■ ドワイト・ウィリアムズのチーム7名がその日の午後7時に到着した。彼らは、大型タンク火災2基との戦いを打ち破るための豊富な経験と洞察力を携えていた。ウィリアムズ氏によると、来る途中の50マイル(80km)離れたところで製油所から上がる炎が見えていたといい、過去に経験した中で最悪の火災のひとつだと語っていた。

■ ウィリアムズ氏は、自分たちが到着するまでの間、製油所の消防隊はいい仕事をしていたと評価した。消防隊は風上から泡放射を行い、火災の制圧に努め、ある火災現場ではノックダウンの直前までもっていっていた。タンクの火災消火まで至っていなかったが、地上火災のいくつか消していた。

■ エクソン社は、以前ウィリアムズ社から購入した放射能力2,000gpm(7,570L/min)の泡モニター1台を保有していた。その日の遅く、テキサス州ポートアーサーの化学会社ハンツマン社から別な放射能力2,000gpm(7,570L/min)の泡モニターが到着した。放射能力2,000gpm(7,570L/min)の泡モニターを使用するには、大口径のホースが必要だったが、1989年当時、実際の工業火災で実績のある大口径ホースはなく、泡モニターへの水供給の接続に工夫を凝らさなければならなかった。 

■ 緊急事態対応上、クラフト氏は消防チーフから対策本部へ移り、重大事故の対応マネジメントを行った。上空からの監視支援を受け、クラフト氏は事故対応の観察を続けた。
 クラフト氏は、ルイジアナ州警察のヘリコプターによる映像と詳細な地図情報を活用して、地上で活動する4つの消防チームへ対応策を指示した。火災まわりで作業するチームの動きを観察し、直面し続けている複数の火災への対応の優先度について連絡した。このようにして対応が全体として機能するように努めた。

■ 「我々がそのとき目の前にしているものを攻撃するには、当日、理想的な状況は生まれなかった。われわれ消防士は、地形の悪さ、消火ホース展張の難しさに加え、-12℃を下回る気温に対応しなければならなかった。カナダの消防士だって-10℃の天候の中での消防活動に慣れていないだろう。しかし、ルイジアナ州南部の地でそれ以上の厳しい環境に消防士は曝された」とクラフト氏は語った。
 一方、夜が更けてきて、気温が低下しつつあったので、地上火災から発する熱はプラス側に働いた面があった。

■ 現場の作業チーフを引き継いだのは、ハーシェル・スタフォード氏だった。スタフォード氏とウィリアムズ氏は、地上における消火戦術をいろいろ練って実行し続けた。各チームは自分たちに直面している様々なタイプの火災に対して、1-1/2インチ放水ノズル、 2-1/2インチホース、泡モニター、泡薬剤、ドライケミカルなどを使用して応戦し続けた。

■ 「この日にとった戦術は、最初の爆発によるダメージの影響を大きく受けていた。終日、我々を悩ませたのは消火水の供給だった。消火用水の主管が爆発によってひどい損傷を受けていた。消火栓が基礎から吹き飛ばされていたり、消火栓の真鍮部品が溶けているものも少なくなかった」とクラフト氏は思い出すように語った。

■ 消火水の主管が使えそうにないので、別な水源を見つけなければならなかった。この代替策としては、ケミカル処理した河川水タンク、プロセス装置のクーリング・タワー水、雨水排水系の貯水池の油層より下の水を消防車で汲み上げての給水などであった。河川水タンクの水を得るため、厳寒のなか、消防隊は氷結した12インチの閉止弁をバーニング・ボックスで温めねばならなかった。クーリング・タワーからの水は3,500フィート(1,000m)の距離を中継しなければならなかった。

■ 消防隊のチームは、2回、対応を中断しなければならなかった。一度は停電によって加熱炉のチューブが破裂して火災が発生したとき、二度目は化学工場側で大型ポンプが火災を起こしたときである。

■ 小型タンクの火災では、1,000gpm(3,785KL/分)の放水可能な高所消防車を持ち込み、火災タンクの前で前後進を繰り返し、消火活動にできるだけ良い位置を確保した。500~1,000gpm(1,890~3,785KL/分)の小型モニターを使用するためにできるだけ火に近づいた。これらの消防機材を使うため、多くのホースを展張しなければならなかった。

■ 地上火災への攻撃は、複雑さを含み難しい対応を迫られた。直径60フィート(18m)のタンク4基がひとつの区域で燃えている箇所があった。このタンク内液は潤滑油だったが、通常は安定した製品だが、高温で引火して驚くような熱を発していた。クラフト氏によると、タンクが透けて見えるほどで、熱い側板を通してレベルが分かったという。

