2014年5月28日水曜日

米国テキサス州カーンズ郡で落雷によるタンク爆発・火災

 今回は、2014年5月9日、米国テキサス州カーンズ郡カーンズ・シティにあるシュプリーム・バキューム・サービス社の石油タンク施設で、落雷を受けて貯蔵タンクが爆発・火災を起こした事例を紹介します。
        テキサス州カーンズ郡で火災のあったタンク施設  (写真はKens5.comから引用
<事故の状況> 
■  2014年5月9日(金)午後1時30分、米国テキサス州にあるタンク施設で落雷による爆発・火災があった。事故があったのは、テキサス州カーンズ郡(Karnes County)カーンズ・シティにあるシュプリーム・バキューム・サービス社(Supreme Vacuum Services, LLC )の石油タンク施設で、落雷を受けてタンク1基が爆発を起こした。
テキサス州カーンズ郡の発災場所付近の風景
(写真はグーグルマップから引用)
■ カーンズ郡保安官事務所が語ったところによると、9日午後130分頃、シュプリーム・バキューム・サービス社のタンクに雷が落ちた直後、タンクが爆発を起こしたという。

■ シュプリーム・バキューム・サービス社は石油関連企業で、当局によると、タンク1基が噴き飛び、近くに駐車していた作業車に火が付いた。火災が広がったことによって、シュプリーム社では爆発が2回発生し、従業員は全員避難した。少なくともタンク2基とポンプ室が被災し、ドウェイン・ビラヌエバ保安官によれば、3台のバキューム車と2台の軽トラックが火災を起こしたという。

■ 最初にカーンズ・シティ消防署が発災の報告を受け、4つの消防署が消火のために出動した。この地域を襲った春の嵐によって、緊急対処部隊は思うように活動できなかった。結局、7つの消防署が対応し、約40人の消防士によって消火活動が行われた。火災は約1時間後の午後2時45分頃に制圧下に入った。

■ 爆発・火災事故に伴い、近くを走るハイウェイ181号線が上下車線とも閉鎖され、当局はハイウェイ181号線を迂回し、ハイウェイ123号線を通るよう規制した。火災の間、ハイウェイ181号線は午後3時30分頃まで閉鎖された。この事故に伴うけが人は報告されていない。
           火災現場で消火活動を行なう消防隊   (写真はKens5.comから引用)
             出動した消防署の車両   (写真はKens5.com から引用)
補 足                  
■ 「テキサス州」は米国南部にあり、メキシコと国境を接している州で、人口は約2,510万人と全米第2位である。
 「カーンズ郡」は、アメリカ合衆国テキサス州の中央部南に位置する郡で、人口は約14,800人であり、郡庁所在地はカーンズシティ(人口約3,000人)である。
テキサス州カーンズ郡
■ 「シュプリーム・バキューム・サービス社」(Supreme Vacuum Services, LLC )は、2006年にテキサス州で設立された油田関連のサービス業務を行っている石油企業である。主に南テキサスの石油開発企業に対して石油掘削、生産油の輸送、販売、貯蔵などの油田関連の業務を行っている。以前は「シュプリーム・オイルフィールド・サービス」と称していた。従業員は約120名で、バキューム車などの作業車60台を保有している。
 今回、事故のあったカーンズシティに貯蔵タンクなどの施設があり、バキューム車などが巻き込まれたと思われる。発災タンクは直径3~4mで容量50KLクラスとみられる。
シュプリーム・バキューム・サービス社のカーンズシティにある施設
(写真はグーグルマップから引用)
シュプリーム・バキューム・サービス社のバキューム車の例
(写真はSupreme Vacuum Services のウェブサイトから引用)
所 感 
■ 米国テキサス州で落雷によるタンク火災事故が報じられ、今年もまた落雷の季節が来たと感じる。米国では、油井関連の貯蔵タンクは小型のコーンルーフ式やドームルーフ式タンクが用いられており、タンク大気弁まわりに爆発混合気形成の可能性は高く、雷が落ちれば、引火する恐れは高い。落雷によるタンク火災は米国ではめずらしくなく、報道では、タンク火災の状況よりハイウェイが一時閉鎖されたというニュースの方が大きい印象がある。
■ 事故は広大な土地にわずか15,000人ほどの住民しか暮らしていないカーンズ郡で起きており、7つの消防署から集まっても40人ほどの消防士が消火活動に参加したという。ボランティア型の消防署だと思われ、ある面、いかにも米国らしい事故と対応だと感じる。

備 考
  本情報はつぎのようなインターネット情報に基づいてまとめたものである。
   ・Kens5.com,  Tank Explosions, Severe Weather Force Highway Shutdown in Karnes County,  May 09 , 2014
   ・News4sanatoneio.com, Lightning Strikes Tank, Sparks Fire, Explosions,  May 09 , 2014  
   ・Victoriaadvocate.com, Two Tanks Explode after Hit by Lightning in Karnes County,  May 09 2014
    WilsonCountyNews.com, U.S.181 Reopened, Karnes County Fire under Control,  May 09 2014 


後 記: 今回のタンク火災事故では、落雷が2回という話と爆発が2回という話の二つがありましたが、雷雲が流れていたとしても、まったく同じ場所(付近)に落ちることは考えづらいので、爆発2回という話の方をとりました。また、発災場所についてはハイウェイ181号線沿いに同じようなタンク施設があり、初めはそちらだと思っていましたが、火災現場を撮った写真や動画の背景から181号線から少し入った場所にあるタンク施設であると分かりました。両方ともグーグルマップのストリートビューでは施設のない写真でしたので、タンク施設は比較的新しいものだということがわかりました。原油価格が高いので、生産量が少なくても油井の掘削が行われていることがうかがえます。 

2014年5月22日木曜日

1964年新潟地震における貯蔵タンクのボイルオーバー事例

 今回は、Loss Prevention Bulletin(June 2013)に掲載された消防庁消防研究センター古積博氏、岩田雄策氏らの「Multi-Boilover Incidents in Oil and Chemical Complexes in the 1964 Niigata Earthquakes」(1964年新潟地震における石油コンビナートの複ボイルオーバー事例)を紹介します。
図3 エリアAにおける原油タンク火災の初期段階
要 旨
 日本はこれまで多くの地震に遭ってきた。地震が起こると、油槽所、製油所、石油化学などの工場もまた被害を受けてきた。この論文では、日本において地震によって被害を受けた石油タンクの事故の歴史をまとめるとともに、1964年新潟地震の被災状況についてまとめた。 1964年新潟地震は、日本の歴史上、最も大きな災害を被った石油コンビナートの事例である。この事故では、火災が12日間続き、約150基の石油タンクが延焼し、ボイルオーバーが数回起こった。

はじめに
■ 大地震では、多くの死傷者が出たり、産業にダメージを与えるなどの大きな被害をもたらす。日本では、過去からこのような災害を何度も経験してきた。最近でも、2012年3月11日の大地震と津波によって多くの人が亡くなり、福島原子力発電所がメルトダウン事故を起こし、石油コンビナートの施設で被害が生じた。

■ これらの災害について日本国内では詳細が報告されているが、英文に翻訳されているものが多くないため、事故の多くは日本以外ではあまり知られていない。このため、これらの災害のいくつかについて紹介するとともに、特に1964年新潟地震における石油コンビナートの被害状況と火災に伴って起こった数回のボイルオーバーについて解説する。

日本における石油コンビナートの災害の歴史
■ 表1は日本におけるタンク施設の災害事例を示す。関東大地震は東京と近郊地区に大きな打撃を与え、約105,000人が亡くなった。横須賀には海軍基地があり、燃料油貯蔵用のタンク・ターミナルが被災した。横須賀港地区では、タンク火災と油流出が2週間続いた。確証はないが、火災記録からすると、燃料油タンクでボイルオーバーが起こっていたのではないかと思われる。