■ 直径134フィート(41m)のタンクの火災は大きくないように思えるが、猛烈な熱と黒煙を放出していた。直径200フィート(60m)に相当する防油堤に囲まれており、消火活動も難航した。この大きな2基のタンク火災は、ウィリアムズ消防チームとスタフォードの消防隊で対応した。スタフォードの消防隊は火災の風上から作業を行った。スタフォードの消防隊は受け持ったタンクへの消火活動を始めており、10分後には、ウィリアムズ消防チームがもう一方のタンクへの消火活動を始める予定だった。
 ウィリアムズ消防チームの目の前には、200フィート(60m)相当の大きな地上火災が立ちはだかり、風下には150フィート(45m)の別な地上火災が広がっていた。眼前の地上火災は非常に熱く、消防車は扱えなくなるほど焼け、展張していたホースが燃えてしまった。ウィリアムズ消防チームがホースの引き直しを終える頃までに、スタフォードの消防隊が大部分の地上火災を消して、ウィリアムズ消防チームの作業エリアを確保した。

■ 直径134フィート(41m)の2基のタンク火災に対して、各タンクへ放射能力2,000gpm(7,570L/min)の泡モニター1台が配置された。防油堤エリアに対して1,000gpm(3,785 L/min)級ノズル2台を配置した。使用された泡消火薬剤は多糖類添加耐アルコール泡(AR-AFFF)で、3M社のライト・ウォータ(Light Water)3%だった。
 泡放射は12月25日午前3時30分に開始された。すでにタンク火災は13時間半を経過していた。水供給系の問題によって、消火水の圧力が必要とする6.9bar(100psi)に遠く及ばない4.7bar(68psi)しかなかった。このため、流量は約6,240 L/minしか出ず、タンクNo.1-4への泡放射量は4.5 L/㎡/min相当で行われた。しかし、約20分でノックダウンに達成し、全消火活動時間65分で消火することができた。 タンクNo.2-5への泡放射量は幾分多くでき、5.4 L/㎡/minだった。このタンクのノックダウンと消火活動時間は不詳であるが、消火に至らすことができた。

■ 消防隊は、夜を通して徐々に火災を制圧していった。消火活動に使用した泡薬剤は48,000ガロン(182KL)に及んだ。バトンルージュ製油所では、1970年代の後半に泡薬剤を多糖類添加耐アルコール泡(AR-AFFF) に切替えていたが、保有分は使い果たした状態だった。クラフト氏によると、泡薬剤は70,000ガロン(265KL)を要すると考え、泡薬剤の供給者であるウィリアムズ・ファイア&ハザード・コントロール社/3M社に手配を頼んでいたという。

■ 直径134フィート(41m)のタンク2基は、内部に約半分の暖房用オイルが残ったが、激しい熱のためタンクにサーマル・クラック(熱亀裂)が入っていた。

■ 全消防活動を通して、ケガのために時間をとられる消防士はいなかったし、小さなケガも無かった。

■ 異常事態から複数の貯蔵タンクが延焼するという大きな火災は、15時間の消防活動によって消火に至った。クリスマス・イブの夜を心配しながら床についた市民がクリスマスの日に見たのは、黒煙に覆われた空でなく、輝く太陽だった。
 エクソン社の製油所長から消防隊への感謝の意の所感が届いた。「今回の対応では、地域への影響をできる限り軽減されようと努められたことを知り、ありがたく思っています。バトンルージュに住む人たちが朝起きて、美しい太陽の輝くクリスマスの朝を迎え、空は煙から解放されていました。私たちの消防隊は非常事態時の大火災を克服できました。人々はミシシッピー川沿いに生じた脅威について心配しなくても済みました」

■ クラフト氏はつぎのように結論づけている。「燃えるものが多ければ多いほど、あるいは燃える時間が長ければ長いほど、この間に生じるトラブルが増えていくということは、消防士の経験上、よく分かっている。我々はこの事故に真っ向から勝負した。我々は多くの難問に直面したが、工夫と粘り強さと長年の訓練によって克服し、米国最悪の火災をその日にうちに消すことができた」

■ 大容量泡放射砲や大口径ホースの開発初期段階の時代に、バトンルージュで対応に当たった消防隊は実際の火災でうまく適用し、最悪の製油所火災を記録的な時間で制圧したといえる。

■ ウィリアムズ氏はクリスマスの日に家路へ出発したが、疲労のため製油所の正門を出る前に深い眠りについた。クラフト氏によると、クリスマスの午後7時頃に家へ着いたという。
 (写真はWilliamsfire.comから引用)
 (写真はWilliamsfire.comから引用)
 (写真はWilliamsfire.comから引用)
 (写真はYoutube.comの動画から引用)
(写真はYoutube.comの動画から引用)
補 足
■ 「ルイジアナ州」(Louisiana)は、米国南部のメキシコ湾に面しており、州都はバトンルージュ、最大の都市はニューオリンズである。人口は約457万人であるが、2005年のハリケーン・カトリーナなど何度も大型のハリケーンに襲われたため、移転する州民が多く、他の州に比べて人口が伸び悩む傾向にある。
  「バトンルージュ」 (Baton Rouge)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州の州都であり、人口は約23万人で州内第二位の規模を誇る都市である。
                ルイジアナ州の位置   (図はグーグルマップから引用)
■ 今回の直径41mのタンク火災に使用された泡モニターの能力は7,570L/minで、本来、5.7 L/㎡/minに相当する。「タンク火災への備え」(クレイグ・シェリー氏)によれば、直径45m未満のタンクでは 6.7 L/㎡/minの泡放射量を必要とする。今回の事例では、水圧が低く、タンクNo.1-4への泡放射量が4.5 L/㎡/min、タンクNo.2-5への泡放射量が5.4 L/㎡/minだった。主力泡モニターほかに補助の泡モニターが使用されたか分からないが、消火可能条件とはいえず、この点、泡放射の操作方法が良かったと思われる。
 なお、日本の法令では、直径41mのタンク全面火災で必要な泡モニターの放射能力は10,000L/minであり、これは 7.6 L/㎡/minに相当する。