■ 1964年6月に新潟地方で起こった地震は石油コンビナート地区に大きな被害を与えた。約150基の油タンクが火災となり、他に90基ほどのタンクに被害が出た。原油や燃料油を保有していたタンクでは、ボイルオーバーが数回起こっている。事故後50年近く経過しているが、英文での報告書が発表されていないため、この事故について海外ではあまり知られていない。
表1 日本における地震による油タンクの事故事例
1964年新潟地震
概 要
■ 表2に1964年新潟地震の概要を示す。新潟市は東京から北250kmに位置し、日本海に面しており、石油コンビナートがある。多くの建物や家屋が被害を受けたが、火災は工業地帯近くの家屋に限定された。石油コンビナートを含む新潟市域は津波に襲われた。石油コンビナートを含む市街地の大部分に地震による液状化現象が発生した。おそらく液状化によると思われる橋の損壊が起こった。
表2 1964年新潟地震の概要
*報告書によって数値が異なる  
図1 西地区からの光景                図2 焼けたタンクの例
石油コンビナートの被害 
■ 新潟の石油コンビナートは大きく、その中には製油所と数百基の石油タンクがあった。火災の多くはシェルグループの昭和石油の製油所において起こった。(図1、2、3を参照) 図4は、石油タンクの大半が火災を起こした石油コンビナート地区をA、B、C、D、Eの5つに分けてみたものである。
図4 新潟市東部の石油コンビナートの配置
■ エリアAには、大型の原油貯蔵タンクが5基(表3を参照)あったが、No.1103タンクから出火したのち、全タンクに延焼した。 No.1103タンクでは、地震による油の揺動で油が側板を越えて溢流し、屋根とタンク側板が衝突したことによって火災が起こったものとみられる。
表3 エリアAにおけるタンクの概要
■ エリアBでは、津波の影響を受け、ガソリン、灯油などの油が海に流出した。2番目の火災は、昭和石油と三菱金属の境界付近で起こった。火災の着火源は、保管されていた金属(おそらく鉄粉)と海水の化学反応による発熱と思われる。エリアBには揮発性の油が漏洩していたため、火災はすぐに広がっていった。図4の矢印は火災の広がりの方向を示す。

■ エリアAには大型の原油タンクが5基あり、エリアCには灯油と原油タンクがあり、エリアDには重油タンクがあった。エリアEには、原油をはじめ、いろいろな油種を貯蔵していたタンクが数多くあった。

■ 新潟市の西地区には日本石油の製油所があり、大量の油が漏洩していたが、火災は発生しなかった。

■ 最初にNo.1103タンクで発生した火災は、短時間でエリアAの全タンクに広がった。6月18日23時(地震発生から約58時間経過)、 No.1103タンクにおいてボイルオーバーが起こった。ボイルオーバーは他のタンクでも起こったが、発生回数ははっきりしていない。しかし、ボイルオーバーが起こったことによって、エリアAの火災を消火することは極めて困難になり、火災は6月28日まで続いた。

■ 三菱金属との境界付近で発生した2番目の火災は、エリアCの西および南の方向へ広がり、さらにエリアDとエリアEへと拡大していった。エリアDには10基のタンク(ガソリン、灯油、軽油)があったが、幸いなことに消防隊の活動によって延焼を免れた。

■ ボイルオーバーは、エリアBの重油タンクで発生し、さらにエリアCとエリアDにあった原油タンクでも起こった。ボイルオーバーの正確な発生回数は明確でないが、おそらく少なくとも4・5回あったとみられる。

事故の時系列
■ 津波によって新潟港は被害を受けた。地震によって液状化が起こり、揚圧力や噴砂の現象が生じ、油タンクや施設にダメージを与えた。石油コンビナートでは4か所で火災が起こっていた。

火災の始まり
■ 4か所の火災の概況を以下に示す。

昭和石油の製油所
■ 火災は地震直後に原油タンク地区で発生した。地震による油の揺動によって原油が飛散し、火災に至った。その後、火災はエリアA内のタンクに防油堤を越えて広がった。合計5基のタンクが火災となり、ボイルオーバーは2基あるいは3基のタンクで起きたとみられる。

昭和石油と三菱金属の境界付近
■ 地震発生後、約5時間経過して2番目の火災が発生した。この地区の製油所側では、深さ約0.5mの海水に浸かっていたが、損壊した油タンクや配管から漏れた揮発性の油の層が水に浮いていた。 このため、火災は水上を容易に広がっていった。結局、計138基のタンクが火災あるいは損傷を受けた。

ナルマス・オイル
■ 蒸留装置の製品を貯蔵する容量100KLの燃料タンクが地震によって損傷した。漏れた油に引火し、火災は水の上を走って建物へと広がった。火災は6月17日午前4時に鎮火した。

ニットー・ファイバー
■ 埋設のパイプラインから原油が漏れ出し、引火した。火は水の上を伝わって広がり、6月17日午前5時に鎮火するまで火災が続いた。

消防活動
■ 火災時における主な出来事と消防活動の概要を表4に示す。発災初期において地元消防署は市街地の災害対応に集中した。石油会社の消防隊は6月17日の早朝から活動を始めた。しかし、6月16日、17日の消防活動は不十分なものだった。その後、東京消防庁と他市の消防署の派遣部隊が支援に駆けつけた。この消防活動によってエリアDにあった製品油タンクの延焼防止に成功した。
表4 火災時における主な出来事と消防活動の概要
タンク火災およびボイルオーバー
■ 異なるタンクでボイルオーバーが何回か起こったということは、いろいろな報告の中で言及されているが、正確な情報は明らかでない。火災発生から約58時間経過後、最初のボイルオーバーがNo.1103タンクで起こった。ボイルオーバーの発生までの時間が長かったのは、浮き屋根が浮力機能を有してリムシール火災の様相が長く続き、油への熱移動が小さく、油の燃焼速度やヒートウェーブ下降速度が遅かったためである。ヒートウェーブ下降速度は0.25m/hと推算している。 No.1103タンクでは、ボイルオーバーが2回以上発生した。

■ エリアC、D、Eには、エリアAと同様、ボイルオーバーを起こす恐れのある原油や燃料油のタンクがあった。事実、これらのタンクのいくつかはボイルオーバーが起こっているが、正確な発生時間や回数は分かっていない。エリアEにあった小型タンクで3日後にボイルオーバーが起こっている。ボイルオーバーが遅く起きたのは、前述の理由と同じだと思われる。何度もボイルオーバーが発生するような状況にあり、消防活動は困難を極めてが、消防隊には大きなケガをする消防士が出なかった。このような厳しい条件のもとで、消防隊は最善を尽くした活動を行なった。

教 訓
■ 新潟地震当時の日本にも、危険物の取扱いおよび貯蔵に関する法令があったが、この地震を契機に改正された。火災からの教訓と法令の改正内容はつぎのとおりである。
(1) 防油堤が地震で簡単に壊れたので、防油堤の強度が災害を教訓にして改正された。
(2) 油タンクの構造に関する法令が災害を教訓に改正された。
(3) 火災が民間の家屋にまで達したので、石油施設のレイアウトに関する法令が見直された。
(4) エアフォーム・チャンバーは全タンクに設置されていたが、そのほとんどは機能しなかった。このため、エアフォーム・チャンバーは火災警報システムと自動的に連動して作動すべきとされた。

まとめ
■ この論文では、日本における地震の歴史とその地震による石油コンビナートの被災状況についてまとめた。

■ 1964年新潟地震では、大型の石油タンクが火災に至り、原油および燃料油を貯蔵していたタンクのいくつかはボイルオーバーが発生した。地震と津波によって新潟市は甚大な被害を受けたが、火災の消防活動時には、東京消防庁の尽力もあってケガをした人はほとんどいなかった。

■ 2011年における日本の地震は、地震のような自然災害時に私たちが危険に直面するということを思い出させた。
新潟地震後の市内光景
(新潟製油所の火災発生、手前は信濃川に落ちた昭和大橋)
(写真はblogs.yahoo.co.jpから引用)
補 足                 
■ 「消防研究センター」(National Research Institute of Fire and Disaster)は消防庁の研究機関で、火災原因究明のための調査・試験や消防資機材の開発など消防の科学技術に関する研究開発を総合的に行っている。もともと1948年に創設された「消防研究所」が前身で長い歴史をもった機関であるが、現在は消防庁消防大学校に設置されている形となっている。
 著者の古積博氏と岩田雄策氏は消防研究センターの危険性物質研究室に所属する専門家である。古積氏はボイルオーバーを専門分野の一つとして研究され、多くの論文を発表されている。