■  「ウィリアムズ・ファイア&ハザード・コントロール社」(Williams Fire & Hazard Control)は1980年に設立し、石油・化学工業、輸送業、軍事、自治体などにおける消防関係の資機材を設計・製造・販売する会社で、本部はテキサス州モーリスヴィルにある。ウィリアムズ社は、さらに、石油の陸上基地や海上基地などで起こった火災事故の消防対応の業務も行う会社である。
 ウィリアムズ社は、2010年8月に消防関係の会社であるケムガード社(Chemguard)の傘下に入ったが、2011年9月にセキュリティとファイア・プロテクション分野で世界的に事業展開している「タイコ社」(Tyco)がケムガード社と子会社のウィリアムズ社を買収し、その傘下に入った。
 ウィリアムズ社は、 米国テネコ火災(1983年)、カナダのコノコ火災(1996年)、米国ルイジアナ州のオリオン火災(2001年)などのタンク火災消火の実績を有している。当ブログにおいてウィリアムズ社関連の情報はつぎのとおりである。

■ ウィリアムズ社はウェブサイトを有しており、各種の情報を提供している。この中で「Code Red Archives」というサブサイトを設け、同社の経験した技術的な概要を情報として公開している。今回の資料はそのひとつである。

所 感
■ ルイジアナ州のエクソン社バトンルージュ製油所の火災事故はかなりひどい事故である。配管の損壊、油の流出、蒸気雲爆発、地上火災、堤内火災、複数タンク火災とあらゆる事象が生じた事故といえる。その中で、貯蔵タンク火災の消火活動の状況について語られた本情報は貴重といえる。

■ この事例で注目する点はつぎのとおりである。
  ● 現場の指揮官の果たす役割が極めて重要性である。今回の事例では、ウィリアムズ社のドワイト・ウィリアムズ氏のほかに、エクソン社のジェリー・クラフト氏とハーシェル・スタフォード氏が現場で発生するトラブルに対して的確な判断と対応を行っている。
 ● 大容量泡放射砲および大口径ホースの重要性が確認された。1989年当時、米国では、すでに容量の大きい7,570 L/min (2,000gpm)級泡モニターを活用できる状況にあったことがわかる。この事例のあと、大容量泡放射砲システムの開発が本格化したものと思われる。 
 ● 泡薬剤の補給が十分に行われている。この点、消火活動における兵站(へいたん)、すなわちロジスティクスの重要性が認識されている。
 ● 火災との戦いの中で、ヘリコプターを使用して発災状況を鳥瞰(ちょうかん)的に把握できたことが役立っている。これは、1985年に起った米国ハワイ州のペニンシュラ海軍燃料庫の火災事故でヘリコプターによる上空からの観測が有効だったことが報告され、今回の事例でその教訓が活かされたといわれている


備 考
 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
  ・Williamsfire.com,  「Tale of Two Cities: Baton Rouge, 1989 & Buncefield, 2005」, Field  Report, Edited by Brent  Gaspard,   CODE RED ARCHIVES, Williams Fire & Hazard Control. Inc.
  ・Fireworld.com,  「BAD SANTA - Christmas 1989 Fire Hits Baton Rouge Refinery」, March,  2007
  ・Sp.se,  Tank Fires   Review of fire incidents 1951-2003,  SP Swedish National Test and Research  Institute,  2004



後 記: 今回は、ウィリアムズ社が公開しているCode Red Archivesの資料だけだと、大きな火災事故の割に情報に不足感があったので、 IFW(Industrial Fire World)の“Bad Santa”とSP Swedish National Test and Research  Instituteの“Tank Fires”の資料の中から関連情報を補完しました。これらの中で、爆発の要因になった高圧配管が原料の天然ガスラインなのかC3より軽質の製品ラインなのか混乱が見られましたが、本ブログの対象ではないので、あえて追及しませんでした。3つの資料を合わせると、直径41mのタンク火災の消火活動の状況がつかめるようになりました。使用された泡モニターの放射能力は2,000gpm(7,570L/min)で、今では大容量泡放射砲とはいえない大きさですが、当時としては最大の泡モニターです。日本で大容量泡放射砲システムが必要だと認識するのは、この1989年(平成元年)の「対岸の火事」から15年を経てからです。