■ 「昭和石油 新潟製油所」は1953年に建設され、 40,000バレル/日の精製能力があったが、1999年に精製装置は停止され、現在は「新潟石油製品輸入基地」として石油タンク基地となっている。「昭和石油」は1985年にロイヤル・ダッチ・シェル傘下のシェル・ペトロリウムと合併し、「昭和シェル石油」と改称されている。なお、旧新潟製油所跡地には、2010年、太陽光発電施設「新潟雪国型メガソーラー発電所」の稼働を開始させ、日本の石油元売大手が商業用の太陽光発電事業に初めて着手するケースとなり、2012年にはさらに増強し、現在8MW規模のメガソーラー発電所となっている。
 一方、新潟地震時に火災発生のなかった日本石油新潟製油所(26,000バレル/日)も1999年に精製装置を停止している。
最近の昭和石油新潟製油所の跡地付近(現;新潟石油製品輸入基地)
(写真はグーグルマップから引用)
■ 昭和石油新潟製油所の火災に関する消防活動は、予防時報「新潟地震に伴う昭和石油製油所火災戦闘記」、小野寺慶治(196410月発行)に詳しく述べられている。(残念なことに、ブロック分けとタンク番号を記載した図が添付されていない) 小野寺氏は、当時、東京消防庁消防監として派遣部隊の本部長として現場活動に参画し、地震による損傷と津波による被害を含む広域のタンク火災という過酷な条件の中で、現在からみれば貧弱な消防資機材でよく奮闘されていることがわかる。
 火災の消火活動で得た19項目の教訓が述べられており、広域の複数タンク火災に直面した経験は現時点でも参考になる。以下にその例を列記する。
 ● タンク容量、現在量、油種などを早く調査して消火活動の重点を決定し、対応部隊を決定しなければならない。しかも、未燃タンクの受ける温度を測定し、タンクの温度を測定し、さらにその後の変動をいち早く察知しなければならない。
 ● タンクの油量が少なければ少ないほど、内部ガス圧が加熱により急激膨張をなし、タンク屋根が噴き飛んだり、あるいは屋根が裂けて口をあける。
 ● 燃焼しているタンク側板は、油レベルまでは変色しないが、上部燃焼部分は焼けさびとなる。さらに長時間燃え続けると、タンク側板上方は溶解して内部へ垂れ下がり、屋根部のないタンクでは油量が少なくなるにつれて低くなり、高さ3~4mくらいで止まる。また、屋根部が口を開けて燃え続けるタンクは、その部分がゆがみ、肩部が下がって変形する。この場合、タンク内部は不完全燃焼のため、火勢は弱い。 

 ● 堤内火災で、配管のバルブやタンクの下部マンホールが長時間火災に曝されると、パッキンや締付けボルトが狂い、漏油するようになり、これがまた燃え続ける。
 ● 屋根部の飛んだタンクは、大きく口を開けて燃え、ときどき爆音を発する。これは、燃焼中に風のため空気がよく入り、完全燃焼する時に起きるものであり、またタンクの内部は空気の流通が悪いため、火勢は弱いが、縁から上方は急激に完全燃焼を起こし、上昇速度が非常に速い。従って、射程の短い泡放射を行っても、タンク内に泡は入らず、飛ばされてしまう。(タンクが高い場合)
 ● 燃焼しているタンクから受ける輻射熱は相当高温であるが、空気の対流作用が激しいため、周囲から流入する冷たい空気のため呼吸は楽である。

 ● 注水によるタンク冷却は効果があるが、防油堤内の排水を考慮しなければならない。水位が高まり、防油堤の外に漏れ出し、火面を広げないように留意すべきである。防油堤が地震によって壊れている箇所があった。
 ● 地上流出油火災は噴霧消火で十分効果をあげられるが、広範囲の火災には、その幅だけの噴霧ノズルを用いないと、側面から火が回り、退路を遮断される危険があるので、消火した部分を土砂などにより区切って行くようにするのが大切である。
 ● 筒先隊員はもちろん指揮者も機関員も平常火災と同じ人数では、長時間高温下の活動には耐えられない。常識的に考えて、指揮者と機関員は2人宛とし、筒先担当者は9名以上として3班に分け、10~20分宛交代させるようにしなければ、隊員の疲労がかさみ、危険である。
 ● 長時間かつ灼熱下での活動では、消火ノズルは方向を変えられる固定式放水銃のようなものが必要だった。放射能力は1,500 L/min、射程40~60m程度のものが必要である。東京消防庁の化学消防車のノズルは射程も短く、隊員が手で持つタイプであったから、疲労と危険が伴っていた。 (注:当時の消火資機材のレベルが想像できる)

■ 「No.1103原油タンク」は、地震による油の揺動で油が側板を越えて溢流し、屋根とタンク側板が衝突したことによって火災が起こったものとみられるが、「昭和39年新潟地震昭和石油株式会社 新潟製油所火災」(消防庁)によると、「地震とともに屋根が3~4回側板より上方に揺動し、同時に上部から側板に沿って原油が周囲に溢流した。そして、4回目くらいの揺動時に火災が発生した」とある。
  No.1103タンクは容量30,000KLで直径51.5mであった。現在の消防法によると、必要な大容量泡放射砲の放水能力は20,000 L/minである。これは泡放射量約9.6 L/min/㎡に相当する。当時の消防車の性能では消火できないし、小野寺氏の要望した放射能力1,500 L/min程度では勿論、現在の大型化学消防車(放射能力3,000 L/min程度)を複数台配置しても消火できない。
 実際、燃え尽きる戦略がとられた。しかし、No.1103などのタンク群の西隣に主装置があり、さらに延焼を免れている製品油タンク群があった。このため、6月20日、燃え尽きる戦略のほかNo.1103タンクのボイルオーバーによる被害防止策として、タンク群と主装置間の道路に土砂による堤防を構築する戦術がとられた。この堤防(長さ200m、高さ70cm、幅1m)は、煙と熱気の中、自衛隊100名で約2時間余で構築されている。

■ 「1964年新潟地震」は新潟国体の終わった4日後に起こっている。そして、4ヵ月後に1964年東京オリンピック(10月10日開会式)が開催された。地震直後は大きなニュースになったが、東京オリンピックがあったため、その後は地元以外に忘れられた感がある。しかし、現在、インターネットに投稿されている新潟地震に関する情報は少なくない。新潟地震による災害を表した写真の一部を以下に紹介する。 
信濃川を逆流する津波は海抜0m地帯に流れこんだ。左上は八千代橋。 (新潟日報)
(写真はmoekire2.exblog.jpから引用)

地震、タンク火災、そして津波、油の浮く濁水の中を手を取り合い、東港線道路を避難する子供達
(写真は13.plala.or.jpから引用)

新潟市川岸町の鉄筋四階建て県営アパート群が地震でゆっくりと倒れたが、幸い死傷者はなかった
(写真は13.plala.or.jpから引用)
所 感
■ 1964年新潟地震があったことは知っているが、このように凄まじい災害だったとは思っていなかった。2011年東日本大震災前であれば、おそらく極めて稀な事例という位置づけで終わっていただろう。しかし、新潟地震の状況を見ていくと、東日本大震災時の津波による石油タンク損傷と油流出、LPガスタンク爆発・火災などの被災状況と重なる。
 現在は1964年当時より確かにタンク施設は強化され、消防資機材も充実した。しかし、今の石油タンクの事故想定は基本的に単発事故(タンク1基の事故)である。だが、単発事故に制限してくれる保証は何もない。 1964年新潟地震や2011年東日本大震災の事例をみると、堤内火災を伴ったタンク火災や複数基火災を仮想しておくべきである。
 
■ 消防資機材が充実したとはいえ、例えば、大容量泡放射砲システムは指定区域に1セット(最大タンクを対象)である。地震により同区域の複数基のタンクが全面火災になった場合、誰が、どのような判断で、どこに大容量泡放射砲システムを送り込む決断をするのか考えておく必要がある。特に原油タンクはボイルオーバーの発生する可能性があり、余裕時間はない。今回、新潟地震における火災タンクのヒートウェーブ下降速度は0.25m/hと推算されているが、これは極めて稀な遅い例である。ヒートウェーブ下降速度の仮定値を設定し、ボイルオーバーの発生時間を推算して消火戦略を計画しなければならない。 

 備考
 本情報はつぎの資料に基づいてまとめたものである。
  ・「Multi-Boilover  Incidents in Oil and  Chemical Complexes in the 1964 Niigata Earthquakes, Loss Prevention Bulletin 231 June 2013
        Hiroshi Koseki*, Gilles Dusserre**, Yusaku Iwata*
          *National Research Institute of Fire and Disaster, Japan
          ** Ecole des Mine d’Ales, France 



後 記: 今回の情報は逆輸入版です。しかし、1964年新潟地震のタンク火災の状況についてこれまで知らなかったので、興味深い資料でした。今年の6月16日でちょうど50年です。この50年間に新潟製油所は閉鎖され、タンク施設は別な形態で継続されており、時代の移り変わりを感じます。製油所の閉鎖といえば、地元周南市の出光徳山製油所の精製装置が3月に停止し、解体工事が始まりました。大型のクレーンが据え付けられ、現在は煙突の解体中です。写真では、まだ筒身が立っていますが、すでに半分が無くなっています。構外からは煙突や高いタワーしか見えませんが、精製装置のすぐ際を山陽新幹線が走っていますので、新幹線の車窓から解体状況がよく見えるでしょう。  

2014年5月11日日曜日

中国・陜西省の製油所で軽質原油タンクが爆発して3名負傷

 今回は、2014年4月26日、中国陝西省延安市の陝西延長石油の製油所にある軽質原油タンク貯蔵タンクが爆発・火災を起こし、3名の負傷者が発生した事故を紹介します
延安市の陝西延長石油の製油所において爆発・火災したタンクと消火作業
(写真はNews.xinhuanet.com から引用)
 <事故の状況> 
■  2014年4月26日(土)朝、中国陝西省(せんせい/シャンシ-省)延安市(えんあん/イェンアン-市)の製油所にある貯蔵タンクが爆発・火災を起こした。事故があったのは、中国北西部にあたる延安市の陝西延長石油(Shaanxi Yanchang Petroleum)の延安製油所で、軽質原油タンクが爆発を起こして火災となった。この事故に伴い、3名の負傷者が発生した。
 (写真はNews.hsw.cnから引用)
■ 延安製油所において、26日(土)午前1時48分、軽質原油用のNo.9532タンクがフラッシュ爆発を起こした。このため隣接する容量500KLタンク2基に延焼した。現場ではもうもうとした煙が立ち上り、刺激臭の臭いが漂った。この事故に伴い、製油所の従業員3名が火傷を負い、地元の病院へ搬送された。

■ 事故発生後、ただちに製油所緊急事態対応基準が発動され、自動シャットダウンや避難対応の作業が開始された。延安市は、緊急事態対応計画に基づき、警察、消防、救助隊が出動した。延安消防署は120名以上の消防隊員と33台の消防車が現場に急行した。

■ 消防署によると、26日午前6時頃に火災は制圧下に入ったという。さらに午前11時時点で、消防隊は2基のタンクの火災を消火し、爆発に伴って被災したタンク2基のうちの1基は制圧下に入った。消火したタンクには冷却処置が継続された。午後2時45分に残っていた火災タンクも鎮火した。その後、現場では、再燃する恐れのないことが確認された午後5時45分まで泡放射が続けられた。

■ タンクから直接的に漏れたような原油は見つかっていないが、製油所の近くのフル川へわずかに原油の混じった消火排水が流れた。消防隊は、タンクへの消火活動を実施する一方、フル川近くに堰止めの堤を7個所構築し、洛河(ルオ河)への汚染リスクを無くすよう努めた。

■ 延安の地方自治体は住民900人を避難させた。近隣地区はモニタリングが行われているが、顕著な石油系物質の排出は見られていない。

■ 事故の原因は分かっておらず、調査中である。
(写真はNews.hsw.cnから引用)
(写真はNews.xinhuanet.com から引用)
(写真はEnglish.cri.cn から引用)
(写真はNews.xinhuanet.com から引用)
(写真はNews.xinhuanet.com から引用)
(写真はNews.xinhuanet.com から引用)
補 足                  
■ 中国(中華人民共和国)の「陝西省」 (せんせい/シャンシ-省) は中国北西部に位置する省の行政区画で、人口約3,700万人である。省内には黄河が流れ、中国のほぼ中央にあり、省都は西安市である。
 「延安市」 (えんあん/イェンアン-市) は、陝西省にある地級市で、人口約210万人の都市である。

■ 「陝西延長石油」は、通常、「延長石油」(ヤンチャン・ペトロリアム)と呼ばれ、正式には陝西延長石油(集団)有限責任公司(Shaanxi Yanchang Petroleum Group)といい、1905年に設立された中華人民共和国の国有企業で、現在は陝西省が直接関与している石油会社である。陝西省を拠点として原油・天然ガスの生産から石油製品・石油化学製品の供給まで総合的に行っている。陝西延長石油は延安・永坪(ヤンピン)・榆林(ユウリン)の3箇所に製油所を保有している。
 延安製油所は、1988年、陝西省延安市洛川県交口河鎮(延安と西安の間)に建設され、生産能力は年間800万トン(約16万バレル/日に相当)である。
 なお、陝西延長石油では、2013年年7月15日、豪雨をきっかけに「陝西省で地すべりによってパイプラインから原油流出」の事故があった。

                   陝西延長石油の延安製油所  (写真は陝西延長石油のウェブサイトから引用)
                     陝西延長石油の延安製油所 (周囲がわかるように俯瞰した写真を採用)
  (写真はグーグルマップから引用)  
■ 発災タンクは、グーグルマップの写真から直径約8mであり、300KL級タンクと推定される。隣接して火災となった2基のタンクは、報道記事では容量500KLと報じられているが、グーグルマップの写真から直径約10mであり、700KL級と推定される。
 爆発タンクは軽質原油を貯蔵していたが、その後の火災でボイルオーバーは起こっていないようだ。仮に油面高さを5mとし、全面火災のヒートウェーブ速さを50~100cm/hと仮定すれば、ボイルオーバーは5~10時間で起こる。午前1時48分に発災し、約4時間後の午前6時頃に制圧下に入ったというので、ボイルオーバーの起こる前に消火できたことになる。一方、300KL級や700KL級という比較的小型のタンクであり、通常の大型化学消防車クラスで消火可能な火災条件の割に鎮火までに時間がかかっている。
陝西延長石油延安製油所の火災タンク地区付近
  (写真はグーグルマップから引用) 
■ 「フラッシュ爆発」(Flash Explosion)という用語が使用されているが、通常の爆発との違いははっきりしない。フラッシュ・ファイヤー(Flash Fire)という用語は、可燃性ガス、可燃性または爆発性液体あるいは可燃性粉体と空気の混合気が着火して突然、激しい火災を起こすことをいう定義付けがされており、高温、短時間、急速な火炎前面が特徴である。米国などの消防専門分野ではフラッシュ・ファイヤーと爆発を区別して使っているが、一般には区別せず爆発という言葉で表現している。

所 感
■ 今回の発災タンクはドーム屋根式円筒タンクだと見られる。このタンクに軽質原油を貯蔵する場合、タンク上部の空間部に不活性ガスを導入しておかないと、爆発混合気が形成する可能性は高い。不活性ガス導入式あるいは内部浮き屋根式になっていたかは分からない。
 従業員3名が火傷を負っているが、通常、午前1時頃にタンク近傍で多くの人間が操業上の作業を行なうことはない。計器の不調あるいは何らかの異常兆候があり、その点検で集まったときに爆発が起こったものと思われる。

■ 事故現場の写真を見ると、爆発したとみられるタンクは上部が座屈しており、爆発後にかなり火災が続いたものと思われる。また、最後まで燃え続けたタンクも側壁が傾くほど座屈している。ボイルオーバーの起こり得る原油であれば、比較的小型のタンクではあったが、複数基対応と合わせ、消火活動としては難しかったと思われる。

■ 消火排水に混じった油が構内に留まらず、構外の川へ漏れ出ている。この点は、消火活動だけに目が向いて、消火排水への考慮が足らなかったと思われる。過去の火災事故をみても、消火排水の配慮不足の例は少なくないので、ボイルオーバーの可能性の考慮とともに、消火活動を始める前にチェックすべき事項である。

備 考
 本情報はつぎのようなインターネット情報に基づいてまとめたものである。
    ・English.cri.cn,  Three Injured in NH China Light Crude Tanks Fire,  April 26, 2014
      ・News.Xinhuant.com, Three injured in NW China Light Crude Tanks Fire,  April 26, 2014
      ・China-Daily.com,  China-Crude Tank Explosion, April 26, 2014
      ・Newscontent.cctv.com,  China-Crude Tank Explosion,  April 26, 2014
      ・Wantinews.com,  Yan’an Refinery Tank Explosion Accident Continued: Flames Have Been Extinguished, April 26, 2014
      ・Like-news.us,  Yan’an a Three Light Oil Refinery Storage Tanks Flash Explosion Occurred,  April 26, 2014
      ・News.hsw.cn,延安炼油厂油罐闪爆3人烧伤 少量油污进入葫芦河,  April 26, 2014
      ・News.xinhuanet.com,延长石油延安炼油厂油罐闪爆 3人烧伤上千人撤离,  April 27, 2014


後 記: 今回、事故情報を発信しているメディアはたくさんありましたが、大体、同じような内容です。おそらく延安市当局から出された情報のみに基づいているようです。事故はすぐに収束するような印象の記事ですし、負傷した3名の人についても死亡という記事もあり、複数の情報を読みくらべながらまとめました。文章の記事は内容が乏しいと言わざるをえませんが、意外に写真についてはオープンです。メディアも意識して複数の写真を公表し、文章を補っているように感じます。
 一方、一番難儀して時間を費やしたのは、延安製油所の場所です。延安市の中心地にはなく、郊外の場所をグーグルマップで探しましたが、なかなか見つからず、諦めては探す、探しては諦めるというのを何回繰り返しました。結局、延長石油のウェブサイトには立地条件のよいところだと述べてありますが、日本では考えられないような山々に囲まれた川沿いの場所でした。